ポール・リクール「イニシアティヴ」
[以下は Paul Ricœur, «L'initiative» (dans Du texte à l’action. Essais d’herméneutique, II, Seuil 1986) の試訳]
以下の哲学的考察は二つの特質によって特徴づけられている。第一に、この考察の野望は、時間という構築物における現在(人格的な現在や歴史的現在)の場と意味に関する哲学的反省に貢献することである。これは本考察の思弁的側面である。第二に、この考察は実践的側面を強調し、展開することと目指している。すなわち、純粋な反省に対するこの現在の複合性が注記されるようになって以来、現在は倫理や政治に拡大されて、行為と関係づけられるようになったが、本考察はこうした実践への関係づけを目指しているのである。実践の思弁への応答とその困難を強調するべく、私は自らの研究に「イニシアティブ」というタイトルを選んだ。イニシアティブとは、熟視され、考慮され、黙想され、反省されるこの現在に応答する、生きた・活動的な/操作的な現在である。
I.
それゆえ私は、現在についての純粋な反省に関連した困難、(哲学においてはアポリアという用語で語られる)行き詰まりから始めたいと思う。専門家の人々は、歴史的な参照をせずに私が行うことになる反省のうちに、現在についてのある特質が『告白』の有名な第11巻におけるアウグスティヌスから来ていて、彼が『純粋理性批判』におけるカントの「経験の類比」や、フッサールの『内的時間意識の現象学』やベルクソンの『意識に直接与えられたものに関する試論』やその上ハイデガーの『存在と時間』から借用されてきたことに気づいても何ら困惑することはないだろう。時間に関する思弁が解明する困難の中でも、私は現在に関係する事柄だけを心に留めておくつもりである。私はもっとも単純なものからもっとも複雑なものへ、もっとも明らかなものからもっとも奥深く隠されたものへと進んでゆくことになるだろう。
まず明らかなのは、われわれが現在について考えるのは過去と未来との対立的な関係を通じてのみということである。しかしながら一連の逆説全体が生じるのは、この対立的関係についてわれわれが考える場合である。始めに、この対立的関係は両方向から追跡可能である。すなわち一方で、過去と未来は現在との関連において、したがって現在に中心的位置を許すことで合理的に整序可能である。時の副詞(今日、いま、この瞬間に)を用いたり、多くの言語においてわれわれが正確に現在時制と呼ぶ動詞の時制を用いたりすることで現在を表現することができるとする思考の持ち主や話し手だけが、〈~だろう〉や〈だった〉や昨日や明日といった未来と過去をも表現することができる。しかしながら[他方で]現在のこの中心的な位置づけも、これとは逆の考察によって転覆される。欲求や恐怖や期待や恐れを含む気遣いによって未来へと企投できる者だけが、記憶や後悔や悔恨や集団記憶や忌々しさを通じて過去へと向かうこともでき、かくして気体と記憶とが相互に入れ替わるようになる時間のアスペクトとしての現在に戻ってくる。第一の時間の規定との関連では、現在は根源である。第二の規定との関連では、時間は推移transitである。根源というのは、未来と過去とが現在の前と後ろに企投される地平として現われるという意味においてであり、いつも今日という持続し続ける形式であり続ける〈今〉である。推移というのは、われわれが恐れ欲求する未来の事柄があたかも現在に近づいてくるかのようにやって来て、現在を通過し、そうしてわれわれから離れていって、じきに忘却となる記憶へと沈み込んでゆくという意味においてである。起こることの非距離化[未来が現在にやってくること]に対応するのは、起こらなくなるものを距離化[過去の過ぎ去り]である。根源と移行は、現在がいかに交代して、少なくとも最初の近似化としてわれわれに現われるかの方法である。
われわれが一方で現在、他方で過去と未来との対立的な関係と先に呼んだものが、現在との関連で外的もしくは内的なものとして現われ得ると考える場合、現在をめぐる逆説が繰り返される。外的な関係とは、あたかも時間が過去、未来、現在とバラバラになるという意味においてであり、これは否定の形式での言語表現(未来の〈まだない〉と過去の〈もはやない〉は、現在の純粋で単純な〈ある〉と対立している)において明白である。時間の脱時的性格はこの点に関して議論されたもので、時間の諸次元をそれぞれ他の時間との関連のうちでの「自らの外へ」として強調している。これに対し、期待について将来の現在としてのみ語ることができ(今後)、記憶については過ぎ去った現在としてのみ語ることができる(かつて、以前に)限りにおいて、現在それ自体との関連で現在を外部化するのが、あたかも[時間とは]現在であるという意味で解される内的な関係である。現在との関連で時間の三つの脱時態が内部化されるお陰で、過去と未来は現在の肯定的な変容態として現われる。すなわち未来は現在〈であるだろう〉であり、過去は現在〈であった〉であるのに対し、現在は自分自身のうちで、つまり現在の事柄への集中であると同時に、これらの事柄が有する現在への集中でもある場合の集中のように現在の現在のうちで反省される。
この第二の弁証法は第一の弁証法を繰り返していると私は述べた。事実、現在が将来の現在、過去の現在、現在の現在という三重になるのは実際、それが根源である場合である。しかしその際、この分割、この裂開、この自分自身と不一致は、現在それ自体のうちでの伸張を産み出し、かくして移行としてのその性質を裏づけるのである。
