un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ハンス・ローベルト・ヤウス「否定性と同一化-美的経験の理論への試み」(1974)[3/3]

[ヤウスの『挑発』から『ささやかな弁明』への転換は先に述べたとおりであるが、岩波現代文庫版『挑発としての文学史』の「日本語版への序文」を参考に、いま一度詳細にみてみたい。その中でヤウスはその受容美学の「第二の段階」への移行を次のように語っている。

ところで、私の草案には、まだ受容過程の心理学的ないしは「深層解釈学的」説明が欠如していた。芸術作品が同時代の公衆によって受容され、さらに文字による伝承あるいは、のちのちの世代の集団的記憶という形をとって生き続けることは、美的判断の反省的レヴェルの事象でもあるが、反省以前の美的経験のレヴェルの事象でもある。私がここで指摘しているのは、芸術の享受行為である。享受こそ、芸術に生命を与え、その存立を可能にするのである。享受は、まず何よりも美的対象と同化し、驚き、身震いし、感動し、共に泣き笑うという働きであって、この行為こそ、芸術が自律性をもつとされる時代までは自明のことであった、あの美的実践本来の意思疎通機能を支えているものなのである [前掲書ix]。

 美的経験における「享受」のあり方へとさらに切り込んでゆくヤウスの試みは、文学研究の方法論という狭い枠組を超え、七〇年代のドイツ美学が(とりわけアドルノによって)直面していた問題の突破口となり得る可能性を秘めていた。それは七〇年代の段階におけるヤウスの次のような自らの見通しのうちにみてとれる。

[美的経験の理論と歴史は]また、否定のアヴァンギャルド美学(ドイツでは特にTh・W・アドルノの美学)が、自律的芸術とそれに達しない芸術、つまり「解放的」芸術と「現状肯定的」芸術との間に生み出した断層を橋渡しすることも可能となろう。このような美的経験の理論と歴史は、解放と現状肯定、再生と再生産というカテゴリー上の対立を、同一化というカテゴリーで仲介しうるのである。同一化のカテゴリーは、「上位の」芸術と「下位の」芸術いずれの受容にとっても、その基盤であり、それだけにまた、傑作の美学によっては理解し難いマスメディア時代の芸術消費に即応したものといえよう [前掲書x]。

遅れてやって来た者のアドバンテージをもつわれわれとしては、ヤウスのこの見通しがその言葉どおり達成されたかどうかどうかを判断できる立場にある。ヤウスの主張の妥当性が幅広い読者の下で判断されるためにも、その翻訳は不可欠であると私には思われた。

 なお岩波現代文庫版の『挑発』には、20世紀ドイツ文学研究の動向とそのなかでのヤウスの位置にかんし、訳者の詳細な解説が付されていて参考になる。ただ解せないのは、「岩波モダンクラシックス」版には収録されていた論文「芸術の歴史と一般史」がこの文庫版には収録されていないことである。前者はすでに絶版状態なので、関心のある者は図書館で当該章をコピーしなければならない。

 最後にヤウスの『挑発』から『美的経験と文学的解釈学』までの思想展開をおおまかに紹介したものとして、R・C・ホルブ『〈空白〉を読む - 受容理論の現在』(鈴木聡 訳、勁草書房 1986年)を紹介しておく。]

 

 

 

    11.美的同一化から道徳的同一化への移行としての範例的なもの[*45]

 

 キリスト教の生活実践の領域において、憐れみというコミュニケーション的な心情の動揺よりも鮮明に「想像的なもの」の両義的な力からきわ立っているのは「範例的なもの」である。というのは範例的なものがもつ暗示作用が、実際に起こされた行為の証明力にまっさきに基づいていて、それが模倣可能なものimitabileを提供し洞察に訴えることで、感覚による誘惑を免れるからである。おそらくこのことが説明しているのは、〈範例がキリスト教教義の拡大のなかであらたな価値と文学的地位を獲得し、中世盛期の信徒教化からルネッサンスの歴史理解の頃まで全盛期だった〉ということだろう。範例のコミュニケーション的作用にとって主要な地盤は、キリスト教が範例の使用をはじめて理論的に表現したところから読み取ることができる。〈言葉では十分でない信徒、そうした者は範例で説得することに慣れているのだからquia cui verba satis non faciunt, solent exampla suadere〉(92)、アンブロジウス[340?-390, ミラノ司教]はとりわけ信徒に適した証明手段としてこれを推奨した。寓話や他の模範形式と同様に、範例は直観的なものの美的明証性を糧とするが、それが作り上げられた事例よりも優れているのは、そうした作られた事例よりも高尚な事実の力をもつ、実際に示された手本であるからである。これによってキリスト教の意味での範例的なものは、規範形成的な同一化として異教的な修辞法の手段からきわ立つことができたのであり、キリスト教の説教師や詩人たちはそうした異教的な修辞法に対して、なるほどでっちあげの話題の力によって心情を魅惑する術は知っていても、それによって真なるものを表現するのではなく、もっともらしいものだけをいつも表現しているにすぎないと非難したのだった(93)。しかしキリスト教的な範例は、規範を破壊する機能においても理論的理性やその〈真の認識は概念的思考とその論理的手段にだけとっておかれる〉(94)という要求と競わされている。範例的なものをあらたに要求しようとすることの背後には、よりいっそうの重みにかんするキリスト教の確信があり、その重みは思考されたにすぎないものよりも歴史的に証言されたものに認められ、たんなる教義体系よりも出来事として直観可能な行為にも認められねばならないという。そのさいキリスト教の説教師はあらゆる範例のなかでも規範破壊的な範例を、すなわち「言葉よりも行為によってより多くのことを教えた」というキリストを引き合いに出すことができた。

 

範例はこれらのことを人間の心に示唆し、移植し、印象づけることにおいてとくに効果的なので、神、イエス・キリストのもっとも偉大な智慧は、彼のメッセージの巧妙さと教義の重要性の両方を、言葉によってではなく主に行為によって、あたかも身体をもち可視的であるかのような仕方で、多様な比較、譬え、奇跡によって強化し飾りつけながら教えてくださり、その結果、神の教義はよりすばやく把握されるようになった(95)。Quia autem ad haec suggerenda et ingerenda et imprimenda in humanis cordibus maxime valent exempla, ideo summa Dei sapientia, Christus Jhesus, primo docuit factis quam verbis et subtilitatem praedicationis et doctrinae grossam, quasi corpream et visibilem reddidit, muniens et vestiens eam diversis similitudinibus, parabolis miraculis et exemplis, ut eius doctrina citius caperetur.

