un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ハンス・ローベルト・ヤウス「否定性と同一化-美的経験の理論への試み」(1974)[1/3]

[以下はHans Robert Jauß, »Nagativität und Identifikation. Versuch zur Theorie der ästhetischen Erfahrung«, in: Harald Weinrich (hrsg.), Poetik und Hermeneutik Bd.VI. Positionen der Negativität, München 1974, S.263-339 の下訳。

  H・R・ヤウス『美的経験と文学的解釈学』(1977)はだいぶ前に轡田氏からその翻訳が予告されていたものの、20年以上経っても何の音沙汰もないことから刊行はもはや絶望的(!?)と思われるので、僭越ながら私がその代替物を提供。ここで採り上げたのは同書の理論的中核である第一部の準備的論考。「美的経験」を「享受」という視点から分析するマクロの問題設定や個々の論点の概念史的裏づけが概略的にのみ論じられているため、同書第一部の1/3程度という分量になっているが、論述の筋や重要概念の規定などの大枠では同書と変わりない。

 概略的とはいえ一般的な論文の倍以上のボリュームのため、3つに分割して掲載。前編:第1~5節、中編:第6~10節、後編:第11~18節.なお文献が手元にあり参照可能な訳書に関しては、ほぼすべてそれらを確認した(必要に応じて訳注に該当箇所の訳文を挙げておいたが、煩雑を避けたい読者は読み飛ばしてもらって構わない)。また重要な規定に関しては、可能な限り『美的経験と文学的解釈学』の該当箇所とつき合わせ、変更がある場合は訳注で指摘した。

  [ ]と[*]で本文中に挿入した語句と注は訳者による。また〈 〉のくくりも文意をはっきりさせるために訳者が挿入したものである。]

 

 

 

          否定性と同一性

美的経験の理論への試み

 

目次

 1.美学における否定性のカテゴリーの周辺とその能力

 2.アドルノの否定性の美学への批判

 3.美的享受と、ポイエーシス・アイステーシス・カタルシスの根本経験

 4.プラトン主義の権威的な遺産としての美の両義性

 5.美的経験の解放という逆向きのプロセス

 6.ポイエーシス:美的経験の制作的側面 「組み立てることと知ること」

 7.アイステーシス:美的経験の受容的側面;知っていることよりも多くのものを見ること

 8.アイステーシスの認知的機能からコスモロジー的機能への歩み

 9.カタルシス:美的経験のコミュニケーション的能力;美的隔たりと同一化

 10キリスト教美学の反対審級としての同情

 11.美的同一化から道徳的同一化への移行としての範例的なもの

 12.英雄との美的同一化という相互作用の型

 13.連合的同一化

 14.賞賛的同一化

 15.共感的同一化

 16.カタルシス的同一化

 17アイロニー的同一化

 18.模範的なものというカントの概念;美的経験におけるコミュニケーション的機能の再獲得

 

 

1.美学における否定性のカテゴリーの周辺とその能力

 

 最近の美学理論のうちでは否定性という概念とカテゴリーが疑いようもないほどますます人気を博している。そうした美学理論は、否定性が芸術作品をその構成においても歴史性においても、構造としても出来事としても規定できるという、とりわけそうしたメリットに依拠することを許されているようだ。否定性は文学作品を造形芸術のように実在しない対象として特徴づけるが、作品を理解させるに当たりこの対象は美的知覚にとって現実的なもの(既存のもの)と誤解されざるを得ないものであり、ちょうどそうした仕方によって(サルトルのイマジネールなものの現象学によれば)「世界」を構成する(現実を世界として構成しつつ超えてゆく)(1)。しかし芸術作品が伝統というというなじみの地平を乗り越えたり、世界との手馴れた関係を変化させたり、既存の社会規範を打ち破ったりする限り(2)、否定性は芸術作品をその制作と受容の歴史的プロセスにおいても特徴づける。最後に否定性は、美的経験の主観的側面と客観的側面の両方を特徴づける。否定性はカントが言う〈美的満足の無関心さ[*1]を含んでいるが、それは「私と対象との遠さ」、「美的距離ないし観照の契機と言い表される享受生活に走る亀裂」(3)を適切に言い表す否定の定式である。その一方で否定性は芸術と社会との関係において現われるが、それは芸術作品が社会的労働の産物であれ「形式という契機によって現実経験に反対」し、まさに獲得された自律性にしたがって(芸術が社会的功利性の規範に身を任せることがないとしても)社会に対する反対の立場からふたたび内在的な社会的機能を獲得するからである(4)。このように否定性という美のカテゴリーがこれほど豊かなものとして現われるとしても、美的経験の能力、その地平の変化や社会的機能が全部まとめてこれまで十分に説明されたかどうかは疑ってよい。この疑念が以下の考察の出発点である。

 

 

2.アドルノの否定性の美学への批判

  

 否定性の美学は、テオドール・W・アドルノの遺稿『美の理論』においておそらくもっとも決定的な仕方で現われている。同書によれば芸術の認識理論と、美学の哲学上のランクは、啓蒙の弁証法におけるその地位から明らかになるという。自律への途上で社会的解放のプロセスに参与する芸術は、二重の観点において否定性により特徴づけられている。すなわち芸術を条件づけている社会的現実との関係と、伝統が前もって定める芸術の歴史的起源との関係という否定性によって特徴づけられているのである。「それにもかかわらず芸術作品は自己の起源を否定し、ただ起源を否定することによってのみ芸術作品となったという事実には疑問の余地はない。芸術作品がかつて過去に遡って自己の素性を取り消している以上、それが昔、従属物であり、いかがわしい呪術、夫役、憂さ晴らしの一種であったという恥辱を、現在として芸術作品に突きつけるといったことは差し控えねばならない」(p.12, 11)。(論争上、貶められた芸術の「奉仕」をより中立的に名づけるなら)祭儀的なものや生活形式の規範化や社交上の遊びの領域における芸術の伝承された実践的機能は、社会的なものの側に立つアドルノの「美学の歴史記述」(p.90, 98)の中ではその成果を上げていない。芸術があらゆる奉仕を放棄し、「社会の支配とそれが社会的慣習にまで延長されることに矛盾」するようになり(P.334, 383)、自らの他者としての経験的世界から分離されることで「経験的世界そのものが他者となるべきであること」(p.264, 303)を表明する場合に初めて、芸術が有する社会性は概念化される。

  アドルノによれば芸術は、それが自律することによってはじめて社会的ランクを獲得する。それゆえ芸術は、まさにあらゆる社会的条件を否定することによって著しく社会的となるのである。たしかに芸術は社会的現実に対し美的な形式定立によってたんなる仮象にとどまる。しかし芸術はまさにそのことによって社会の真理の審級となり、この審級を前にすることで事実的なものという誤れる仮象、社会の現状の非真理や非宥和が現われてこなければならない。けっきょく芸術のユートピア的な姿はこのように理解された美的仮象の否定性に端を発する。「存在しないものは、それでも現われることによって約束される」(p.347, 397)。それゆえ社会の真理を描き出す芸術はミメーシスではなく幸福の約束Promesse du bonheurであり、それはもちろんスタンダールがまだ考えていなかった意味での幸福の約束である。「幸福の約束という言葉は従来の実践によって幸福が妨げられていることを意味しているだけでなく、それ以上のことを、つまり幸福は実践を超えたところにあるのかもしれないということを意味している。芸術における否定の力は実践と幸福との間の断絶の大きさを示している」(p.26, 25)

  アドルノの否定性の美学は、その画期的な素性、頂点から凋落にいたる市民時代、現在の文化産業への拒絶といったその論争的な機会を理論的普遍性の要求の背後に隠す必要がなかったが、否定性の美学は自律以前の芸術全体に対しこれらを通用させることができない。「芸術は実践を差し控えつつ、社会的実践の図式となる」(p.339, 388)という逆説的に先鋭化したテーゼは、たしかに管理世界の時代における消費・交換社会全体に対して正当化され得る。じっさいまたアドルノの美学理論は、形式主義とリアリズム、〈芸術のための芸術〉と〈アンガージュマンの文学〉という一九世紀から相続された見かけのアンチノミーを片づけるための、考えられる限りもっとも優れた道具である。しかし〈芸術の社会性は特定の社会の特定の否定のみをその端緒とし得る〉というこの理論の要諦を実行しようとするなら、アドルノ自身が以下のように説明したジレンマが生じてくる。「もちろんだからといって肯定的で現状是認的な芸術作品を(今日保存されている伝統的な芸術作品のほとんどすべてがそのうちに含まれることになるが)一掃してしまえばすむことでもなければ、あるいはひどく抽象的な論拠を用いて、つまりこうした芸術作品もまた経験との鋭い対立を通して批判的で否定的なものとなっているといった論拠を用いて、性急に擁護してすむことでもない。非反省的な唯名論に加えられている哲学的な批判によるなら、前進する否定性がたどる(それは客観的に拘束してくる意味に対しての否定であるが)軌跡を芸術がたどる進歩の軌跡として、単純に読み換えることは禁じられている」(p.239, 271)

  アドルノの美学理論はわれわれに対しこのジレンマの解決してみせねばならない。アドルノの前提として現状是認的な芸術はすべて、進歩の軌跡に対する[アドルノ]これほどまでに回りくどい誤算によっても完全に取り除かれ得ないような躓きであり続けている。芸術史は否定性という最大公約数でくくることはできず、社会的解放のプロセスにとって直接成果を上げる否定的ないし批判的な作品と並んで、それよりもはるかに多い肯定的ないし現状是認的な作品の境界をはっきりさせるとしても同様であり、そうした作品のありのままの伝統は解放的な「前進する否定性の軌跡」などいともたやすく凌駕してしまっているだろう。それは一方で、[]芸術と社会による社会的弁証法における否定性と肯定性が確固たる規模をもつものでないからであり、また受容のプロセスにおいて両者はあらゆる美的経験に本来そなわる地平の変化の下に置かれるため、じっさい両者は自分と真逆のものになることすらあり得る。またそれは他方で、[]カテゴリー的な枠組みとしての〈前進する否定性の軌跡〉が芸術の社会性を不適切な仕方で一面化し、つまりはそのコミュニケーション的機能を切り詰めてしまうからであり、現状是認という簡素な反対概念によってそうしたコミュニケーション機能が古代の芸術にとって用済みになることはあり得ないし、われわれの現在の現代芸術にとってもまったく放棄され得ない。