第三の弁証法は、先行する二つの弁証法に接木される。この第三の弁証法によってわれわれは、理論的な思弁から実践にふさわしい考察に導かれるだろう。この弁証法は現在と瞬間との対立によって成立する。一見するとこの対立は、一方で現在、他方で過去と未来との関係を支配している内包の関係と外包の関係との対立を繰り返している。実際、現在は、切迫というわれわれの観念や副詞、動詞、名詞といったわれわれの語彙全体がうまく表わしているように、将来の現在として自らの厚みのうちに未来の一部を含んでいる。またある言語は現在のうちに含まれる未来(われわれは起こりつつあることについて、また今にも起こりそうなことについて語る)を陳述するための進歩的な動詞形すら有している。同じことは、最近という観念によってうまく特徴づけられた直接的過去についても言える。こうした直接的な過去とは、ついさっき起こったこと、何らかの仕方でまだ優先的な記憶のうちに存在し、現在の経験と絡み合っているものである。われわれは、最近という観念と現在の志向性との、(お好みなら)集中との直接的で肯定的なつながりを表現するのに過去把持について語ることができる。切迫と最近という観念――未来把持と過去把持――が現在に内在的な志向関係をなすのは、あたかも外部に眺められる客体へと向けられる推移的な志向関係によってではなく、時を持続的な流れとする縦長の志向関係によってである。普段理解しているとおり、現在はこの切迫する未来と最近の過去とを孕んでおり、線に書かれた厚みのない点のような姿によって表現されることを許さないのである。
同じことは〈今〉を発生として、つまりその〈今〉の闖入効果と断絶効果を定義づけ得るものとして強調する瞬間には言えない。発生は切迫と最近という観念と対立している。つまり瞬間は、その本質において、時を表象する劣化形態ではないのである。発生と切迫/最近性との弁証法は、現在そのもののうちに真に見出される弁証法なのである。しかし(またここに混乱があるのだが)、この発生と切迫/最近性との弁証法が表象不可能で、〈あたかも〉や〈いわば〉といった言い方で、つまり隠喩がその明白な逸脱となるはずの字義通りの表現がまったく存在しないにもかかわらず、隠喩を通じて曖昧にしか表現できないのに対し、瞬間は、この場合では線上の点として表象され得る、時のただ一つのアスペクトである。ところでわれわれは、全体としての時ではないにせよ、(一日、一週間、一ヶ月、一年、一世紀など)少なくとも時の限定された部分を、つまりわれわれがいろいろなまとまりとして比較したり測定したりするなどの目的で、分断としての二つの点や二つの瞬間によって区切る部分を自らに表象する以外にない。線とは、時の部分のこうした限定化のために要求される図である。線の上では点は厚みを持たないが、最初は運動、その次は同一次元の空間、最後に時間という風に成立する連続体を分断することで限定される間隔の終点である。このことがいかなる思考の見せかけや経験の非本来性も含んでいないことは、一連の瞬間が一連の点的な介入をなすことに関して、瞬間が物理運動や変化を参照せざるを得ないことによって証し立てられる。すなわち、こうした介入によってこそ、それらが端と端に置かれることで、われわれは時の全体を瞬間と瞬間の間隔の無限の連続として自らに表象せざるを得ないのである。
点と間隔に基づく時間の表象と物理運動とのこうした合致によって、瞬間は正当な場所を得て、切迫と最近という広がりを有して、生き生きとした現在と同等になる。かくしてわれわれは①表象されない時間と、②近似的な隠喩の陰影によっておぼろげに志向されるにすぎない時間と、③点と線によって表象される時間という三つの時間と面と向かい続けざるを得なくなる。第一の時間は、われわれがかつて語った、根源であると同じくらい移行でもある生きた現在へと中心化したり脱中心化したりするものとして生きられている。第二の時間は、連続する「いま」として表象される。第一の時間をわれわれは現象学的時間と呼び、第二の時間を宇宙論的時間と呼ぶ。現象学的時間が反省によって到達され、第二の時間が客観的に到達されることから、われわれはこれらの言い方を用いる。(もしわれわれがあえてそう名づけようとするなら)魂の時間は世界の時間と対立する。こうした時間の分裂状態が思弁によって克服不可能であるという事実は以下のように確認される。すなわちわれわれは、推移や移行としての現在の経験が、退屈や効果のうちで感じられるような、状況の力へとわれわれを引き渡す受動性の経験であるとは言わないできた。またわれわれはこうした状況の力を、陽光とその影によって、また日中と夜によって、そして季節と年によって正確に測られる時間の外的な経過過程として表象せざるを得ない。これはわれわれが計算する時間であって、われわれは何かを計算する際にこの時間を用いている。これは時を読み、時間を語る時間である。結局のところ、死を思うmemento mori時間なのだ。このようにして、点と間隔をもった線によって表象される物理的な時間は、受動性という日々の経験のうちに生きた現在の時間を記しづける。すなわち物理的な時間は、突発、純粋な出来事、活発化、驚き、痛み、失望などとしての現在によって表象されるのである。生きた現在が世界の時間という傷を背負うことに満足していない以上、それは突発という契機のうちに成立する場合には、現在の線を通じてのみ表象可能である。これは、われわれが現在をその過去把持と未来把持によって擬似現在として表象する際に、日常的に行っていることである。ところで、時間の流れの統一性を再構成してくれる過去と未来の交差する地平によってそうした擬似現在のすべてをわれわれがいわば縫い合わせるのは、各瞬間の線に沿ってである。しかしながら、この統一性は線状的時間(その時間によれば瞬間は点であるにすぎない)という媒介物を通じてのみ把握可能である。逆に言えば、物理的時間は、われわれの抱くその表象が各瞬間を区別し、その間隔を数える魂、つまりそれらを総合し、一致を観察し、規則的な継起を心に留め、それらを連続に並べる理解力を仮定しているために、それ自体ではけっして把握できないのである。こうした多くの点で世界の時間は生きられた時を参照しているが、そうした時は物理的時間によって客観化されることによってのみ表象され得るのである。