 

範例的なもののうちでは否定性と同一化が結びついており、模範の非日常的なものと同時に真正なものとが日常の生活実践の規範を打破することで(範例と混じりあうことexemplis confundi)(96)意識を悟りと改心へと解き放ち、遂行の枠組みの下絵を示して、そのうちで模倣imitatioの道徳的同一化の正しさを実証するという仕方で、否定性と同一化の両者は結びついている。

 美的経験の歴史において範例的なものに対し格別の関心が認められねばならないことについて、おそらくこれ以上の論及はほとんど必要あるまい。範例的なものの規範形成的機能とコミュニケーション的機能は、教会や宗教共同体や、道徳文学や、近世初頭以降、神学の後見から解放された実践哲学のうちでのみ明らかになるのではなく、コメニウス以来の学校授業の理論と実践においても、またとりわけ1789年まで絶えることなく範例に定位してきた歴史経験(歴史は教えるhistoria docet)においても明らかとなる。人文主義による範例的なものの実践的意義の基礎づけ(教訓は行動となるlectio transit in mores)は、その後もユエからブランケンブルク[*46]にいたる小説家や文芸評論家らに受け入れられ、読書の権威的な力をいまや市民的読者社会の解放にも役立てた(97)。他のところはいざ知らず、芸術のコミュニケーション的機能が客観的に拘束してくる意味を形成するなかで明確に把握されうるのはまさにこの場面であり、否定性の美学は美的なものから道徳的なものにいたるいっさいの同一化を、迎合的で、体系を正当化し社会の現状を是認するもののブラックリストに記載してしまうために、この機能を取り逃している。

 しかし美的経験の根本的両義性は範例的なものにおいても妥当し、この場合、範例に即して自由に学びながら物事を把握する可能性と、不自由かつ機械的に規則を遵守する可能性という模倣imitatioの二つの可能性がそこには含まれている。範例的なものとの道徳的同一化は、自由な「継承Nachfolge」と不自由な「真似Nachahmung」との対極の間でなされる。こうした区分はキリスト教的な生活実践(キリストの模倣imitatio Christi)の領域で発展した。だがこの区分が重要性をもったのは道徳哲学、とりわけ範例に関するカントの教説にとってである(98)。『判断力批判』の該当箇所において「範例」は、規則の先行知識を前提とする「事例」の機能から切り離され、たんなる「機械的な真似」に対抗する「継承」の態度として設定される。

 

範例的な創始者の作品が他の人々に及ぼし得るあらゆる影響の正しい表われは、先例に関わる継承であって真似ではない。これは、創始者自身が汲み取ったのと同じ源泉から汲み取り、そのさい自分の先行者からふるまい方だけを学び取るのと同じ意味である(『判断力批判』§32[A283])。

 

 このように解された範例的なものの概念は、美的判断と道徳的実践との亀裂を塞ぎ、美的同一化から道徳的同一化への移行を明確化するのに適している。美的なものの領域においても道徳的なものの領域においても、範例的なものの優れた能力は〈それが「規則と事例」の図式を打破する〉ところにある。つまり「範例的なものが指示するものは〈未規定〉であり、デュナミスの性格を有している、すなわちあらたに具体化されるたびに再規定される」。範例的なものが実践理性の領域で道徳的心術Gesinnungを生き生きと描き出すことによって「美による道徳の客観化」を克服し、行為そのものへの関心を惹き起こすことができるのはそのためである(99)。またカントによる美的判断の必然性、つまり〈何が挙示できない普遍的規則の事例とみなし得るかについての判断に対し万人が賛同する必然性〉がただ範例とだけ呼ばれている(得ている)(§18)[*47]点で、カントの意味での範例的なものは規範形成的で開かれた合意の型を提供しており、(そのさいヘルバルト[*48]が試みたことであるが)この型に基づいて倫理学を美学として基礎づけることもできる(100)

 

 

         12.英雄との美的同一化という相互作用の型

 

 キリスト教の生活実践の領域のうちにある共感的なもの、呼びかけ的なもの、範例的なものの経験の根源へとふりかえってみるなら、それはこれらのカテゴリーが美的同一化から道徳的同一化への移行の問題にとって格別な利益を有していることを示してくれるはずである。これらのカテゴリーは、〈革新や再生産といった形式主義的なカテゴリーによっても、既存の支配者利益の現状是認というイデオロギー批判の題目のもとでも把握され得ない芸術の社会的能力〉の多様性全体を白日の下に晒す。美的経験は自律化以前の芸術の世俗的歴史において、社会における芸術の解放的作用と現状維持作用との対立関係に吸収されることはけっしてない。規範破壊的機能とノルマ達成的機能という両極端の間に、もしくは漸進的な地平の変化と支配的イデオロギーへの迎合との間に、今日しばしば見過ごされている芸術の一連の社会的機能が、すなわち狭い意味でコミュニケーション的、ノルマ達成的と特徴づけ得る芸術の一連の社会的機能が存する。規範を創出し(根拠づけ、導き、高め、正当化する)英雄芸術の能力も、世代から世代へと広く受け継がれる日常の生活実践の知を伝達し、拡散し、解明するさいの教訓的芸術の見過ごせない役割もここに存すると思われる(101)。これらを受容する過程では、学習的な把握、つまり事例に即して規範を継承しつつ把握することと、機械的で不自由なであるがゆえにノルマを達成して規則を遵守することとが区別されねばならない。芸術の社会的作用は規範破壊的な同一化の型から始まり、規範形成的(規範創出的もしくは規範継承的)な同一化の型を経由して、ノルマ達成的な同一化の型にまで広がっているが、先の区別によって、そうした芸術に備わる社会的作用の諸機能の[規範形成という]一段階が[規範の]否定とその現状是認との両極の間に保持される。