  []第一に、否定的な性格をもつ作品ですらその受容の過程においてもともとの否定性をしばしば失ってしまうことがあるが、その仕方はといえば、作品そのものがどれだけ「古典」になったか、文化的な承認化の制度に組み込まれることでどれだけ公共的な意味を獲得したか(5)、最後に教養の相続としてどれだけ以前の権威的伝統(作品は自らの出現によりその妥当性を否定するか突き破ったのだった)をふたたび確固なものとするかに応じて自らの否定性を失うのである。この否定性喪失のプロセスは現代の芸術を見ればわれわれにもなじみがあるものであり、そこでは挑発された公衆がその挑発をふたたび受け止め、これを美的な隔たり[*2]にもたらすや否や、抵抗、批判、反逆などの表明が不可避的にそうした否定の享受へと一変するのが常である。とはいえ作品の否定性をそのように中立化することは、そもそも「美の自律性の[支払うべき]社会的代価」(p.339, 389)[*3]ではない。芸術の受容と解釈のプロセスを総体としてみるなら、芸術史は作品の「違反的な機能transgressive Funktion」と解釈による統合との間の振り子振動をいつもすでに示している(6)。古典的なものや肯定的なもの、到達し得ない理想的なものや秩序とその持続を保証する者の後光と共にわれわれに委ねられた古代の芸術も、それが出現したときには、社会の既存の状態だけを肯定したり美化したりする必要はまったくない。たとえばダンテの『神曲』やロペ・デ・ベガの『フエンテ・オベフーナ』やシェイクスピアの『リチャード三世』やラシーヌの悲劇やモリエールの喜劇などにおいて、現代のイデオロギー批判の熱狂に対し「現状是認的」に現われていると思われるものは、伝統の同質化の暴力によって初めてそうした作品に割り当てられるのであり、[社会や時代に対し]もともとの異質であった意図は覆い隠されるか忘却されてしまう。言うまでもないことだが、芸術作品が自らの前衛的な影響を失うことなく古典となり得るということを、形式が純粋に革新される場合のように、特定社会の純然たる否定が保証することはない。古典性は明らかにアドルノの「進歩する否定性の軌跡」に対し横向きになっている。期待可能なものの地平や慣れ親しんだカノンを向上させる歴史的な力を自身のものとしてもつ作品であっても、文化的受容の過程の中でその根源的な否定性をだんだんと失わないくらい不死身であるわけではない。古典性が獲得されるのは第二の地平の変化という代価を払ってのみのことであって、この第二の地平の変化は、芸術作品がその最初の出現によって惹き起こした第一の地平の変化の否定性を再び取り上げるのである(7)。古典性とは、社会による現状是認の伝統に否定性を組み込む傑出した母型なのだ。[ヘーゲル歴史哲学の]「理性の狡知」が「伝統の狡知」としての古典的なものと対置されるべきものだが、この伝統の狡知は芸術の〈進歩する否定性の軌跡〉が知らぬ間に伝統の〈進歩する肯定性〉に移し変えられる事態を、先に説明された二重の地平の変化によって惹き起こし隠蔽する。

  []第二に芸術のより以前の、つまり自律以前の歴史的段階では、否定と現状是認という対のカテゴリーを用いたとしても芸術の社会的機能を十分に把握することができない。それがアドルノ自身において明らかとなるのは、アドルノが現状是認的な芸術作品に対して奉仕可能性、既存のものの美化ないし誤れる宥和といった恥辱をたえず非難しつつも(8)、否定性という裏口によってこれらの作品をふたたび救おうとする場合であり、それはたとえば以下の箇所のように述べられている。「すべての芸術作品は現状是認的なものも含めて、アプリオリに論争的なのだ。保守的な芸術作品の理念には矛盾がまとわりついている。保守的な芸術作品は経験的世界から、つまり自己の他者から強力に自己を切り離すが、それによって経験的世界そのものが他者となるべきことを、つまり経験的世界を変更しようとする無意識的な図式を暴露することになる」(p.264, 303)。不合理がつきまとっているのは「アプリオリに論争的」な論争なる表現に対してだけなのかはさておくとしても、たしかに理論的反省の対象となる芸術作品だけならこの固有の否定性に出くわすが、第一次的な美的経験の図式となる芸術作品はそうはいかない。しかし第一次的な美的経験の図式にとって、既存のものないし「客観的に拘束してくる意味に対しての否定」(p.239, 271)に対する論争が芸術に備わる唯一の正当な社会的機能ではないし、また芸術経験の実践における現状是認的なものがただちに保守的な志操や既存のものの美化という汚名に値することもない。アドルノの帰結にしたがって、英雄詩のように否定し難く大きな社会的影響をもつ文学から性急にその芸術性格を奪い取ってしまわないならば、芸術の社会的機能はあらかじめ否定のうちにあるというのではなく、むしろ客観的に拘束してくる意味の形式化のうちにまず見出され承認されねばならない。

  他の実践的機能と同様この意味の形式化のうちでは、象徴的もしくはコミュニケーション的行為としての芸術はアドルノの現状是認という否定されるべきもののカタログでもってけっして規定されるべきではない。「現状是認的な模写」(p.386, 442)、「憂さ晴らしのための日曜日の催し物」(p.10, 8)、「精神を有用なものへと適合させるもの」(p.115, 126)としてのコミュニケーション、「客観的に再生産される低俗なものに主観的に同一化すること」(p.356, 407)や、「美化する芸術」およびその「宥和の仮象」をすべて拒否する同様の表現は、社会規範を形成し徹底化し洗練し変容させるに当たってまさに美的経験に認められている役割を何ひとつ説明していない。ひどく誹謗されてきた「女主人への奉仕」ないしいわゆる「女性への奉仕」の文学の領域から例をとるなら、ここでは高貴な女主人の現状是認的美化によってまさに[女主人の]依存関係という既存の状態が永続化されているのでなく、あらたに形成された愛の倫理との戯れの同一化が実現されているのであって、感情の解放や両性の間のコミュニケーション形式に対するこの倫理の関心はほとんど過大評価されてはならない。なるほどここでは美的経験において、否定性の契機が、つまり夫婦関係と禁欲という教会的な規範の明言されていない否定が見出されるかもしれない。しかしこの否定性は、一二世紀の読者公衆にとって現状是認を、もっとうまく言うなら、ようやく形成されつつあった社会的規範や生活形式とのコミュニケーションによる同一化を排除するのではなく、むしろさらに鮮明にする仕方でもそれをふたたび含みこんでいた。それゆえに私の第一のテーゼは次のようになる。すなわちそれは、美的経験は自らを否定と現状是認というカテゴリーの枠組みに委ねてしまい、芸術作品がもつ構成的否定性を受容美学におけるその反対概念である同一化と仲裁しないなら、美的経験はその第一次的な社会的機能を切り詰められてしまう、というテーゼである。

 美的経験の現象に属している同一化は、アドルノの美学理論にとって明らかに不都合となっている。たとえば次のような文章が比較されねばならない。「美的経験は鑑賞者と客体との間にまず隔たりを置く。無関心の鑑賞という思想にはこのことが揺り動いている。俗人と芸術作品との関係は、たとえばかれらが当の芸術に登場する人物になり代わることができるかどうか、またなり代われるならどの程度かに支配されているが、俗人とはそうした関係を結ぶ人々である。文化産業のあらゆる部門はそうした俗人のあり方に基づいていて、そこに自らのお得意さまを縛りつけておく」(p.514)。この引用によって俗人と叱責された一連の人々は、おそらくアドルノが考えていた以上に相当な数に及ぶ。さらに英雄叙事詩の高貴な読者公衆ですらすでに俗人的であったのであり、たとえばわれわれは彼らが自分の息子たちを「ローラン」や「オリヴィエ」と命名していたことを一二世紀から知っている[*4]。しかしもっというならディドロやレッシングもなお俗人として挙げられねばならず、彼らは市民演劇の綱領制作者として〈英雄と観衆との同化だけがわれわれの恐れと同時に同情をも呼び起こすことができるのだから、今日のドラマ作者は、われわれと共にある同じ気質をもった自らの英雄を描き出さねばならない〉ことを要求したのだった(9)。ここでは同一化がまだ市民的自由の意識の名の下に要求され、古典作品における完璧な悲劇英雄の現実離れと対立していたが、たしかに同一化は、現代において欲求と満足との短絡的な交換の平面で、(もっとひどくなると)「癒されることのない欲求に代用品をあてがって済ます」(p.362, 414)という平面で文化産業により衰弱してしまっている。とはいえアドルノと共にこのことから〈カタルシスは「感情に抵抗して行われる浄化行為であって、抑圧と一致したもの」(p.354, 405)であり、つねにすでに支配者の利益の保護を目的としている〉と結論することは[*5]角を矯めて牛を殺すような行為であり、驚嘆、感動、共に笑い、共に泣くという第一次的な同一化の次元でなされる芸術のコミュニケーション的能力を誤認することであり、美のスノビズムだけがこの諸々の同一化を通俗的とみなしているにすぎない。同一化から引き離された美的反省においてでなく、まさにそうした同一化において、美的経験は象徴的な行為ないしコミュニケーション的な行為へと大きく変わってゆく。それゆえ否定性が美的対象の経験における根本規定として破棄される必要はなく、このことは、〈美的隔たりとコミュニケーション的同一化はカタルシスの経験においてどのような仕方で仲介されているのか〉という問いをわれわれ自身に向けるさいに示されるであろう(第9節を見よ)。

  アドルノの美学理論の強みと不可欠さは美の自律性というくり返し主張された立場なのだが、それは非真理となってしまった「支配の暗号としての」(p.358, 410)実践ないし活動に対しその批判的ランクを示すべき芸術の弁証法的否定性へといまや向けられてしまっているために、この美の自律性という立場は芸術のあらゆるコミュニケーション的機能の解体という代償で購われている。ここではコミュニケーションが全体として「精神を有用なものへ順応させ、それによって商品のうちに組み込むことにすぎず、こんにち意味と呼ばれているものはこうした不法行為に関与している」(p.115, 126)という疑いの下に置かれている。アドルノの否定性の美学におけるモダニズムのために、芸術のコミュニケーション能力をひっくるめ、その受容と具体化の全領域もが犠牲にされた(p.339, 388)[*6]。この純粋主義がもたらす重大な帰結は、〈アドルノは作品と読者公衆と作者との間の弁証法的過程を無視し、そのために自らの意思に反して芸術の歴史をしばしば再実体化せざるを得ない〉というものであり、これは無時間的に持続する美というプラトニズムに対しアドルノが熱狂的なまでに拒絶したことと矛盾する(p.49, 52-53)。芸術作品はその生産的諸力だけによって社会から発生し、かくしてそこから隔離されていて(p.339, 388)、自分自身でないものを「窓のないモナド」としてイメージしているが(p.15, 14)、歴史的な固有運動を、すなわち「固有の生」を備えている。「優れた芸術作品はたえず新しい層を際立たせ、老化し、冷たくなり、死んでゆく」(p.14, 13)。どんな真正な芸術作品も「自らのうちで変革を起こす」(p.339, 338)。芸術作品は「自分自身が立てた問いに対する答え」(p.17, 16)であり、芸術作品はすでに「歴史的展開や後の時代との一致による」(p.47, 49)だけでアクチュアルなものとなることができる。あたかも芸術作品は、受容し、理解し、解釈し、批判的に価値判断をするという、世代を通じて変化するその受容者との相互作用などなくとも、自らの実体から何度でもあらたな意味をアクチュアルなものとすることができ、まさにそれによって歴史的で無時間的でない自らのあり方を現実化できるかのようだ。