そこで、過去把持と未来把持を有する生きた現在と、契機の点的介入から生まれる瞬間との二極性を思弁的には克服できないものとみなすことにしよう。もしあるパースペクティブが別のパースペクティブを指示するとしても、それらは一つのものへと切り詰めることはできないし、グローバルな全体を作り上げるべく両者を加算することもできない。この意味で、時間の現象学は自らの限界を露呈する結果となり、その独自の分析を通じて現在の他者としての瞬間を発見したのだった。それゆえ〈いま〉には二つの意味がある。すなわち、生きた現在の〈いま〉の生起は来るべき未来の切迫と遠のいてゆく過去の最近性とに弁証法的に関連づけられており、誰のものでもない〈いま〉の方は変化の連続性の中に刻み入れられる断絶によって生じるのである。
どのような仕方で実践はこの思弁的逆説と接続するのか、また同じ思弁的レベルでの解決でないなら、実践は、行為という応答の仕方(それは生きた現在と誰のものでもない瞬間とを非表象的な仕方で総合する)に少なくともどのように寄与するのかについて述べるべき時がきた。イニシアティブという観念こそが、現在と瞬間との実践的総合のためのこうした要求に応じるのである。
II.
行為の水準で現在なき時間と現在をもつ時間とのこうした交差のための道を舗装してやるべく、私は第三の時間の構成についてのいくつかの備考を導入しておこうと思う。この第三の時間は、われわれの個人的なイニシアティブや集団的なイニシアティブが際立ってくる背景として機能する。第三の時間がその特権化された表現を見出すのは暦の創出においてであり、この暦に基づいて暦法的時間と呼ばれてきたものが成立する。実際、暦は星々の動きに基づく宇宙論的時間と、生物学的なリズムや社会的リズムに基づく日々の生活の展開もしくは祭日時の結合に定位していた。暦は労働と日々を、休日を季節や年月と調和させる。それは共同体とその慣習を宇宙の秩序に統合する。しかし、どれはどのようになされるのか。
以下の三つの特徴があらゆる暦に共通する。
(a)第一に(またこの特徴がわれわれに直接関係してくる)、あらたな時代を拓くとみなされる基礎的な出来事、つまりは始まり(それは時間の始まりでなく、少なくとも時間における始まりであって、キリストや仏陀の誕生、ヘジラ、支配者の戴冠、世界の創設ですらもあり得る)の選択が存在する。このゼロ点が中軸的な契機となって、そこからあらゆる出来事が日付可能となる。
(b)次にこの中軸的な契機との関連で可能となるのは、過去から現在へまた現在から過去へという二つの方向へ時間を横断することである。われわれ自身の生活とわれわれの共同体の生活はこうした時間横断という出来事の一部であって、われわれの視線はこうした出来事を後追いしたり、先追いしたりする。
(c)最後に、宇宙的な諸現象の循環の間にある不変の間隔を数えるのに役立つ測定単位のレパートリーが存在する。またわれわれがそうした間隔を規定できるのは、まさに天文学によってである(日であれば日の入りと日没の間によって、年であれば太陽と季節の完全な一回転として定義される間隔によって、月ならば太陽と月の二回の合の間隔によって)。
実際、時間についてのわれわれの二つのパースペクティブは、第三の時間のうちに結合される。物理的時間と現象学的時間という二つの要素は、ここでは容易に識別可能である。
時間の物理的な側面に関して、統一的で無限で直線的な連続性という前提がある。それはすなわち、任意に区切ることができ、かくして現在のいかなる意味も剥ぎ取られたいつでもいい瞬間から構成された連続性という前提である。他方、現象学に属するものは軸となる時間への参照であって、過去の瞬間ということに関して言えば、この軸となる時間はいつでもいい瞬間とはまったく異なるものであって、そうした瞬間の代わりに〈明日〉や〈昨日〉が存在した生きた「今日」を指し示されていた。この生きた「今日」は新奇の出来事であり、以前の時節を破壊して、自らに先行するあらゆるものとは異なった出来事の成り行きを是が非でも始めようとする出来事である。真正な歴史的現在というこの軸となる時間を基礎とすることで、時間は前後両方の方向へと実際に横断され得る。第三の時間に関していうと、それはいつでもいい瞬間と生きた現在との合体から生まれ、日付けという現象のうちにそのもっとも重要な表現を見出す。実際、いつでもいい瞬間を擬似現在、つまりバーチャルな現在(われわれは想像力によってこの現在のうちへと移動できる)と一致させるのは、まさに日付けという観念の役割である。日付けも、軸となる契機からどれだけ隔たっているかに応じて、時間上のある位置をあらゆる可能な出来事と比較する。宇宙論的時間におけるこうした客観的な位置に対しては、過去の出来事とありうべき未来の出来事とを関連づける主観的な状況を、日付けによって対応させることが常に可能である。最終的に日付けによってわれわれは、歴史の広大さのうちに、すなわちこれまで生存してきた人類の無限の連鎖とこれまで生じてきた事象の無限の連鎖においてわれわれに割り当てられた場所のうちに身を置くことができる。かくして、あらゆるものは時間算出のゼロ契機である軸となる契機に基づいている。