un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ブルクハルト・リープシュ「証しと自己性 『存在と時間』への返答としての『他者のような自己自身』」

  [以下は Burkhard Liebsch, Bezeugung und Selbstheit. Soi-même comme un autre als Antwort auf Sein und Zeit, in: Andris Breitling u. Stefan Orth u. Birgit Schaaff (Hrsg.), Das herausgeforderte Selbst. Perspektiven auf Paul Ricœurs Ethik, Würzburg 1999. の試訳]

 

I.

  証しBezeugungという概念は、伝統的に真理の法律学的構想の枠組みで考えられている。それに従えば、証しの行為において証言Zeugnisが登場し、証言は真理が未解決となっている案件において、直接に検証可能な手立てがない場合、ある決定を下すにあたって参考にされる。決定は裁判審が下さなければならず、裁判審は、ある者の利益になる仕方で真理の未解決性に自ら巻き込まれることは許されず、その限りで裁判所には証された事柄の真理を何ものにも依存することなく判決することが可能であると思われている。裁判における判例として具体化されるこの裁判審は、その証しの行為において自分が見たり聞いたりしたことを告知する証人たちZeugenを自らの方で可能な限り拠り所とすることになる。もちろん、見たり聞いたりしたことをそのまま示すことは誰にもできない。それゆえに、証言は見たり聞いたりしたことを報告によって、すなわち語られたことによって埋め合わせするのである。しかし、判断されるべき語られたことの真理はしばしば全面的に証人の信頼可能性や誠実性に基づく。この真理の拠り所はたびたび疑わしいものとしても現れることだろう。判決を下さねばならない裁判審は、証言における証しを無効化するものとしてただ語られたことだけを当てにすることができる。このように証言は証しの埋め合わせをし、証しに勝るものとなる。証しを口にする証言は証しにとって代わることもあるし、後になって証しを忘れたままにしておくこともあるだろう。結局、証しがなくとも証言はあらゆる要求を満たしてしまうに違いない。証言者によって認証され陳述される真理として、証言は真理を言うこととしての証しへとことさらに訴求する必要がないことになる。

  こうした着想の応用領域はけっして「法律学」に限られない。[法律学と]同様に、解釈学は裁判所まがいの営みとしてもう長いこと理解されてきた。また現代のヒストーリクは、歴史学における証言の認識論的批判と同じようにこうした着想に貢献してきた。しかしこれに対していまや、ディルタイやヨルクに引き続いてハイデガーが道を開いた解釈学の存在論的転回により、証しの概念は証言概念の歴史学的・法律学的意味から完全に引き剥がされている。ここでは証しの概念は多かれ少なかれ信頼に値する誠実な「真理を語る」証人にのためにあるのではなく、本質的に人間的生が有する生起の様態をことばにする実存論的な何かと関連している。証しの実存論的概念は法律学的ないし歴史学的な意味で、すなわち第三者の関心において呼び求めることができる証人性とは関係がなく、むしろ歴史的に生きている者自身のそのつど私のものであるjemeinig存在と関わっている。ここで言われているのは世界内存在の時間性のことであって、歴史学的時間における日付可能な出来事ではなく、むしろそうした歴史学的時間は証しの解釈学から周到に除外されているので、証言という歴史的概念とのあらゆる結びつきは除去されているかに思えるほどである。ここでは証言なき証しが、すなわち語られたことへの訴求なき証しが考えられており、[逆に]法律学のモデルに従うなら、証言においては証しの意味は本来的に真理を語ることとしてある。こうした証言のあり方に対してハイデガーは、〈証しとはそのつど私のものである実存の真理様態であり、それは論弁的な陳述との一義的な関連を認識させるものではない〉と書き記している。

  確かにリクールは解釈学の伝統に自らを記入してはいるが、その関心は証しを歴史学的時間へと不可避的に外化することに向けられており、そうした疎外のために証しは迂回路によってのみ、つまり理解の歴史的世界を経由する迂回路によってのみその真理へと達せられる。こうした外化は証しそのものの意味と関わっていて、リクールの見るところ証しは歴史の中で見えなくなってしまう〈そのつど私のものであること〉によって基礎づけることがかなわない。ハイデガーが考えているように、陳述されたことに備わる命題論的なロゴスに吸収されない真理が証しの様態で開示されるにせよ、こうした別の「真理」も世界を経由する迂回路をとらなければ、その真理が要求する保証を受けることはできない。こうしたリクールの解釈学的な確信に拠ることで証しattestationの概念は、証言提供という事柄からまったくもって当然と思われるように、証言témoignageの概念を引き寄せる。証しという真理様態において実存している自己だけが証言をもたらすことができるのだが、それは自己がその際に信頼に値し誠実な者として自らでもって賭けるようになされるのである。このように見るなら、証かす行為の表明としての証言は、何かを証すことのできる者の(現在のもしくは過去の)生を暗示な仕方でいつも指し示している。何かが証される際に、真理への固有の義務もいつも証されていないだろうか。しかしここでは、一方で陳述されたこと/証されたことの観点で、また他方で証しする者の自己の観点で同一の意味において真理を問題にすることはできないだろうか。明らかに、語られたこと(証されたこと)の真理という問いはここで自ら証しを要求する自己の「真理」への問いとじかに接しているのだが、それは証されたことが自らの真理を証されたものとしてのみ獲得するからである。それゆえ、一方の証しの存在論という領域と他方の証言を陳述として受け取る証言の認識論は互いに重なり合う。とはいえ両者は合同にはならない。自己の証しは独立の問題を提起する。自己の証しは証言という現象において単独で(また恐らくはけっして優先的に)示される訳ではない[1]。リクール自身はこの関連で優れた現象として約束――そのうちで証された自己が示される――をとりわけ眼目に入れている。それなら他方で、証言の歴史学的な「陳述の価値」は証人の自己へと広範に訴求することがなければ判断され得ないのではないだろうか。この問いに対しどう判断を下すにせよ、証しと証言との二つの領域に何らかの干渉があることは疑いない。この干渉が証言の領域に示されるのは、どの程度、証しが「表出」し歴史的な時間や世界において目に見えるかたちでその姿を現わさねばならないかによる。またこの干渉が証しの領域に示されるのは、証しの廃棄が歴史的な証言において疑われなければならならず、かくして証言が自己のあり方で歴史的に実存している者の先行的な証言提供に差し戻される場合である。二つの領域の区別を考える試みがそのもっともわかりやすい開始点を得るのは、作られるべき真理vérité-à-faireを真と認めるという意味で証されたものが歴史学的な真理とも真理をもたらす自己とも関わる場において、つまり真理が容易ならぬ自己―証し以外に支えを持たない場においてである[2]。以下の考察は、『存在と時間』と『他者のような自己自身』を視野に入れつつ、リクールによるハイデガーへの返答において拓かれた証しと証言との再接近の可能性を再構築するものである。この可能性を詳細に練り上げようとするなら、明らかにこの場で主張可能と思われる以上に詳しく説明しなければならないだろう。リクールの批判は、ハイデガーにおける真理と証しとの連関から発して、他者へと広範に訴求することがなければ構想されない証しの概念に基づいて語られる。証しと証言の関係に関するいくつかのより詳細な考察はこのリクールの証しの概念に連接するものである。

 

Ⅱ.

