un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ギュンター・フィガール「哲学的解釈学の複合性」

 

[以下は Günter Figal Die Komplexität der philosophischer Hermeneutik (in ders, Der Sinn des Verstehens, Stuttgart:Reclam, 1996.) の試訳]

 

 

[限界づけられた理性の哲学としての解釈学]

   解釈学が今日もっとも重要な哲学的動向となったことは、哲学の徳目の変化と関係している。かつて知恵によって占められていた場所には、謙虚さが登場している。哲学者たちが自らの行いの無能な歴史に気づけば気づくほど、すべての哲学的問いがすでにかつてあったその通りか似たような仕方で提起され、その問いに明確に答えられる能力が自分にはあると思いたい以上にしばしば[他人によって]明確に解答されているということもますます明らかになってきた。すべての思考や認識が言語によって型押しされ、それゆえに言語の多義性と結びついているという洞察がはっきりと打ち出されれば打ち出されるほど、最終的かつ一義的に定式化可能な諸々の確信に突き進もうなどとは、その上ますます滅多に考えられなくなった。また結局のところ、思考と認識が有するそのつどのパースペクティヴの個別性と限定性がほとんど反論の余地がなければないほど、普遍妥当性や百科全書的体系学への哲学的要求をめぐってはますます無言となった。哲学固有の歴史を見事に凌駕するか、もしくはただ統合することさえ哲学に可能であるなどとは、今日おそらくもはや誰も真剣に考えてはいない。認識や行為の究極的基礎づけは、厳密に考えるなら、前方へと逃走することであり、言語的な了解そのものの手続きを確実な基礎として説明するというまったく疑わしい決断である。普遍性要求などというものがあるとして、それが「反事実的」なものとして掲げられるとしても、それは時代錯誤として感心されるか、目を丸くされるか、冷笑されざるを得ない。理性批判が提起するさまざまな教訓が根拠あるものとして学ばれた後では、〈理性は限界を有する〉という事実はもはや真剣に疑われ得ないこととなっている。まさに、解釈学は限界づけられた理性の哲学である。このことは、暗に明に解釈学の説得力をなしている。解釈学は、思考や認識の歴史的・言語的な制約を考慮しようとし、また思考と認識の個別性と各時性Jeweiligkeitを否定しない哲学である。

  とはいえ、限界づけられた理性の哲学は、どこで自らがただ単に限界性を剥き出しにするだけで、そのことを〈限界づけられてはいても理性は理性である〉というふうに示していないのかをほとんど確信していない。まさにこのことが解釈学にとって重要である。どんな思想も絶対に新しくなく、歴史的に媒介されているということは、まさに〈以前すでによりうまい仕方で言われたことをただ繰り返すことができるだけだ〉ということではない。そもそも以前のものが妥当性をもつのは、それが現在のものとなっていて、それゆえに[当時とは]別様に分節化されているからである。どんな思考も言語なしでは明晰さにはいたれず、言語の両義性や予測不可能性によって彩られ濁らされたままであるといっても、だからといって既にそのことによって言語の開示力の否定が承認された訳ではない。解釈学的に考察されるなら、言語は自明な諸記号のたんなる戯れなどではない――言語は隠すのみならず、発見もする。またそれぞれの認識が自らの個別の視点をもち、それどころか変化する視点を有するということは、そうした認識が内容を欠いた相対性であることと同義ではあり得ない。とはいえ個別的で変化する諸々の視点から、変化する視点を含みこむ連関が経験されるのである。

 

 

[テクスト解釈をモデルとする解釈学]

  制限され、そのような意味で純粋ではないが、まさにそのことにおいて無制限に相対化された理性というこうした発想が、理解の解釈学な中心概念において示されている。理解とは、そのつど個別的なパースペクティヴにおいて分節化された歴史的な認識であり、その媒体が言語であることは稀ではない*1。理解とは自らが遂行される連関を完全に見渡すことがなく、けっして汲み尽くすことがない認識である。つまり理解とは、自らの分節化可能性を制限のうちでのみ自由にする認識、自らのハンディキャップに応じる限りでのみ革新的である認識である。

  そのように制限された理解の哲学がどうして解釈学として分節化されえるのかということは、いわゆる理解の性格づけが解釈学の成立史と関係づけられている場合に恐らくなおいっそうよくわかる。周知のとおり哲学的解釈学は、まずは神学的、文献学的、そして法律的にも動機づけられたテクスト解釈の理論から生じた。後にシュラーアーマッハーの考察と共に理解の「一般的技術論allgemeine Kunstlehre」が意図された後でも*2、また一九二〇年代のハイデガーにとって解釈学と哲学がそもそも同義なものとなった後でも*3、テクスト解釈はモデルとして解釈学的に効力をもち明解なものでありつづけている*4

