un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

リュディガー・ブプナー「天才概念の民主化」(2001)

[以下は Rüdiger Bubner, »Demokratisierung des Geniekonzepts«, in: Josef Früchtl und Jörg Zimmermann (Hg.), Ästhetik der Inszenierung, Frankfurt /M. 2001, S.77-90の下訳。原文のイタリックによる強調箇所は、訳文では太字で示している。70年代、哲学の位置づけをめぐり「自己関係性」というあり方を提起しただけでなく(『現代哲学の戦略』参照)、美学方面でも、作品概念を真理顕現の場と捉える「他律的美学」をラディカルに批判(『美的経験』参照)したことで知られるR・ブプナー(1941-2007)の最晩年の論文。例によって難解で熟読を要求するドイツ語だが、論理展開ははっきりしている。天才概念がどうのというより、演出における解釈はどうあるべきかという点から現代演劇を批判する小論として読める。]

          

         

         天才概念の民主化(1)

 

有名な演劇評論家であるヘルベルト・イーエリング[1888-1977]はかつて〈演出Regieという概念は一九〇〇年ごろに発明された〉と書いている(2)。宮廷劇場付き劇場監督の課題は、むかしなら俳優の登場と退場をコントロールすることであったという。彼は次のように記している。

  演出家の課題とは、舞台の整理役Szenenordnerや弁士Sprechmeisterの課題である。演出家はつくり上げるのではなく、監視したのだった。この場合、演出Regieという言葉は、[今日とは]別の意味合いを含んでいた。身振り、音の調子、色調からある全体的芸術作品がつくられていた。[そこに]確固とした基礎はもはや存在しなかった。それぞれの作品はおのずから演出されていたのである。

   イーエリングが賞賛している演出家は、ユルゲン・フェーリング[1885-1968]、ハインツ・ヒルペルト[1890-1967]、グスタフ・グリュントゲンス[1899-1963]といった大戦間期の偉人で、彼らが戦後に指導的な立場に立ったことはよく知られている。これ以降、高名な演出家はたんなる舞台の技術屋ではなく、〈高名であるがゆえに後世までその名を残す作家の筆からなり、個別の演出 [仏]mise en scène, [独]In-Szene-Setzenの能力を要求する作品〉を後から独自につくり直す者ein eigenständiger Nachgestalterである。こうした捉え方にしたがうなら演出家とは、目の前の作品の生き生きとした内実を慮りながら、その作品に対する決定的な仕事を引き受ける者のことである。

  それゆえ作品というカテゴリーが中心となるのだが、それは作家と演出家との共同作業が作品をめぐってなされるからである。これによってわれわれは、自らが解釈学的な問題の真ん中にいることに気づく。私は、あまりに有名な事実を思い出すというリスクを背負っても、作品受容がもたらすこの解釈学的な問題から始めようと思う。まずわれわれはアリストテレスの『詩学』にまで遠くふり返るが、このアリストテレスの『詩学』こそ、芸術制作と芸術受容のヨーロッパの伝統に対しブレヒトの非アリストテレス的なドラマ論の企図が登場するまで主導的な方針を提供してきたのだった。

  アリストテレスにおいてエルゴンないし作品とは、彼の師のプラトンが美に関する問いのなかで扱っている仮象弁証法とは明確に異なり、合理的に統御された制作過程の具体的成果である。靴職人は靴を、テーブル職人はテーブルをつくり出すように、劇作家はドラマをつくり出す。アリストテレスはこのことを行為の呈示(行為の模倣的再現μίμησις πράξεωςとして特徴づけている[*1]。もちろんドラマは、人が座すテーブルのような事物ではない。ドラマは、行為を舞台上で呈示可能にするものとして、二重の仕方で人間の実践と結びついている。

  第一にドラマは生の現実を前提にしていて、われわれはみな劇場に行くよりも前にこの生の現実のうちで互いの存在に気づきよく知り合っている。それは、舞台上ではこうした最初の現実がなんらかのドラマの作法にしたがってふたたびくり返されるからであるが、このくり返しはけっしてリアリズムの意味においてではなく、むしろ再認識という条件つきでなされる。[第二に]他方で舞台は生に対して、〈われわれは劇場を後にするさい、自らの自己評価を変更しながら日常へと戻ってゆく〉という関係にある。アリストテレスはこの変更をすっかり一般化してカタルシスと名づけている。もともと浄化を意味したこの定式化をめぐっては、これまでも幾度となく熟慮されてきた。ここで私は舞台美学の謎をふたたび解き明かすのではなく、いま述べた程度の注記にとどめておこうと思う(3)

  これまでの説明によるなら本質的なのは、〈舞台に対し作品が贈与されている〉ということだ。そしてこのことはテクストでもありうることである。私は以下で、重要な区別の存在に注意しなければならないことがはっきりしているにもかかわらず、オペラのスコアもテクストのように扱うつもりである。われわれは、テクストというかたちで痕跡を残さなかった演劇の前史についてほとんど知るところがない。しかしそれが祭儀音楽や舞踊祭(そこでは宗教的なイベントが儀式をくり返しながら行われていた)から由来することは明らかである。ニーチェリヒャルト・ワーグナーに捧げ、まだ彼が文献学者であることを示す初期の論考『音楽の精神からの悲劇の誕生』[1872]において、彼はそのディオニュソス的起源を強調していた。簡単にいえば、ヨーロッパの演劇がまだ演劇になるより前は、失われることなく存続するテクストなど存在せず、束の間のごとく神を賞賛しては消えてゆくコロスの合唱が存在したのであった[*2]