  真理の「本質」は存在するものとの対応であり、また/もしくは真理において「存在する」ものを言い表す人間的和合である。フッサールが『論理学研究』においてまだ前提としているように、こうしたわかりやすい仕方で真理の伝統的把握はずっと登場してきた。その最大公約数は、判断が真理の場所であるという推定のうちに見てとることができる。したがって、真理はただ単に物や事象のうちにあるのではなく、むしろ物や事象を真とみなすようにしている陳述のうちにある。真なる判断に支えられているという認識が初めて事柄をそれがある通りに「与える」。判断は自らに先行する真理を事後的に指し示すが、それは「先行する」真理が真理を初めて真と認めさせる事後的な判断なくしては無であるように示すのである。「ニュートンの法則が発見される以前は、その法則は〈真〉ではなかった」。およそこのことは、「ニュートンの法則を暴露的に示す存在物はかつて存在しなかった」ということを意味するのではない。むしろこの法則がニュートンによって真となったのは、「かつてすでにあった」存在物がニュートンの法則と共にこの存在物として暴露され得たという意味においてである[SZ.226f.]。「かくして暴露することは〈真理〉の存在様式である。しかし今や真理の存在様式という論題は、充足adaequatioや対応correspondentiaや一致convenientiaといった概念に代表される伝統的な真理了解と遭遇するのだが、それはこの真理了解が真理の場所を分割するからである。判断における真理の場所は、「真理の根源的現象」からの明確に派生したものとして特徴づけられる[SZ.214,フロイト論』25]。この真理の根源的現象は[そのように派生したものとは]別の場所で示されるのだが、それはおよそ実際の対象に即してでも判断遂行(ノエシス)においてでもない。ノエシスにおいては、推測される通り、「存在論的に不明確なままに現実的なものと観念的なものとを分離すること」になお傾倒する限りで、対象についての判断の内実(ノエマ)がもたらされる。ハイデガーは、「陳述することは……存在するものそのものとかかわる存在である」ということを示唆する中でこの分離と出くわすことになる。陳述において意味されている存在者は知覚に対して自らを示し、「自分自身に即して存在している通りに自らを示すのであって、言い換えれば、その存在者は存在しつつあるがままに自分がその陳述において提示され暴露されている通りに、自同性において存在しているのである。(中略)証示されているのは、ただただ存在者自身が暴露されているということだけであり、自分がどのように暴露されているのかを示されたその存在者だけなのである。その存在者が暴露されていることは、その陳述されたもの、すなわちその存在そのものが当の他ならぬそのものとして自らを示すという点で確証される。確証Bewährungとは、存在者が自同性において自らを示すということを意味する。確証は、存在者が自らを示すことを根拠として遂行されるわけである。このことは、陳述しつつ自らを確証する認識作用が、その存在論的な意味から言って、実在的な存在者自身へとかかわる暴露しつつある存在の一つであるというふうにしか可能ではない」[SZ.218]。しかし存在者の暴露はすでに陳述以前に「あるes gibt」。陳述や判断は、存在者が前もって暴露されてあることという基盤に基づいてのみ可能なのである。他方、暴露されてあることは暴露しつつある世界内存在自身に支えられている。

  かくして、真であることの根源的な現象として、肯定作用や否定作用のあらゆる批判的区別に先立つ真理存在Wahrseinが明らかとなる。そもそもあるものが真か偽か判断される以前に、その当のものは判断されるべきものとして開示されていなければならない。こうした思考の進め方は、チューゲンハットが[誤って]主張したように、不可避的に「批判的意識という理念の放棄」とはならない。明らかにハイデガーは真理の考え方の伝統をふるい落とそうとして論じているのではなく、それを「根源的に自らのものとする」ことを論じている。何を真とみなしたり偽とみなしたりするべきかという問いは、昔から批判的判断の要件であり続けている[SZ.223]。ところが批判的判断そのものは、開示性のうちに根づいているものとして了解されることになる。真理存在が直ちに批判的判断を無効化する、世界内存在の特権的「真理」への通路として記述された訳ではなかったにもかかわらず、『存在と時間』において幾度となく登場する開示性と「根源的な真理存在」との等置は、チューゲンハットの批判において指摘されているように確かに誤解を抱かせてきた。事後的な批判的距離化によっても真理への通路だけは、開示性がそうした通路を開いてやっているのと同様に、根源的で遡行不可能なものである。こうした意味でのみ世界内存在は「真」である。すなわち、世界内存在はそれが真なるものを「与える」[真あるものがある]ことへの通路を開くのだが、それはそもそも何が真であって何がそうでないのか不確かであると初めから疑りながらなされるのである。それゆえに現存在は「真理と不真理のうちで等根源的である」[SZ.223,222,298]。すでに『存在と時間』において幾度となく繰り返されてはいるが、常に読み過ごされてきたこの発言に注目すれば、〈「開示されたもの」の根源的な真理連関としての真理存在は、考えられ得る限りの批判から独立した特権的な真理を意味できる〉という誤解を排除するに違いない。批判的に判断されるべき真理の前に、可能的な真理への通路がある。もはやこうした通路としては、先の伝統的な真理概念の意味で真もしくは偽と判断されることはない。いやむしろ、そもそもそうした通路があって初めて真なる判断や陳述の可能性が「与える」もしくは「開く」のである。「批判以前」の真なるものがすでに有する「可能性」は、世界内存在それ自身と同等ではない。むしろそもそも世界内存在が実存するのは、ただ真なるものがあるからに他ならない。ここに「自己の真理」すなわち「そのつど私固有のものであること」が存する。世界内存在は常に「そのつど私のもの」であり、他者の死や生を「肩代わりする」者などいないというところに存している。なるほど他者を代表し、その者のために行為したり賛成したりすることで、その者にとって代わることもできるかもしれない。しかし『存在と時間』に従うなら、とって代わる実存など存在しないのである。自らの存在においてこの存在自体(もしくは存在自体)が問題となる存在としての実存の存在論的規定は、〈そのつど私のものである存在にはその真理のうちにある「固有」の存在が問題となる〉と述べている。たしかにここではもはや陳述や判断の真理は考えられていない。しかしながらこの箇所でもハイデガーは、批判を無効化しあらゆる陳述に依存しない「真理」を際立たせようとしているのではない。つまりここでもわれわれは先の等根源性から出発しなければならないのである。自己は真理と非真理のうちに当根源的に実存している。しかしまさしくそれゆえに、自己はあらゆる批判的自己―判断の前にすでに真理連関のうちにある。だが自己が自らを批判的に判断したり罰したりする以前に、真理は自己に先立って「あるes gibt」。この「ある」が自己による批判的問いかけのための遊動空間を開く。そうした遊動空間によって[問いかけの]応答が可能となるが、また具体的にあらかじめ示されている訳ではない。この遊動空間を整除する応答は、「存在es gibt」している真理が「現存在自身の存在の仕方ないし存在の意味」を有していることをもっぱら前提としている[SZ.228]

 

Ⅲ.

 こうした関連においても、真理の概念は二義的なものとして現れる。まず真なるものが「ありes gibt」、われわれはそこへの通路を有している。しかしこうした通路そのものの存在様式においてもやはり真理が問題となる。ここに来ていまや真理は世界内存在のテロス(~を目指して)である。しかし仮に真理がそのようなものとして過剰なものであるなら、真理はどのみち常にすでに開かれている真理連関と重なり合う。世界内存在にとって問題となる真理は真理連関の不確かな薄暗がりZwielichkeitの中にあって、そのつど欺きもするかもしれないような真理ではあり得ない。ハイデガーは世界内存在の目的das Umwillenとしての真理を「もっとも自分固有」の存在可能性へと完全に引き戻し、この存在可能性を他者とはまったく関わりをもたぬものと書き記している[3]。最も自分固有の存在可能性への後退は、そのつど私のものである死の表向きの非交渉性に照らされて孤立化する[SZ.263]。こうした孤立化によって、もしもっとも自分固有の存在可能性が問題となるなら、日常的な配慮的気遣いのもとにあるすべての存在も他者と共にある各々の共存在も機能しなくなることが明らかとなる。ここでは世界内存在の真理として妥当するのはもはや先の本源的な世界連関ではなく、こうした世界連関にははじめて獲得されるに違いないような本来的な何かである。「自分の存在のうちで自分固有のものとしてのこの存在が問題となる現存在はそのつど私自身である」[SZ.231]。そのつど私のものである存在において、本来的な存在可能性は可能なものとして告知さるのみならず、要求されたものとしても経験される。本来的な存在可能性ということによっていまや真理の規範的概念が明らかに関与するようになってくるが、そうした概念はただ証され得るだけで証明され得るものではない[SZ.267]。規範的な真理は、「本来的な自己の存在可能性」の可能性を証しする形式において了解される。要求されたものに照らされて自らを了解せねばならない自己は、事物的なものでも「自同的なものSelbiges」でもなく、むしろ現存在が自分自身に要求する課された何かである。こうした「要求」の地平のうちで実存することは自己存在の特定の真理様態である。自己は同一的な事物の自同性のように「存在している」のではない。自己はむしろ自らのうちで「本来的な自己存在」を活発に要求することで息つく暇もなく生起するのであり、自己自身は自らのうちでこの要求を証す。現存在の誰であるかに対する問いの応答としての自己は、自己が自分自身に要請し自分の真理を初めて保証してくれる要求された証しの圧力の下でのみ実存している。[ここで]先の真理概念の二義性が改めて示される。