  [テクストという]モデルの効力は、理解と歴史および伝承との本質的な結びつきがおのずとテクスト解釈にもつながってくるということと関連しているが、それは歴史と伝承が、口承によって語り継がれる場合こそあれ、まずはテクストにおいて接近可能となるからである。テクストというモデルが明解なのは、このモデルに基づいて、ハンディキャップと実現化、言語の多義性と開示力、そのつどのパースペクティヴとそれらの一体化という理解に固有の一体性がこれらを包括する枠組みにおいてとりわけ顕著に現われてくるからである。したがって、テクスト解釈の本質が何であるのかもっと正確に追求したり、理解を解明するべくそうしたことを語ることはやり甲斐のある仕事である*5

  解釈が自らに前もって与えられたテクストと結びつくことがなく、何度もあらたに、いわば毎歩ごとにテクストと結びつくことなく、それ自体として特徴づけられるのが当然であるような解釈など存在しない。しかしこうした結びつきは、テクストをただ二重化しても明らかに満たされない。つまり、解釈はテクストをその理解可能性において証示するという課題をもっており、くわえて解釈は当のテクスト以上のものかつ別のものとならざるを得ない。

  このことは、理解の言語的なあり方に直接連なってゆく。テクストは、もしそれが自ずから語ることができるというなら、理解可能なものとして証示される必要はないだろう。しかし、そもそもそれ自体として現われ、一義的であるようなテクストなど存在しないし、とにかくいまあるようにそのまま認識されるようなテクストなど存在しない。すでに素朴な読解が強調点を選んで設定し、それらの連関を設定している。他方、自らのテクストを見出さない読者などいないし、限りない多義性から理解可能とだけみなすものを作らない解釈者などいない。それゆえ、どんなに多義的なテクストでも、テクストが解釈者として分節化されるようにではなく、テクスト抜きでは分節化され得ないものを理解させるのである。

  これに反し、テクストが理解させるものとは何かを語ることは解釈者の問題である。またテクストが多義的で多層的であればあるほど、テクストが的確に明確化されることは滅多になくなる。テクストが決定され得るなどということは永遠にない。解釈を要求するテクストは数多くの解釈を、結局はおそらく限りなく多くの解釈を許容し、これらの解釈はその個別のパースペクティヴのうちでそれぞれ区別される。つまり、これらの解釈がさまざまな仕方で強調点を選択して設定し、それらの連関を設定し、さまざまな先入見や説明意図にも支えられていることによって、またこれらの諸解釈が言語の多様性や若干の多義性において分節化されることによって、そうした諸解釈はそれぞれ区別される。それにもかかわらず、あるテクストの解釈すべては、まさにそれらがこの任意のテクストの解釈であるという限りにおいて、一体のものとなっている。その諸解釈が解釈されるテクストの枠内に属している限りにおいて、それらは互いに結びつけられることができ、少なくとも断片的には相互に翻訳され、相互に対立させることができる。その際そこで示されるのは、正しいないしは誤った解釈など存在しないが、多かれ少なかれ開明的か不可能な解釈は存在するということである。また開明的な解釈が現われるのはいつも、そうした解釈を自らの解釈へと翻訳できる解釈者、またその際、解釈されるテクストの拘束力のある要求を経る解釈者に対してのみである

  このことは、およそテクスト解釈の現象を論じ尽くしてしまうようなスケッチ風の注釈ではない。まさにとりわけこのような注釈は、テクスト解釈が限界づけられた理性の哲学にとって一体どのようにしてモデルとして役立つのかをまだ未決定のままにしている。モデルとは決定的な事例をなすものである。決定的というのはつまり、そうしたモデルがなければ、事柄はまったく視界に入ってこないか、もしくは曖昧なかたちでしか視界に入ってこないという点においてである。またモデルが事例となるのは、それが暫定的にのみ導き役となり、それに対してモデルが事例となる事柄自体が現われるとすぐに意義を失うからである。解釈学は、それがモデルに即して事柄のために尽力することによってはじめて哲学的となる。とはいえこのことは、〈テクスト解釈学というモデルに定位して限界づけられた理性の概念を展開することが、哲学的解釈学の課題である〉ということである。哲学的解釈学は、理性を限界づけると同時に理性の可能性を規定しようと試み、事柄が理性に謙虚さを強いるとしても、〈どのような哲学がかつてから存在していて、どのように哲学の本質に属しているのか〉と問うくらいに大胆になるに違いない。

 

 

[歴史的自由のモデルとしてのテクスト解釈]

  限界づけられた理性という概念への問いは、理解することの意味への問いである。とはいえこのことは、二重の意味をもった問いである。というのは、この問いが理解の根拠と、理解にとって存在する意味を目指しているからである。理解の根拠への問いによって知られんとされるのは、〈そのつどの理解の際に再三もどってゆく理解の事柄とは何か〉である。つまり、理解はどこからどこへと向かって遂行されるのかと問われる。他方、理解の遂行をめぐって問題となるのは、正確に言って、この遂行はどのようにしてそのつど有意味となるのかである。事柄の本質と理解遂行の有意味性という二つのアスペクトを一緒にするなら、次のように言えるだろう。すなわち、問題なのは、いつもすでに開示されている事柄であり、そうした事柄が理解遂行中もしくは理解遂行によってどのようにして現われ、結果としてこの理解遂行は理解として――有意味なものとして経験され得るのかということである。