  このようにモナドのような芸術作品が「[芸術作品に]内在する歴史性Historizität(p.15, 14 / p.262sq, 301)という実体主義的な軌跡にいまにも乗ってしまいそうになる一方で、その受容者は孤独のうちに経験するよう命ぜられ、そうした孤独のうちで「受容する者は自らを忘れ、作品において自らを失う」(p.363, 415)アドルノはこの経験を「衝撃Betroffenheit」ないし「震撼Erschütterung」と説明し、その他の体験概念や享受概念と対立させている。しかしこの(あらかじめカタルシスを頼みにしていたとはいえ、後にはもはやそれほどカタルシスに似ていない)「自分が震撼される者として限界づけられ有限であることに気づく自我解体の警告」(p.364, 416)は、「主観的な意識における客観性の貫き」(p.363, 415)としても観照的な甘受から対話的な相互作用にいたる境界を乗り越えることができない。「それ自身の社会的あり方が隠されたままで、その解釈によってようやく把握される」(p.345, 395)[*7]ということが芸術に認められたとしても、アドルノの(そこでは非弁証法的な)美学的理論では、社会のあらゆる受容的審級と同じくその解釈者にとって、作品を歴史的に生かす意味の形成や改訂への積極的な参加は拒否されたままである。

  社会的なもののうちにあってコミュニケーション的機能を備えた芸術に対しアドルノが否定宣告したものは、未来において人類が解放されたときにようやく転がり込んでくることになる。「偉大な作品が待ち続ける過去における宥和的現実と回復された真実」(p.66sq, 72)のための母型は、驚くべきことに自然美である[*8]ヘーゲルとは逆に(p.99, 109)[*9][アドルノ]美学理論はふたたびこの自然美に向けられることになる。それは「自然美が、普遍的な同一性という呪縛に囚われた事物における非同一的なものの痕跡にほかならない」(p.114, 124)からである。その背後にあるのは、「自律的主体が自分自身のお陰だと思っている」(98, 108)ものを誤って支配している状況を正す審級として「自然の尊厳」をふたたび打ち立てるという意図である。アドルノにとってこの意図が成功するのは、彼が自然美の出現に、自然概念のこれまでの規定や隠喩法から完全に抜け出す未来志向的な意味を認めるときだけである。「だが自然とフェティシズムの対象としての自然とを区別する境界は、つまり無限の宿命を現状是認的に覆い隠す以外の何ものでもない、汎神論的逃げ道との境界は以下の点にある。つまり後者の言うような、美につつまれながら穏やかに死に行くものとして活動するような自然はいまだにまったく存在していない、という点にある。自然美に対する恥じらいの感情は、存在するもののうちにいまだ存在せざるものを捉え、そうすることによっていまだ存在せざるものを傷つけることに由来している。自然美の尊厳とは、表現を通して行われる意図的な人間化を自分から退ける、いまだ存在せざるものの尊厳にほかならない」(p.115, 126)。このあらたな自然は古い自然とただ尊厳を共有しているだけのように思える。ここで否定性の美学は明らかに自然概念を自分自身のうちで止揚してしまっている、つまり沈黙したまま歴史化されることによって、思い通りにならず、意のままにならないものとしていつもすでに存在するものを、待ち望まれいつかは宥和するがいまだ存在せざるものへと押し進めたのである。ヘーゲルの「現実的なものの弁神論」(p.116, 126)に対するアドルノの異議を受け入れ、芸術と消費の循環に対する彼の批判を前進させようとする者は、このような幸福の約束にもかかわらず、〈「実践と幸福との間にある深淵」はいったいどのようにすれば芸術作品における否定性の力によって「測定される」(p.26, 24-25)[*10]だけでなく、美的実践によってふたたび架橋され得るのか〉という問いに対する答えがアドルノの理論において存在しないことに気づくだろう。

  私のアドルノ美学に対する批判は、美的反省というより高次の平面に利するべく美的経験の第一次的なあり方を、なかでもとりわけそのコミュニケーション的能力をなおざりにするか抑圧している理論的要求に対し、美的経験を正当化する試みに着手することになるだろう。アドルノは壮大な一面性によって、芸術作品を前にしたさいに孤立した主体が高まってゆく反省の純粋性と、芸術の感覚に富む経験とコミュニケーション的相互作用とを争わせて漁夫の利を得ているが、そのさいそうした壮大な一面性は彼の社会批判的な立場によって限定されているだけでない。ここでアドルノは、〈美的対象の存在論に逃げ込み、美的経験の実践への問いを好んで規範的な詩学や感情の心理学に委ねた芸術哲学の伝統の相続人〉でもある。芸術の古典的な自律性の立場に登りつめることのなかった芸術との関係すべてを拒絶することがとりわけあからさまに現われるのは、文化産業の時代に対する否定性というアドルノの療法が警告にまで達するときである。「享受的な趣味を投げ捨てる場合にのみ、芸術経験は自律的になる」(p.26, 25)。この療法は不運にも角を矯めて牛を殺しかねないものであると考えることができよう。私の第二のテーゼはこの極めてアクチュアルな純粋主義に反対する。そのテーゼとはすなわち、芸術を呼び起こし実現する享受的な態度はとりわけ美的経験であり、この経験は自律以前の芸術の根底にも自律的な芸術の根底にも存する。また美的経験は、産出的、受容的、コミュニケーション的な態度をとることが問題となる場合には、ふたたび理論的反省の対象にならねばならない、というものである。

 

 

3.美的享受と、ポイエーシス・アイステーシス・カタルシスの根本経験

 

 今日、「全人類に課せられたものを/私は自分の内にある自我でもって味わおう」(v.1770)と吟ずる『ファウスト』の有名な文句の意味で〈享受するGenießen〉という語を芸術との関係のためにあえて用いる者は、俗人主義ないし(もっとひどい場合には)たんなる消費欲求やキッチュの欲求の充足という非難にさらされることになるだろう。今日、芸術享受を容認することがかたく禁じられているのは、美的享受が「よそ行きAuf Reisen」だからというだけではない[*11]。〈享受する〉という語の古代の根本意味、すなわち「ある事柄を使用ないし利用すること」という意味は、今日、時代遅れの用語法か専門語の用語法においてのみ見出される(お互いを「仲間」と呼び合う者たちのうちで、いったい誰が〈仲間Genosse〉が〈享受するGenießen〉という語から来ていて、もともとは家畜を同じ放牧場で飼う者たちを意味することを知っていたり聞きたいなどと思ったりするだろうか)。この〈享受する〉という語からは「ある事柄を喜ぶ[享受する] sich einer Sache freuen」という特殊な意味が派生したが、それがドイツにおける古典主義時代の時までに獲得した、教養史的にみて頂点といえる意義もまた、今日のわれわれにはむしろ奇異な印象を与えかねない(10)。一七世紀の宗教的な詩において〈享受する〉という語は、「神に与っている」という意味を擁護することができた。敬虔主義において「快楽と参与」という二つの語の意味は、信者が直接に神の現前Gegenwartを確信する行為に結びつけられていた。クロップシュトックの詩は思考する享受にまでいたっている。精神的享受というヘルダーの概念が基礎づけたのは、根源的な自己―保有Sich-Habenが等根源的に世界の保有をも導くという自己確信である(存在は享受であるExistenz ist Genuß)。最終的にゲーテの『ファウスト』において享受概念は、認識への最高度の要求にまで及ぶ経験のあらゆる段階を包括することができた(『ファウスト』での有名な図式にしたがうなら、人物の生の享受から行動の享受意識による享受を経て創造の享受にまでいたる)。

  享受はこのような意味の高まりから現在の用語法にまでさらに落ち込んでしまった。世界の獲得と自己の確信のあり方としての享受はかつて芸術との関わりを正当化していたが、今日、一般に美的経験は、あらゆる享受を凌駕して美的反省の段階にまで高まった時にはじめて真正なものと見なされるだろう。芸術のあらゆる享受的経験に対してなされるもっとも鋭い批判は、再度アドルノにおいて見出される。[アドルノによれば]芸術作品に享受を求め見出す者は俗人であるという。「こうした人間は耳の保養といった言葉によってたぶらかされている」(p.27, 25)。芸術作品に対して享受的趣味を放棄できないような者は、芸術を料理やポルノの生産に近づけてしまう。結局のところ芸術享受は、芸術の知性化に対する俗世間の反応であると共に現代の文化産業にとっての前提にほかならず、この前提は操作された欲求と美によるその代替充足とを短絡的に循環させることで支配者の隠された利益に奉仕しているという。端的にいうなら、「俗世間の人は芸術に対して贅沢であり、生活に対しては禁欲的であろうとする」(p.27, 26)

  第二次大戦後の前衛的な絵画や文学は疑いなく自らのなすべきことをやってみせた、すなわち消費世界の奢多に対して芸術を禁欲的なものにし、それによって俗世間の人々が芸術を享受できないようにしてみせた。ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンの絵画(11)や、同時期に影響力のある様式を打ち立てたベケットの戯曲や小説が有する抽象的な崇高さが、そうした前衛的な傾向における類縁として現われたことを想起するがいい。こうした文脈において禁欲的な芸術と否定性の美学は、現代マスメディアの消費者芸術と対立することで自らの正統性という孤独なパトスを獲得している。それにもかかわらず否定性の美学の熱き先駆者であるアドルノは、「だが芸術作品から享受の最後の痕跡を消し去るなら、芸術作品はそもそも何のために存在するのかと問われても答えられず、当惑することになるだろう」(p.27, 25-26)と注記するさい、あらゆる禁欲的な芸術経験の有する限界を非常にうまく見抜いていた。この問いに対しアドルノの美学理論は答えを与えていないが、それは当時のアドルノに先行する芸術学や解釈学や美学の諸理論とても同様である。