  自己は、自らに可能的な真理の本源的な通路が開かれている限りで、「真理のうちに」存在している。しかしこの通路は初めから非真理から区別されてはいない真理の薄暗がりのうちにのみある。[だが]まさにそれゆえに自己は真理を求めるのである。それはとりわけ自己が「薄暗がり」の真理連関うちには生じない真理を目的論的に目指して実存しているからでもある。『存在と時間』においてこの〈~を目指して〉は、一方で現存在の生起そのものに内在する意味として、他方で現存在の生起に対し異質な仕方で外的根源から課せられる規範として記述されている。現存在は自己―証しを渇望するものとして生起する。「現存在は可能性に基づいてそのつどすでに存在する自己の存在可能性の証しを求める」[SZ.268]。このことは良心の声に従って示される。もっとも『存在と時間』におけるその現象学的解明は反論の余地あるものとして証示され、幾たびも批判を集めてきたものではあるが。

  まず良心は理解すべきものを与える。語りの様態のうちで良心の「呼び声」は自己の存在可能性に「聞き間違えることなく」自らの可能な真理を思い出させるのだが、それにもかかわらずまったく何の知らせもないだけではない[SZ.271]。良心の呼び声は「声」に留まるだけでなく、何の内容もないのだ。「良心は呼びかけられている者に何を呼び伝えるのだろうか。厳密に言えば、何も呼び伝えはしない。呼び声は何も陳述しないし、世界の事件についていかなる情報をも与えないし、物語るべき何ごとをも持ってはいない。呼び声は呼びかけられた自己のうちに何らかの「自己対話」を開始させようとはいささかも務めない。呼びかけられた自己には「何ごとも」呼び伝えられてい「ない」のであって、呼びかけられた自己は自分自身へと[すなわち自分のもっとも固有の存在し得ることへと]呼び覚まされている」[SZ.273]。このように良心の声は、たとえそれがどのようなものになろうとも、ただ「自分のもっとも固有の存在し得ること」の可能性だけを思い出させる。声がどこから来るのかは不明なままで、よそよそしいものであり続ける。「呼び声は私の中からやってくるのだが、しかもそれでいて私の上へと襲ってくる。この現象的実情は、良心解釈の際に取り除かれることはできない。それだからこそこの実情を発端として、これまで良心の声は、現存在の中に突き入ってくる見知らぬ力として解釈されてきたのである」[SZ.275][4]。われわれは良心の声の「主体」の名や来歴についての問いに答えることができない[5]。良心の「異質」な声の根源は信頼されぬままであり、その異質性が「自らのうちにある」ことで不気味でありつづける。しかし声が呼び伝えられるものを射当てる「冷徹な確実性」は、「そうした不気味さのうちで自ら孤立化した現存在は自分自身であるがゆえに絶対に取り違えられない」というところに基づいている。かくして自己の証しにとって要求される良心の現象学は、現存在の独白的孤独の道を歩む。自己は(明白に自称する通り)自分自身へと委ねてしまうという「無交渉性」へと横滑りすらしてゆく[SZ.277,280]

  現存在が誰であるかへの問いに応答する真理様態としての自己―証しは――この問い自体は真先に現存在の念頭に浮かびはするものの――、そもそも「他者との共存在」に関連づけられる意味をもはやもち得ない[SZ.283][一般に]誰であるかの問いはまず他者の方からわれわれに立てられるのであるが、このことは〈「もっとも固有」なものとしての自己を問うことができるよりも前に、われわれは他者から自分に与えられる異質な名前[名づけによる名]の下でいつも自分自身を見知っており、この名前が誰であるかの問いに答えてくれる〉ことのうちに示されている。すでに名をもっている者だけが、自らの「自己同一性」の背景を自己性の意味で問うことができる。誰であるかの問いを自らに立てる者なら誰でも、いわゆる一時的なやり方でこの問いが常にすでに他者によって(たとえ最終的にではないにしろ)答えられていることに気づいている。しかしながらハイデガーは、もはや当人以外の誰によっても自己の真理様態としての証しとことさらに「関わる」ことがないかのように、現存在の誰であるかとしての自己への問いの「社会的」交渉性を消滅させている。実存論的なものとして定式化された良心は、何の内実もなしに機能する。また誰であるかが示されることになる良心の真理様態としての証しは「脱社会化」されて余すところなく現れるのだが、それはいまや証しがそのつど私のものである現存在自身の他にもはや別の受取人を持たないからである[6]。証しの概念は――そこで証されたものがどのようなものであろうとも――、「もっとも固有の存在可能性を存在しつつ証すこと」という存在論的ないし実存論的な真理を特徴づけている。現存在は「[良心の]呼び声のうちで自らのもっとも固有の存在可能性を了解させる」。なるほど沈黙しつつ了解させようとする者なら、言うべきことを明確にもっていなければならない。しかし良心の「言うこと」は言われたことをもたない。それは声高にならないのみならず、無言の中で「何も」「言い」放つことはない[SZ.295f.]。そういう訳で、真なるものと真でないものもしくは非―真なものとの等根源的な関係を含意している、真理ないし真理連関の実存論的概念は、他者に対しても言われたものとして見聞き可能とならねばならない証言との連関をまったく欠いているのである。

  このように素描された前提のもとで、『存在と時間』における証しの概念は自己―存在の何かしらの下部構造を実存論的ないし構造的に解明する枠組みのうちにその場を得ている。自己―存在は証し(a)を求めている、すなわち自己―存在は証しを渇望するものとして生起し、自己―証し(b)を目指すものとして生起する。他方、自己―証しは、要求されるものとして経験される「もっとも本来的な存在可能性」の証し(c)で「測ら」れる。その際、証されたものとしての自己が答えとなるべき誰であるかへの問いがどこから来たかは未解明のままである。明らかにハイデガーは、自己―存在の生起がこの答えそのものを――もっとも本来的な存在可能性が要求される証しの圧力の下で――求めることから出発している。このように見るなら、自己への問いは自己にとって自己自身から明らかとなり、良心のそれ自体動機づけられていない「実存論的な事実」とは別の「動機」をまったくもたない。

 

Ⅳ.