  しかし演劇の歴史が、作品を文献へと固定化しテクストとして芸術的にしつらえることで始まるなら、その歴史は、今日まで伝承されているそうしたテクストの際限のない解釈プロセスとして首尾一貫する。古典期の文献学者は、間接的な伝承から無数の作品断片、作者の名、タイトルを自由に扱い、それによって古代演劇における古典作品の一定在庫数は倍に増えてゆく。ただしもはやわれわれは、それら古典作品すべてについて何の具体的イメージももっていない。だがわれわれは、古代世界のうちでそうした断片的な在庫残高にけっしてかかずらってはならない。周知のようにエリザベス朝期[1558-1603]の演劇作品も議論の余地ある領域を示していて、そこでは俳優の実践と作品編集が流動的に入り混じっている。[この時期]まだ文書への固定化は行われておらず、そうした固定化は成功した演劇一座の旅回りの終わりに副産物としてなされる程度である。

  作品の解釈Auslegungは解釈学の主要な仕事である。このようにして通訳、釈義Interpretieren, アクチュアル化Akutualisieren, 応用の規律が命名されたのであり、この規律は聖書やローマ法に用いられながら、ギリシャ語やラテン語のようないわゆる「死んだ言語」で書かれた古典作品に取り組む人文主義の学派形成にとりわけ寄与した。加えて注意されるべきは、言葉の文脈上、「死んだ」とか「生きた」についてはけっして教条的に判断されるべきでなく、むしろ自由に判断されるべきだということである。今日のギリシャ人はギリシャ語を話すが、ホメロスギリシャ語を話すわけではない。ホメロス自身がすでに古代のアテナイにおいて解釈が必要であった。中世の知識人はラテン語で意思疎通していたものの、もちろんキケロの頃のラテン語からは遠くはなれていた。シェイクスピアの英語、ラシーヌのフランス語、シラーのドイツ語はすべて皆、今日の日常語にもはや相応するものではない。それゆえ、こんにち理解可能なイディオムに通訳するか翻訳する必要がたえずあるし、場合によっては〈すべてみな本というかたちをとりながらアイスキュロスやテレンティウスと同じく死んでいる言語作品〉を生き生きとさせることもまたたえず必要となる。

  「死んでいる」ということに対しただちに表明されるのは、そのつどの同時代人が一般的に述べている対話の論調に対し横断的な関係にあるものである。しかし生き生きとさせる能力は解釈学の助けを借りることで驚くべきものとして示されてきた。伝承によって忘却から守られた作品そのものがすでに、いくつかの史料をそれ以外の多数の史料よりも優位なものとする静かなる厳選の経過の結果をなしているのはそのためである。作品は継続的な解釈によって伝承され、解釈は作品を生き生きと保ち続ける。そのさい長期にわたりもはや誰にも読まれない作者は、われわれの技術がこんにち用意する絶大な情報手段にもかかわらず、事実上の没落に瀕している。虫食い穴、ネズミの歯、微生物、酸による破損Säuretodは、パピルスや羊皮紙や印刷紙の物理的存在を脅かす。幸運なのは、いわゆる「不滅」の作品に対して持続的に関心を抱いたりそうした作品を再発見したり、注意をあらたに呼び起こしたり意図的に喚起したりすることで[作品を]決定的消滅から守る者が存在することである。文書として固定化されることに基づいているあらゆるテクストは、本来、瀕死の状態でmoribund引き受けられる。

  いま理解すべき重要なことは、〈古典作品の伝承という支配的な選別系統が古代人のまったく知らなかったある概念と結びついているのだが、それはこの概念がキリスト教的な創造神学の形見を呈示しているからである〉ということだ。私がここで考えているのは天才という概念である。技師、発案者も天才的才能、天分を有している。しかしわれわれは、神によって創造されたマクロコスモスに対抗する、先例に依存しない全体的なミクロコスモスを産み出すための創造能力を、ごく少数の例外的に恵まれた精神の持ち主にだけ認めている。それは、真に偉大な芸術作品がいわばまったくあらたな世界を髣髴とさせ、それゆえに時代を超えて関心を惹くものであり続けるからである。キリスト教の創造神学の世俗化はまずルネッサンスにおいて、第二の神alter deusとしての天才のイメージを身近なものとした。

  われわれが天才のもっともわかりやすく賢明な理論を知ることができるのはカントのお陰だが、そのカントは『判断力批判』において〈われわれにはまったく見通すことのできない造形の規則を天才に組み込んだのは、ほかならぬ自然そのものである〉とすら推測している(第46節以下)[*3]。それゆえ天才は、当然の帰結として、驚くべきほどに標準を凌駕するその能力そのものについて有効な説明をすることができないという。またこうした啓蒙主義の制限が不可避的に天才の前に建てられたために、人はどのようにして天才となるのか、誰も知ることがなかったという。比較的最近の心理病理学は、好んで天才を自らの患者に近づけようとしている点で、こうした考えに追従している。ヤスパースフロイトはそれぞれの仕方でこうした手法を証明している。これに対して大衆社会学は、しっかり観察された社会とその習慣の周縁に天才を位置づけている。ボヘミアンアウトサイダー、離教者、永遠の反抗者、主義主張上の不適合者たちなどが天才概念の発祥地となっている。