  今日、芸術学にとって理論と呼ぶに値する芸術経験はたいてい鑑賞的ないし享受的な態度を越えたところで始まっていて、そうした態度は芸術経験の主観的側面として、これにほとんど関心を示さない心理学に委ねられるか後期資本主義の消費文化の誤れる意識として告訴されている(12)。美的享受の問題は第一次大戦以前、心理学的な美学や一般芸術学の主要テーマであり、モーリッツ・ガイガーがそれについての明解な現象学的なあとがきを書いていて(13)、現代ではハンス=ゲオルク・ガダマーに代表される解釈学的哲学が美的意識への批判、とりわけ自分自身を享受する主観性という空想の美術館への批判のもとでのみこのテーマに関心を寄せている。主観性の衰退に対し聴き取りながら理解する生起の構造を対置して、「科学的真理概念によって制約を受けている美学理論に対して、芸術作品によって得られる真理の経験を擁護する」(14)というのである。芸術の存在論的真理がそうであるように、芸術の社会的真理も美的享受による伝達をほとんど必要としない。マルクス主義の文学理論は、プレハーノフからルカーチまで市民的なリアリズムの反映であるがゆえにそのミメーシス―理想に狭められていた限り、受容主体が客観的現実をただちに再認識するよう期待した。ブレヒトにいたってようやく、マルクス主義の文学理論でも文学の作用の顧慮することが問題となるが、それは当初より、美的に享受し感情移入し同一化しようとする受容主体の傾向に対し、彼らが思考し批判する態度をとれるよう教育する意図のもとで問題化された。結局、これは黙ってはおれないことだが、私自身が主張する受容美学も、これまでのところ消費文学ないし地平の変化を考えるだけなら、根源的な否定性から古典作品の享受可能な親密さにいたるまでこの[享受という]問題に取り組んできたとはいえ、それ以外のところでは美的反省をあらゆる受容の基礎として前提することによって、芸術学が第一次的な美的経験に対して自ら負った、驚くべきことに誰も異議を唱えない[享受より理論的反省を優先するというあの前衛の]禁欲に参与してしまっている。

  では第一次的な美的経験はどこで成立するのか。美的享受は官能享受一般からどのように区別されるのか。享受の美的機能は日常世界の他の機能に対しどう関わるのか。今日の言葉遣いから出発するなら、〈享受する〉という語は〈労働する〉という語と対立し、また〈認識する〉や〈行為する〉という語からも隔たっていることが示される。これに関して、一方で注意しておかねばならないのは、じっさい〈享受する〉と〈労働する〉は美的経験の概念に端を発する古い対立を形成しているということである。美的享受は、労働の実践的強制や日常世界の自然的欲求から自由である点で、美的経験をその当初より際立たせていた社会的機能を基礎づける。しかし他方で美的経験ははじめから認識や行為と対立していたわけではない。美的享受の認識能力は、ゲーテの『ファウスト』がこれと抽象的で概念的な認知能力とを争わせて漁夫の利を得たように、一九世紀になってようやく芸術の自律化への歩みと共に断念された。じっさいまた、多様な仕方で行為の規範を伝達する自律化以前の古代芸術にとってコミュニケーション機能はまだ自明のものだが、現代になるとそうした機能はしばしば、またあっさりと支配者の利益の現状是認という嫌疑がかけられ、既成のもののたんなる美化と誤解され厳しく拒否される。

  美的経験をさらに詳しく考察するなら、関心なき満足というカントの教説以来、あらゆる美学理論によってほぼ満場一致で証明されたように、「私と対象との遠さ」もしくは美的隔たり(15)によって美的享受はたんなる官能享受から区別される。どのみち距離をとることが前提となる理論的な気構えとは異なり、享受的な美的態度においては、想像的なものによって鑑賞者をその日常的実践の拘束から自由にするという事態が生じる。美的経験の第一次的プロセスにおいて想像的なものはまだ対象ではなく、(ジャン・ポール・サルトルが示したように)イメージする意識が行う、距離をとって形を生み出す作用である。想像する意識はそれ自身、言語的、視覚的、音楽的なテクストの美的な記号にしたがって言葉や絵や音の形を生み出すに当たり、[現実世界に]先行して存在する対象世界を統合しなければならない(16)。想像する意識を慣習や利害の強制から引き離す〈美的に享受する態度〉は、まさにその日常的な行為に囚われている人間を別の経験へと解放してやることによって可能となる。

  したがって常に美的享受は、あるものからの解放でありまたあるものへの解放である。美的対象を享受しつつこれと関係することは日常実践の否定を前提にしている。すなわち行為する主体はまず観衆、聴衆、鑑賞者、読者とならなければ、この主体に対象を美と知覚させたり表現上の行為(もしくは英雄)と同一化させたりする美的享受の気構えを得ることができない。ハンス・ブルーメンベルクは「美的対象性によって触発される主体自身の機関と主体との間にある内的隔たり」(17)という人間学的なモデルを用いることで、美的受容においてなされる特殊な享受を説明しようとした。このモデルは、たとえばぞっとするようなもの、醜いもの、衝撃的なものといったような一見「享受可能」なものとしては現われない感じ方を美的に享受する可能性をも含んでいるという利点をもっている。このモデルにおいて、主体はこれらの対象から触発されて発動する自らの能力の純粋な機能を享受している。しかし私の見るところブルーメンベルクのモデルは、〈その「自分自身の非関与性という高められた意識」(18)がたとえば崇高的なもの、英雄的なもの、感動的なもののような好都合な対象が現われる場合でも成立し、また自身の触発された能力の享受の地位と同時に、自分には疎遠な行為や苦悩との同一化の享受の地位をも高めてしまう〉という事態をまったく排除していない。

  このことは心理分析の詩の理論とひっくるめて説明される。よく知られたことだが、ジグムント・フロイトは英雄との同一化という美的享受を美的隔たりの減軽化機能と防衛機能に引き戻した(19)。しかしフロイトは想像活動へのより深い関心からこの美的享受を基礎づけなかった。一方で美的同一化は幻想を前提としているために、自分にはほとんどなし得ないと思われるような異質な経験を快の源泉となすことができる。「それはつまり、第一にあちらの舞台で行為し苦しんでいるのは他人であるが、第二にそれは劇であるにすぎず、劇はわれわれの人格的確信に何ら損害を及ぼすことはないという確信によって苦しみを柔和化することである」。しかし他方で詩の作用は、独特な触発の惹起や「徹底した拒絶による軽減化」においてのみ生じるわけではなく、奥深い源泉に触れる「心理的水準の高度な緊張の感情」にまでいたる。「人間は想像活動において、現実にはもはや断念してしまった外的強制からの自由をさらに進んで享受する」。〈詩も白昼夢もかつて子供の頃にやっていた遊びの継続であり代替である〉というフロイトの有名なテーゼによるなら、美的経験の刺激は抑圧された願望の充足にいたり、もっとうまく言うなら子供の頃の遊びのうちで抱かれた期待の再発見という美的衝撃に舞い戻る。いまや明白なのは、〈英雄の状況や運命との美的同一化がこの享受の誘惑の報酬をさらに深化させ、それどころかこれにほとんど凌駕不可能な力のアウラを授けることができる〉ということである。

  ブルーメンベルクによる美的受容のモデルも、表現されたものとの同一化に基づくフロイトによる享受の説明も、「享受は、それが持続する限り、それ自体で充実している」(20)というガイガーのテーゼに対する反証となっている。じっさいに美的享受が「飛び地体験」として現われるとしても、こうした体験はまさに高揚した意識の傑出した契機であるために、期待、願望充足、記憶の架け橋を超えて主体にとって相反(~から自由であること)し企投(~への自由であること)しつつ集団記憶としていつもくり返し生活世界の重要な文脈に入ってくることができる。

  このように説明された美的享受における否定と同一化との関係にはあとで戻ってくることになるが(第9節を見よ)、この関係から私の第三のテーゼが導出される。すなわち、あるものからの解放であると同時にそれへの解放でもある美的享受の態度は次の三つの平面で遂行される。[第一に]自分自身の作品として作品を制作するさいの制作的意識の場合、[第二に]世界を別の仕方で知覚する可能性を捉えるさいの受容的意識の場合、最後に、作品によって要求される判断に同意したり、前もって指示されてさらに規定されるべき行為の規範と同一化したりする場合においてである(この第三の平面によって主観的な経験は間主観的な経験へと開かれる)

  美を享受したり悲劇ないし喜劇の対象に興じたりすること、要するに芸術によって可能となるそうした態度の元となる美的経験の能力にふたたび目をやるなら、いまやわれわれは美学の伝統が有する三つの概念、すなわちポイエーシス、アイステーシス、カタルシスを導入する。そのさい「制作する能力」として理解されたポイエーシスが指しているのは、〈外的世界からその扱い難い異質さを取り除いて(21)その世界を自分自身の世界とし、こうした活動のうちで学問の概念的認識からも自己再生産的な手仕事の目的に拘束された実践からも区別される知を獲得することで、人間が世界のうちで故郷にいるようにくつろいでいたいというその普遍的欲求を芸術の制作によって満足させる〉という根本経験である[*12]。次にアイステーシスが指しているのは、〈芸術作品が慣習によって鈍らされた事物の知覚を刷新することができ、それによってアイステーシスに基づく直観的認識が概念による認識の伝統的優位に対しふたたび正当化される〉という美的な根本経験である[*13]。最後にカタルシスが指しているのは、〈鑑賞者が芸術の受容のさいに自らの日常の実践的関心や触発による巻き添えから解き放たれ、たんに美的に興ずることを越えてコミュニケーション的な同一化へ、もしくは(カントによれば)趣味判断に対する同意へと解放されてゆく〉という美的な根本経験である[*14]

 

 

4.プラトン主義の遺産としての美の両義性[*15]

 

 そのさい、ポイエーシス、アイステーシス、カタルシスに立ち戻って美的経験の固有性と能力を基礎づける芸術の弁明は、これら三つの根本規定によってもようやくメダルの片面だけしか説明しないということを黙っているわけにはいかない。メダルの否定的なもう片側が陽の目をみるのは、〈どうして偉大な清教徒たちが芸術哲学の長きにわたる伝統において(プラトンアウグスティヌス、ルソー、キルケゴールといった錚々たる名がここで一列に連なるのだが)芸術経験を普通とは異なり悪名高く危険なものと見なし、それゆえに芸術経験の倫理的要求や認知的要求を抑制し制限したか〉を思い浮かべる場合である。一八世紀の啓蒙主義時代になってようやく美学が自立した学問として基礎づけられたのは偶然ではない。もしいまだ書かれていない美的経験の歴史を書くとすれば、それは産出的・受容的・コミュニケーション的関係という美的実践を伝統のうちに探し求めねばならず、伝統においてそうした実践はたいていのところ隠されているか看過されてしまっている。西洋芸術をその自律化にまで導いた芸術理論の反省の伝統は、完全にプラトン主義の軌跡のうちにある。プラトン主義は権威的な遺産となっていて、ヨーロッパの教養史における美的経験はこの遺産から展開すると同時にこれに対抗してきた。ここでは素描というかたちでしかこのプロセスをふりかえることができないが、それでもわれわれの設問にとっては不可欠である。