   さて、リクールは、良心の声による呼び声もしくは呼びかけられていることにいかなる倫理的特異性も認めないこうした現象学に対し、良心を広範に脱道徳化するものであると批判する[7]。『存在と時間』において良心の問題は、存在可能性の現象学のうちにすべて吸収されてしまう訳ではない。『存在と時間』における良心の分析は、存在可能性の分析に対し、内的な異質性である不気味さの道を付け加えるにすぎない。もちろんこの異質性の存在論的な記述によっては、どのような途も倫理へと戻ることはない[SaA.419f.]。証しとして了解されたり、証しそのものによって初めて要求されるものとしても考えられたりする良心は、明らかに開示性や非秘匿性という意味での真理の問題系のうちに完全に組み入れられている。このようにして「現存在の本来的な真理が獲得」[SZ.297]される。しかしそうした現存在の本来的真理は他者のあらゆる要求やあらゆる本来的な道徳規定から切り離されているので、リクールはこれに対して「決意性も呼び声――決意性がこの呼び声への応答となるように思える――と同様に未規定のままにとどまっている」[SaA.420]と注記している。しかしながら、存在可能性の「もっとも固有のもの」へと後退してゆく中で真先に著しく排除される〈他者との関連〉は、良心の内的異質性のうちでは間接的なものに留まってしまうため、しっかりと戻ってこないのではないか。良心の声は、良心の脱道徳化が考慮していない他者による〈命令されている存在〉を本当に示唆していないのだろうか。リクールはこうした解釈に加え、両親や祖先の人物像と堆積的、忘却的、抑圧的に同一化するものへと道徳的良心を発生論的に還元する心理学者たちの考古学によって力づけられる。「精神分析は…、多くの民間信仰と合流する。その信仰によると、祖先の声は生者の間で聞こえつづけ、それによって知恵の伝達だけでなく、あらゆる段階で知恵の個人的受容を確実にしてくれるというのである。世代的と言えるこの次元は、命令の現象の[ましてや責めの現象の]明白な構成要素である」[SA.407;434-5]。もちろん、[祖先との]同一化という経験的な現象へとこのように訴求することは、同一化自体の超越論的なものとして「命令の仕方で言及されることに適していること」が前提とされていることを要求する。自己は受容的で応答的な構造をもつものとして根源的に了解されねばならならず、その構造は他者――その痕跡は自己のうちに沈殿している――に直面してもともと感受的で呼びかけ可能なものとして示される。この他者の痕跡は失われて過去のものとなり、名を喪失する。「祖先という人物像は、よく知られている、あるいは知られていない両親像をこえて限りない退行の運動を開始させ、その運動において〈他者〉は最初にもっていたと推定される親密さを徐々に――世代から世代へと!――失ってゆく。祖先は、それが神話や礼拝式に取り囲まれていることが確証してくれるように、表象の体制から外れてゆく。独自の種類の敬虔がこうして死者を結合する。この敬虔さは、結局われわれもそこに入り込む循環を反映している。祖先はどこからその声の権威を引き出すか。祖先と同じように大昔の〈律法〉と共に特権的とみなされるその絆から以外にはないではないか。こうして〈他者〉の世代的な人物像である祖先を介して、命令はそれ自身にも先行する」[SA.408;435]。その名によって知られる他者の堆積した痕跡は名もなき他者の痕跡とより合わされたり混合されたりし、良心の他性Andersheitのうちに混じり合ってしまっているので、「命令の源泉」である他者は私がその顔を直視したりかの者の目の中に私が存在したりするような他者なのか、それとも私がそのイメージをまったく抱くことができないような自分の祖先もしくは「先行する」他者なのかどうかについてわれわれはそのつどほとんど知ることがないほどである。リクールは他者の身分におけるこの曖昧さを解消できるとは思っていない[SaA.424ff.]。それにもかかわらずリクールは、良心の内的な他性とその根源の内的異質性が、ハイデガーとは逆に他者への応答的な関係の意味で了解可能であり、この関係のうちで自己―証しが生じるという態度をとっている。こうした理解の仕方は、その説明に従うならハイデガーレヴィナスに逆行するものである。良心においては、内的な自己―異質性のうちに根づく道徳的に他者から命令されている存在が示され、この命令されている存在はひとえに重要とされる「もっとも固有の存在可能性」という意味のうちでは考えられることができない。だがこのことは、もし良心の現象に基づいている自己の他性が他者の絶対的外部性に還元されるべきではないのなら、命令されている存在を考慮に入れることが同時に他者への応答として考えねばならないことを意味する。そうした応答において自己の証しは、他者に応答することとして生起する。「他者による命令が自己の証しと連帯していなければ、応答者として向かい合う命令されている存在が存在しないために、命令はその命令としての性格を失ってしまう。この自己触発の次元を排除してしまうと、極端な場合、良心というメタカテゴリーを蛇足的なものにしてしまい、他人のカテゴリーだけで足りるのである。M・ハイデガーに対して私は、証しは根源的には命令であり、さもないと証しはその倫理的もしくは道徳的な意味を一切失ってしまうと反論した。E・レヴィナスに対しては、命令は根源的に証しであり、さもないと命令は受け取られず、自己は命令される存在として触発されないだろう、と反論しよう」[SA.409;436]。こうした理由でリクールは、自己の証しと他者からの命令との「深い一致」という自らの確信状態を明確に言い表し、この一致によってリクールは証しという仕方で「応答する自己」について語るのである[SaA.426,35,37]

  応答する自己が証すのは、自己がその応答を向けるところのものである[8]。しかし自己はまた同時に、自分が応答することによって、他者に対して道徳的に語りかける存在としても自らを証す。自己―証しという概念は、表面と裏面のように互いに関わりあう[自己と他者の]これら両側面を有しているように思われる。証しが生起するのは自己によってであるが、それが証すのは自己である。証しは自己がその応答を要求される〈向かう先Worauf〉を証すと同時に、自己を証しするものとして表明する。このように証しする自己の証しは、一方で応答として了解される証しの〈向かう先〉として証されるべき者と、他方で証された自己との間の中間の位置を占める[9]。その際、証しを呼び出す連結するものとしての良心は、先の明らかに除去され得ない二義性を課されたままである。良心は自己の内的な他性を表明し、この他性は、自らが他者の他者性Anderheitと真正に倫理的な「命令」の源泉としての他人の他者性を共に代表しているかどうかの問いを提起する。こうした二義性は、良心を他者の他性へと切り詰めることによって世界から生み出されるのでもなく、また〈自己は根本的に証しという仕方で自分自身にのみ応答する、ないしは自分自身に内在し、どのみち必ずしも一義的に他者へと返還できない他性にのみ応答する〉と説明されるようにして生み出されるものでもない。リクールが良心―現象そのものの本質的両義性に帰すこの[呼び声の自己―異質性と他者の命令としての他性という]二義性こそが、実存論的な存在論を自己―存在の意味への倫理的問いへと拓く。この自己―存在はただ単に、自ら存在において「もっとも固有」のものとしてのこの自己が問題となるような存在にすぎないのだろうか。この自己―存在は、内的な自己―異質性に従って応答するものと了解されるべきである限り、自らの応答可能性――そこでは固有なものがそもそも異質性によって初めて固有なものとなる――を目指して生起するのだろうか。ここで先の二義性が改めて生じてくるのではないだろうか。つまり、内的な自己―異質性は他者の痕跡へと至るだろうか[10]。応答としての良心を了解させてくれる他者の他性は、この自己の異質性の「基盤」であるにすぎないのだろうか。良心は固有なものへの探求を始めから駆り立てている異質なものでないかどうかというリクールが一通り提起した問い[SaA.389]をこのように了解しなければならないだろうか。かくして、自己への問いもまた誰であるかの問いの応答として改めて提起されねばならないのだろうか。

 

Ⅴ.