この軸となる時間契機こそ、真に第一の混合物である。すなわち一方で、あらゆる瞬間は軸となる契機であると認められる平等な権利を有した候補である。他方で、暦上の所与の日に関して、それが過去なのか、現在なのか、将来なのかをわれわれに教えてくれるものは何もない。同一の日付が、条約の条項の場合のようにある未来の出来事を指したり、年代記の場合のようにある過去の出来事を指したりし得る。現在を有するには、少なくとも誰かが話さなければならない。すなわち話すことで現在は、ある出来事とそれを陳述するディスクールとの一致によって意味されるのである。生きた時間と、あらゆる可能な日付けの体系としての暦の時間から始まるその現在とを再結合させるには、ディスクールという審級をもつ現在を経由せねばならない。こうしたことによって所与の日付けは、それが完璧で明白な場合でさえも、もしわれわれがその日付について語る発話の日付を知らないなら、未来とも過去とも言うことができないのである。
この発話される日付は、暦の時間の中間に当たる位置である。つまりそれは生きた時間を宇宙論的にし、宇宙的な時間を人間化する。またこの発話される日付がそうするのは、暦という軸となる契機においていつでもいい瞬間と注目すべき現在とを一致させることによってである。
かくして、以上の準備的な注記によってわれわれは、イニシアティブという観念を導入するのに必要なものすべてを有することになる。イニチウムとは始まりのことである。暦の軸となる契機は、それが発生することで重要なものと規定され、出来事のあらたな成り行きを始めるものとみなされる点で、始まりの最初のモデルなのである。
III.
引き続いて、私は個人のレベルでのイニシアティブを考察し、その後に集団のレベルで考察しようと思う。
個人のレベルにおいて、始まりの経験はもっとも豊かな経験の一つである。もしわれわれの誕生が他者にとっての始まり、つまり戸籍上の日付であるとしても、われわれが自らのすべての始まり(かくしてそれは、われわれから逃れる受動性や不透明性を示している)の日付をつけるのは、この誕生を参照してのことである。生きることは、われわれが選んだのではない条件において、われわれが自分自身を見出す状況において、宇宙の片隅(われわれはそこに投げ出されてしまっていて、そこで彷徨い、迷っている)において、すでに生まれてしまっていることである。しかしながら、こうしたことを背景としてこそ、われわれは暦の時間という軸となる契機を規定する出来事を規定する出来事のやり方の後で、始まりを生み出すことができ、事象のあらたな成り行きを始めることができる。
個人の次元でのイニシアティブを了解するための条件とは何であろうか。
私が保持しようと思っている条件のすべては、イニシアティブを見ることのカテゴリーではなく、行為のカテゴリー、為すことのカテゴリーとして特徴づけている。始めることは動詞によって表わされる。このことからして、現在という観念は、用語の擬似視覚的な意味での現前性の特権から守られている。これは恐らく、過去へ遡る視線が、過去の事象の効力によってわれわれが影響を被っていることへの回顧、つまりはそうした視覚、そうしたビジョンを好み、同じような仕方でわれわれがビジョンやみることに基づいて現在を捉えようとする傾向にあるからである。われわれは、見ることと為すこととの間にある優位の順序を逆転させるよう決断しなければならず、始まりを始まりの行為として考えねばならない。われわれは、何が起こるかに注意を向けなければならないのではもはやなく、われわれが起こすことに注意を向けなければならないのだ。私は、以下の別々ではあるがそれぞれ役に立つ四つの問題系に関する四つの特徴を保持しようと思う。
フッサール現象学やハイデガーの現象学にもっとも近づくことで、私がメルロ=ポンティに沿ってまず参照しようと思うのは、「私はできる」というカテゴリーであり、それは世界の秩序と経験の過程とのもっとも原初的な媒介者をうまく解明できるものであり、つまりは何らかの仕方で物理的な領域と精神的な領域との両方に属し、宇宙的なものと主観的なものとの両方に属している自分自身の身体をうまく解明するものである。生きた現在と任意の瞬間とのつながりは、肉体のうちにその座を占めるイニシアティブにおいて実践的に成立している。この意味で私の身体は、私の力能と非能との一貫した総体である。肉体の諸可能性のこうした体系から出発するなら、世界は敵対的もしくは従順な道具的なものの集まり、許可と障害の集まりとして開かれる。ここでは環境という観念は、私の行為する能力、障害への対抗策をとる能力、もしくは自分の力能の実行のための有効な道筋を取り巻くものとして、力能や非能の観念に基づいて分節化されている。
同じ問題への第二のアプローチは、英語圏の哲学において「行為論」と呼ばれているものを含んでいる。ある専門分野が行為の意味論と呼びうるものから生じた。すなわち、われわれが企図、意図、動機、環境、意図された結果、意図されなかった結果など、人間行為の秩序を分節化する概念上のネットワークの研究からある専門分野が生じた。いまやわれわれは、そうした概念上の布置の中心に、基礎行為と呼ばれてきたもの、つまりわれわれが最初にそれとは別のことをしなくてもできる(もしくはできた)行為を有している。われわれが自分の力能によって馴染みを通じてすることができることや、行為の結果によって生じさせることのできるものへと行為を分割することは、以降の分析にとって大変大きな重要性を有している。何かを生じさせるということは、観察の対象と同じではない。自らの行為の行為主として、われわれは厳密に言えば、自ら了解していない何かを産み出している。これは決定論との論争において本質的な箇所であり、これによってわれわれは始まりという太古からのアンチノミーを再定式化することができる。われわれが事象の過程を観察したり、世界に干渉したりするのは、同一の態度においてではない。われわれは同時に観察者でありまた行為主であることはできない。それゆえ、われわれは閉じた体系や不完全な決定論についてのみ考えればよく、出来事を産み出し、事象を生じさせることのできる行為主としてのわれわれを排除するという条件の下で、そうした体系や決定論を宇宙全体に拡大する必要はない。言い換えれば、もし世界が現に存在するものの全体性であるなら、行為はこの全体性に含まれることを認めることはない。さらに言い換えるなら、行為は全体化不可能な現実を作るのである。