  こうした見方をすることでわれわれは形而上学的に基礎づけられた〈第二の神〉の高みを後にして、ポスト形而上学の時代に即しながら民主主義Demokratieという幅広い平面にいたる。民主主義は本質的に平等の原理を支持する。民主主義は特権者やエリートを守るものではない。もちろんわれわれは相変わらずずば抜けた美的体験を求める。「万人のための芸術」というのは、私自身がフランクフルトに住んでいただいぶ以前の時分に好んで聞かれた合言葉であった。このようにして天才概念を民主化[大衆化]することが申し出されるのである。

  たとえば、芸術識者のうちで間違いなく天才と認められているヨーゼフ・ボイス[1921-1986]は、しばしば〈市民の障害を取り除き、各人のうちに埋もれている芸術の才能を呼び覚ましてほしい〉と呼びかけた。カッセル市で開かれた初期の回のドクメンタでは、いかにボイスがためらいがちな公衆をこうした意味で指導したかをみてとることができる。いまや天才的なものは古い境界線引きに対抗して、教えることと習うことによって伝達されるべきではない。そのような[天才性の]交換はアヴァンギャルド勝利以後、どのみちアカデミズム臭を漂わせている。そうではなく、文明化によっては気づかれない魂の持ち主は、それぞれの主体のうちに潜在的に独創性の火種を仕舞いこんでいる。そしてすでにカントにおいて天才の主要なメルクマールをなしていたのは、こうした魂の持ち主である。

  そのような今日の動向において演出家は、解釈学という切り開かれた小道を後にして、天才的な作者を追い越そうとしている。そのさい習慣的な作品把握によって開通した、作者と演出家とを結ぶ古い架け橋は撤去されたと誤解されている。もはや演出家は作品に奉仕しながらその解釈者として自己了解するのでなく、かつては作家が保持していた独創性の立場を自ら要求する。そうなると歴史的な作家たちは、自分の名の純然たる響きのうちに雲散霧消してしまう危険に立たされる。プログラム表は彼らの名をかろうじてとどめ、その下では「シェイクスピア以後の」とか「ゲーテ以後の」といった付け足しが[この危険を]和らげる。そうした作家たちは記憶を呼び覚ますものとして機能するが、それは尊敬をこめてではなく、手の届かない遠い存在という意味においてである。それら名のある作家たちの作品は時の試練を越えて現代のプログラムに存在しているのではないし、またその天才的な組みたてを追創造して正当に評価しようとする数々の要求も存在しない。伝承されたものはたんなる素材にまで一気に切り詰められてしまい、たんなる素材は革新のための機会を提供するが、もはやそうした革新がなされることもない。そうこうしている間に劇場演出家からオペラ演出への交代が常態化し始めるので、問題情勢はテクストやスコアの場合と比較できるようになる。

  しばしば引用されているように、ブレヒトは「古典作品による萎縮」に反対した。これによって、字義通りで慣習的なものから自由になってアクチュアリティを目指す解釈を同時代の観客のために行う計画が、非の打ちどころなく正当に優遇された。そのさいブレヒトは同時に、成功を収めた自らの舞台実践にふさわしい古典作品に対して尊敬を示してもいた。彼が不運なイングランドエドワード二世に関するクリストファー・マーロウの戯曲や、J・M・R・レンツの『家庭教師』やシェイクスピアのローマの戯曲『コリオレイナス』を上演したとき[*4]、観客は臆面のない破壊という身勝手なふるまいに付き合わされたのではない。これらはブレヒトによる上演にいたるまでに変更されてきたのだ。

  こんにち戯曲が、非順応主義の順応主義とでも呼べるような荒れ狂うインスピレーションを免れることはほとんどない。サングラス、タイプライター、便器、鍵十字、掃除用バケツ、大戦期の軍服、デッキチェアなど、暗示したがるサブカルチャーのさまざまな任意の内容物と同様、〈出来合いの批判的意識の装飾品〉が規範作品すべてに拡がっている。初心者はみな、市民を驚かせる必修プログラムから始める。上級者は自己顕示欲満々の初心者のように今なおふるまっている。比較してみるに、このことは世界中に広がった広告という創造性の証とほとんど変わるところのないようにみえるのであって、そうした広告は演出化された興奮によってわれわれを安心させるが、それはわれわれの消費するものすべてがじっさい〈流行や最先端のものに直接参加している〉というしるしを帯びているからである。もっとも広告は、冗談であること自体に金を出している。これに対して公共的に助成金が出ている演劇にとって、財政手段はどこも十分であるとは思えない。

  誤解しないで頂きたい。この場で、同業組合的な文献学者の主要機能やその研究成果を弁護するべきではない。文献学者がまったく独自の課題を追求するのは、文献学者が権威的なテクストを不安定な状況からそもそもはじめて再構成し、その歴史的な枠組みの条件へと組み込んで、発展史的に確保しつつジャンル別に区分する場合である。文献学者は歴史的な言葉に向かって誠実に仕事をしている。これに対し文献解釈者Hermeneutenは、現在の地平のうちで歴史的な言葉を説得的に理解することに腐心している。これは[文献学者の仕事とは]まったくの別物だ。文献学者は、かつて文書文化の枠組みにおいて存在したものを正確に知ろうとする。文献解釈者は、それがそのつどわれわれにとって何を意味するのかを解釈しようとする。