 美的同一化のコミュニケーション的な型は、「英雄」という導きの糸に即して類型化され、祭祀への参加と美的反省との間に広がる美的経験の余地を包括する体系に組み入れられる。以下の一覧表はそうした体系に関する私の提案を含んでいる。この一覧表はノースロップ・フライによる英雄の類型論と同じ領域を含んでいるが、もはや行為能力の表現形式や程度からではなく、受容の諸様態から出発している(102)。[フライと]同様に受容の仕方の体系は五つの段階に区分されるが、フライと異なるのは「神的なあり方」の英雄を宗教経験ないし祭祀への参加の領域に移している点である。とりわけ植物崇拝Vegetationkultenにおいて登場するような死する神[*49]の神話には、美的同一化や道徳的同一化はまだ不適である。そうした神話は受容する側に、主体を崇拝行為の共同体へと譲り渡すよう要請する。

 そのさい、他に勝る祭祀の同一性に個々人を吸収する形式と似たものがあるとすれば、それは、想像上の閉じた演技行為の世界における役割を引き受けるさいに形成される美的経験の第一の平面に見出される。祝祭のセレモニーであろうと、文学的コミュニケーションに端を発する儀式もしくは芸術実践から導かれた世俗社会の形式であろうと、共通の構造は(中世の宗教劇においてもなお変わらなかったように)、作品と鑑賞者、俳優と観客との対面が廃棄されているということである(103)。演技(シュピール)におけるこの美的態度を連合的同一化と呼ぶなら、想像的なものの両義性の影響が現われるのは、肯定的な場合の演技共同体との同一化が自由な生存の享受に連れ戻す一方で、否定的な場合の演技共同体との同一化がアルカイックな儀式によって集団的魅了化という不自由に連れ戻しもすることにおいてである。

 美的同一化のさらに四つの平面の結末の図式として、登場人物のアリストテレス的区分が役に立つ。それによれば(『詩学』1148s)[*50]、「絵画の手本にしたがう」詩の登場人物はわれわれよりも優れているか劣っているか、われわれと似ているように表現され得る。「われわれよりも優れている」と「われわれに似ている」との対立に対応して、賞賛的同一化と同情的同一化とが基本的に区別され、われわれはすでにマックス・コメレルに引き続いてこれら二つの同一化を導入し歴史的に論及したのだった[第10節参照]。古典的解釈の狭い意味において賞賛的同一化と共感的同一化と対立するのはカタルシス的同一化である。カタルシス的同一化は苦悩し苦境に立たされた英雄の位置に観客を置き換え、悲劇による心の動揺や喜劇によるその軽減によって観客の心情を解放してやり、この解放によって観客はもはや特定の行為の型を引き受けるのではなく、自らの判断を自由に行使できるようになる。

 カタルシス的同一化には〈観客が道徳的に解放されてはならず、むしろ幻想の魔術的な力に惑わされただ享受するだけの同一化に我を失う〉というの裏面があるが、この裏面は想像的なものの魅力を打破し鑑賞者の美的構えを問いに付すところにまで至ることがしばしばあった。そうした態度はアイロニー的同一化と名づけられる。この規定により規範破壊的な機能は、英雄との美的同一化の多様な可能性において優れて達成される。規範破壊的機能がその狙いを外し、欠陥的な美的態度(恐怖、退屈)や冷淡に一変することがあるが、この事実は、美的経験が想像的なものを頼みとしているがゆえに抱え込まざるをえない、あらゆる美的経験に固有の両義性を証明している。以下の図式的な一覧表は、肯定的/否定的な態度規範の対置によってこの両義性を特徴づけている(104)

 

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               13.連合的同一化

 

 連合的同一化のもとで理解される美的態度は、演技行為の閉じた想像上の世界においてある役割を引き受けることでもっとも純粋な仕方で実現される。ここでいう演技行為Spielhandlungとは、観客に対する呈示Darstellungを意味するものではない。演じる者の連合的同一性はむしろ、演技と鑑賞、俳優と観客との対面を廃棄する。この規定は遊びSpielを構成する否定性としても説明されうる。すなわち遊びは日常的な目的や欲求の世界にそれとは異質な遊びの世界を対置し、この遊びの世界のうちでその参加者たちは自由に承認された規則を遵守することによってより完全な秩序を実現させる限りで、生活実践のアンチテーゼとして時間空間の経験の同質性を中断する(105)。そのさい遊びや祝祭や演劇の想像的世界による生活実践の否認は、美的経験から実践経験への方向転換をけっして排除していない。ヘルムート・クーンによれば潜在的に自らのうちに芸術を孕んでいる祝祭の演技行為と同様、芸術経験の島のようにきわ立った[不連続な]あり方は、「生のうちに入り込んでいる二重の拡がり、すなわち定期的に反復される傾向による拡がりと、日常生活を貫通し慣習moresをかたちづくる放射、すなわち儀礼による拡がり」(106)を有している。

 ここで「放射」と呼ばれたものは、遊びの練習機能や社会化機能によってよりいっそう明解に基礎づけられる。遊びのうちで獲得された美的態度がコミュニケーション的経験へと開かれ得るとすれば、それは「祝祭性のアウラ」のおかげによるのでなく、(遊びをするどんな子供もすでにそうであるように)遊ぶ者が遊びの規則を引き受け、それにしたがうことによって規則を把握する術を学ばねばならないからである。しかしそのことはまた、〈遊ぶ者は他者の役割になり代わる覚悟ができていないといけない、それどころか「遊びに関与した人物すべての姿勢を引き受ける」(107)覚悟ができていなければならない〉ということをも要請する。また遊ぶ者は役割を割り当てるさいに審判にも味方にもなることができるために、演技行為に参加することによって、他人や他の味方の役割を承認することを経て、遊びのうちで働いている正義を承認し把握するようになる(108)