   『存在と時間』と比べ『他者のような自己自身』では、先に素描されたその異端[的解釈]にもかかわらず、現存在の誰であるかへのこの問いがいまなお[両著に]共通の分岐点とされている。リクールは、〈現存在は誰への問いへの応答を目指して生起し、この応答は懐疑というデカルト的な道や確実性の探求によってけっしてはっきりと認められない〉と仮定しているように思える。コギトの確実性はいま存在する私の痕跡にのみ、つまりデカルトが語っているように「思考する何か」にのみ至る。しかしこの確実性は、われわれがどのように存在しているかを説明してくれることをかつて約束したことがない。「[しかし自己の身体につながるあらゆる時間的・空間的目じるしから離れて、このように漂流するこの懐疑する「私」とは一体誰なのか。]方法序説』の自伝的な主体――『省察』の冒頭にはまだ痕跡が残っている――からは、この懐疑を導き、コギトの中に自分を反映させている「私」は移動してしまっており、その私は懐疑とまったく同様に、形而上学的で誇張法的である。つまり懐疑自体は、その全内容に対して形而上学的で、誇張法的なのである。そういう私は、実を言えば、誰でもない」[SaA.7-8.フロイト論』51頁も参照]。しかし今や誰であるかの問いは、誰を問うことの看過できない歴史的偶然性ゆえに急速にその輪郭を失わんとしている[SaA.30,33]。われわれは自らの歴史的な時間の地平内で、そのつどまったく異なった観点において、誰が行為するのか、誰に責任があるのか、誰が語るのか、誰が本当に、すなわち「真理において」何某であるのかと問う。これらの問いのうちで何がそもそも問題となっているのか。これらの問いは、問われているものもしくは問いかけられているものの共通の名をもっているのだろうか。またそのつど問われているものは、一貫して同じ仕方で真理の問いを提起しているのだろうか。デカルト的コギトという手本は、リクールの確信に従うならこの連関においてわれわれを確実に誤謬へと導く。それは「知が究極妥当的で自分自身を基礎づける知として了解される限り、証しは根本的にエピステーメーや知の概念と対立する」からである。さらに言えば、証されたものとしての自己はけっして必当然的に確実たり得ないのである。自己は信じることや信頼することの対象でのみあり得る。ここに来て証しは、信じられている証人の言葉としての証言と近接するものとなる。自己に関して世界を経由して迂回する必要のないような自己―確実性など存在し得す、この世界のうちで人間が多かれ少なかれ強い不信に出くわしても何ら不思議ではない。反省の途で獲得できる誰の問いへの応答を探求するなかで自己がどうしても自ら「外化」せざるを得ない限り、不信へのきっかけを与える世界は自己の存在に対する放棄不可能な抵抗である[11]。自己が自我egoでないのは、世界や他者や自らの身体の方から自分に降りかかってくるものを通過してのみまさに自己は自分を知り得るからである[SaA.395]。また他者にとって自己は、それがどれだけ間接的に自らを示しているかのうちにおいてのみ知られるようになる。人は自己を信じ、何某が誰であるかを信じており、とりわけ実践によって、例えば約束の遵守によって正当化される信頼可能性に従って信頼貸しという相応の「信用」を供与している。そもそもあらゆる自己への信用は懐疑に晒されることになるが、そうした懐疑に対して、われわれが何者であるか(何者でないか)をわれわれに「はっきりと」語ってくれるような自己―確実性へと逃避することはできない。そもそも、再度同定可能な事物の単なる自同性という実在論的な存在論の枠組みのうちでも提起できるような何がへの問いに対して、誰がの問いの特殊性を維持可能とすることは、証しのリスクに関わらざるを得なくなる。つまりいかなる究極妥当的な答えも見出されないという危険に関わらざるを得なくなる。誰がの問いを変更可能な仕方で存続させることは、いかんともしがたい「答えの不在」によって必ずしも保証されないだろうか。この答えの不在は必ずしも「証しの難攻不落の避難所」ないしはその不可欠性の避難所として証示されないのではないだろうか[SaA.34]。しかしなぜ誰がへの問いは、確実性や保証や絶対的な信頼可能性をすべて欠いているために容易ならざるものではあるがなお考えられ得る答えと同様に不可欠なものとして証示されるのだろうか。また誰がへの問いのうちで問われている「存在」とはそもそもどのようなものなのであろうか。

  いずれにせよ、ある判断において自らの自同性のうちで陳述され得るような自同的なものなど存在しない(上記参照)[12]。なるほどリクールは、「言語は少なくとも見かけだけは最低限の指示を行っている使用形態において…常にすでに存在を陳述している」という自らの根本的確信にのっとりながら、証しが自己の「真理存在」を陳述することについて語っている[SaA.364]。しかしながらリクールは、アリストテレスの存在論を現象学的に再解釈する可能性に関する自らの熟慮において、自己を生起としてないしはそもそも「固定化」され得ない「働いている存在Am-Werk-sein, être-en-œuvre」として記している[13]。「働いて」いるように存在する自己は、本質的に実践的な生起である。自己は徹頭徹尾、行為することである[14]。しかし行為することとして自己は行為されたもののうちに尽きてしまう訳ではない。リクールは実践的な自己をむしろ、通常は(行為の結果としての)「行いHandlung」として了解されているものの時熟の絶えざる生起として了解している。それにもかかわらず、自己への問いとしての誰がへの問いは、この生起が外化される世界を経由して迂回する道をとらねばならない。反省による直接的な道は、リクールの変わることのない確信によればわれわれに開かれていない。したがって、誰の問いが世界というこの迂回路を経てのみ何らかの応答を見出す限り、「世界の存在は自己の存在にとって変更不可能な相関項である。世界のうちで自らを見出し、また世界のうちで行為する自己なくして世界は存在せず、何らかの仕方で実践可能な[実践的に関わり得る]世界なくして自己は存在しない」[SaA.375][15]。これによって自己への問いは、『他者のような自己自身』が直面していると考えるあらゆる問題に晒されると誤解される。われわれは問いつつ「世界の存在」と関連しているのだが、このことを刻印している存在論的な何がの問いは、誰がの問いに今にもとって代わらんとし、この問いを今にも消滅させようとするので、自己は世界へと外化されながら対象のようにみなされ、この対象は実存論的な存在論へと現象学によってわざわざ訴求することを余計なことと思わせるほどである。しかし実存論的な存在論へのこうした訴求は、自己の存在への問いないし自己の「実存」の真理様態への問いに対して、自己が対象の類へと還元不可能性であることと同様に誰の問いが存在論的に特殊でなものであることを考慮するように強いる所見をもたらす。自己の真理はただ証され得るだけであり、原則的に「固定化可能」な事象の真理と同等ではない。たしかに証しは世界を経由する迂回路をとらねばならない。しかしわれわれは〈自己はそのつど「見ることのできる[ほど明白な]」証言に吸収される〉ということから出発することはできない。