 プラトン主義は芸術の歴史と理論に関するヨーロッパの伝統に二重の方針をあらかじめ与え、その方針は両義的とも名づけることができる。それは、プラトンを引き合いに出すことによって美との関わりに最高度の尊厳を授けることができるが、道徳的に非難することにもなり得たからである(22)。超感性的なものの伝達によって美に尊厳が与えられるのは、プラトンによれば地上の美を眺めることが、失われた超越的な美や真の記憶を呼び覚ますからである。感覚的なものに頼らなければならないことによって美に欠陥が与えられるのは、美の知覚が感性的な仮象やたんなる作用における快のうちにその満足を見出すからである。美を享受する者は、必ずしも超越的で、イデア的なものに住まう完全性に連れ戻されるわけではないのだ。たしかにプラトンにとって美と関わることによる尊厳は哲学のテオリアの下に置かれる。とはいえ『パイドロス』において美の尊厳は、智を語る熱情、物事に精通する熱情、詩作する熱情という三種の熱情の他にアフロディーテやエロースによってかきたてられた第四の経験として特徴づけられている(23)。しかし『パイドロス』において美の要求が人間的なものと神的なものとの仲介として特徴づけられ正当化されているのなら、プラトンにとって美的経験の両義性はけっして除去されなくなる。このことを示しているのが彼の有名な詩人批判であり、とりわけその厳格主義によって『国家』では芸術に対し干渉がなされる。同書でプラトンが芸術に宣告しているあまりに厳密な禁忌や制裁をじっさいにみてみるなら、〈完全性という自らのイデア論に基づくプラトンが、真に独裁的な国家というわれわれの概念にとって、再認識(アナムネーシス)によって昇華されない美の力をいかに危険なものと評価しなければならなかったか〉と推論せざるを得ない。

 なるほど、〈プラトンは必ずしも美において感覚的な経験と超感覚的な経験とを分離しておらず、両者の間に段階的な道すじを見ることができていたのであり、悪しきミメーシスとしての芸術の存在論的批判に対し、たとえば『ティマイオス』におけるデミウルゴスの神話のような、うそをつく詩人の品位をふたたび助けてやる別の表現を対置することができた〉という反論がなされよう。[しかし]まさにプラトンの重要な対話篇において美的経験の評価がこのように変化することによって、美について言われる両義性はプラトン主義の受容のプロセスでさらに先鋭化した。この両義性から最高度の品位と、もっともゆゆしき欠落とが同時に導き出されたのである。芸術は(感覚的経験と理論的視点との仲介という)宇宙論的な機能によって正当化される一方、また(すでに創造された事物の模造、感性的仮象やたんなる作用の快といった)ミメーシスの否定的な機能によって、あらゆる認識機能からも倫理的にもっとも真剣なものすべてからも解除され有罪判決を下されたのである。

 美的経験に関する[プラトン主義の]先行方針はこうしたところから現われアンチノミーとなったわけだが、この先行方針によって芸術は美の解放プロセスのうちで幾度となく把握可能となる。このプロセスを詳細に探求するに当たっては、プロテウス[*16]のように変化(へんげ)するプラトン主義に当時与えられた歴史的役割の解明がまず要求されよう。ここではたとえば、真・善・美の三位一体というかくも影響力をもった通俗的プラトン主義の教説の成立や機能の歴史はまったく明らかにされない。ここで参照することができるのは、近世における発展のいくつかの段階だけである。

 一方でルネッサンス人文主義は、プラトンイデアをあらたに解釈することで芸術家の活動を悪しきミメーシスという汚名から自由にした。パノフスキーが示したように、いまや芸術理論はイデア論を占拠し、キケロの『弁論家について』[BC.55]における解釈に支えられながら、人間精神の内的直観のうちにイデアの完全性を発見する。イデアは主に芸術家の活動で示現され得るために、いまや「プラトンの総体概念は彼の芸術把握の嘘を罰するのに役立つ」(24)という逆説的な逆転が造形芸術の創造を言い表すさいに登場する。あらたに獲得された美の尊厳から、次第に芸術宗教のようなものが生まれた。このプロセスの頂点はフィレンツェプラトン・アカデミーによる、ポエジーを自律的な詩の神学theologia poeticaの地位にまで高めた古代の神話論の保護であり、これに関連して詩人が格上げされ、詩人は第二の自然を作り出せることから、スカリジェ[*17]は(すでにミメーシスの原則のぎりぎりのところで)詩人を第二の神として特徴づけた。始まりつつあった「美しき芸術」の自律化は便利なだけの芸術から自らを引き離すようになり、それによって美的経験は自らに従ってますます実践を喪失してゆき、そのように実践を喪失してゆきながら祭儀や訓育から解放された芸術は自律化への途を進んでいったのだった。

 他方で美しき芸術の自律化への要求は、キリスト教的道徳や社会的道徳、それどころかすでに啓蒙化されている道徳といった審級からの反発を呼び起こした。こうした反発では、やはりプラトンの芸術批判やキリスト教によって堆積した演劇への有罪判決に依拠して議論がなされ、その有罪判決はアウグスティヌスや教父たちからフランス古典主義時代の批評家であったボシュエやブルダルー[*18]にいたる世俗の伝統にまでいたり、『ダランベール氏への書簡』[邦題『演劇について-ダランベールへの手紙』]のルソーとまだ競い合うほどのものであった。『タルチェフ』スキャンダル[*19]において頂点に達した、古典主義演劇に対する論争はミメーシスの否定的な作用をはっきりと指摘している。舞台上での風俗表現は詩人が観客に約束する道徳的純化にいたるわけではなく、むしろ観客と舞台上の人物の苦悩との同一化にいたる(25)。たんに[劇中で]悪い点を指摘するだけで風俗を改善しよう(風紀を正すcorriger les mœurs)などという実現不可能な要求は、道徳的判断の公共的審級たろうとする演劇の不当な要求を表わすものである(26)。思い込みの苦悩よりももっとたちが悪いのは、モリエールの喜劇に出てくる真剣な道徳が実践的に無益になってしまっていることだという。

   こんにちモリエールは、世間の滑稽さを攻撃するにすぎない演劇の道徳から期待することのできる果実を教えてくれたとはいえ、世間にはその頽落だけが残された(27)

 ルソーはこのキリスト教-ドグマ的な批判を啓蒙化された理性の名のもとに継承し、興味深い議論をなしているが、それは彼の議論が今日、マスメディアの誘導的な作用への非常にアクチュアルな批判を先取りしているからでもある。支配的な風俗を反映するにすぎない芝居は実践的な理性によって非難されるべきだとルソーは語る。それはそうした芝居がその観客に既存の悪しき社会状態を現状是認させるからである(28)。芝居は無益な享楽を求め、人間本性の真の欲求から発する喜びを求めない(29)。芝居の快楽の誘惑は観客を享受的な隔たりへと拉し去り、想像上の運命にふけるうちに自分の喫緊の義務を忘れさせる(30)。美的経験は劇中人物が抱く苦悩との同一化へと誘うが、そうした同一化のうちではわれわれの道徳的感覚を蝕む閾下の暴力が働いている。というのは、芝居の快楽によって観客が、悲劇の始めのうちはパイドラやメディア[*20]のような人物に対し悪への本性的な嫌悪を抱くが、次第にそうした嫌悪を取り払って気づかぬうちに同情へと変えるようにまでなってしまうからである(31)。同様に芝居の観客は、尊敬すべき人間嫌いの人の美徳を面白おかしくあざ笑うようそそのかされる[*21]。それゆえ観客が芝居上のことに興ずる背後で秘密の悪習が観客に受け入れられてしまうのだという(32)

  美の品位と欠陥というアンビバレンツは美的経験の近世史の次なる段階、すなわちドイツ観念論においてあらたな姿で戻ってくる。ドイツ観念論は自立的な学問として美学を基礎づけることと併せて、美的経験の尊厳を高度な要求と結びつけ、哲学によって型押しされた宇宙論的機能を美学に移転した。いまや芸術と共に美的判断力は、コペルニクス的転回によって直観から奪われた全体的自然を、美の仲介を経ることで主観性の感覚に引き戻す役割を引き継いでいる(33)。そのさい、美的なものを自然と自由、感性と理性との媒介の審級にまで格上げしたカントその人は、純粋に主観性に基づけられた美的判断力からふたたびいかなる認識機能をも剥奪した。かくして美的経験のこの段階では、美の品位と欠陥というアンビバレンツが対立するものとして現われるようになり、一九世紀の芸術の理論と歴史はこの対立を美的自律性と倫理的に真剣に選択する存在との亀裂にまで深化させ、芸術を〈芸術のための芸術L’art pour l’art〉という無関心なものにして完全に実践喪失するまでに高めることになったのである。

  美のプラトン主義的な二重意味の最近のかたちは、一方で「真理の生起」としての芸術経験と他方で自分自身を享受する「美的意識」との根本的対立のうちにふたたび見出さすことができ、ガダマーはこの対立によってハイデガーの芸術哲学を解釈学的存在論へと改造した。また自分自身をプラトンの決定的な敵対者として理解したアドルノですら、けっきょく、美の両義的な力というプラトン主義の遺産の消しがたさを心ならずも認める証言をしている。それはすでに示したように、アドルノの美学理論が一方で芸術には自律的主観の誤った支配に対し「自然の品位」を取り戻す能力があることを信じながら、他方で「自然美」において予告される「宥和した現実」を実践的に実現するに当たり必要とされるどんなコミュニケーション的機能も芸術から奪い取ってしまうからである。

 

5.美的経験の解放という逆向きのプロセス

 

 この間、美的経験は美のプラトン形而上学という前提から自らに引き当てられた限界をいつもすでに超えていた。このことはすでにギリシャ人自身の芸術経験にとって明らかに当てはまることである。たしかにプラトンイデア論は後期古典主義の芸術を「もっともよく理解」させるが、イデア論も古典主義時代の芸術もこれに先行する豊かな様式とは対立する立場にある(34)。その点で、プラトンの美の教説は『パイドロス』において芸術に独自に関連づけられておらず、〈美それ自体は現われる(「輝き出る」)ものの、けっきょくのところ神的なもの、他なるものを思い出させるにすぎない〉というアンビバレンツを伴ったままであり、おそらくギリシャの古典作品の受容段階にとって鍵になるとはいえないだろう。むしろおそらく〈美は超現世的なもの名残である〉というプラトンの弁明は、ヌミノーゼや超越的なものに対して美がなす抵抗への哲学的応答として理解されるべきである一方で、同時に美のプラトン形而上学は、現世的な完全性の表現において成就する芸術をふたたび哲学理論に服従させる試みであるという二重の側面でから理解されるべきである。これに対し近世の芸術経験においては、あらゆるルネッサンスによって刷新されたプラトン主義が美の内在性や美的経験の実践を正当化するさいに[プラトンとは]逆向きのプロセスをさまざまな側面で呼び起こしたことを見誤ってはならない。