 ここで美的態度における連合的同一化として説明されたものは、よく知られているように、G・H・ミードの社会心理学の中心部分である。個々人は自分自身にとって[すぐさま]主体にはなりえず、むしろ「まず自らがどの程度、自分自身にとって客体となるかに応じてのみ」主体となる、つまり同時代の社会集団の視点から役割を引き受け承認することで自らの役割(ペルソナ)に応じて自らを経験し、自らの自己同一性を発展させる限りで主体となりえるのである(109)。それゆえ遊びが有する連合的同一化の社会形成的な機能が発揮されるのは、遊ぶ者がどの程度その遊びにおいて他者の姿勢を取り入れ、どんな態度が期待されるのかを示しつつふたたび社会生活を導くコミュニケーションの仕方をどれくらい練習して覚えこむかに応じて自らの自己同一性を発展させることができる場合である。

 この理論は、文学を生のうちに置き入れるある有名な歴史的事例に即して例証される。ヨーロッパの伝統では、性愛の解放と洗練は中世における女性への奉仕という文学上の儀礼抜きにはほとんど考えられない。この文学上の儀礼と共に愛の倫理という社会規範が演技によって練習し始められ、愛の倫理の社会規範は、入れ替わりに指導的立場に立つさまざまな社会階級によって広く伝達されながら今日でもいちゃつき、愛の告白、お断り、報い、絶縁のような「言葉遊び」のうちにその姿を知ることができる。もともと規範形成的であるトルバドゥールのポエジーにおいてカンツォーネやアルバといった叙情詩の形式[*51]は、個々の愛する男と女主人との親密な役割との結びつきのうちで存続し、テンツォーネやパルティマン(ディレンマ的な争詩の形式)といった公開的な性格のジャンルや「愛の法廷cours d’amour」の儀礼によって縁取られた。このテンツォーネやパルティマンの形式は、宮廷愛という状況やコミュニケーション形式から法律劇や裁判劇を発展させ、それによって個々人の賞賛的同一化に対し社会統合の平面における連合的同一化を引き立てたのだった(110)

 あらかじめ指示された役割にしたがって行為におよぶ遊びの促し作用が強く残っているのは、美的対象そのものが連合的同一化ではなく、鑑賞者の役割だけを要請している場合であるようにも思われる。このことを証言する事例において、読者自身は個人の同一化から連合的同一化へと移行してゆき、受動的な読者の役割の代わりに社交儀礼への積極的参加を得て、芸術作品にふたたび遊びの性格を取り戻している。これに関しては十七世紀以来おそらくもっとも影響力をもった小説オノレ・デュルフェの『アストレ』[*52]の受容史が示唆に富む(111)。まず貴族の読者層に受け入れられたこの長大な牧歌小説は、社交における受容形式の全目録を示してみせた。その目録は当時流行の権標やラブレターの文例から、問答遊び、牧人仮装や道徳決議論的な議論を経て「完璧な恋人のアカデミー」の設立にまで拡がっている。このアカデミーはゲルマニアというもっとも高名な家筋の二十九人の人物によって設立され、ゲルマニア家から著者オノレ・デュルフェに宛てた書簡が保存されている。この書簡は、演技行為が有する解放機能やそれが社会生活の実践にひるがえる事態を証言しているのだが、それは〈われわれが黄金時代に享受していたのと同じくらい自由でより穏やかに人生において輝くために pour pouvoir ci-apres tant plus doucement, et avec cette mesme liberté, que nous voyons comme au vieux siècle d’or, reluire en la vie(112), 文学上の役割を『アストレ』から引き受けた〉という参加者の希望が表に出されているからである。書簡の目的は、いまや『アストレ』の著者まさにその人を演技行為のうちに引き入れることである。小説を自分たちの遊びのルールブックと解し、自分たちの名前や肩書きや衣服を温厚な羊飼い、勇敢な騎士、麗しい妖精や優美な羊飼いと取り替えた二十九人の署名者たちは、デュルフェ本人だけでなく、彼の比類なき作品も自分たちの遊びの関心事となるよう要請したのだった。彼らは、セラドン[同作のヒロインであるアストレの恋人]の名前を体現するにふさわしい者が彼らのうちに見出せなかったため、デュルフェが自分たちのサークルに加わってこの名前を引き受けるつもりはないかあえて懇願している。

 遊びの共同体との連合的同一化によって「自由な生存の享受」にいたる遊びの高度な促し作用は、社会の諸階層や制度によって取り入れられ、その秩序の理想イメージを呈示する。しかしこの促し作用は芸術作品の場合でも、クルト・バットが「賛美による祝祭」と説明した(113)集合的記憶のより普遍的な機能にまで高められ得る。この生活世界の機能は、否定性の美学以降、〈芸術は支配的イデオロギーに迎合しているのではないか〉という嫌疑に回収されることによってすでに時代遅れで用済みなものとされたわけではない。それは「賛美による祝祭」が共通の過去の時々との連帯を生み出すことができるからであり、そうした過去の時々は人類史の偉大さと苦悩について証言してくれるのであって、もしコミュニケーションすると同時に保存する美的経験の力が忘却に対置されないなら、過去の時々はいっそう悪い迎合性、つまり忘却という迎合性に確実に回収されることだろう。

 だが遊びや祝祭との連合的同一化への促し作用には、保存する記憶の欲求だけでなく、想像上の対象や遊ぶ態度の目的に感じられるかなり強い満足もたしかに関わっている。また想像的なものに楽しみを感じるところには、受容する意識を美的享受によって解放すると同様にまさにそのことによって受容意識を気づかないうちにそそのかす内部分裂状態の能力がいつも存するために、(すでに引用したように)アウグスティヌスが剣闘士の見世物の例で警鐘を鳴らしつつ明白なかたちで提起してみせたあのプロセスが連合的同一化によって始まることになる。遊びに向かうことで日常の強制や習慣から自由になった意識は、連合的同一化を経ることで自らの意志に反し、当初は自由であった美的な心構えをいっきに集団へと不自由なかたちで同一化させる儀式行為のうちに引き込まれる可能性がある。