  理解の意味への問いはこうした二重化された意味のうちでは、〈ここで関係してくるのは同一物の二つのアスペクトである〉ということに従って示されるだろう。何かが理解される場合に、何かが有意味なものとして経験される場合に、理解の根拠は妥当なものとなる。理解の遂行のうちで現われてくるのは、理解はどこからどこへ向かって遂行されるのかということである。とはいえ、その二つのアスペクトを区別することは適切である。すなわち、理解する際においてのみ理解の根拠が現われるのならば、理解は自らの根拠を保証することができない。その際、理解の根拠は、理解のうちでいつもただ媒介されたものとして、いつも他のものに即してのみ示され、けっして自ら自身に即しては示されない。このことは、理解の際に理解の根拠もしくはその事柄が描出されると言われる場合にも表沙汰にされ得る。その場合、有意味な理解遂行は理解が有する意味の描出であり、この意味がなければ理解はただ単にそのまま無媒介に行われるにすぎない。「描出」が解釈学的哲学の根本概念である。

  こうした考察がどのような意味をもつかをよりうまく捉えられるのは、もう一度、テクスト解釈というモデルが思い起こされる場合である。ここで、理解の根拠ないし事柄とは何かがおそらくすぐにでも明確化される。テクストが解釈の前提をなしている場合、解釈はテクストの方から理解の方へと遂行されてゆく。テクストによって語りかけられる場合、その理解可能性を証示することが問題となる。しかし、解釈として分節化されるものはテクストそのものではなく、その現象である。理解に基づく[わかりやすい]解釈とはテクストの描出である。解釈が有意味なのは、それがテクストを自らの意味として妥当させるからである。

  しかし、ここで素描されたテクスト解釈というモデルは歴史的自由のモデルであり、これと対応して歴史的自由が理解の意味である。テクストが歴史的自由のためのモデルであるのなら、このモデルに即してそれが何を言わんとしているのかを証明してみせなければならない。すなわち、歴史的自由の決定的事例としてのモデルに即して、歴史的自由と共に理解の意味が解明されねばならない。

  まずこのことにかんして、あらゆる解釈はある思想に従って解釈されるテクストの枠組みに属しているが、その思想を話の糸口にするのがよい。解釈が明確化し、そのようにして可能なものとして自らを証示するなら、そうした解釈のうちでテクストはその理解可能性において現われ、自らが現われるようにしか現われ得ないなどということはない。別様に解釈すれば、テクストは別様なしかたで妥当なものとされるかもしれないし、このように見れば、解釈者がどのようにテクストを読み、どのようにみずからの読解経験を分節化しようとも、テクストという限界内で解釈者は自由である。

  とはいえこうした解釈者の自由は、本来的にテクストの自由である。それは、解釈者としてはもはや考えられないという代価を払ってのみ乗り越えられる限界を、ただ単にテクストが解釈者の恣意に設定するからではない。むしろ、解釈において妥当なものとなる理解可能性はテクストによって初めて開かれる。暗に明に、人は読みつつ解釈しながらこの理解可能性の作用空間のうちを動く。したがって、テクストとは作用空間であり、自らの解釈の自由空間であり、そのような仕方で自由空間として、解釈の自由である。しかしながら、解釈者がこのテクストの自由を妥当なものとしなければならない。テクストの理解空間はそれ自体では語らず、つねに解釈によってのみ語る。

  さて、このテクストの自由が歴史的であるというのは、まず、実際それが決められた時代、個別の状況のもとで生み出されるという点にある。テクストは、自らの成立条件を隠すことが滅多にないような人工物である。テクストは、大抵の場合、多かれ少なかれある規定された世界を明白に言語化するが、それはそうした世界を正確に日付化することが時に不可能であるとしてもである。後の読者や解釈者にとってテクストは、いま述べたような仕方で物質化された記憶であり、テクストのうちには歴史が沈殿するようになった。しかしこうしたことは、テクストが自らを包括するコンテクストに、つまりある規定された世界がテクストにおいて言語化されるようにしてそうした世界というコンテクストにテクストが属していたからこそ、可能となったにすぎない。テクストは自らが成立した連関を描出し、そうした連関を定まった限界内ではじめて明確に経験可能なものとする。かくして、テクストの生産はすでにして理解の能力であったのである。