  誰がへの問いによってイメージすることのできるあらゆる内実ある応答は、いわば一時的なものであり続けねばならないことを余儀なくされる。たとえば誰かが自らの約束を守り、それゆえに約束を守る当人が信頼に値すると思われる限り、その者を「頼りに」できることで自らの言葉を「証明する」なら、彼の言葉どおりその自己が、すなわち自同性に切り詰められない自己同一性がわれわれに示される。われわれが何者であるかということは、いかにわれわれが与えられた約束を守るかにおいて示される。すなわちそれは過去、現在、未来の倫理的結合において示されるのであって、この結合はわれわれと他者を結びつけ、われわれの自己と同程度に他者を証す。ここにおいて、自己の「不変性」は何らかの仕方で変更可能性を含みもっており、明らかに卓越した対話的で歴史的な構造を有している。しかし、この不変性はまさに不変の存続もしくは時間のうちで一定の存続という意味で解されるべきではない自己―不断性Selbst-Ständigkeitに存在論的に支えられている。こうした見方のうちでリクールは『存在と時間』の議論を追跡する。信頼に値するか、信用するに足るか、もしくは誠実である自己の「不断性」は、たとえ自己が自分自身を示すことによってのみ自らの真理を獲得するとしても、時間のうちでいわば取り押さえられるものではない。なされた約束の信頼可能性、信用可能性もしくはまた誠実性という意味での自己―不断性は他者に直面することで証示され、他者はこの自己―不断性を頼りとしまた「当てにしている」。なるほど、この自己―不断性を証示してくれるものは何もないし、いわば自己の「忠実さ」の意味で将来的にもこの自己―不断性を当てにすることができるとわれわれに保証してくれるものは何もない。守られた約束と信頼性によって信用は得られるのであり、信用に「値する」ようになる。しかし、このことを「最終審」において正当化するものはない。他者は自己を信頼する以外にないし、なされた約束を信用する以外にない。自己が認められるか否かは自らの信用可能性にかかっており、その信頼可能性には常に疑惑にさいなまれている。[とはいえ]疑惑は単に証しの対立物にすぎぬものではない。疑惑は「証しへの道であり、証しに通じる通路である」。何が証されているのか、すなわち証されたものは自己である。むしろ自己―存在が生起するその仕方であると言った方がいいかもしれない。しかしこの自己―存在はいかなる命題論的な明証性や確実性によっても検証可能ではない。むしろ、証しの構造に訴求することが不可欠であるのは、まさに自己の「存在」が保証されて知られ得る訳ではないからである[SaA.365,33f]。証しと自己は保証や確実性を欠いている。このことから自己の特別な傷つきやすさが説明される。自己は自己―確実性のけっして廃棄できない欠乏を知っており、自らが他者の信頼や信用を頼みとする存在であることをはっきり認識している。自己は、自らの存在への努力が究極的な自己―基礎づけにおいてその頂点を迎えることはないと知っている。自己は自らに十分な根拠がないことに気づいている[16]。しかし他者の信頼もそうした自己の根拠を「与え」ない。不信や疑念がどんな場合でも払拭されているような絶対的信頼など存在しない。同様に、絶対的に信頼に値する証しも存在し得ない。いかなる類の証しも一定度の不信を許容している。不信に対して、信頼するに値する証し以外に別の手段はない。まさに、自らを自己として信頼に値するよう証示する課題はけっして終わることがないのである。信頼され信用するに足り得る存在として自己を自らに対しても、また他者に対しても「確定する」者などいない。自分の目の前に控えている者が誰であるかを何ものにも左右されない仕方で判断することを可能にしてくれるような客観的カテゴリーは、われわれの自由になるものではない[SaA.92,109,160]。究極的な疑念を払拭できる証しなど存在しない。そうした証しが存在しないのは、証されたものがただ「さしあたって」の間だけ「妥当する」からでもある。自己のいわゆる「忠実さ」は、いつも新たにそれ自体として証示されざるを得ない。明らかにここで問われている自己の真理は、検証が可能であるような類のものではない。検証可能性を問うことは、すでに自己の真理様態の特殊性を誤認している。証しと証されたものは、「視覚が真や偽と見なすことのできる陳述のうちで表明される限り」、そうした視覚の目をすり抜ける。「自己の真理」の諸側面としての誠実性も、信用可能性も、信頼可能性も、認識と対象との合致が可能であるという意味での真理と了解されることはできない[SaA.92f.]。その限り、われわれは自己の真理存在は陳述可能なものではないと述べなければならない[17]。自己の真理存在は何らかの仕方で歴史的に把握されるだけではなく、また常に新たに延長される未来の保証の下に置かれて、そのまま固定化してしまうのを免れるだけではない。自己の真理存在はまた、人が判断することのできる事象の真理存在とはまったく別の類のものでもある。自らの実存の真理、実践的な生起の真理としての自己の真理存在は認識され得るものではない[18]。自己の真理存在は認識の対象ではなく、信念の[信用することの]対象である。だが、それは確認されていない推測という意味での単なるドクサ的信念の対象ではなく、誰かを信じるという意味での信念である。

  自らのそうした真理が他者の信用することに依存していると理解している自己を、われわれはそれにふさわしく触発可能なものと見なさねばならない。そうした自己は自足的な自己―確実性を断念せざるを得ないために、ルソーからサルトル(「地獄とは他人である」)に至るまで記述されてきたようなあらゆる劇的な結果を伴いながら、他者の判断に全面的に引き渡されている。自己は、場合によっては徹底的に自らに逆行する結果に導かれてのみ自らの真理を獲得することがその関心事となるように把握されねばならない。これは、自己の真理がいまや他人にとってのみ自由になるということではない。まさに自己は外化という茨の道を進まねばならないのである。「自己の忠実さ」はこの外化に関与する場合にのみ、徹底的な脱道徳化から守られることができる。しかし今やこの道は、社会における自己の物象化へと強制的に導くことにならないだろうか。自己は、他者にとって認識可能な仕方でどれだけ自らが信頼に足り、信用するに値し、また信頼するに値するかに基づいて静態的な性格へと切り詰められはしないだろうか。リクールはハイデガーと共に自己の認識不可能で陳述不可能な生起を思い出すことによって、自己をこうした物象化や切り詰めの危機から守っている。なるほど、自己―証しの形式としての約束という事例が優れて示している通り、なされた約束の履行ないしは遵守が判断可能となる自己は公共的な時間、他者の時間と関わり合わざるを得ない。しかしながら、自己の生起という時間性の方はこの公共的な時間のうちにはめ込まれることはない。実際リクールは、この公共的時間と実存の時間性との「アポリア的」な緊張関係を詳細に記述することによって『時間と物語』の三巻本を公刊している。リクールによる「詩的」な解決案は、物語だけがこの緊張関係を考慮することができると認めるものであり、この解決案が行き着くのは〈物語は語られたことや時間内部性において可視化される「なされた行為」や生きられたもの一般のみならず、自己の生起をも正しく評価する能力をもつ〉ということである。とはいえリクールは、実践的自己の外化をなされたことのうちで特別に強調しており、なされたことを何度か自己の尺度としている[19]。こうした視点をとるなら、自己の真理は生の終わりになってようやく見通すことのできるものとなるだろう。それは、歴史が閉じられたときに初めて、つまり「生の歴史が…諸物のうちの一つのように…潜在的に存在してその担い手が死ぬ」ときに初めて(ディルタイからハイデガーそしてリクールに至るまで生ないし現存在の連関の概念において考えられてきたような)生の全体が明るみに出るからである。「そもそもある者が誰であるかの本質は、その生が消滅し歴史以外は何も残らないときに初めて成立することができ、持続し始めることができる」[20]。ここで非常にはっきりとしてくるのは、物語は生きられたことやなされたことや語られたことに照らして自己の真理を言葉にすることができるとする物語理論も、自己を閉塞した自己同一性へと固定化してしまう危険性があるということである。だが、自己の真理存在が陳述一般の命題論的ロゴスから引き離されている限り、この自己の真理存在は死者を死亡名簿で調べる解釈学――リクールもアーレントと共にその伝統に結びついている――の枠組みにおいても了解されたり妥当なものとなされたりすることはできない。本当に物語は自己が自らを外化する時間およびその生起を正当に評価できるのだろうか。不意に死に見舞われた場合、すなわちトイニッセンが述べているように、「過去以外に何も」現われることができない場合でも、なお物語は時間とその生起を正当に評価できるだろうか[21]。こうした問いは、物語に「歴史」のみならず自己の真理の陳述をも要求する哲学にとって明白に中心的意義をもつ。それは、自己がそれを目指して実存するもの、要するに自己が良心によって命令された実存において証すものがこの真理に属しているからである。しかし、自己が命令されている存在へと自ら応答することにおいて証すものは、もしわれわれがリクールによって提起された証しの実存論の解釈変更[22]に従うなら、ただ単に「もっとも固有」で脱道徳化された存在可能性のみならず、命令された存在の〈他者の方からVom-Anderen-her〉でもある。もし自己―証言でもある物語が自己の生起の痕跡に従おうとしないのなら、どうして自己―証言においてはただ単に「もっとも固有のもの」――それは他者にとってはどうでもよいものに留まるかもしれない――だけが問題になっているのかを、物語はただちに見失わざるを得ないだろう。だとすると物語は結局、「もっとも固有の存在可能性」へと「決意」しつつ一度たりとも他者の方へと向かうことなく自らの「固有の自己へ忠実さ」だけを宣言するような実存する者たちの独白を寄せ集めたつぶやきにすぎなくなるだろう[SZ.391]