 

 

               14.賞賛的同一化

 

 賞賛的同一化ということで理解されるべき美的な心構えは手本となる者の完璧さに接することで生じるために、まだ悲劇の作用と喜劇の作用の区別からは遠く隔たったところにあるのだが、それは英雄や聖人や賢者に接するさいの規範形成的な驚嘆が、一般に悲劇による動揺からも喜劇による感情軽減からも発生しないからである。驚嘆はむしろ、美的対象がその完璧さによって期待を理想にまで高めるために、「目新しさが喪失してもやむことのない」(114)ような驚きが生じることを求め、そのようにしてとりわけ手本を形成する方法Bildungsartやその有効性にかかわる美的同一化の遂行のための枠組がもたらされることを要求する。

 マックス・シェーラー『典型と指導者』[1911-21]の有名な理論は、美的経験の関与ということを考慮するなら補完が必要である。歴史的にみても社会実践的にみても、手本となる人物の形成と伝播を構成するのは血の相続(性の選別)、伝統、人格への信仰といった媒体だけではない。人格に関してシェーラーは次のように詳述した。「われわれはむしろ全体的で不可分の人格の全体価値印象Gesamtwerteindruck(人物像)に基づいて、つねにこれを愛し、そしてまっさきに憎む。われわれは愛しそして憎む場合、同意するか拒絶するか、追認するか対立する傾向もある」(115)。「全体価値印象」と定義された人物像概念がここで覆い隠しているのは、〈触発によって手本との関わりが生じる場である「不可分の全体」は、規定できない個人の人格の全体性などではなくむしろ、われわれが英雄的で、美しく、神聖で、賢いもの(116)としてこの人格に驚嘆するか、(英雄的でも美しくもなく、神聖でも賢くもない場合には)拒絶できる観点の完璧さだ〉ということである。シェーラーによれば、さきの〈触発的な関わり〉はどうして「各人は自らの手本を持ちそれにしたがうことによって、そうした手本を善で、完璧で、あるべきものdas Sein-Sollendeとみなす」(117)のかを説明してくれるはずなので、この関わりをさらに詳しく規定しよう。驚嘆はすでにデカルトが魂のあらゆる情念の第一のものとみなしているが、それは〈ある対象がわれわれにとって都合のよいものか、そうでないかをわれわれがなんとかして知る前に avant que nous connaissions aucunement si cet objet nous est convenable ou s’il ne l’est pas〉(118)、驚嘆によってわれわれがその対象に好意を抱くからであるという。デカルトによれば、尊重と軽視との区別(尊重と軽視、尊敬と軽蔑 estime et mépris, vénération et dédain)から自己尊重や自己尊敬もまた導かれ、この区別は驚嘆とは逆に二次的なものによって、つまり〈原因となる対象がわれわれにとって善であるか悪であるか〉という事後的な認識によって制限されている(119)。賞賛administrationのこうした古典的規定から十分に認識されることは、〈完璧なものがその力によってあらゆる期待を凌駕するさいに生み出す美的明証性こそが、驚嘆の触発的性格を反省以前の賛同の行為として制限している〉ということである。

 したがって手本の有効性はまさにその倫理的で社会的な機能のうちにもあり、この機能は、行為規範を形成する場合でも集団の同一性を強化する場合でも、美的経験の想像による補助なくしては考えられない。挌率にしたがって反省された行為よりも、賞賛的同一化の方が社会的実践の日常においてとりわけ優っているのは、人格の手本を増やしていくことで賞賛的同一化が歴史についての経験の密度を濃くし、それを世代から世代へと伝播させることができるからである(120)。宗教集団や社会階層の集合的記憶が構成されるさい、この一連の手本はしばしば過少に評価されている(121)系譜論では一連の手本は、先祖の偉業を賛美し保持し伝達することに役立つ。宗教的な共同体ではそうした一連の手本は、信仰の英雄や殉教者の真似をするよう要求する。「九偉人」(122)[*53]のような民族ごとに英雄化された人物から無数の有名な罪びとや償いびとや故人にいたる輝かしき人間たちのギャラリーにおいて、一連の手本は全人類の過去を生き生きとさせるのであって、ダンテはそうした人間たちによって古代・キリスト教・同時代の歴史を人格化しつつ描き出し、永遠の記念碑にまで高めたのだった。そしてこの一連の手本はそれ自体大規模な革命の行動をも正統化するのだが、それは、革命運動の強化の段階があらたに始まった歴史のゼロ地点の後に続き、この強化段階はそれに関わった殉教者、初期の先駆者、離れたモデルを経由することによって、当初は否定された過去をいまや自らに割り当てられた遺産として徐々にわがものとする場合である(123)