  解釈学の関心事は回顧的ではなく、むしろその目的は[文献を]アクチュアルなものにし続けることにある。しかし議論の余地なく前提となっているのは、〈文献学者の場合でも文献解釈者の場合でも、すでに過ぎ去っていてアクチュアルなものにするのが望ましく思われるものがじっさいに存在していなければならない〉ということである。そうしたものはいつも変わらずテクストであって、そのテクストを与えてくれるのはわれわれの耳に届く〈声〉である。[その上で]解釈者の精神があってはじめて死んだ字面は生き生きとしたものになる。ちなみにフランスのテクスト理論がまったく正当に強調したのは、〈テクストの方がその通時的な系統のうちでテクストを生み出す〉という事実である。いまや明らかなのは、テクスト制作は世代から世代、時代から時代にわたって自分自身に火をつけるということである。

  例を挙げよう。たとえばシェイクスピアを自家薬籠中のものとし、コルネイユラシーヌによる古典主義時代の隆盛に対する深い情熱がなければ、ドイツ語圏の初期の演劇文学はけっして好機を得ることがなかったろう。少なくともそうでなければドイツの演劇文学は、レッシングからワイマール古典期にいたるなかで最終的に形成された姿としては成立しなかったろう。同様のことは今日にいたるまで、その他のいろいろなケースにも当てはまる。今日われわれが直面しているのは、例外なく気づきうるくらいアイロニーが伝統的な演劇表現に反映されている事態である。つまり、かつて高尚な舞台の響きと認められていたものからあからさまに離反してゆくことこそが、長いことあらゆる知性にとって、基礎的な言語形成の始まりであったのだ。

  ここで根本的な問いに立ち戻りたい。〈基盤das Fundamentがなければ公刊されたテクストのうちでアクチュアルなものにする努力も水の泡になる〉ということが、長いこと疑問の余地のないことだと思われていた。それは〈現在〉なら[テクストにではなく]、早朝から深夜までテレビ画面やグラビアや映画のスクリーンのすべてにどのみち映し出されているからである。われわれのすべて、もしくは一部のグループ、または各人種のマイノリティの人々が感じ考えアクチュアルなものにしようとするものを表現する媒体は、いたるところで自由に用いられている。この点ではわかりやすい欠陥はどこにもない。

  これに対して(しかもちょうど同じ理由から)欠陥は実体的な抵抗substantielle Widerhaltenのところに存在する。この抵抗はそれ自体を肯定する動向のうちでアクチュアリティを阻害するのだが、それはわれわれが〈批判〉という言葉をたえず口癖にする場合でさえ大事にしている自己確証をこの抵抗が独自の仕方で妨害するからだ。ここで私は、ざわめきのようにあらゆる公共性の形式につきまとう継続的プロテストと、そうしたジャーナリズムの頑強さにわれわれを巻き込ませないようにする〈熟慮の上の中断〉とを区別しようと思う。

  そうした区別が必要なのは、〈熟慮の上の中断〉が非常に困難で、入り乱れる声のうちに息をつまらせないようしっかりとした援助が求められるほどだからである。哲学(哲学ということで私はここで自分になじみのない集まりの場で語るべきだろう)について言えば、われわれはすでに初心者たちと共に実体的なテクストに対して〈熟慮の上での中断〉を行っている。演劇に関して言えば、それに特有なのは、練習部屋での孤独とは比べものにならない、まったく別の公共的な役割である。それにもかかわらず私は、アリストテレスの定式化によるカタルシスが〈熟慮の上での中断〉の集団的作用を意味していると考えるのであって、この集団的作用は、万事を壮大に見せる舞台上で驚きや幸福の虚構を目の当たりにすると傾きやすくなる観客のもとで働く。

  いまや明らかなのは、〈テクストを優遇する者は誰でも今日の演劇活動の主流に対し陰に陽に対立している〉ということだ。私はここでやむを得ずリスクを冒す。もし騒然とさせようと企むインタビューのきわめて大胆な言葉やハイ・リスクな主張をわれわれが度外視するなら、私は広範に拡がって把握困難な〈テクストなしの演劇〉という複合体に関し、はるかに優れて知性的なものを見出すことができるのであって、そうした知性的なものこそが演劇学のもとで読み取られるべきである。ハンス=ティース・レーマンはつい先ごろ、『ポストドラマ演劇』(4)という充実した内容の研究を公刊した。同書では〈ドラマなき演劇が存在する〉というテーゼが主張されている[*5]。戯曲やそれらを変更したものがいっさい存在しない演出ケースという感覚上の事例報告のすべてがこのテーゼを保障している。少しの間、私はレーマンの議論に従うことにしたい。

  ロバート・ウィルソン[1941-, アメリカの前衛演出家]は自らの作品を「音響風景Audio-Landscapes」と呼んでいるそうだ。彼の作品は、ゲーテの時代に社交の余興として普及していた「活人画Lebende Bilder」[*6]のたぐいを思い起こさせる。すでにジャン・ジュネは教会のミサの倒錯を早くも暗示していた[*7]タデウシュ・カントルは埋葬儀式に近づいているという[*8]。その他多くの証拠が呈示される。これらすべてを総括するなら、ポストドラマ的な演劇では出来事、身体性の展示、動きの推移を示す身体運動、空間彫刻や効果音にいたる舞台造形の優位がテクストという基礎にとって代わっているという。自らの意味をおのずから経験するという現象の形態化によってテクストを実体化することは、演劇の祭儀的起源を想起させる。レーマンもまたこのことを明瞭にみてとっている。なんといっても130年もの前に文献学者としてのニーチェは、すでに言及したとおり、ワーグナーの総合芸術作品[*9]を目の当たりにしてディオニュソスの祭儀という宗教的で荘厳な儀式を呼び出したのだった。『音楽の精神からの悲劇の誕生』は、西洋合理主義の展開のためにわれわれがどうしても失わざるをえなかったものについての悲痛な訴えである。