  しかし、このことは原理的な意義を有している。歴史がテクストによってはじめて明確に経験され、結局のところ後の者にとってはテクストによってのみ接近可能となるということは、テクストをそのまま歴史に組み入れることを困難とする。なるほど言われているように、テクストはその成立において歴史的であり、そのような仕方で自らの個別性において――自らが何を分節化し、どのようにそれを行うかにおいて――も歴史的である。テクストの言語はある決まった時代に属している。とはいえ、歴史がテクスト抜きでは経験されない以上、テクストの作用空間は同時に歴史の現象空間、歴史的世界の現象空間を形成する。その場合、テクストの歴史的自由があることによってはじめて、歴史の自由――そこにおいてはじめて歴史的になることができ、歴史と関係することができる自由――がある。歴史的世界は描出されることによってのみ明確に経験可能となる。歴史的世界は、その内部で連関のうちにあるものとして振舞うことができるためにも、呈示präzentiertされていなければならない。

 

 

[歴史的自由の下で示される時代と呈示の一体化]

  さらに時代的なものは、時代的なものと同一ではありえないような生き生きとした想起――この想起自体は時代的条件の下ではじめて立ち現れてくるのだが――を頼みにするようにして、歴史的自由に即しつつ示される。もしくはもっと一般的に言えば、歴史的自由に即して時代と呈示との一体化が示される。また、もしそうした歴史的自由の理解が自らの理解空間を要求するのなら、理解の意味は時代的なあり方をとらない呈示のうちに存している――実際にはそうした非時代的な呈示において時代的なものがはじめて現象する。とはいえ、呈示が時代的なものとして以外は形成され得ず、端から端まで測定され得ず、描出され得ないならば、理解の意味はやはり時代的なものとなる。

  時代と呈示とのこうした固有の一体性はこれ以上は基礎づけられることはなく、またそれゆえこの連関を包括する統一性へと解消されたり止揚されたりすることもない。この二つの一体化した契機の向こうにまだ統一性として考えられるようなものは存在しないのである。このことは一方で、理解の現象それ自体によって証明される。すなわち、もし時代と呈示がより高次の統一性において把握されるのなら、これによって理解の生き生きとした遂行が打ち消されざるを得なくなる。それは、時代と呈示がその一体性においてもはや出現してこなくなってしまうからである。しかし、実際には時代と呈示はその一体性において出現するのであり、もしこの一体性における出現とかかわろうとするのなら、そうした出現が存在しないような統一性の思想は重要なものではない。

  しかしながら、時代と呈示が理解において緊張した仕方で一体化していて、統一化され得ないということを指し示しているのは、解釈学的な設計図の複数性でもある。ただ理解の一つの発想があるのではない。哲学的解釈学は多様な仕方で自らを呈示するが、もしこのことが〈時代と呈示との関係は一義的に規定され得るものではない〉という点で理屈にかなっているのなら、この多様な呈示は欠如や一時的状態なのではなく、事柄のあり方において基礎づけられている。もしそうでないとするなら、哲学的解釈学の実行はせいぜいのところさまざまに変奏するだけで、たださまざまなアクセントが置かれるだけにすぎないだろう。しかし、もしその程度なら、さまざまな解釈学的な設計図はとっくに相互に移し入れられて、ただ一つの設計図が残ることになるだろう。ただ一つの統一的な理論しか存在し得ないのなら、そのような理論は理解の統一的な端緒と根拠に定位しつつとっくに見出されていることだろう。

  したがって、解釈学的設計図の複数性とそれと共に哲学的解釈学の複合性は、実際のところ、時代と呈示の未解決な一体性から発している。この二つは、理解の時代性と理解に固有の非時代的な呈示とがどのように解されるべきかという未解決な問いから発している。この問いが本質的に未解決であり得るのは、この問いのうちでさまざまな分類がそれぞれに対してただ単に同等なものとして関係し合うことなく、可能なものとなりそれぞれ並びあって成立し得る場合のみである。もしこうした同等性を認めてしまえば、解釈学の事柄にかかわる適切性は失われてしまうだろう。諦めきっているか嬉々とした複数主義、しかしどんな場合でも思想のない複数主義は、他とは無関係に成立し得る気構えであり続けるかもしれない。しかし逆に、多様な解釈学的設計図のうちの一つが支配的になるか、他の設計図がその支配的なもののうちへと切り詰められようとするのであれば、設計図が不可避的に複数になるという洞察以前に戻ってしまうだろう。いまや、多様な設計図を相互補完的なものとみなす可能性だけがなお開かれている。多様な設計図のうちの一つを決定的なものとして追求すればするほど、他のものはますますはっきりしなくなり、ついには沈黙するにいたる。それと同時に多様な設計図のそれぞれは、他のものによる補完を求めそれらを自らのうちに取り込まないという意味において、一面的である。

 

 

[哲学的解釈学の三つの類型]

  こうした論及は、哲学的解釈学の複合性を考慮する労を厭わない解釈学的哲学の要件である。私が見る限りで、時代と呈示にかんする三つの解釈学的分類が原理的なものとしてある。一方で時代と呈示が理解の歴史的自由をなしているのであれば、〈どのような理解もテクストに呈示された自ら自身の歴史の描出である〉ということを示唆することができ、かくして歴史は伝統として現われる。そのさい伝統は理解の自由空間であり、結果として理解が属する呈示でもある。他方で、〈歴史はただ理解遂行によって、理解の呈示する能力によってのみ現われる〉ということが強調される。このようにして自らを形成してゆく理解は、歴史の自由空間をはじめて作り出す呈示として現われる。また最終的に理解は歴史的に把握されることができると同時に、理解において非歴史的で非時代的な呈示が有効なものとなると言われる。かくして、歴史は時代なき呈示の時代的描出として現われる。