 人物化された英雄的な手本が歴史上、交代した事例として引き合いに出されねばならないのは、一一五〇年頃の宮廷小説の登場である。この文学史的な出来事に即して、賞賛的同一化の二つの典型的なあり方が示される。アーサー王の円卓の騎士というあらたな英雄たち(エレック、ユーウェイン、ガウェイン、ランスロット、パーシヴァル)が、シャルルマーニュの英雄賛歌のかつての勇士たち(ローラン、オリヴィエ、ギヨーム)と競合するようになる。あらたな英雄類型である宮廷の冒険騎士Aventure-Ritterとは、孤独のうちに冒険に出て、魔法世界の危険に晒されることで、アーサー王を取り巻く宮廷社会を「喜」ばせ、自らには愛人の女性を得る者である。十二世紀の中頃以降この英雄類型は、自軍の切り込み役で、戦闘にさいしては英雄にふさわしく荒地に崩れ去るが、その代わりにキリスト教の天国にゆくことができ、継承されるべき模範を残す人気の十字軍騎士の英雄を押しのける(124)。ローランという型によって型押しされたいにしえの類型に対する驚嘆は、あらゆる人間の期待を凌駕する大胆さと完璧な自己犠牲の覚悟(125)に触れることで惹き起こされる。ここで賞賛的同一化は作者、歌い手(吟遊詩人)や読者聴衆を、民族の歴史の規範を与えてくれる大昔の集合的記憶、つまりカール大帝の英雄時代の集合的記憶のうちでつなぎ合わせる。[これに対し]キリスト教的なアーサー王物語によって型押しされたそれより後の英雄類型に対する驚嘆は、冒険や愛の証明といった偶然事を[古い英雄類型に対する]相関的平面としつつ、メルヒェンのような非日常の出来事から糧を得ている。ここで(読解する)読者は、驚嘆すべき英雄と同一化することで日常や歴史の実在的なものに背を向け、想像的なものの完璧さに逃避したい自らの欲求を満足させる。そのさい読み手はこれによって完璧な愛し方という規範に精通するようになり、この愛し方によって宮廷の洗練された者と普通の死すべき者とを区別することになる(126)。このように中世を生き延びた二つの英雄類型は、賞賛的同一化の二重の欲求を満足させる。すなわち、叙事詩や賛歌の英雄は日常現実を嵩上げしてくれる歴史上の行いを賞賛しようとする集合的記憶の欲求を満足させ、またメルヒェンや物語の英雄はすでに読み手を特徴づけている、高尚でない出来事への関心を満足させ、その関心は稀にみる冒険や完璧な愛への希望を日常の蓋然性から遠くはなれたところで成就させる。

 [アーサー王物語以降の賞賛的同一化の]第二の型の魅力は十二世紀において強化されたが、それはケルト由来の題材が導入されることで、中世の叙事詩において文学的フィクションが歴史-伝説上の実在からはじめて区別され、独自のsui generis楽しみと感じられたからだった。ソールズベリのヨハネスは、アーサー王物語の無敵の進軍に関係する弾劾演説の中でこのことを次のように証言している。

 

どんな敬虔な感情も、それがキリストの愛からやってこない限りは救済に導くことができない。吟遊詩人たちが悲劇やその他の詩から小唄をつくるさいしばしば、あらゆる点において知的で、ハンサムで、力強く、愛くるしく、万人に愛されるような何者かが描かれる。この者が被った危険や傷は、余興芸人がアーサー王やガウェインやトリスタンについて演じてみせる寓話と同じ仕方で物語られ、それらの話を聞くと、聴衆たちの心は憐れみの気持ちから張り裂け、不安になっていまにも涙しそうになる(127)。Nulla etiam affectio pia meritoria est ad salutem, nisi ex christi dilectione procedat. Saepe in tragoediis et aliis carminibus poetarum, in joculatorum cantilenis describitur aliquis vir prudens, decours, fortis, amabilis et per omnia gratiosus. Recitantur etiam pressurae vel injuriae eidem crudeliter irrogatae, sicut de Arturo et Gangano et Tristanno, fabulosa quaedam referunt historiones, quarum auditu concutiuntur ad passionem audientium corda, et usque ad lacrymas compunguntur.

 

僧侶の読書の楽しみに対するこの怒りにまかせた批判が描き出しているのは、完璧な(万人に愛される per omnia gratiosus)英雄に対する驚嘆の魅惑であり、その魅惑は、スコラの批判家には許されていない、冒険の苛酷な試練に対する感動へと賞賛的同一化が一変するにまでいたる。賞賛的同一化の根本的両義性は、この[第二の]型の場合でもすでにその受容の最初の証拠に即して把握可能である。この根本両義性は、手本となって実践的に機能したりそれを社会的態度のうちに導入したりすることから転落して、誤った教化や純粋な娯楽にいともたやすく落ち込む可能性がある。こうした堕落については現代の三文小説にいたるまで追跡可能である。完璧なものによってそもそも規範が与えられるという意味が損なわれ、読者が娯楽的な冒険のノルマ達成的なクリシェや(英雄がいかにして毎回あたらしい障害を克服するかを楽しむ)、「完璧な世界」(今日なら「夢工場」と呼ばれるもの)を求める要求の満足に自らの充足を見出すとき、賞賛的同一化の堕落は規則に支配されたものとなる。

 

 

               15.共感的同一化

 

 共感的同一化ということで理解されるべき美的な態度は、〈驚嘆や感動のうちにとどまっているか、もしくは自己享受にとらわれ続けている隔たりの作用〉を打破し、連帯することによって行為する覚悟や[同一化したものの]継承にいたることができる態度である。美的経験の実践は、驚嘆と憐れみがいかにして引き続き関わるようになるかを繰り返し示している。すなわち、完璧な英雄や「手本」との規範形成的な同一化としての驚嘆は美によって客観化される一方で、非日常的なものに感じられる珍しいもの見たさや教化や享楽といったノルマ達成的な態度に落ち込んでしまうこともある。役に立たなくなるか、達成不可能なものとなるか、クリシェに落ち込んでしまった手本に対置されるのが不完全で日常的な英雄というあらたな規範であり、観客や読者はそうしたあらたな英雄のうちに自分自身の行動の活動領域をふたたび見出し、かくして道徳的な同一化によって実践的な洞察を得ることができる。