第三のアプローチは、システム理論のアプローチである。それはちょうど上で述べられたことの内に既に予感されている。システム状態というモデルは、こうしたシステム(これは干渉の場所を記しづける枝や分枝をもった亜喬木状のものを含んでいる)が変形されることに応じて構築されている。
G・H・フォン・ウリクトはこうした仕方で、ある初期状態と、いくつかの展開の段階と、一つの段階から別の段階への移行における一連の代替という異なる状態から構成される空間によってシステムを定義している。干渉(これは力動的システムの理論においてイニシアティブと同義の観念である)は、行為能力(行為主はシステムを条件づけている内的連関によってそれを直接的に了解している)を結合することで成立する。ここで鍵となる観念はシステムの閉鎖という観念である。これはそれ自体で与えられることはなく、何かをすることのできる行為主の介入とつねに関連づけられる。それゆえ行為は、〈行為主が環境のうちにある閉じたシステムをバラバラにできるようになり、またそのシステム内にある展開の可能性を発見するのは、何かをすることにおいてである〉という点で、閉鎖という顕著な型を現実化するものである。行為主は、彼/彼女がバラバラにする初期状態からはじめて、システムを動かすことでこのことを学ぶ。このようにシステムを動かすことで、干渉は、行為主の諸力能の一つとシステムの富とが交差するところで成立する。この動かすという発想において、行為の観念と因果の観念が出会う。フォン・ウリクトは、因果と行為との競合状態においては行為がつねに勝利者となることをつけ加えている。なぜなら、行為が因果のネットワークのうちに完全に囚われてしまうのは、用語上、矛盾だからである。またもしわれわれが自由に行為できる自らの能力を疑うとすれば、それはわれわれが観察してきたいつもの結果を世界の全体性へと自ら外挿しているからである。われわれは、因果の連関が、世界システムの性格を帯びた世界史の断片に関連していることを忘れている。いまや、システムの初期状態を生み出すことでそのシステムを動かす能力は、それを閉鎖させる条件の一つである。このようにして行為は、まさに因果の連関を発見することのうちに含まれている。かくして、因果による説明は行為できるという確信の後ろを走っていて、永遠にそれに追いつくことができない。
私としては、第四のまさに倫理的というべき注を加えずに個人の平面から離れて、逆に集団の水準での政治的な含意に関する同様の議論をすることは望ましくない。イニシアティブについて語ることは責任について語ることである。言語によっていかにイニシアティブと責任が媒介されているか、またより正確には、なんらかの言語行為によって両者がいかに媒介されているかについて、少なくとも簡略的に示唆することを許していただきたい。これは意図的な迂回ではなく、正当な媒介である。一方で、発話の平面で考察するなら、言語は一種の行為である。われわれは語ることで何かをしている。これは発語内行為と呼ばれるものである。[他方で]そうした発語内的力という観点から考察するなら、あらゆる言語行為は、誠実性という暗黙の誓約を通じてその話し手と関わっているのだが、それは実際に私が意味するのは私がいま話していることであるからである。簡単な断言もそうした関与を含んでいる。私は自分が話すことが真であると信じており、他者もそれを共有してもらうために自らの信念を他者に供するのである。しかしながら、あらゆる言語行為がその話し手と関わっているなら、そのことは関与的な行為(それによって私は関与する)のあるクラスの場合においてより正確なものとなる。約束することがここでは範例である。約することにおいて、私は何かをしなければならない義務に自分自身を意図的に置く。ここでは発語への関与は、ことばによって縛られているという強い意味をもっている。あらゆるイニシアティブは何かをしようとする意図であり、それ自体、事をなそうとする関与であり、したがって私が無言のうちに自分自身に対して、また暗黙裡に他人に対して(他人がその約束の受益者でないにせよ、少なくともその証人である限りにおいて)なす約束である、と言えるのではないだろうか。約束はイニシアティブの倫理であると言っておこう。この倫理の核心は、自分でなした約束を守る約束である。かくして自分のことばに忠実であることは、始まりには続きがあるだろうという保証になり、イニシアティブが実際に事象のあらたな過程を増大させるという保証になる。
以上がイニシアティブの分析がたどる四つの段階である。それは、第一に〈私はできる〉(潜在性、力能、能力)。第二に、私は行為する(私の存在は私の行為である)。第三に、私は干渉する(私は自らの行為を世界の過程の内に刻み込み、その際、現在と瞬間は一致する)。第四に、私は自分の約束を守る(私は行為しつづける、私は保持する、私は耐える)。
IV.