  『他者のような自己自身』は、本稿冒頭で素描された法律学的な選択肢と存在論な選択肢とを媒介する、証言と証しの連関を考えるための第三の可能性を開いてくれる。証言の真理が法律学的や解釈学や歴史学ディスクールのうちで評価し得る陳述とみなされるだけなら、証しの現象は完全に忘却の淵に瀕する。これに反して、この証しの現象が「そのつど私のものである」実存の生起の真理様態という意味で存在論化されるなら、証しそのものは証言において表明されるべき証言―提供にすぎぬものとしてしか理解されない。[なるほど]陳述された真理がそれを証しした者の真理存在から分離されることがある。また、そのつど私のものである実存の生起が真理なき真理存在で満足するかに思える場合もある。[しかし]証言が証しから分離されたものとして理解されたり、また証しが明白な証言と関連づけられぬものとして理解されたりする代わりに、リクールは証言と証しの連関のそうした二重の相互分割にその両側から相対することを勧める。証言は証しの堆積物であるにもかかわらず、その法律学的概念は証しを忘却させるのだが、そうした証言はわれわれにそれに先立つ証言―提供を参照するよう指示しないだろうか。だが証言―提供することができるのは、自己という仕方で歴史的に実存して証しの様態のうちでその真理存在が問題となる在り方しかあり得ない。なるほど、こうした意味で証される自己は証言におけるのとは別の仕方で――たとえばなされた約束に忠実であることによって――「示さ」れることもあるだろう。だが、証言のうちで証された真理存在と陳述された真理への関心は必ずしも収束する訳ではないのではないか[23]。正当なことに、リクールは真理存在が世界を経由してとらねばならない「迂回路」を自己自身のために「示し」保証することができると強調している。しかし、一方でリクールが証言なき証しの存在論的概念から逸脱するようわれわれに強いれば強いるほど、それだけ彼はそれにもかかわらず他方で、証されたものとしての自己を、自己の歴史的・物語的分節可能性に基づいて語られたことやなされたことに即してのみ測る法律学的解釈学の手に再び委ねるおそれがある。だが、歴史的生の通時的な生起も、他者の方から自己存在に「命令された」生であるこうした生起を刺激するもののどちらも、語られたことやなされたこと、つまり自らが―命令されているという―経験への応答のうちにそのつど吸収されることはないであろう。「応答すること」はけっして[他者の]応答されることのうちで汲み尽くされたり無効化されたりするものではないだろう。その限りで、根源的な真理連関のみならず物語によって妥当なものとされ得る自己の真理もまた常に疑わしいものであり続ける。誰がへの究極的な応答は期待され得ない。とはいえ自己への問いとしての誰がの問いは真先にわれわれ自身の方から立てられる訳ではないので、この問いは何某が真に[真理において]誰であるかに従って自由になるものではない。誰がの問いは、自分自身のためだけに気遣われたあり方が自らなす解釈学上の贅沢ではない。結局、証言と証しはこうしたことのうちにその共通分母をもつ。つまり、証言と証しのどちらの場合でも自己は他者から問われるのである。問われているのは真理を―語ることであり、自己の真理―存在である。一方で証しは、他者の他者性によって刺激された良心の内的異質性から発生するようにして、誰がの問いへの応答をなす。証しは応答をなす試みとして、語られたことやなされたたことのうちで明白なものとなり、物言わぬ存在や外化されていない語りのうちで汲み尽くされることはできない。他方で証言は真なものとして語られるものを与えてくれると同時に、人が――誠実に――誰であるかの問いへの答えも与えてくれる。自己への問いは止むことがないだろう。それは、真なるものが人間の保証から独立に「検証」され得るものではないような状況で、疑念や疑惑の源泉がいつの日か枯果てるかもしれないなどとはいずれの場合でも想像できないからである。証しと証言、これら二つは、真理と真理存在を疑念や不信や疑惑の彼岸にではなく、まさにそのただ中で主張可能にする唯一の可能性ではないだろうか。

 



[1]また証言と自己の証しとが収斂するとしても、何が証されたものとしてそのつど理解されるべきか、すなわち(自己の証しなら)自己が理解されるべきなのか、それとも「歴史学的」な事態その他が理解されるべきなのかはそれぞれ区別されるべきである。そのつど証されたものが証言の提供という「ノエマ」もしくは証言の陳述と無条件に同一視することが許されるかどうかも問題が残るように思われる。リクールが所々で仮定しているように、自己の真理が本当に陳述可能かどうかは疑ってかからねばならない。以下参照。„Zeugnis und Überlieferung. Eine Skizze, in: B. Waldenfels u. I. Därmann (Hrsg.), Der Anspruch des Anderen. Perspektiven phänomenologischer Ethik, München 1998.

[2]自己を証すことと自己によって証すことの二義性がここで意図されている。私がざっとen passant見る限りで、リクールは真と認めることBewahrheitungという概念をかなり広範に使用しており、「確証」(フッサール)や「承認ratification」や「検証vérification」と同義語としてすら使用している。すでに確立されただ存続しているだけの真理ではなく、証しそのものによって初めてもたらされる真理が問題となっている場合、ここでは先に挙げたような意味はまったく考えられていない。リクールにおける「充足―真理」と対比される「表出―真理」の概念は、論文「神を名指す」を参照。

[3]なるほど『現象学の根本諸問題』というタイトルで公刊された一九二七年の講義は現存在の目的性Worumwillenを「目的それ自体」としての人格――カントの理解ではまさに(狭い意味での)「人間性Menschheit」の概念を含意する――の存在論と結び合わせることで、別の道を提供してはいる。しかし「人間性」は他者を敬意すべきものとみなすものである。これに対しハイデガーは敬意を「事実的に存在している本来的な自我が自分自身へと至る存在的な通路」と規定している[GP.195,242]。このように見るなら、自我にとってないし現存在において問題となる「真理」を他者への敬意と本質的に結びつける試みが果たして有望なものと思えるだろうか。ハイデガーがこうした思考の道を良心の脱道徳化によって築いたことについては以降参照。

[4]以下参照。H. D. Kittsteiner, Die Entstehung des modernen Gewissens, Frankfurt a. M. 1991.正当にもキットシュタイナーは[ハイデガーによる]良心の存在論的な位相転換化に、近代への道行で登場する罪の意識を持たせる声のうちに彼が再構成する社会史的実情を対置している。

[5]それなら、ハイデガーが説明するように、現存在が自らのうちでは廃棄され得ない異質性によって自分自身へと呼び覚まされているという理由で、現存在はまさに「主体」や「実体」となり得るのではないか。SZ.303,314,317参照。

[6]ここでわれわれは『存在と時間』の実存論的な議論平面を視野に入れているのであって、実存的な議論平面は視野に入れていない。「本来的な存在可能性」が具体的に他者へと向けられ得ることは『存在と時間』においては実際まったく論じられていない。しかし私の見るところ恐らく、この存在可能性の実存論的意味と他者との本質的連関は結局のところ[ハイデガーにおいて]考えられていない。

[7] SaA.417参照。実存論的な責めの概念があるにもかかわらず見過ごすことのできないハイデガーによる良心の脱道徳化は、彼が道徳的な責めの思想をあきらかに経済学の意味でのみ思考可能としていることから説明されるだろう。なるほど、他者はその実存において脅かされ、誤って滑り落とされ、壊されてすらいるという点でハイデガーが「他者への責めとなること」を説明する時、彼は後期レヴィナスが展開した責めある存在の思想をも一通り考慮している(『存在と時間』第58節参照。もっともレヴィナスはこの責めとなるということを行為することのうちにではなく、すでに実存のうちに、すなわち他者に対する免除されることのない応答責任に基づいてすでに「存在の咎Seinsskrupel」に苛む実存のうちに位置づけようとしている)。しかし結局のところそれにもかかわらず、道徳的な責めの関するハイデガーの考察は「請求を清算しつつ決済する」という道徳経済学の批判へと流れ込む。この批判はあらゆる要求に先立つ責めある存在に至り、その責めある存在は「他者と共にある配慮的に気遣う共存在に関連づけられる通俗的な責め現象に堕す」[SZ.282f.]と定式化されて説明どおりに考えられている。したがって、責めの脱道徳化にならねばならないのでもなく、また単なる道徳経済学にならねばならないのでもなく、むしろ責めを他者の要求から根源的に基礎づけ得るような第三の道は初めから考慮されないままになっている。