 その典型的な例として、啓蒙の世紀にディドロとレッシングが理論的に基礎づけながら、市民の〈真面目なジャンルgenre sérieux〉[*54]を古典的悲劇や喜劇の規範から切り離していった事実がある(128)。「中間的な英雄」、すなわちレッシングの有名な要請によれば観客と同じ気質をもったvon gleichem Schrot und Korn英雄が、すでに古典となったコルネイユラシーヌモリエールの英雄たちと交代することとなり、より高尚な完璧さという硬直した規範に対し市民である観客と英雄との同等性が生み出され、ディドロやレッシングによればそうした市民こそが必ずや実践的な洞察へと導かれる。文学史はあらゆる時代で、賞賛的同一化と共感的同一化がこのように引き続き関わっていた事例を示している。ここではさらに中世から一つの事例が引き合いに出されねばなるまい(129)。十二世紀において開花したロマンス系の奇蹟文学のジャンルは無名の罪びとを奇蹟の人として、有名な聖人であった伝説的英雄にとって代えたのだった。聖人の人生においては徳が具体化され、おのれの存在を示す奇蹟によって神の力が証明されるが、そうした聖人の完璧さはキリスト教徒の鑑賞者にも〈なるほど自分はその完璧さを継承するよう望まれているが、聖人の完璧な規範をいつか達成できるとはほとんど思えない〉という問題を迫る(130)。それゆえ、変更をいっさい求めず恐れと憐れみを抱く余地のない完璧なperfectus人の達成不可能な完璧さに、この時代になって達成可能で模倣可能imitabileなものがふたたび対置されたことは非常にわかりやすい。そうした達成可能で模倣可能なものは過ち得る日常的な奇蹟の担い手であって、救済を与える神の力がしばしばマリアの慈悲深さによって伝達されながらそうした範例の転倒と変更に示される。世俗化したバリエーションないし聖人の人生に対する挑発的な反対形式としては、ルソーの『告白』[1770年]以降、伝記が当てはまる。現代において伝記はまさにセンセーションや教化や政治の平面に落ち込んでしまったという悪評を買ってしまったが(ドイツにおいてその回復はつい最近のことである)、そのことは民主主義の欲求を忘れさせることにはならず、伝記が市民の読者のうちでその人気を保ったのはそうした民主主義の欲求のおかげであった。「われわれが伝記に対して抱く果てしない能的欲求は、平等という奥深い感情から生まれる l’immense appétit que nous avons pour les biographies naît d’un sentiment profond de l’égalité」(131)

 共感的な同一化がたんなる珍しいもの見たさや、自己享楽的な感動や儀式的もしくは理想像的な規範の不自由な遵守に陥ってしまうことについては、中世のキリスト教美学の文脈においてすでに問題となっていた(132)。ハンス・ヨルク・ノイシェファーが一七八九年前後のフランスにおけるブルジョワ文学に関して示してみせたように、社会学的にみて興味深いのは、ある階級の躍進と支配との間の入り口にこうした同一化の急転が歴史的に位置づけられる場合である。「ブルジョワ以前の解放的な文学はじっさい、とりわけ〈市民劇drame burgeois〉の十八世紀においてのみ、したがってブルジョワ階級が決定的な階級としてまだ確立していなかった時代においてのみ見出される。しかしブルジョワに権力が移譲されたあとの十九世紀になると、もはや第二身分の文学だけがブルジョワ階級に奉仕したが、それは小説においてすらそうであった」(133)。もともと規範破壊的な同一化の型がノルマ達成的な同一化の型にすっかり変わってしまうという事態は、十九世紀における文学の商業主義によってそれ以前の時代とは比較にならないくらい加速化し先鋭化した。今日ではかくも多様に議論されている消費文学と文化産業は、欲求の操作や支配者の利益の隠蔽という手法と共に出現したが、その歴史的出発点はここにある。よく知られたそのイデオロギー戦略はここでは次のように説明される。つまり自分と同等の英雄(その英雄が問題にすることは万人の問題となる)との規範形成的な同一化は、支配関係の体系とのノルマ達成的な同一化へと閾下で誘導される。またそのさい、消費者の想像上の欲求が刺激され、満たされ、かくして支配的な社会体系のヒエラルキーとその妨げられることのないさらなる持続を確実なものとするよう前もって導かれることになる。

 具体例としては、フロベールの体系批判的な『ボヴァリー夫人』[1856年]と小デュマの体系適合的な『椿姫』[1848年]とを対置することが有効だろう。『椿姫』に関してはノイシェファーがエリック・シーガルの『ラブ・ストーリィ』[1970年]にいたるまでの影響力ある規則体系を発見し、この規則体系によってはじめて読み手の共感的な同一化が作動し、そうして何食わぬ顔で支配的なブルジョワ道徳にふたたび服従させるのである(134)。たとえば高級売春婦のマルグリットに対する金持ちのブルジョワの息子アルマンのエロス的激情のような[『椿姫』の]主題が、禁止されているものや正統でないものという刺激でもって娯楽や息抜きへの欲求に応える。高貴で、肺結核を患っていて、それゆえに憐れみを誘う売春婦のバリエーションは、ブルジョワの読み手が共に責任を感じる必要なく「こうした哀れな女どものde ces pauvres créatures」賭けに高揚するようにして、その社会的良心を宥める。ブルジョワの秩序への意志はけっきょくすっかり承認されたと感じられて構わない。というのはきわめて忍耐のいる情事をやめ婚約することで、ブルジョワのタブーを犯しかねなかった息子アルマンとの切迫した葛藤が、アルマンの父によって秘密裏に工作された椿姫の[アルマンに対する想いの]断念によってうまく回避されるので、読み手の実質的な関心と道徳的共感とが同じように満たされるほどだからである。「ブルジョワに愛好される立派な娼婦」は「ブルジョワ精神のために犠牲となった聖なる娼婦」にその姿を変え、そこから「ブルジョワ精神の関心が、以前ならまだあらゆる代価を払ってでも回避されねばならなかった同じ問題(つまり乱婚)をいまや正当化する」(135)という事態が見えてくる。