  こうした十九世紀のデリケートな問題には踏み込まずに、〈舞台の初期の時代以来、過去の神話体系の表現形式、つまり信者の集団からみた神的なものの呈示はくり返し経験されえない〉ということをしっかり把握しておかなければならない。レーマンによって紹介された事例のすべては多彩であるにもかかわらず、それらが例としては現代のものばかりであるという点で一面的である。レーマンが挙げた者たちは神々も神も信仰していない。彼らは神話やユートピアそのものから解き放たれている。彼らはどんな信仰共同体の生活形式からも隔たったところにいる。彼らはむしろ、識者向けの巧緻を極めた美的経験に訴えている。だが玄人のエリートからは継続的な支持母体Abonnentenstammは出てこない。

  複雑なつながり方をしながら孤独の人としてふるまう批評家はイベントからイベントへとハシゴするが、そこで出会うのは自分と似たような人物である。そのさい、何かしら把握可能で拘束力のある祭儀が背景で作用することはない。場景理解をより高尚なものの表現と捉えることは、まったくといっていいほど何も伝えるところがない。アントナン・アルトーは自らの残酷劇[*10]に関して、いずれにせよ形而上学に似たようなことを語っていた(5)。そのさい演出方法が自律的に設定されている場合、あらゆる超越的な目的規定が失われる。したがってウィルソンやその他の実験的試みをする者たちは、最初から自らを例外的存在としているように、人踏未踏の地で活動しているのである。

  しかしユニークな例外という様式で現われるアヴァンギャルドAvantgardeは、どんな信奉者も期待していないし獲得することもない。先行者に追従しなければならないような「防衛Garde」がなされることはない。慧眼の著者でポストドラマ演劇の宣伝者であるレーマンと共に、〈批評家をハシゴさせるハプニングは、既成の演劇活動のプログラムの空きを埋めるのにふさわしくないかどうか〉冷静に賭けをしてもよい。とはいえそのさい、アテナイディオニュソス[*11]、中世の聖史劇やあらゆる類の宗教的儀式を思い起こすなら、そこでは〈いつも必ず観衆の前で上演される〉という根本原則が適用されている。観衆がこなければイベントはまったく成立しない。実験はいいことだし、素晴らしい。しかし演劇は実験室ではない。演劇は受容しようと待ち構えている観客と共に生き、死んでゆく。実験室の中ではそうした観客はただ邪魔になるだけであろう。

  ここで立ち止まって、あらためて始めの問いに戻ってみたい。テクストが演劇にとって変更不可能な意義を有していることが詳細に語られた後で明らかになるのは、解釈学がもはや演出と同一視されることがないということである。テクストを演出し上演することとは、作品に即してなされた解釈を観衆に対して、それゆえ期待しつつも固唾を飲んで見守り、おまけに毎晩のように入れ替わる集団に対して呈示しなければならない行為である。

  観衆を積極的に出来事に引き入れようとするさまざまな段階の試みが存在する。俳優と観衆とが互いに共にいるという全体的状況を映し出すにあたって、舞台上で舞台を完成させるというのは古いモデルである。そうした状況を映し出すために登場したのが、観客席から舞台への移動をスムーズにするさまざまな形式である。来訪者は舞台に座すか、もしくは俳優がホールで語り始め、扉は楽団によって突き破られ、上演の開始はすでにロビーにその場を移して行われる。こうしたことすべては、ピランデルロ[*12]と彼が出来事をメタ平面上へと人為的にずらしていったことを思い起こさせる。とはいえそうこうするうちに、[そうしたメタ]平面へのずらしはさんざん使い古された印象がある。

  [観衆と舞台とのあらたなあり方を成立させるための]要件は、おそらく別の仕方で始められなければならない。いずれにせよ演出mise en scèneのアプリオリは、演出家がその術中にはまる最初の者となるようなありきたりな舞台イリュージョンによる計算であるべきではない。こうした指摘はあまりに当たり前であるかもしれない。イリュージョンは頭脳のうちにけっして根づくことはない、ましてやモデルネによって撹乱された頭脳のうちに根づくことなどまったくない。というのは、演劇の美的刺激は〈あたかも~のようだAls-ob〉という仮象からそのまま生じてくるからである。上演可能などんなテクストも仮象の次元を自らのうちに内包している以上、仮象をたんに否定したりその欠陥をはっきりと指摘したりするのではなく、仮象をもちいて変化にとみまた想像力豊かに演じることが得策である。舞台の人生と現実の人生とのコントラストを主要なメッセージとして観衆に伝えるとしても、そんなことは観衆の益にはならない。劇場に来場しようと決めている一部の人々は長いこと、こうしたコントラストを感じとっている。ニュースキャスターは俳優のようにふるまいたがるが、もし俳優にニュースキャスターのようなマネをさせることを演出家が適当とみなすなら、その啓蒙効果はほとんどゼロにまで減少する。つまるところ、仮象と存在の弁証法をそのまま主題化してみても、それは演出を自立させるのにまったく役立たないのである。

  この仮象と存在の弁証法の内部で自由になるのは、当然のことながら、味気ない日常領域が自前で提供してくれる素材だけである。それは、ヨーロッパ全体の記憶である古代の神話体系が自らの後に残していった複雑なつながりが、もう長いことわれわれにはヨーロッパ諸侯の宮廷儀式のように疎遠なものとなってしまったからだ。このことを自明な予備知識としてけっして前提にしてはいけない。教養ある市民が昨日のうちにとつぜん死んでしまわない限り、なるほどそうした市民はいくぶんかの歴史的知識を持ち合わせているだろう。しかしそういった知識が彼らの生活感情を形成することはけっしてない。この場合、劇場来場者は自らの直接的で真正な生活感情のうちでこそ訴えかけられねばならないのだ。