結論するにあたり、私は集団的、社会的、共同体的水準でのイニシアティブについて語り、そうした視座から、歴史的現在についての問いを挙げ、先人や継承者の現在とは対立する、同時代人の現在に関する問いを挙げようと思う。
歴史的現在とは何か。ラインハルト・コゼレックが期待の地平と経験の空間と呼ぶものについての交差地点にこの歴史的現在を置かない限り、それについて語ることは不可能である。
コゼレックによるこの用語の選択は、歴史的時間の解釈学にとって極めて思慮深く、とりわけ啓発的であるように私には思える。実際、コゼレックはなぜ現在における過去の消え難さよりも、(両者は類縁関係にあるにもかかわらず)経験の空間について語るのだろうか。一方でErfahrungというドイツ語はある注目すべき意味の広がりを有している。すなわち経験は、それが個人の経験の事柄であろうと、先代もしくは現にある学校制度から受け継がれた経験の事柄であろうと、つねに疎遠な何かを克服し、習慣habitusになって獲得された事柄を有している。他方、空間という用語は、いくつもの行程を含んだ様々にあり得る道筋という理念を喚起させ、束と階層で構成され重ね合わされた構造(この構造はそのように築き上げられ、過去を単なる年代記にするのを防いでくれる)を思い起こさせる。
期待の地平という表現に関しては、これはもっとうまく選択することができたのではなかったかと思われる。その一つの理由として、期待という表現は十分に意味の広がりがあるために、希望と恐怖、望みと意志、気遣い、合理的計算、好奇心を含んでいる。つまり期待は、それが私的なものであれ共同体的なものであれ、未来に関わるあらゆる態度表明を含んでいるのである。経験と同様、未来の期待は現在のうちに刻み込まれる。すなわち未来の期待とは、〈まだない〉に向けての〈現在になる未来〉なのである。また別の理由として、もしここで空間ではなく地平について語るのなら、それは、期待と結びつけられる凌駕することの力と同様に展開してゆくことの力を強調することである。このようにして、経験の空間と期待の地平との対称性の欠如は認識されていない。寄せ集めることと展開することとの対立によって、われわれは経験が統合へと向かう傾向があり、期待が視座の開拓へと向かう傾向があることを理解する。この意味で、期待はけっして経験から派生し得ない。経験の空間は期待の地平を規定するのにけっして十分ではない。逆に、ほんの僅かな経験しかもたない者には驚くべきことは何もない。そのような人物は何も希望することができない者であろう。このように経験の空間と期待の地平は、単なる両極対立の形式以上のことをなす。すなわち、両者は互いに条件づけ合っているのである。このような在り方をすることによって、歴史的現在の意味は、経験の空間と期待の地平との絶え間ない多様化から生じてくる。
まず期待の地平の展開ということに関して、期待によって前方へと押し進められるものとしての歴史的現在という新たな捉え方を、われわれは啓蒙の哲学に負うている。三つの主題がこの新しい捉え方を特徴づけている。第一に、現在の時代はかつてなかった目新しさをもつ視座を未来に対して開いているという信念がある。この信念こそ現代性の誕生であり、それはドイツ語では近代Neuzeitと呼ばれ、一八世紀後半に作られた用語であり、その一世紀以上前には新時代neue Zeitという言葉が存在していた。第二に、より良いものへと変化してゆくことが加速しているという信念がある。加速度というこの主題は、希望に満ちた世代全体から養分を受け、遅延、反動、過去の痕跡に対してその非寛容を増大させた。間隔は短縮され、政治の目的はそうした間隔を減少させ続けることである。第三に、人々は次第次第に自らの歴史を作ることができるようになっているという信念がある。こうした三つの仕方で、歴史的現在は、質的にも量的にも未来とは異なっている関連性によって規定されているのである。
確かに、進歩というイデオロギーのこれら三つの「決り文句」は、実際の歴史の痛手の下で幾分かは損害を被ってきた。近未来の目新しいことが善良で解放的なものであるという理想をわれわれの両親たちが抱いていた時よりも、われわれは確実な状態にはない。アドルノやホルクハイマーによる近代合理性の再解釈以来、われわれとしては、理性の飛躍がコミュニケーション的理性よりもむしろ道具的理性の方へと形成される可能性が高いのではないかと当然疑ってみたくなる。進歩の歩調を考察すれば、たとえ数々の歴史的盛衰について正当に語り得るとしても、われわれはもはやその存在をまったく信じていない。しかしながら、近年見られるあまりにも多くの大災害や騒動によって、われわれは自分たちとよりよき時代とを隔てている間隔が短くなっていることを疑っている。