  主観性への転回以来、このプロセスがもっとも顕著なのは、美のプラトン形而上学が撤去される一方で、感覚的なコギトcogito sensitiveとしての美的経験と概念的認識と論理の合理主義とが戦わされるという二重の側面においてである。バウムガルテンにおいて美は感覚的認識の完全性として規定され、感覚的認識には「世界の完全性を美として現前化させる」(35)という課題が与えられる。美を(規則を有する)完全性から分離するカントは(36)、美に感じられる積極的な快に対し崇高なものに感じられる消極的な快を対比するとき、美的経験を美しき芸術に限定することをもうすでに突破している。自由の契機としてみるなら、崇高はその対象(制限の代わりに非制限)によってもその経験のあり方によっても美に優っているという。美が直接に生の促進の感情をともなっているのに対し(§23)、崇高なものに感じられる消極的な快は、われわれと自然の外見上の全威力とをあえて競り合わせることで魂の強さをいっそう強める(§28[*22]。最終的に、美のプラトン主義的形而上学の解体はヴァレリーにおいて頂点に達し、そこでは制作すること(組み立てることconstruire)と知覚すること(知っていること以上のものを見ることvoir plus de choses qu’on n’en sait[レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説]である美的実践にとって美はただ未規定性という否定的な概念としてのみ要求される。美は否定的である。つまり美とは未規定性が成就したものではなく、所与であるにすぎない自然に何の享楽も感じることのない創造者にとっても、芸術という完成されたものに対して自らの自由を享受できる受容者にとっても、美は完成したものとして現れるものの否定である。「それゆえ美とは否定であり、加えてこの無力さによって表現されるものから生じた渇きであり、加えてこの渇きの《無際限》であり、さらにx…」(37)[*23]

  ヴァレリーの美学理論は美的対象のプラトン的な存在論と関わっているが、(ブルーメンベルクが[ヴァレリーの対話篇]エウパリノスと建築家』に関して指摘しているように)(38)両者はまさに正反対のものであって、美的経験の解放のプロセスはここからもっともよく一望できるほどである。このプロセスはルネッサンス以降、たいていのところ三つの観点において、すなわち制作的、受容的、コミュニケーション的な美的経験の平面でたどられるだろう。以下でこのことは、ポイエーシス(第6節)、アイステーシス(第7-8節)、カタルシス(第9-12節)という根本経験に若干のハイライトを当てることできわめて控えめな程度しか記述できない。こうした企図は、文化の現状是認的な性格に関するヘルベルト・マルクーゼのテーゼに反対するものとしても提起されるが、それは私が〈感性を世俗的なものに貶めることに反対して美的享受をふたたび正当化する〉という意図を彼と共有しているにもかかわらずなされ、またそうであるがゆえになされる(39)。三段階からなるマルクーゼの歴史哲学的な美学において、アリストテレスが合目的性や必然性を美や享受から分離したことは決定的な出来事である。それは市民的実践の唯物論も労働と余暇の分離に基づいていて、この実践が真・善・美の享受(と共に自由な人間の生存の幸福)を文化という精神の保護領域に移転させたからだという。文化は観念的世界としての文明にとって代わられ、この文明は商品形態の支配のもとで物質的生活の再生産が行なわれる〈甘受されるべき日常〉の現実を超えたところにある。市民時代の観念論的な文化とその「魂の王国」は自由の身となった個人にとって、ますます物象化した世界からの逃げ道となっていたが、この観念論的な文化と魂の王国と共にあらゆる美的経験も観念論的に堕落してしまったのではないかという嫌疑がかけられる。マルクーゼによれば、労働と余暇が分離して以来の芸術とのかかわりは、そもそも現状是認的であるどころか、むしろきわめて社会批判的な観念論と同様のプロセスの下にある。このプロセスは気づかぬうちに既成のものと妥協してしまう歴史以外の何ものでもないという。現状是認的な文化という欠点は、「観念からの自由」が達成されてはじめて美とその脱感性的な享受から取り除かれるのであって、主体となった人間が物質を支配し、物質的実践そのもののうちに人間幸福の時間と空間を見出したあかつきには、労働と余暇のあらたなかたちの出現と共にこの欠点が除去されるという。

  これに対し、カノンにしたがう美学から潜在的な美的経験に戻るさいに示されるのは、〈美の創造と受容は、その始まりにおいても市民時代においても観念論や現状是認的な文化の側でまったく独占されてはいない〉ということである。美の感性的経験にまつわるアンビバレンツは〈隔たりを生み出し、自由にすると同時に規範を形成する力〉をもつ一方、〈誘惑的で、高尚化ないし魅了の効果がある威力〉を有しているのだが、このアンビバレンツは労働と余暇との分裂という社会史的な堕罪によってはじめて惹き起こされたわけではない。芸術に対する享受的な態度はその緩和的な機能においても、認知的ないしコミュニケーション的な機能においても、美の仮象的性格をいつもすでに前提としている。感覚的幸福の直接的な享受とこの「仮象に基づく幸福」とを取り替えようとする者は、もはや芸術を必要としない。それゆえ、マルクーゼが文化を物質的な生のプロセスに差し戻すことによってあらたな社会的状況を待望し、そうした社会状況において美とその享受が「もはや単なる憧憬ではなく成就そのものを待ち望む」が、それによって「もはや一律に芸術に取り込まれてしまうことがない」(40)というならば、その場合においてのみ[彼の理論は]首尾一貫したものとなる。詩人が厳格に追放されたプラトンの国家というユートピアや、自由の身となった感性という逆転した予兆のもとで芸術そのものが無用になったマルクーゼの〈第三の時代〉というユートピアがわれわれからそれぞれ同じくらい離れている限り、美的経験にはまだ利用可能な余地が残されている。より幸福な生を切に待望するという否定的な役割しか美的経験に認めない者は、まさに美的実践の有する能力が真正に社会的で、哲学的観念論や現状是認的とはしばしば逆方向に影響を及ぼすものであることを見誤っているのであって、これからわれわれが向かうのはこの美的実践の能力である。

 

 


(*1) L’imaginaire – Psychologie phénoménologique de l’imagination, Paris 1940, p.234 [翻訳『創造力の問題―創造力の現象学的心理学』平井啓之訳、人文書院 1955年、354].

(2)以下を参照。Hans Robert Jauß, Literaturgeschichte als Provakation, Frankfurt 1970, p.177sq. [翻訳『挑発としての文学史』轡田収 訳、岩波現代文庫 2001年、43頁。「ある文学作品が、出現した歴史的瞬間に、最初の読者公衆の期待を満たしたり、超えたり、失望させたり、あるいは覆したりする流儀様式は、明らかに、その作品の美的価値決定の一つの判断基準となる。期待の地平と作品との隔たり、すなわち従来の美的経験ですでに親しんでいたものと、新しい作品の受容によって要求される「地平の変化」との隔たりが、受容美学的に文学作品の芸術性格を決定するのである」(ibid)]

[*1]判断力批判』においてカントは「快適なもの」と「善」と「美」という三つの満足の対象を区別し、「美」だけが実在する対象の表象に関わりなく(=無関心)その表象の合目的性によって満足と判断されるという。「快適なものと善いものとは、いずれも欲求能力に対する関係をもっており、そのかぎり、快適なものは感受的に条件づけられた(刺激による、stimulos)満足をともない、善いものは純粋な実践的満足をともなっている。そしてこの満足は、たんに対象によって規定されるだけでなく、同時に主観と対象の現存との表象された連結によって規定される。たんに対象だけでなく、対象の現存もまた、満足を与えるのである。これに反して趣味判断は、たんに観照的である。すなわち、趣味判断は対象の現存在に関しては無関心に、ただ対象の性状を快・不快の感情と並べて比較する判断である。しかしこの観照自体も、諸概念に向けられているのではない。というのも、趣味判断は、認識判断ではなく(理論的認識判断でも、実践的認識判断でもなく)、それゆえ諸概念に基づくこともなく、あるいはまた諸概念をめざしているのでもないからである」(岩波書店版『カント全集』第8巻、牧野英二訳、64頁)。

(3) L. GIESZ, Phänomenologie des Kitsches, München ²1971, p.30.

(4) Th. W. ADORNO, Ästhetische Theorie (Gesammelte Schriften 7), Frankfurt 1970, p.15. 以下、本文中に[原著, 翻訳で]ページ数を引用する。[翻訳『美の理論』大久保建治訳、河出書房新社 1985年、13]

(5) P. BOURDIEU, Zur Soziologie der symbolischen Formen, Frankfurt 1970, p.103sq. [翻訳『再生産――教育・社会・文化』宮島喬 訳、藤原書店、1991]

[*2]「美的な隔たりästhetische Distanz」という用語に関しては、受容美学のマニフェストともなった論考「挑発としての文学史(1967)において「前もってあった期待の地平と、新しい作品の出現…との隔たりを、美的隔たりということにすれば…」(翻訳43)と説明されている。

[*3]該当箇所でアドルノはこう述べている。「受容とは削ぎ取ることであって、その点において受容は社会の限定された否定にほかならなかった。作品はその出現の時代においては、批判的影響を与えることを常としている。時代が経るに従い、作品はなによりも状況の変化によって、中立的なものへと変えられる。中立化は芸術が美的に自律的なものとなることによって支払わねばならない、社会的代償にほかならない。しかし芸術作品は一度、文化財として祭り上げられ、パンテオンのうちに埋蔵されるなら、それ自体の真実内容もまた損なわれることになる」(ibid)

(6) J. STAROBINSKI, La relation critique (L’œuil vivant II), Paris 1970, p.9-33.

(7)アドルノは根源的な古典性と生成された古典性(私の用語法では受容プロセスの第一の地平の変化と第二の地平の変化)とをじゅうぶん鮮明に区別していないため、アッティカの古典性に対する彼の論争は彼の古典主義に対する批判と同様、矛盾に満ちたものにとどまっている(p.339に対するp.240-244. そこで断言された「中立化」はすでに「古典的なものの軌跡」に基づいて登場し、もはや「美の自律性の[支払うべき]社会的代償」ではない)。

(8) p.12,347, 358, 386を参照。この文脈では、娯楽(低級芸術の分野は、文化が純粋芸術へ移行することに失敗したことを証言するものとしてつねに抜きん出ていた。p.32, 32頁)、慰めごと、歓談(p.56, 60 / p.66, 71頁)のような自律以前の芸術の直接的な社会的機能に対する誇張された論争も、じっさい陽気な芸術全体に対する論争も視野に入れられるべきである。「すべての陽気な芸術、とりわけ娯楽的な芸術はおそらく不正を犯す芸術といえるかもしれないが、それは死者にたいして加えられた不正、つまり蓄積された、言葉を欠く苦痛に加えられた不正にほかならない」(p.67, 71頁)。

[*4]シャルルマーニュ時代のフランク王国イベリア半島イスラム帝国の戦いを描いた英雄叙事詩ローランの歌』(11世紀末成立)に登場する、シャルルマーニュの甥の英雄ローランとその友人オリヴィエのこと。

(9) Didrot, Entretiens sur le Fils Naturel, éd. VERNIER, Œuvers esthétique, Paris 1959 p.153; Lessing, Hamburgische Dramaturgie, 75. Stück und anderweitig. また以下も参照。Germanisch- romanische Monatsschrift 11 (1961) p.388-391.