  演出家がそのように訴えかけることができるようになるのは、本を読んで身につけた教養の重荷を前提にすることなく演出家が古代の戯曲をそれ自体の物語進行のうちで納得のいくように現わしめる場合だけである。[その場合、]現在との欠くべからざるコントラストはおのずとなされるようになる。われわれは神々を信仰していないから、神々がその姿を現わすのはたんなる引用句としてである。キリスト教的なコスモスははるかに後退したため、バロックの世界劇場は擬古典的なフィクションになっている。十八世紀の演劇文学を規定していたのは、市民と貴族との緊張関係であった。今日では身分の問題は別の仕方で扱われている。結婚や品格のよさをめぐる市民的ドラマは、十九世紀から二〇世紀の変わり目と共に、イプセン[1828-1906]やストリンドベリ[1849-1912]による北欧風のリビングから、フォークナー[1897-1962]やテネシー・ウィリアムズ[1911-1983]によるアメリカ南部の都市の雰囲気へと変化していった。

  われわれの祖先の素朴なリアリズムによるだけでは、もはや多くのことを始めることはできない。というのは、演劇はその長きにわたる歴史の終わりになってようやくリアリズムとして振舞うからである。通常、多数の観客の理解のうちに予見不可能な仕方で生じる、演出化された経過の模範的な再認識を促すにあたって、演劇は人物造形、葛藤、ストーリーを拡大させる。どのみちどんな観客も、町外れでちょうど差し向かいあっている自分自身とその隣人をありありと思い浮かべるような状況にショックを受けることはない。トーマス・ベルンハルトやボート・シュトラウス[*13]のような主張のはっきりした現代戯曲ですら、さまざまな手段を導入する洗練されたマニエリスムスによってその時々で用いられていた隠語の野暮ったさを美によって鑑賞に堪えうるものにしている。

  最後になされた考察から結論できるのは、〈解釈学から演出へと歩み出すことは、選別され発見されたテクスト解釈を名もなく声もない多くの相手の圧力のもとで説得的なものにすることと同じことを意味する〉ということである。観客たちにとって解釈はわかるものでなければいけない。偶然出席したホールの総会の前に、演出家がテクストを片手にわかりやすく語ることで解釈がなされるのではない以上、解釈はそれとは別の形式で行われる。演出家は戯曲をかばうのではなく、当の戯曲を自らの釈義のための素材として扱う。演出家は戯曲の後ろ盾をし、自らがなした解釈の光で戯曲そのものを輝かせる。だから舞台にあるものはすべて手段にすぎない。というのもそれは自己目的ではないからである。

  私見によれば、解決すべき事柄の核心は、再現可能でじっさい再現されもしたストーリーGeschichteを遵守することのうちに存する。この概念はなんとか可能な限り把握されうる。さっと展望されその展開をもっと知りたいと思わせる初期状況が重要なのは相変わらずである。いくつかの犯罪映画の場合のように、謎の始まりでは解決が困難なように思えても、それ以外のものはあとで物語られる前史を含んでいる。舞台で起こることに直接参観できるかどうかは、〈すべてを知っているわけではないかもしくは予見できるわけではないがゆえに、事の成り行きを継続的に注視する〉ことにかかっている。その点で、演出によって再現されるストーリーの論理はたんに最低限のカテゴリーを意味するにすぎない。ドラマに関する技術を集積した古代の詩学の無邪気なやり方でドラマを組み立てようとしても、もはやそうした組み立ての規則をうまく活用することはできない。

  とはいえ、まだ結末をつけなければならないのに観客が居眠りしてしまい、残された後のストーリーを知りたいと思う気持ちが失われて注意力が低下する場合、演出は明白に失敗である。ありがたいことに、出入りを激しくすることでわれわれは間Pauseを活用できる。退屈さが優ってしまうと、人はこっそりと外出する。間が行き詰まってしまうなら、不信が強くなる。ストーリーの論理があまりに強引で、われわれが出来事の経過を追うだけで精一杯なこともあるだろう。また奇抜な舞台方針のために演出家が、観衆を逃げられないようにする制度的な強制を最初に組み込むこともあるだろう。[第三]帝国の国民教育が有していたこうしたトリックは容易に気まずい雰囲気をつくり出してしまう。数多くの演劇愛好家は、天才面する演出家のエゴのためにやまびこの壁として利用されるのではなく、むしろ演出家は観衆のためにそこにいるのである。

  結論的に問うなら、天才概念の民主化[大衆化]はどう関係してくるのか。天才のレッテルを、作家の内的人生を理由づけようとする見込みのない試みと捉えるのではなく、むしろ伝承されたテクストが有する広く承認された意味を特徴づけるものと捉えよう。そう捉えるなら演劇演出家は、観衆に対し(適宜変更を加えつつmutatis mutandis)原作に劣らないテクスト解釈[を提起する]という大きな課題を抱えることになる。おそらく同じことは革新的なオペラ演出にも当てはまる。これだけ述べればもう[演出家]の名誉を守るのに十分だ。先に述べたことが正しいなら、演出家は、厳密な眼差し恵を向けながら責任をもって自らの仕事をこなす批評家が果たすような公共的な使命をもつ文献解釈者のように振舞うだろう。しかしそうした演出家に対しては、独創的な天才の役割を果たすよう要求されたり、ましてやそうした役割を独占したりしないようにすることが切に望まれるだろう。そのためのスローガンは自己実現である。不吉な言い方をするなら、会場から立ち去るときが来たのだ。