  こうした三つの分類はそれぞれ、哲学的解釈学のさまざまな特徴に基づいて注解される。第一の特徴は作用史的生起の解釈学、第二の特徴はパースペクティヴの統合の解釈学、第三の特徴は自ら発生するsich ereignend諸々の布置の解釈学である。以下でこうした解釈学の三つの特徴をスケッチする場合、私は体系的な見通しという関心において以下のことを除外しておこうと思う。それは、これらの特徴が仕上げられた形でどのようにあらかじめ存在しているか、このこととも対応して、どのようにすればハンス・ゲオルク・ガダマーやフリードリッヒ・ニーチェワルターベンヤミンといったこれらの特徴をすでに展開している哲学者たちと私とをこれ以上対立させることにならないかという問いである*6。この除外の代わりに、私はガダマーやニーチェベンヤミンの発想を理念型として読む。これらの発想は、歴史的自由を論及するための型である。

 

 

[作用史の解釈学における時代の呈示のあり方]

 作用史の解釈学は、歴史は外部から理解されるものではないという洞察に定位している。非参与的な視座という仮定は、〈すべての理解の試みはどのようにして自ら自身の諸条件を発揮させるか〉という問いを塞いでしまう――とはいえ完全に塞いでしまうことはないが、やはりそうなってしまえばたいてい見通しのきかないものにする――抽象として現われる。作用史の場合、たとえば伝承されたテクストの解釈はテクストの作用空間のうちにとどめられているのみならず、テクスト自体もが属している伝統を分節化する。解釈は先入見、カテゴリー、判別によって、つまり初期の読解によってかもしくは後になってから以降の語りという比較的はっきりしない道行きで慣らされるようになった思考様式によって導かれている。かくして、われわれが属している伝統、つまり分節化された歴史はもっとも近いもの、もっとも自明なものである。伝統とは、われわれが常にすでにそこにいるがそれを明確にすることがないような呈示である。

  さて、理解遂行の意味はこうした伝統の明晰化をすくなくとも部分的に獲得することであり、加えて伝統の自明さが打破されなければならない。それはつまり、〈テクストないし他の伝統の諸形態も異質なものとして現れざるを得なくなり、いまやそれらとのあからさまな対立が進行するかもしれないが、そうした対立は自分自身の先入見の明白化の機会を与えてくれる〉ということである。伝えられたものの疎隔化、この意味で歴史的なものの疎隔化――それはやがて明確化された自己化に向かうことになる――が問題であるのだから、こうした疎隔自体は歴史的な性格を有していなければならない。このことは、何かが別の時代やかつての時代の産物として現われる場合に当てはまる。かくして伝承されたものの歴史記述化Historisierungは、明白な理解の必要条件である。この歴史記述化によって距離が生み出され、その距離において伝承されたテクストとの対話がようやく進展することができる。

  しかしながらこの対話がうまくいっている場合、さらにテクストと解釈者の共通性は効力をもつ。テクストの理解によって理解されたものは常にすでに発見されると同時に、新たなものとしても発見される。われわれはテクストという作用空間のうちで動き、理解がうまくいっている場合には、その作用空間を新たなものとして描出するが、このような仕方で生じることがテクストの作用史である。とはいえ決定的なことは、〈テクストが属してもいる伝統がかくも本来的に継続され、伝統がいまあり常にすでにあったところのものとして――生起しつつ理解を呈示するものとして――この継続のうちに示されている〉ということである。われわれは理解しているし、常にすでに理解してきた。われわれはアリストテレスに従ってもものをみたり考えたりしいているし、常にすでにそうしてきた[形而上学』第九巻第六章、1058b.22-34]。歴史記述化することでのテクストの時間的距離化、新たに成功した理解の試み、こうしたことが自らのうちで安らぐ激動という契機であり、この激動によって伝承の歴史は絶え間なく続く呈示として証示される。かくして時代は呈示へと含みこめられている。時代の喧騒はその静寂を現象させ、自らを保持するものが時代の断絶部に現われてくる。

  それゆえ、作用史の解釈学は伝統の閉鎖性と連続性への信頼によって生きている。この解釈学が信頼しているのは、〈歴史は意味の伝承それ自体としてあり、この意味から、この意味を目指して理解が遂行される〉ということである。なるほどこの信頼は根拠なきものではない。しかし、もし理解の意味としての伝承の歴史が測深可能で保障され得るものであるならば、そのような信頼はあってはならないだろう。だが伝承の歴史はそのようなものではない。自ら自身の伝承を問い合わせる行為としての理解は、その伝承をけっして現実には自己化することはできず、全体として透明性にもたらすことはできない。生起しつつ伝承を呈示することは、けっして全体的に見渡されることがない空間のように、どのような驚きがまだわれわれに用意されているかわからない空間のように影を落とし続けている。