[8]リクールがここで視野に入れているレヴィナスからすれば、自己がその応答を向けるのは、明らかに証されたもののノエマにおいてけっして廃棄されない他者の「無限」であろう。

[9]その際、証されたものは、一方で向かう先との連関、他方で応答するものとしての自己との連関という二重化された連関を有している。

[10]この問いはそもそも「決定」されるのだろうか。リクールの著作『他者のような自己自身』は唯一可能な仕方で、つまり肯定の返答という意味での証しの仕方でこの問いへと応答しているだろうか。

[11]しかし、世界を経由する「迂回路」としての誰がの問いへの応答の探求は、本当にただ「自己が自分自身に至るもっとも近き道」[SaA.378]であるにすぎないだろうか。

[12]もちろん、身体を持つ存在としてのわれわれが「自同的」な存在としても再同定可能であることは、ほとんど否認され得ないことである。リクールが(自己性と自同性の様態における)二つの「存在様式」について語る提案に満足できるかどうかというこの連関において執拗に生じてくる問いは、本稿では措いておくことにする。

[13]ここでリクールはレミ・ブラーグによるアリストテレスエネルゲイア概念のフランス語訳に従っている。一方でアリストテレスの存在論および実践の教説と、他方で「気遣い」の現象学的な存在論との統一可能性について最近論じられているが、これについては以下を参照。F. Volpi et al. (Hrsg.), Heidegger et l’idée de la phénoménologie, Dordrecht/Boston/London 1988. E. Martineau, «Conception vulgaire et conception aristotélicienne du temps», in: Archives de Philosophie 43 (1980). P. Ricœur, «De la métaphysique à la morale», in: Revue de Métaphysique et de Morale, no.4 (1993). またハイデガーの『ナトルプ報告』も参照。

[14]『時間と物語』の第一巻におけるリクールの詳細な説明が示している通り、ここで彼は狭い意味での行為概念を言っているのではない。

[15]自己が世界をその拠り所とし、世界において自己が外化されねばならないということは、例えば〈語られたものは考えられたものを「証している」〉というデカルトの発言を真剣に受け取るなら、そのときはもう語りの平面でまったく当たり前のことではなくなっている。人間の語りは「彼らが語っているものをその者たちが考えているということを証言している」とデカルトは書いている。このことは、前もってすでに目の前にある考えを事後的に「外化」するという意味でそのまま了解されてはならない。われわれから語られたものを「受け取る」他者を経由する迂回路でだけ、その語られたものは考えられたものに対しこのように機能できる訳ではないのではないか。

[16]そうだとすると、誰がへの問いへの応答としての自己は単に「現存在にふさわしい証しを欠いている」「実存論的企投」[SZ.301]においてだけではくみ尽くされ得ないことになる。ハイデガーとは異なりリクールは、彼によって本質的に実践的なものと考えられた証しをまさに他者の目における現実の可視性へと引き渡す。〈自己は検閲し催促し自分を観察する審級――たとえこの審級が他者の代理であろうと――であるいわば内的な「まなざし」のもとで実存する〉と仮定することもリクールにとって十分なことではない。

[17]明らかにリクールはこのことと同時に、自己の真理ないし真理存在を、言語行為論的に考えられた誠実性のような判断可能な――もちろん非論証的な――妥当性要求へと還元することに遭遇する。ハーバーマスの論文「真理理論」に関しては以下参照。Ders. Vorstudien und Ergänzungen zur Theorie des Kommunikativen Handelns, Frankfurt a. M. 1984, S.127-185. しかしハーバーマスの方がリクールに接近するのは、人格の誠実性のうちに数え入れられている信頼について彼が〈ある人格を信用するということが意味するのは、その人格は自ら語るように思いを述べることができないということを除外することである〉と語る時である。「人格の信用というそうした行為に付帯する確実性体験は、私が当人の誠実性を経験した相互作用のお陰である。信用の確実性は…コミュニケーションの経験に依存している。それゆえに誠実性要求もまた、相互作用のうちにおいてのみ履行されるか〈証し〉される」[ebd. S.142]。またハーバーマス『ポスト形而上学の思想』[S.103]も参照。

[18]この観点では実践的なものという概念をまったく新しく熟慮しなければならないだろう。この概念は生の歴史的なものとしていずれにせよ比較的狭い意味での行為に限定されるのではなく、実践的な次元が顧慮的に気遣いつつ他者に「捧げられた」生全体を規定することができるくらいに、この次元を取り囲むことができるに違いないものである。

[19](最近レヴィナスの哲学の衝撃を受けようやくこの観点において変更された)リクールの確信するところによれば語りは語られたことのうちに取り上げられるのだが、もしそうだとすると行為は行為されたことにおいて取り上げられなければならないことになる。リクールの論文「歴史的経験における客観化と疎外化」を参照。またこうしたりクールの確信が自己の歴史理論に与えた影響については以下を参照。B. Liebsch, Geschichte im Zeichen des Abschieds, München 1996, Teil II.

[20]たしかにハイデガーは自己の「全体性」という理念を来るべき存在の事実的な未済から切り離し、この理念を死への先駆の方から基礎づけたが、リクールは物語への目配せによって時間内部性に再びより重きを与えることによって、彼はまさにハンナ・アーレントが語った非全体性の解釈を勧めるのである。

[21] M. Theunissen, Negative Theologie der Zeit, Frankfurt a. M. 1992, S.212. トイニッセンに抗して妥当であると見なされるべきは、『存在と時間』で述べられている通り、死者たちはわれわれにとってかつて現―存在していた者であるということ、すなわち死者たちはまさに単に過ぎ去ってしまった訳ではないということではないだろうか。また、本当に死者たちの無垢の「過去」が、死者名簿に基づく先の解釈学によってはっきり仮定されている通り容赦なく、幾度となく呼び出されてきた歴史の裁判権を行使して死者たちをその支配下に置いているかどうかを、レヴィナスと共に問わなければならない。

[22]影響関係があり著作史的に注目されるべきリクールのハイデガー受容における諸前提を詳細に取り上げることは本稿では不可能である。このことについては以下のことだけにとどめておく。リクールの初期の著作においては当時フランスで支配的であった『存在と時間』の「人間学的」な解釈との近さが認識できるのに対し、リクールは存在論と現象学との関係についていろいろと態度決定する中で、(いわゆる「ケーレ」以後初めてではなく)既に『存在と時間』において明白であった存在の問いの有意を承認している。たとえば『エンチクロペディー・ウニヴェルサリス』におけるリクールの執筆項の「存在論」(一九七二年)を参照。これに対して、行為を歴史学的時間へと外化させるという意味でリクールが証しの実存論を別様に解釈することで、具体的な人間とそうした人間によって明白に証されたものはまた以前よりも強烈に視野へと戻ってくる。加えてさらに『諸解釈の葛藤』収録の「ハイデガーと主体への問い」を参照。

[23]もちろんそうした収束は、自己―証しとノエマないし証言の「陳述」とが無造作に合致することにはけっしてなり得ないだろう(前記注1を参照)。固定化されたり陳述されることのできる事象の真理と比較することのできない自己の「通時的」な存在を考慮するなら、私は(証言もしくは守られた約束などによる)間接的であるにすぎない証しについて語ることを選びたい。証されたものとしての自己というリクールの議論が正当化されるのは、このようにしてのみであるように私には思える。