  演出家が作家の代わりになりえたことは一度もないが、それは上演が消え去るのに対し、テクストは生き残るからだ。基礎的な時間要素がここで[テクストと上演との]区分を可能にしてくれる。つかの間の奇蹟は演出家のものであり、いつも新鮮で感動的な演劇の夕べは前代未聞の奇蹟を可能にしてくれる。とはいえ魔術全体は、手本のクオリティを糧としている。その他のすべては失敗作、アクロバット勝負、つまりいっそう高度なサーカスであろう。なるほど演劇にはサーカスの契機も含まれる。しかし〈熟慮の上での中断〉、つまりモダンなカタルシスはドラマのシーンやテクストの言い回しから生じるものである。そうしたシーンや言い回しがショーや余興のうちに解消してしまうなら、すべては台無しになるか、もしくはほとんどすべてが台無しになる。それは余興に興ずる者は、退屈を感じることなく、ホール出口を探すことがないからだ。

  われわれが天才概念の民主化[大衆化]を大勢の観客にまで広げたり、読者のゼロ階梯[読者の根本的変容]にまで広げたりするなら、いったいどうなるだろうか。そんなことをすればわれわれは、例外的な才能の持ち主をまったくありえないような仕方で平等に判断せざるを得なくなるだろう。観客席で正真正銘のバカな男と十分能力に恵まれた女性とがそのつどとりとめもない空想をめぐらしながら座っている事態を、おそらくわれわれは想定できない。仕事帰りで市民なりの捉え方を持ち込む普通の来場者を想定すればそれで十分なのだ。そうした来場者が芸術の誘惑手段によって〈熟慮の上での中断〉という一時的な状況に移されれば、万事が達成される。私のみるところ、読者であり文献解釈者であり舞台愛好家でもある私の人格にとって、こうしたことがすでに演劇のすべてに値することだと言っていい。

 

 

                   [完]

 

 

(1)この論文は以下ではじめて公刊された。Sinn und Form 52 (2000).

 (2) Herbert Ihering, Regie, Berlin 1943.

 [*1]アリストテレスは『詩学』において、悲劇の根本を「行為と人生の模倣的再現μίμησίς …πράξεως καὶ βίου」のうちにみている。正確には以下のとおり。「これらの六つの要素のうち、もっとも重要なものは出来事の組みたてである。/ なぜなら、悲劇は人間の模倣的再現ではなく、行為と人生の模倣的再現だからである。幸福も不幸も、行為に基づくものである。そして(人生の)目的は、なんらかの行為であって、性質ではない。人々は、たしかに性格によってその性質が決定されるが、幸福であるかその反対であるかは、行為によって決定される。それゆえ(劇のなかの)人物は性格を再現するために行為するのではなく、行為を再現するために性格もあわせて取り入れる。したがって、出来事、すなわち筋は、悲劇の目的であり、目的はなににもまして重要である」(1450a16-22)。

 (3)以下を参照。Roman Dilcher, »Furcht und Mitleid«, in: Antike und Abendland, Bd. 42 (1996).

 [*2]ニーチェが『悲劇の誕生』において悲劇の根源をコロスの合唱のうちにみたことはあまりにも有名。「この古代の伝承がまことに疑う余地もなくわれわれに語るところは、悲劇が悲劇合唱隊より発生したものであるということ、悲劇とは根源的に合唱隊にほかならず合唱隊以外の何ものでもなかったということである」(『悲劇の誕生』、塩屋竹男訳、ちくま学芸文庫、2003年、67頁)。

  またニーチェにとって言語的悲劇と音楽との関係は相補的ではなく、明確な優位関係の下におかれている。「じっさい音楽の演劇に対する関係は、究極のところ、まさにその逆なのである。すなわち、音楽こそ世界の真の理念であって、演劇はたんにその理念の反映、その理念の個別的な影像にすぎない。(中略)われわれの分析のさいに明らかになったように、悲劇におけるアポロン的なるものがその錯覚によって、音楽というディオニュソス的な根源的要素に完全に勝利を博し、音楽を錯覚の意図するところのために、すなわち演劇に最高の明晰性を与えるために利用したとしても、もちろんこれには一つの重大な制限を付加せねばなるまい。すなわち、かのアポロン的な錯覚は、もっとも重要な点で突き破られ破壊されているのである。……われわれの眼前に繰り広がる演劇は――総体としてみれば、あらゆるアポロン的な芸術作用の彼岸にある一つの作用を達成する。悲劇の総体的作用において、ディオニュソス的なるものはふたたび優位に達する。悲劇は、アポロン的芸術の領界からはけっして響きえない一つの響きをもって終わるのである」(同178-179頁)。

 [*3]判断力批判』の同箇所でカントは「天才」を次のように定義している。「天才とは、技術に規則を与える才能(天与の資質)である。この才能は、芸術家の生得的な産出能力として、それ自身自然に属するのであるから、次のように表現することもできるだろう。天才とは、生得的な心の素質ingeniumであり、自然はこの素質によって技術に規則を与える」(牧野英二訳、岩波書店、1999年、199頁)。後者の定義に注目するなら、カントは〈天才が自然から与えられた素質に基づいて能動的に創作する〉というよりもむしろ、〈自然が天才という一個人を通して自らの規則を個々の創作に反映させる〉というイメージで天才と自然との関係を考えていることがわかる。じっさいカントは「自然は天才を通じて、学に規則を指令するのではなく、技術に規則を指令する」(同200頁)と述べている。