コゼレック自身、近代という時代は、過去が離れ去ってゆくに従ってそれをより遠くにあるように思わせる経験の空間の沈降によってのみ特徴づけられるのではなく、そうした経験の空間と期待の地平との溝を広げることによっても特徴づけられることを強調している。今よりもさらに遠のいて不確かな未来へと後退させられた統一的人類というわれわれの夢の実現を、われわれは見ることはないのだろうか。われわれの祖先からすれば方法を指し示すことでその道筋を規定した課題は、期待の地平がわれわれの進歩よりも速いペースで遠ざかってしまうために、ユートピア(より正確にはユークロニア)となってしまった。もはや期待が或る定まった未来に置かれ、識別可能な段階によって浮かび上がることがない今となっては、現在は、一方で古びた過去、他方で断絶した最終目的という二つの断崖に囲まれている。現在はそれ自体のうちでこのような仕方で引き裂かれ、自らを「危機」と認識し、恐らくこの危機を自らの現在の主要な意味の一つとしている。
近代性の三つのトポスのうち、われわれにとってもっとも価値があり、また多くの点で危険でもあるのは疑いなく第三のトポスである。まず、歴史理論と行為理論とがけっして一致しないのは、最良と思われた策、われわれが遵守するにもっとも値する策から、意のままにならない結果が生ずるからである。何が起こるかは、われわれが期待したこととはつねに異なるものである。また期待そのものは、まったく予期されない仕方で変化する。このようにして、市民社会と法状態の確立という意味での自由が唯一の希望であったり、人類の大部分の主要な期待ですらあるというのは確実なことではない。とりわけ、歴史を支配するという主題の脆さは、それが主張されたまさにその場面で、すなわち自分の歴史の唯一の行為主であるとみなされる人類という場面で明らかにされてきた。自力で自分自身を生み出してゆける力を人類に認めることで、こうした主張の著者たちは、個人と同様に、少なくとも歴史の本体の運命にも影響を与える制限事項を忘れている。すなわち、行為がもたらす意図せざる結果に加えて、行為それ自体はそれが産み出したのではない環境においてのみ成立する、という制限事項である。それゆえ歴史を支配するという主題は、歴史思想のもう一方の側面、つまり〈われわれは歴史によって影響を受けていて、われわれ自身自分たちが作った歴史によって影響を受けている〉という事実を根本的に誤解しているところに基づいている。歴史的行為と、受け取られるのであって作られるのではない過去とのつながりこそ、期待の地平と経験の空間との弁証法的関係を保持するものである。
それにもかかわらず、期待の地平と経験の空間という観念に長い間結びつけられた「決り文句」ないし三つのトポスへのこうした疑念は、これら二つのカテゴリーそのものの妥当性への疑念へと転化すべきではない。私としては、これら二つのカテゴリーは、歴史的反省に属する真正に超越論的なものであると考える。決り文句は変化するだろう。つまり、期待の地平と経験の空間という二つのカテゴリーは先の三つのトポスよりもより高い秩序に属するのである。これらのカテゴリーによって正当化された相互に関係するそれぞれの意味の妥当性ですら、両者のメタ歴史的な地位を証ししている。両者は、歴史をどのように時間化するかについての確実な指標である。このようにして、期待の地平と経験の空間との相違が気づかれるのは、その相違が変化する場合のみである。かくしてこれらのカテゴリーを提起するに当たって、もし啓蒙の思想がある特権的な場を占めているのなら、それは、期待の地平と経験の空間との変わりようが高まりつつ意識の対象となって、まさにこの二つのカテゴリーを開示するのに役立ち、その際そのもとでこの変わりようが思考可能となったからである。
以上の注記は、ある明確な政治的含意をもっている。すなわち、もし行為し受苦する者たちの経験や期待によって構成される歴史が存在すると認めるのなら、その際、(まだ歴史が存在し得るのなら)期待の地平と経験の空間との緊張が保持されねばならないということが含まれている。ではこのことはどのようになされ得るのか。
一方で、われわれは純粋にユートピア的な期待に誘惑されないようにしなければならない。そうした期待はわれわれを行為の絶望へと誘い得るだけなのだが、それは、そうした期待が現在の経験のうちに何の基盤もないために、「他のどこかに」位置づけられてきた理想に向かう実践的な道筋を定式化できないからである。期待は、もしそれが責任ある関与へと向かうべきなら、決定因でなければならないし、それゆえ有限で比較的控えめなものでなければならない。実際、われわれは期待の地平がわれわれから逃れていかないようにしなければならず、行為の範囲内でなされる一連の媒介的な企投によって期待の地平を現在に近づけておかねばならない。