[*5]同じ箇所でアドルノアリストテレスの「カタルシス」を次のように批判している。「アリストテレスの『詩学』における感情の浄化(カタルシス)は、たしかにもはやさほどあからさまに支配者の利益のために肩入れしていないが、だが洗練化という彼の理想は、狙いとする観衆の本能や欲求を肉体的に充たすものではなく、それに代えて美的仮象を代償的満足を与えるものとして復活させ、その仕事を芸術に委託するものであって、感情の浄化(カタルシス)はこうした理想を通して支配者の利益を守るものとなる。浄化(カタルシス)は感情に抵抗して行われる浄化行為であって、抑圧と一致したものにほかならない。芸術神話の一角を形成するものとしてのアリストテレス浄化(カタルシス)は、今日古びたものとなり、実際にひきおこされている効果にそぐわないものとなってしまった」。

[*6]該当箇所は以下の通り。「芸術の客観化は外部の社会から見るなら芸術のフェティシズムにすぎないが、それ自体は分業の結果にほかならず、社会的なものにほかならない。そのため芸術と社会との関係を主として芸術の受容という面から追及するといったことはなすべきではない。この関係は受容に先行するもの、つまり創造のうちに存在する。芸術を社会的に読解しようとする社会的関心は影響の追及と分類に耽るのではなく、それに代えて創造そのものに向かわねばならない」(ibid)

[*7]「芸術にとって本質的な社会関係とは、社会が作品のうちに内在していることであって、社会のうちに芸術が内在していることではない。芸術の社会的内容は芸術の〈個別化の原理〉の外部へと移動するのではなく、それ自体が社会的なものである個別化のうちに留まっているために、芸術自体の社会的本質は芸術にとっても隠されたものにすぎず、それは解釈を待ってはじめてとらえられるものとなる」(ibid)

[*8]「かつて芸術作品において真実であったが歴史の歩みを通じて否定されたものも、真実を秘匿する原因となった条件が変更される時がきた時はじめて、ふたたびわが身を開くことができるようになる。それほどまで深く真実内容と歴史とは美的に絡み合っている。過去における現実が宥和的なものとなり、真実が回復されるなら、現実と真実は互いに収斂することを許されることになる。過去の芸術において今日なお経験し、解釈を通して獲得し得るものは、こうした両者の収斂した状態を示す指示に似たものにほかならない」(ibid)

[*9]「芸術の真の経験は、いかに困難であろうとも捉えられねばならない例の層についての理解を欠くなら、つまり自然美という色あせた名称を与えられていた層の経験を欠くなら不可能になるという点についての理解が、明らかにヘーゲルには欠けていた」(ibid)

[*10]「芸術は今日にいたるまで支配をつづけてきた実践にまさる実践を代表するものであるばかりでなく、既存のものの真只中において既存のもののために行われている、野蛮な自己保存という支配としての実践に対する批判にほかならない。芸術は創造のための創造ということを嘘として罰し、労働の呪縛を超えた実践の立場を自らの立場として選択する。幸福の約束という言葉は従来の実践によって幸福が妨げられていることを意味しているだけでなく、それ以上のことを、つまり幸福は実践を超えたところにあるのかもしれないということを意味している。芸術における否定の力は実践と幸福との間の深淵の大きさを示している」(ibid)

[*11]原文は”Das Eingeständnis des Kunstgenusses ist heute nicht allein >auf Reisen< verpönt.” なお『美的経験と文学的解釈学』にもほぼ同一内容の段落が存在し、そこでは「今日(もしくはつい最近まで)、芸術享受は悪名高き「市民階級」の特権として一般的にかたく禁止されている」(S.71)という表現に変更されている。

(10)『ドイツ語辞典』(5. Auf., ed. W. BETZ, Tübingen 1966)のH・パウル「享受と仲間」の項を参照。またW・ビンダーの「享受」概念に関する次の講演も参照。W. BINDER, Begriff >Genuß< in Dichtung und Philosophie des 17. und 18. Jahrhunderts. (ドイツ語・ドイツ文学協会で1966125日に開催。後にArchiv für Begriffsgeschichteに掲載。)

(11) M. IMDAHL, Einführung zu Barnett Newman Who’s afraid of red, yellow and blue, Stuttgart 1971 (レクラム文庫147番に収録された造形芸術のための作品解説論文).

(12)正反対の立場を二つだけ挙げるなら、以下を参照。K. BADT, Kunsttheoretische Versuche, Köln 1968, p.103, und O. K. WERCKMEISTER, Ende der Ästhetik, Frankfurt 1971, p.83.

(13) Beiträge zur Phänomenologie des ästhetischen Genusses, in Jb. für Philosophie und phänomeno- logische Forschung, Bd.I, Teil 2, 1913, p.570sqq.

(14) Wahrheit und Methode, Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik, Tübingen¹1960, p.XV [翻訳『真理と方法』第1巻、轡田収 他訳、法政大学出版局 1986年、xxix].

(15) M. GEIGER, op.cit., p.632; 加えてギーツの批判も参照。L. GIESZ, Phänomenologie des Kitsches, München ²1971, p.26-35.

(16) Op. cit., p.234.

(17) Poetik und Hermeneutik III, p.647.[詳細な書誌情報は以下の通り。In: Jauß, Hans Robert (Hg.): Die nicht mehr schönen Künste. Grenzphänomene des Ästhetischen (Poetik und Hermeneutik, III), München 1968.]

(18) Ib., p.646.

(19) In: Psychopathische Personen auf der Bühne, Studienaufgabe, Bd. X, Frankfurt 1969, p.163; Der Dichter und Phantasieren, ib. Bd. X, p.171-179; Exkurs über Phantasietätigkeit in der 23. Vorles- ung zur Einführung in die Psychoanalyse, ib. Bd. I, p.362.

(20) Op. cit., p.27.

(21)ヘーゲルの『美学講義』(ed. BASSENGE, Berlin 1955)における規定によるなら、とりわけ以下の箇所を参照。「人間がこのことをするのは、自由な主体として外的世界からもその余計な異質さを取り除き、事物の形態において自分自身の外的現実性のみを享受するためである」(S.75)。また「普遍的な法則が…成立するのは、〈世界と関わる人間が故郷にいてくつろいでいなければならず、個人が自然やあらゆる外的関係に住み込みつつまったく自由に現われる〉という状況においてである」(p.266)。「制作的な能力」に関しては以下を参照。J. MITTELSTRASS, Neuzeit und Aufklärung, Berlin/New York 1970, bes.§10.2.

[*12]「ポイエーシス」の規定は『美的経験と文学的解釈学』でもほとんど変わらない。「そのさい、「制作する能力」というアリストテレス的な意味で理解されたポイエーシスが指しているのは、享受を自らの内から生み出す作品であり、そうした享受はアウグスティヌスによってはまだ神に認められ、ルネサンス以降は自律的な芸術家精神のメルクマールとして徐々に要求されたものであった。これによって制作美学の根本経験としてのポイエーシスは、〈外的世界からその扱い難い異質さを取り除いてその世界を自分自身の世界とし、こうした活動のうちで学問の概念的認識からも自己再生産的な手仕事の目的に拘束された実践からも区別される知を獲得することで、人間が世界のうちで故郷にいるようにくつろいでいたいというその普遍的欲求を芸術の制作によって満足させる〉というヘーゲルが挙げた芸術の規定に対応している」(S.87)

[*13]『美的経験と文学的解釈学』では次のように規定されている。「次にアイステーシスは認識しながら見、見ながら再認識する美的享受を指していて、アリストテレスはこの享受を模倣されたものに感じられる二つの快の源泉から説明した[1448b]。そのわりにアイステーシスという言葉は確かにアリストテレス詩学では独自に用いられていないが、バウムガルテンによって確立されたエステーティクという独特な学問が始まってからは感性的な感覚と感情とによる認識という根本意義で用いられている。これによって受容美学の根本経験としてのアイステーシスは、「純粋な可視性」(K・フィードラー)としての芸術に関する様々な規定に対応し、これらの規定によって美的対象の享受的受容は、高められ脱概念化され――疎外化によって(V・シクロフスキー)――革新された視覚として、「対象の充実を無関心なまま鑑賞すること」として(M・ガイガー)、「存在の密度」の経験として(JPサルトル)、要するに「複合的な知覚懐胎」として把握され(D・ヘンリッヒ)、そのようにして概念による認識の優位に対し感覚的認識が正当化されるのである」(S.88)

[*14]同じく『美的経験と文学的解釈学』での説明はこうである。「最後に、『ゴルギアス』やアリストテレスでの規定と関連づけるなら、カタルシスが指しているのは弁論や詩によって生じる独特な触発の享受であり、この享受によって聴衆や観客は自らの確信を[他者の確信と]一致させると同時にその心情を解放させる。これによってコミュニケーション的美学の根本経験としてのカタルシスは、行動の規範を伝達し、増強し、正当化する社会的機能への芸術の実践的奉仕に対応すると同時に、〈日常の現実につきまとう実践的関心や巻き添えから鑑賞者を解き放ち、異質なものの享受における自己享受によって鑑賞者が美的に自由に判断し得るようにする〉という、自律的な芸術すべてが有している理想的な規定にも対応している」(S.88)

[*15]目次にはあった「権威的autoritativ」という語がなぜか消えている。

(22)芸術史におけるプラトン主義のアンビバレンツの存在論的前提に関しては以下を参照(「プラトン主義はつねに芸術史の活動の正当化であると同時に価値低下でもあった」)。H. BLUMENBERG, Poetik und Hermeneutik I, p.15. [現在この論文は以下の論文集に再録されている。H. BLUMENBERG, »Wirklichkeitsbegriff und Möglichkeit des Romans«, in: ders., Ästhetische und metaphorologische Schriften, Frankfurt 2001, S.55.]