  とはいえ、作用史の解釈学にとって伝承が測深不可能であるということは、単なる欠陥ではない。逆にそうした不可能性は、自明でありかつ理解にとって本質的な先入見が形成され得るための前提である。伝統は、もしそれが完全に見通されでもすれば、もう終わりにいたっている。それは、伝統を理解において明白なものとし、そのような仕方で伝統を継続させることがもはや不可能となり、もはや有益ではなくなるからである。

  しかしながら明白に理解するという役割は、作用史の解釈学にとってみれば先に述べたことによって、またさらに言って伝承の連続性と閉鎖性への信頼のうちで基礎づけられている。だがこの信頼と関連して、理解する者自身の能力は不可避的に後退し、〈理解者の能力は作用史の解釈学が容認し得る以上の大きな役割を演じている〉という推測が、歴史の測深不可能性によって指示され得る。理解が自らの根底を保障できないのであれば、理解はその分ますます自分自身に立脚しているように思われる。

 

 

[現在の理解の遂行を強調するパースペクティヴ統合の解釈学]

  理解すること自体の重要性は、パースペクティヴの統合の解釈学にとっての出発点である。この解釈学の中心的思想は、〈理解の遂行はその遂行を包括する連関を伝統という意味で描出することはなく、むしろそうした連関をはじめて形成する〉というものである。歴史の個別の経験がこうした思想を生じさせる。すなわち、個別的な歴史の経験において歴史は、記憶形象の見渡し得ない多様性として、遺跡や証拠の集積――そこで自分自身を見失う危険にさらされる――として現われる。かくして歴史の測深不可能性が支配的となり、異質さにまで高められる。過ぎ去ってしまったものや何度も過ぎ去ろうとしているものの遺物は、現在的なものにとって外的なものにとどまる。現在にとりそうした遺物は、不断に消滅するものを時間のうちで明らかなものとさせ、そのことによってほとんど不気味なまでの引力を働かせる。残存物という影の領域は、存立している唯一のものであるようにみえる。しかし、この唯一のものとかかわる場合、それ自体の現在性は見誤れて消失する。

  そのような[過去が過去であることを失ってしまうような]疎外の危険性と出くわすのは、残存物が現在の生に併合される場合のみであり、つまりは記憶や遺跡や証拠を現在の生の連関へと組み入れ、そのようにしてそれらに意味を付与する場合のみである。他ならぬ現在が過去の意味なのである。このことが意識される場合に明らかになることは、単なる残存物の成立もすでに現在のおかげであるということでもある。想起それ自体は現在のものであり、何かが過去の生活の遺跡や証拠として理解される場合、それは[現在のうちで]想起された歴史において基礎づけられている。かくして現在の生は想起のうちで自分自身に戻ってしまっている。また、すべての歴史的意味がどれほど現在の解釈のおかげであるかがはっきりと理解されればされるほど、理解が何かをわかりやすいものとすることとして決定的に生ずれば生ずるほど、理解はますます現在の生を高める可能性として遂行され得る。生は何かをわかりやすいものにする際に自らを形成する。生は自分のそのつどの遂行のパースペクティヴにおいて自ら自身の自由空間を形成する。

  そのような仕方で現在の生が自由空間を獲得する場合、生は同時に歴史の呈示でもあるような呈示として遂行される。歴史として経験されるのは、現在の生の自由空間において統合されていたものである。この呈示においてのみ、時代的なもの一般が存在するのであるが、他方で時代的なものそれ自体は不断に消滅するという性格を有している。逆に、現在の生が行う呈示は端的で無時間的な呈示である。しかしながら、現在の生による呈示はもっぱら生の時代的遂行によって形成され開かれたままである。

  しかしこのことは奇妙な帰結をもたらす。それは〈理解する生に属する呈示は常にすでにわれわれがそこにあり続けるような呈示としては経験され得ないが、さりとて幻想とみなされることはできない〉という帰結である。経験されたものはそれだけで、わかりやすくされたものであり、不断の統合の力動である。ここでは呈示は、絶え間なく呈示するという性格を帯びている。理解の意味はやはり遂行の意味でしかないのだ。しかしこのことによって、わかりやすくするという行為遂行自体が把握できなくなる。すなわち、或るものはどのような連関においてそもそもわかりやすくなるのかがもはや言えなくなるのである。しかし、そのような連関の思想をわれわれは諦めることもできる。というのは、パースペクティヴ統合の解釈学の発想に沿うなら、わかりやすくすることは疎遠なものを自分固有のものへと組み入れ置き換えることとして把握されねばならず、そのさい自分固有であるということは置き換えることそのもの以外ではあり得ないからである。