事実、〈逃れていかないようにしなければならない〉というこの第一の命令は、われわれをヘーゲルからカントに引き戻し、私が賛同するヘーゲル以後のカント主義のスタイルに従っている。私はカントのように、〈どんな期待も人類すべてにとっての希望でなければならず、人類はそれが一つの歴史を有するという限りにおいてのみ一つの種であり、またこのことに同調しつつ、まさにそのような歴史が存在しなければならないのだから、人類全体は集団的な単一態としての歴史の主体でなければならない〉と考える。もちろん、今日、われわれは「権利と調和しながら管理する普遍的な市民社会」の建設とこの課題を純粋にそして単純に同一視できるかどうかは不確かである。[一方で]諸権利は白日の下にさらされ、その目録は増加し続けている。またとりわけ、異なっていてよいという権利は、普遍史の実現がある特定の社会や少数の支配的な社会層のヘゲモニーと混同される場合、まさにそうした普遍史の理念と結びついた強迫観念とたえず平衡関係を保っている。他方で、近代における拷問、専制、抑圧の歴史は、そのあらゆる形態において、〈社会的な諸権利も、異なっていてもよいという最近認められた権利も、法の規則(そこにおいては単なる状態ではない個人や集団が権利の究極的な主体であり続ける)を同時に実現してやらなければ「権利」の名に値することはないだろう〉ということをわれわれに教えてきた。この意味において、カントによれば、人間の非社交的社交性によってわれわれが解決する先に述べた課題は、今日でも廃れていない。というのは、この課題は少なくともすぐに成し遂げられることはないけれど、誤った方向に導かれたり冷笑をもって阻止されたりして、幾度となく見えにくくなってしまったものだからである。
他方で、われわれはまた経験の空間の狭隘化にも抵抗してゆかねばならない。そうするには、われわれは過去を単に完成してしまっていて、変えることができず、過ぎ去っていて、なされてしまったものとして考える傾向に反抗しなければならない。過去は応答されねばならないものであり、いまだ達成されず、阻止され、抹殺すらされた再燃する可能性でなければならない。簡単に言えば、〈未来は開かれていてあらゆる点で偶然的であるのに対し、過去は定義上閉ざされていてそれ故に必然的だ〉という古い口上に反対して、われわれは自らの期待をもっと決定因てきなものとし、自らの経験をもっと非決定因的にしなければならない。これらは同一の課題の二つの側面にすぎないのだが、それは決定因となる期待だけが生きた伝統として過去を開示するという、過去に対しての回顧的な効果を有し得るからである。
結論として、期待の地平と経験の空間の間に、集団の水準、社会の水準、政治の水準にイニシアティブというこれと同等の第三項を導入することを許されたい。ニーチェは『反時代的考察』の第二部『生に対する歴史の利益と不都合』においてこのイニシアティブに名を与えた。その名は現在の力である。
すべての過去がもたらす影響に関してではなく、すくなくとも過去が歴史記述それ自体を通じてわれわれに及ぼす魅力に関して生きた現在がなす介入こそ、ニーチェがあえて捉えようとしたものである。
なぜそうした反省が反時代的なのか。第一に、この反省が本による学習を犠牲にして生を特権化しているからである。第二に、この反省は純粋に歴史的な文化の保護を揺さぶっているからである。歴史的過去が耐えられない重荷となるとき、人は非歴史的になる術を、忘却する術を知らなければならない。書かれた歴史は時に、生きている歴史を誤らせる。「記念碑的」歴史と「骨董趣味的」な歴史のせいで、批判的な歴史が先の二つの歴史を不可避的に破壊できなくなってしまうとき、この重大な誤れる判断は、純粋に歴史的な文化の濫用や過剰の時代において恐らく完全に正当化される。もし記念碑的な歴史が一群の偉大さであり、骨董趣味的歴史が一群の尊敬であるなら、われわれは、自ら自身を不正で、残酷で、憐れみのないものとみなす批判的な歴史を必要とする。われわれは性急にニーチェのパラドクスを非難してはならない。毒舌家の言葉を聞かなければならない。「優越する力のみが判断できる。弱さは耐えなければならない」とニーチェは語る。またさらに「現在のもっとも高い力の立場からのみ、あなたは過去を解釈することが許される」とも語っている。かくして、今日の偉大さのみが過去の偉大さを対等なものとして認知する。最後の分析において、時間を再形象化する能力は現在の力から生じる。それは、この宣言の無愛想さを超えて、人は、現在の力において希望の跳躍(希望しつつ努力すること)を祝福するより柔らかな声を聞かなければならないからである。
このようなものが現在の力、すなわち歴史という縮尺におけるイニシアティブの等価物である。それは、未来におけるわれわれの倫理的・政治的目標に、われわれに伝承された過去のいまだ充実されていない可能性を再活性化させる能力を与える力である。