 [*4]クリストファー・マーロウ(1564-93)はエリザベス朝時代の劇作家。『エドワード2世』の他にもティムールを題材にした『タンバレイン大王』やファウスト博士を題材にした『フォースタス博士』などで有名。ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツ(1775-92)はシュトルム・ウント・ドランク期の劇作家で、精神を病みながらロシアで客死した。『コリオレイナス』はシェイクスピア晩年の作品で、民主制と貴族制の対立を軸とする政治的悲劇。なおブレヒトはマーロウの『エドワード2世』、レンツの『家庭教師』、シェイクスピアの『コリオレイナス』を自ら改作して上演している。

 (4) Hans-Thies Lehmann, Postdramatisches Theater, Frankfurt/M. 1999 [邦訳『ポストドラマ演劇』、谷川道子他訳、同学社、2002年].

 [*5]ハンス=ティース・レーマン(1944-)は演劇学の分野で世界的に有名な研究者。レーマンは、ドラマを演劇の中心に据えてしまうと、観客はそのドラマの筋を追うことで約束される感動体験しか演劇から感じ取れなくなると考え、演技、舞台美術、音楽、照明などドラマ以外のパフォーマンス的要素によってかもし出される舞台上の空気感や観客とのコミュニケーションを重視する。そうしたポストドラマの演劇を公演する者としてレーマンは、ロバート・ウィルソン、タデウシュ・カントルピナ・バウシュヤン・ファーブル、ラ・ラ・ラ・ヒューマンステップス、フランク・カストルフ、ヤン・ローワース、ルネ・ポレシュ、鈴木忠志田中泯勅使川原三郎の名を挙げている。

 [*6]活人画tableaux vivantsとは、生きたモデルが絵画に登場する人物の格好をしてポーズをとりながら静止している様を舞台上で展示する手法。その場面には王室の結婚式や戴冠式、凱旋パレードなどが好んで選ばれ、舞台は移動式で街中を練り歩くこともあった。露光に時間のかかった初期の芸術写真は、静止しながらポーズをとるこの活人画から大きな影響を受けたといわれている。

 [*7]ジャン・ジュネは『泥棒日記』(1949年)において、聖人の徳目を反転させた同性愛・窃盗・裏切りという三位一体の悪徳を追求する。そのなかで泥棒たちは、聖人や修道僧がキリスト教の徳目の実践のために日々祈り働くのと同じように、犯罪の準備にいそしむ。「キリスト教のミサの倒錯」とは、この聖徳と悪徳との転倒を指しているものと思われる。

 [*8]タデウシュ・カントル(1915-90)はポーランドの演出家。「埋葬儀式」ということでブプナーの念頭にあるのは、もはや死を待つばかりとなった12人の老人たちが、かつてともに過ごした小学校の教室に集まり過去を再現しようとしたカントルの『死の教室』(1975年)だろう。なお同作品は同じくポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダによって映画化されている。

 [*9]ワーグナーは論文「未来の芸術作品」(1849年)において彼独自の「総合芸術論」を提唱している。そのなかでワーグナーは劇よりも音楽を重視していた従来のオペラを批判し、劇こそが究極の表現目的であって、音楽、文学、舞踊、絵画、建築などあらゆる種類の芸術が劇的な表現目的のために統一、融合されるべきだと主張した。

 [*10]「残酷劇 la théâtre de la cruauté」とはアルトー独自の演劇規定であり、「残酷」とはたんなる残忍さのことではなく、現代社会のうちで抑圧されている生そのもののことである。アルトーによれば演劇の目的とは、理性的な手段によって観客に真理を開示することではなく、神秘的・呪術的な演出によって観客を生成の根源にいたらせ、生の根底にある混沌の意識を目覚めさせることである。アルトーはそうした根源や混沌を形而上学的なものとみなし、「あらゆる上演の基底に残酷の要素がなければ、演劇は不可能である。われわれが今日のように堕落した状態にあるときには、肌をとおして形而上学の精神のうちに達せしめる他はない」(「残酷劇」第一宣言)と述べている。

 (5) Antonin Artaud, Le Théâtre et son Double, Paris 1964 [翻訳『演劇とその分身』、安堂信也訳、白水社、1996年].

 [*11]古代のアテナイで、ペイシストラトスの時代に始まるとされる祭り。祭りの間、街では山車がディオニュソス劇場まで行進し、劇場ではいくつかの悲劇が上演されその評価を競い合ったという。アイスキュロスエウリピデス、ソポクレスらの現存するほとんどの作品はこの祭りのさいに上演されたものである。

 [*12]ルイジ・ピランデルロ(1867-1936)はイタリアの劇作家。代表作は『作者を探す六人の登場人物』(1921年)で、後にノーベル文学賞を受賞した。同作においてその登場人物たちは自らの作者を探すことになるが、フィクションから当のフィクションの創造の現場へというメタ次元への移行が、ここでは「メタ平面上へのずらし」と言われている。

 [*13]トーマス・ベルンハルト(1931-1989)はオーストリアの作家。オーストリアの国家体制や既成の価値観を鋭く批判する作風で知られる。代表作は『消去』(1986年)。ボート・シュトラウス(1944-)はドイツの劇作家。1972年の『ヒポコンデリーの人々』でデビュー。『老若男女』『公園』などの作品で知られる。