  ここで作用史の解釈学による校正を考えることはもっともなことである。それは、じっさい作用史の解釈学においては伝統という思想と共に、理解遂行が連関に入り込んでいることが十分はっきりと強調されているからである。伝承が測深不可能である場合にのみ、つまり生起しつつ歴史を呈示することが確実ではあり得ない場合にのみ、〈歴史は理解によってただ描出されるだけの自由空間なのかどうか、もしくはやはり歴史は理解の自由空間においてはじめて接近されるのではなく、理解があってはじめてそれが歴史に自由空間を作ってやるのかどうか〉という問いも未解決なままとなる。作用史の解釈学は伝承の連続性と閉鎖性を信頼せざるを得ないのだから、パースペクティヴ統合の解釈学にとって本質的であるような、完全に別の歴史像を論破することができない。またこれによってパースペクティヴ統合の解釈学も、〈理解は自らの自由空間と取り組むものを完全に自分自身に、また自分固有の遂行に置いている〉という推測を論破していない。まさにこの場合、校正が期待できるのは、理解がどのようにして包括的な呈示に属しながらもこの呈示を連続的な伝承の生起と考えないかを、理解の遂行に即してはっきりさせることができる発想によってのみである。

 

 

[先の二つの解釈学を使用する布置の解釈学]

  自ら生成する布置Konstellationenの解釈学はまさに模範的な仕方でこの条件を満たしている。それは、この解釈学の出発点が〈理解が属している呈示は伝統にとって本質的な連続性が断絶していることによってのみ描出される〉という思想だからである。なるほどこのことは、作用史の解釈学の思想と似ており、その思想によれば、親密的なものがそれ自体で理解され得るためには疎遠なものにならなければならない。とはいえ布置の解釈学において問題なのは、疎遠となってしまったものに即して自分自身の歴史の連関を明白に経験することではない。むしろ[この解釈学においては]理解の突然のひらめきの可能性に即して、ただ単に疎外されているのではない自分固有なものと疎遠なものとが一緒くた属している自由空間の経験なされる。テクストが読解可能なものとして現われ、そのように意味が瞬間のうちに約束する場合、テクストと解釈者は、その両者のどちらにも備わっておらず伝承によって保障されていなかったものが姿を現わす布置のうちに入り込んでいる。テクストがあらたな仕方で示され解釈者があらたな仕方で分節化され得る自由空間が瞬間的に生成する。テクストも解釈者もそのつど別のものによって現われてくる。すなわち、解釈者はテクストの意味の約束に従う場合テクストの作用空間とかかわり合い、

  いまやこの瞬間にその作用空間が解釈者によってのみ可能となるように作用空間を描出する。たしかにこの場合、テクストそのものの可能性が有効なものとなる。しかしそうした可能性が有効となり得るということは、テクストそのものからはもはや理解されない。このことが解釈者に認められ得るのは、解釈者は自らの解釈によってテクストが現われるための自由空間をつくり出すという観点においてのみである。とはいえこのことは、意味の要求と意味の合致という自ら生成する布置に基づいてのみ可能である。解釈しつつ引き出される自由がこの布置によって生成する。

  この発想の出発点は、〈テクストはどの時代においてであれ同じ仕方では理解されず、ある決まった時代には閑却に付されたままであるが、別の時代では有意味なものとして発見される〉という非常に優れて共感可能な観察である。しかしここで決定的な点は、布置において召集されたものの同時代性である。この同時代性によって時代の秩序は失効し、無時間的な呈示が経験可能となる。これが、理解とわかりやすさがなす無時間的な呈示である。この無時間的呈示が解釈学的布置の生成において実際に経験可能となるなら、伝統の連続性を信頼する必要はない。逆に、理解の自由空間はまさに自明なものの乗り越えによって証明される。すでに理解されていたものが理解されるのみならず、伝承されたものがはじめてそのわかりやすさへと救い出される。

  しかしこのことは、伝承されたものを自分固有なものへと置き換えるわかりやすくする行為とも区別される。むしろ、テクストを解釈において描出することは、わかりやすさの呈示に順応することであり、それはある翻訳が別の諸翻訳につけ加わりそれらの諸翻訳が一体となってオリジナルの意味を歴史的・言語的な特殊性から解放するのと同じである。〈このことはいつも特殊なものの多様性のうちでのみ生じ得る〉ということがこの思想の論理となっている。歴史の意味はその解釈の無時間的な呈示である。

  このように布置の解釈学は、先の二つの解釈学の発想の根本洞察を結合し、自らのうちで止揚できているように思える。ここでは、どういった理解も自由空間に属しているということが、解釈者の固有の権利と同様に正確に考慮されている。しかしこのことは明らかに、理解が先の二つの解釈学的企図において生起したような仕方では考慮されない。さて、もしわれわれが何の考えもなく布置の解釈学になおとどまろうとするなら、われわれは歴史的自由のアスペクトを断念せざるを得なくなり、そうした歴史的自由がなければふちの解釈学の本質は把握不可能となってしまうだろう。それは、〈諸伝統が現実的に自由空間として理解可能となり、理解することで描出可能となる〉ということを誰も真剣に論争できると思っていないからである。もし歴史の連続性がなければ、ある文化なり生活形式に属するものとして自らを経験することは不可能である。またこの歴史の連続性に対する信頼が無根拠なものとならないのは、つねにすでに何がどのように理解されているかが理解のうちで経験されている場合だけである。