(23)『パイドロス』2, 249b. [「かくしていまや、第四の狂気に関するすべての話は、ここまでやって来た。――狂気という。しかり、人がこの世の美を見て、真実の美を想起し、翼を生じ、翔け上がろうと欲して羽ばたきするけれども、それができずに、鳥のように上の方を眺めやって、下界のことをなおざりにする時、狂気であるとの非難を受けるのだから。この話全体が言おうとする結論はこうだ。――この狂気こそは、すべての神がかりの状態のなかで、みずから狂う者にとっても、この狂気にともにあずかる者にとっても、もっとも善きものであり、またもっとも善きものから由来するものである、そして、美しき人たちを恋い慕う者がこの狂気にあずかるとき、その人は「恋する人」(エラステース)と呼ばれるのだ、と」(249D-E)]

[*16]ギリシャ神話の海神。ポセイドンの息子とも、ポセイドン以前の神とも言われる。予言を授けてくれるがさまざまな姿に化身するため、ギリシャ神話の英雄たちはこの海神と格闘し捕縛して予言を聞き出したという。

(24) E. PANOFSKY, Idea – Ein Beitrag zur Begriffsgeschichte der älteren Kunsttheorie, Berlin²1960, p.6. [翻訳『イデア美と芸術の理論のために』伊藤博明・富松保文訳、平凡社ライブラリー2004年。]

[*17]ジョゼフ=ジュスト・スカリジェ(1540-1609)。オランダの宗教指導者で、古代ギリシャやローマの歴史研究の分野でその才能を発揮した。

[*18]ジャック=ベニーニュ・ボシュエ(16271704) カトリック神学者。ルイ14世の宮廷説教師として王権神授説を支持したことで有名。またルイ・ブルダルー(1632 - 1704)はフランスのイエズス会士で、その弁舌によりルイ14世治世下でコルネイユラシーヌと並ぶ名声を得た[本文では”Bourdaloue”ではなく”Bourdalou”という表記になっているが、『美的経験と文学的解釈学』では前者に訂正されている]

[*19]古典主義時代を代表する劇作家モリエールの喜劇『タルチュフ:あるいはペテン師』(1664)[翻訳『タルチュフ』鈴木力衛訳、岩波文庫1974]が聖人を冒涜しているとして、キリスト教教会から厳しく非難され、モリエールに好意的であったルイ14世も上演を禁止せざるを得なくなった事件のこと。

(25) Bossuet, Maximes et réflexions sur la comédie (1694) : 「悲劇や喜劇の詩が働きかける第一原則は、観客の関心を惹くことである。またもし悲劇作者が感動させる術を知らず、作者が表現しようとする感情によってもそうすることができないのなら、大芸術家[とはどのような者か]の規則にしたがって、作者はまさにしらけた、退屈で、滑稽な者となろう。…それゆえ詩の目指すところ、その仕事の目標はすべて次のような人である、すなわち英雄のように美女に心奪われ、神々しき存在として彼女たちに仕える者、一言で言えば、おそらく栄光以外なら彼女たちのために何でも犠牲にする者であり、栄光への愛は美そのものへの愛よりも危険なのだ」(p.282)

(26) Bourdalou, Sermon sur l’hypocrisie :「さて何が起こったかといえば、キリスト教徒たちは、俗人的な精神の持ち主で、神の関心のうちに入ろうなどとは夢にも思っていない者たちであるにもかかわらず、偽善の濫用を改革するためではなく(改革は彼らの権限ではない)、放蕩の利することになる自らの気晴らしのたぐいのためにこうした偽善を弾劾しようとしたのであり、偽りの信仰心という有害な表象によって真の信仰心に関する誤った疑念を理解しまた理解させたのだった」(引用は以下に拠る。M. HERVIEUX, Les écrivains français jugés par leurs contemporains, Paris s. d., I 332.

(27) Bossuet, Maximes sur la comédie, op, cit., p.334 (前掲エルヴュの書に拠る).

(28) Lettre à M. D’Alembert, éd. Garnier, Paris 1960, p.137. 「演劇の一般的効果は、国民の性格を強め、本来の好みを強め、あらゆる情念にあらたなエネルギーを与えることにあります。この意味で、その効果はすでにある習俗を助長することにかぎられ、それを変えることではなく、芝居というものはよい人にとってはよいものとなり、悪い人にとっては悪いものとなるようです」[翻訳『演劇について-ダランベールへの手紙』今野一雄訳、岩波文庫 2002年、47]

(29)「…無用な娯楽はすべて、寿命が大へん短く、時が大へん貴重なものとなる存在にとって悪です。人間の状態には、その本性に基づく楽しみ、労働、いろいろな関係、必要から生じる楽しみがあります。そして、その楽しみは、それを味わう者がいっそう健全な精神をもっていれば、いっそう甘美なもので、それを楽しむことができる者は、ほかのすべての楽しみをあまり気にかけないことになるのです」(op. cit., p.133). [翻訳41]

(30)「人々は芝居を見に集まっているつもりでいるのですが、そこではみんなひとりぽっちになっているのです。人々はそこへ行って、自分の友人、隣人、身内の者のことを忘れて、作り話をおもしろがって、死んでしまった者の不幸に涙を流したり、生きている者の犠牲において笑ったりしているのです」(op.cit., p.134). [翻訳42]

[*20]パイドラはクレタ島の王女で、義理の息子を愛してしまったために破滅した。エウリピデスの悲劇『ヒッポリュトス』やラシーヌの『フェードル』に登場する。メディアは黒海地方の国の王女。自らを捨てて権力と財を選んだ夫に復讐すべく、夫の新妻とその父、またメディア自身の幼子をも殺害する。エウリピデスの悲劇『メディア』やコルネイユの作品にも登場。

(31)「パイドラやメディアの罪悪の話をあらかじめ聞かされるとしたら、人はだれでも、劇の終わりよりも初めにいっそうその人物たちを憎むことになるのではないかと思います。そこで、もしこの推測が正しいとすれば、芝居のほめそやされている効果ということについて、どう考えるべきでしょう」(op.cit., p.139). [翻訳52]

[*21]「人間嫌いの人」とはモリエールの代表作『人間嫌い』の主人公アルセストのこと。なおルソーは『演劇について』の中でモリエールを「その作品が私たちに知られているもっとも完璧な喜劇作家」と評価しつつも、「モリエールの芝居は不徳とよくない風習を教える」として厳しく批判する。それはモリエールの喜劇では「人の好さ、単純さをこっけいなものとすること、そして、ずるさと嘘を人が興味を感じるものにすること」が最重要視され、道徳的に「もっとも尊敬すべき者」ではなく狡猾で「もっとも巧妙な者」に名誉を与えるからだという[翻訳71]

(32)「それに、おかしなことを喜ぶこと自体、人間の心の一つの不徳にもとづいているのであって、この原則の一つの結果として、喜劇がいっそう楽しいもの、完璧なものであれば、その効果は習俗にとっていっそう忌まわしいものである、ということになります」(op.cit., p.148). [翻訳70-71]. 有名となった『人間嫌い』への批判に関してはp.150[翻訳70]以下を参照。

(33)これに関しては『哲学歴史辞典』(Basel/Stuttgart 1971)のJ・リッターによる「美学」の項目を参照(とくにp.558)。

(34) K・シェフォルト『宗教現象としてのギリシャ芸術』(K. SCHEFOLD, Griechische Kunst als religiöses Phänomen, Hamburg 1959, p.114)によれば、[プラトンイデア論は当時の芸術に対し]相当な制限を伴っていた。「レオカレス[古代ギリシャの彫刻家]、プラクシテレス[アッティカの彫刻家]、スコパス[古代ギリシャの彫刻家]らは、プラトンによる芸術への要請にうまく対応しており、それはプラトン自身がもっぱら当てはめようと考えていたエジプト芸術のような異教的芸術以上であった、とおそらく言ってもいいだろう」(p.115)

(35) J. RITTER, op. cit., p.559, バウムガルテン形而上学』の§662を見よ。「美は現れるものであるか、もしくは趣味にしたがってより広い意味で注目されるべき完全性であるPerfectio phaenomenon sive gustui latius dicto observabilis est pulcritudo」。

(36)判断力批判』§17.

[*22]判断力批判』第23節「美しいものの判定能力から崇高なものの判定能力への移行」には次のような有名な説明がある。「しかしながら、美しいものと崇高なものとの間の著しい差異もまた、きわ立っている。自然の美しいものは、制限を本質とする対象の形式に関わる。これに反して崇高なものは、形式のない対象でも見出されうる。(中略)また、崇高なものについての満足は、その種からみて美しいものについての満足とはきわめて異なっている。すなわち、後者(美しいもの)は、生の促進の感情を直接ともなっており、したがって魅力および戯れる構想力と合一しうるのに対して、前者(崇高の感情)は、間接にのみ生じる快である。つまりこの快は、生命諸力の瞬間的な阻止と、それにただちに続くそれだけいっそう強力な生命諸力の流出という感情によって生み出されるのであり、したがって感動として、構想力の働きにおける戯れではなく、むしろ厳粛さであるようにみえる。(中略)崇高なものについての満足は、積極的な快というよりも、むしろ讃嘆ないし尊敬を含み、言い換えれば消極的快と呼ばれるに値する」(岩波書店版『カント全集』第八巻、牧野英二訳、112-113頁)。

また第28節「力としての自然について」の説明はこうである。「しかし、われわれが安全な場にいさえすれば、これらの眺めは恐るべきものであればあるほど、ますます心を引きつける。そしてわれわれは、これらの対象を好んで崇高と呼ぶ。なぜなら、これらの対象は魂の強さを通常の程度を超えて高揚させ、われわれのうちにあるまったく別の種類の抵抗の能力を発見させて、この抵抗の能力が、自然の外見上の全威力に匹敵するという勇気をわれわれに与えるからである」(同135-136頁)。

(37)レイヤード版全集第1巻、p.375(われわれの文脈にとって本質的なのは1937年に成立した小論「美は否定的」である)。なお本文への引用はこの全集版による。

[*23]もともとこの小論は1頁程度の断章であるが、ヤウスによる引用箇所はその直前にある次のような美の規定を踏まえての小括である。「《美》は《表現不可能性》――(およびこの効果を再体験したい欲求)を意味する。(中略)《表現不可能性》とは、諸表現がないということを意味せず、あらゆる表現はそれらを刺激するところのものを復原することができず、われわれはいかにも原因事物の真の固有性として、この無能力ないし《不合理性》の感情を覚えるということを意味する。(中略)文学は《言葉のない状態》を《言葉》によって創り出そうと試みる」(『ヴァレリー全集』第10巻、佐藤正彰訳「刻々」、筑摩書房、1974年、415頁)。なお同様の規定は『カイエ』に収録された同時期の断片にも見出される(Ca. II, p.970)。

(38) Sokrates und das >objet ambigu<: Paul Valérys Auseinandersetzung mit der Tradition der Ontologie des ästhetischen Gegenstandes, in: Epimeleia, Festschrift H. KUHN, ed. F.WIEDMANN, München 1964, p.285-323. [なおこの論文も、先述の論文集に再録されている。H. BLUMENBERG, Ästhetische und metaphorologische Schriften, Frankfurt 2001, p.74-111. ]

(39) H. MARCUSE, Über den affirmativen Charakter der Kultur, in: id., Kultur und Gesellschaft, Frankfurt 1965, p.55-101. [翻訳『文化と社会』田窪清秀、井上純一他訳、 せりか書房 1969.]

(40) Ib., p.99.