  いま述べたことと同じように、われわれはパースペクティヴ統合の解釈学を断念することができないだろう。それは、いかに生活形式の連続性が真剣に反論されないとはいえ、他方で理解の自由空間がまずしばしば十分に形成されねばならず、統合する力によって差異化され強化されねばならないということもまた否定してはならないからである。このことが特に当てはまるのは、生活連関そのものが明白なものとされて呈示されるべき場合である。このことは統合の努力なしには達成されない。この努力がなければテクストとその産物は存在せず、布置における理解と同様に作用史の解釈学はこのテクストとその産物に即して自らを確証するのである。

 

[同じ仕方で限界づけられている理解と理性]

  それゆえ理解は、自らのあり方に従って何重もの仕方で言葉にもたらされる。ここにおいても、おそらくもっと言うならもっぱらここにおいて、理解は限界づけられた理性として示される。つまり、限界づけられた理性の複数性は包括的な洞察へと止揚されることはないが、この複数性によって内在的な限界が理性に設定される。その限界とは、理性がある決まった観点では自分自身の手から逃れるのと同様に、経験することによって理性が乗り越えようとすれば乗り越えられるものである。そのさい理性は自らのあり方において限界づけられている。それは、理性が時代と呈示との緊張関係に属しており、この緊張関係は一義的に規定さ得ず、調停され得ず、それゆえに闘争と呼び得るものだからである。この闘争の一つの可能性だけがいつかはっきり現われることができる。しかしこの可能性が現われるときには、それは現実にもはっきりと見てとることができる。かくして理性が限界づけられているということは同時に、その存在と作用の可能性でもあるのである。

 



*1少なくとも本質的には言語的に分節化されない仕方で遂行される理解の形式についての問いは、ここでは不問に付しておくことができる。というのは、実際、言語へと促された哲学の解釈学的転回は論争中だからである。

*2シュライアーマッハーは、自らの解釈学にかんする手記の冒頭ですぐに「理解のわざとしての解釈学は……まだ一般的ではない仕方で」(F・D・E・シュラーアーマッハー『解釈学と批判――シュライアーマッハーの言語哲学テクストの付録つき』、M・フランクによる編集および詳論、フランクフルト・アン・マイン、一九七七年、七五頁)存していると嘆いている。ジャン・グロンダンはその『哲学的解釈学入門』(ダルムシュタット、一九九一年)において、解釈学の一般化がすでにJ・C・ダウエンハウアーにあると見積もっている。とはいえここで重要なのは、グロンダン自身が示しているように、一般的なテクスト学のプログラムであり、まだシュライアーマッハーにおけるような理解の一般的技術論ではない。

*3これにかんしてプログラム的な重要性をもつのは、一九二三年の夏学期からのハイデガーによる講義『オントロギー――事実性の解釈学』(GA, Bd.63)である。

*4ハンス―ゲオルク・ガダマー「テクストと解釈」(全集第二巻収録、チュービンゲン、一九八六年)を参照。テクストをモデルとしそれが文書の形態をとっていることは、皮肉なことにジャック・デリダによっても称揚されている。デリダは、理解されるべき意味の同一性といったようなものを自らの「否定的解釈学」において論難し、そのさい固定化された話の同質性Selbigkeitを引き合いに出す。『グラマトロジーについて』(一九六七年)参照。

*5これにかんしては拙著『自由と闘争の哲学のために――政治学、美学、形而上学』(シュトゥットガルト、一九九四年)を参照。

*6 とはいえ、わたしが以下おもに定位するそのテクストは次に挙げておく。ガダマーは、真理と方法についての主著の第二部で作用史という自らの発想を展開した。『真理と方法――哲学的解釈学の要綱』(全集第一巻、チュービンゲン、一九八六年)における「解釈学的経験の理論の要綱」の章、とりわけ二七〇頁から三一二頁を参照。歴史的理解というニーチェの解釈学関係としては、『反時代的考察』の第二考察「生にとっての歴史の利と欠点」(KSA版)がある。美的なアスペクトを格別に考慮したパースペクティヴの統合についての詳細な解釈を、私は拙著『自由と闘争の哲学のために』(七三頁―九一頁)で提示しておいた。ワルターベンヤミン関連の考察はとりわけ「歴史の概念について」(全集第一巻の2)の諸テーゼと結びついている。その他にもベンヤミン解釈学にとっての鍵となる性格を有しているものとしては「翻訳者の課題」(全集第四巻の1)がある。私の論考「現代性の布置――ワルターベンヤミンの歴史の解釈学」(in: Internationale Zeitschrift für Philosophie. H.1, 1993, S.130-142)を参照。