 息抜き、追認、宥めは、フロベールがその『ボヴァリー夫人』によって文学の尾根の高みで機能させる規範でもある。とはいえここで禁じられた愛という息抜きの図式は、自らの環境よりも自らの読書の犠牲となる日常の「ヒロイン」の情念論として問題化されている。エマ・ボヴァリーの没落はファルマーコン[毒薬]の物語であり、(フロベールを相手取って起こされた訴訟が示しているように)この物語は公の道徳やとりわけ偏狭なブルジョワの教育システムを追認するのではなく、むしろそれを挑発している。ここで読み手の良心は、自分の判断を不確実にしているものがフロベールの非人称的な文体だけではないためにいっそう宥められることはない。(フロベールに対し検察官がもっともひどく非難したことだが)本全体のうちにも、フロベールのスキャンダラスな「ヒロイン」を弾劾することができたはずの「肯定的な人物」(分別のある登場人物personnage sage)は見つからない。「不道徳」であるという[検察側の]非難が目新しいのは、そうした非難が支配的な道徳規範の違反を拠り所とするのではなく、むしろこの小説の誰とも読み手が同一化できないところを拠り所としているからである(136)。読み手にとっては、エマ・ボヴァリーのアイロニー化された運命によって同情的な同一化の可能性が困難にされているだけでなく(それは、読者が挑発的で月並みな「ヒロイン」を自分と同じような人間と感じることがほとんどできないからである)、対照的な規範という、理想を量るなじみのものさしが奪われてもいる。この裁判によってナポレオン三世の検事は、自らうすうす感じることもなく、まだカノン化されていない美的手法、すなわち同一化を拒絶するというアイロニカルな形式をはじめて公的に記録し叱責したのだった[*55]

 フロベールに対する起訴状の議論は、反ブルジョワ的な由来の社会秩序のうちで成功するはずだった美的規範、すなわち社会主義的なリアリズムの「肯定的な英雄」をアイロニカルな仕方で先取りしている。そうした社会主義的リアリズムにおいてドグマとされた美的規範は、共感的同一化の堕落形態をもっとも印象的に例証している。社会主義的リアリズムの「肯定的な英雄」はまったく完璧でなく驚嘆を惹き起こすようなことはないし、憐れみに値すべくもない。しかしこの英雄は支配的な道徳の否定によって批判的な反省を作動させるようなこともまたしないし、いわんや息抜きの欲求を満足させることもない。社会主義的リアリズムの英雄によってむしろ読み手は、〈既成のシステムないし近いうちに実現されるシステムを肯定し、そうしたシステムと法則にしたがう進歩との同調を認識するノルマ達成的な同一化〉にいたらざるを得なくなる。

 

 

              16.カタルシス的同一化

 

 カタルシス的同一化ということで理解されるべきは、すでにアリストテレスによって説明された美的な心構えであり、この心構えは観客を生活世界のリアルな関心や触発による巻き添えから、苦悩し窮地にある英雄の立場へと置き入れることで、悲劇によって観客の心情を動揺させたり喜劇によって軽減させたりする。すでに古代の理論において芸術の悲劇的作用や喜劇的作用にまで拡張されているこの規定(137)は、ヨーロッパ文学において「古典」とされるさまざまな時期の詩学から証明を受けているといっていいだろう。たとえばシラーでは次のように論じられる。

 

このような心の自由をわれわれのうちに生み出し、養うのが喜劇の美しい課題であり、同様に心の自由が感情の動きによって無理やりに失われる場合に、これを美的な方途でふたたびうち立てるよう力を尽くすのが悲劇の使命である(138)

 

カタルシス的同一化を成立させているのは、それが美的な態度と道徳的実践との裂け目を自覚させるという事態であり、この裂け目は、賞賛的同一化の段階では完璧な手本の明証性によって覆い隠されていて、共感的同一性の段階では連帯を誘う憐れみという行動の覚悟によって克服されるべきものである。とはいえこの裂け目は美的なものから道徳的なものへの移行をけっして排除しない。カタルシスによって実現する心情の自由はむしろ、観客が教育的に強制されるのではなく、獲得された洞察の自由な反省にしたがうための前提である。

 ここでコムメレルによるアリストテレス的カタルシスの解釈を思い起こそう。この解釈によれば、カタルシスの目標は触発から心情を解放することであるが、それは触発が「より高度な精神の営みの条件として望むべき冷静さを(危ういものとしてしまう)」(139)からである。これに関連してドイツの古典主義も、美的な心構えと実践的な心構えとの裂け目を、まさに芸術経験を通じて人間が道徳的に自由となるための条件として理解した。シラー的な観念論の意味での美による教育は、ただちに行為の特定の型を提起することはできず、むしろ自由であると規定された行為の能力を再建することによって、「理性にわれわれの意志の規則を参照させるというよりはむしろ、われわれの想像に意志の能力を参照させる」(140)ようにして自らの対象に対処しなくてはならない。歴史的にみるなら、カタルシス的同一化とともにわれわれは美的経験の解放プロセスにおいて自律の入り口にいたる。観客にとって悲劇による動揺ないし[喜劇による]共に笑えることが許容されるのは、観客が自ら直接的に同一化することから、提示されたものを判断しつつ反省することへと高まってゆくことができる場合だけである。

 こうした要請は、フランスの古典主義においても悲劇および喜劇にとって最高度の正当化根拠を有している。それゆえラシーヌはその『フェードル』[1677年]に対し、〈苦悩の強制力によって観客が徳や悪徳や償いの程度についての道徳的判断を、道徳哲学の優勢な学派がなしうるよりもいっそう鋭敏に下せる〉よう要求している(141)。また自家撞着に陥ったモリエールの登場人物のグロテスクな行為はそれを笑う者に対し、表面的には社会的規範に反する態度の笑いどころを可視化させるが、含みのあるところでは(ヴェルナー・クラウスによれば)この社会の当然の要求を問いに付すことになる(142)。そのさい同一化を反省に方向転換させることは、十八世紀になると啓蒙化された読解の要請へと高められる。コンドルセはあらたな読者層の判断のうちにあたらしい種類の論壇 nouvelle espèse de tribuneを見出したが、啓蒙的な思想の普及にとってそうした論壇は、誘惑的な雄弁の専制的な強制力よりもいっそう有効とされる。ブランケンブルクの『小説小論』[1774年]は、小説の英雄に即して自分自身の感覚を適切に評価しようとする〈思考する読み手〉に向けられていた(143)

 カタルシス的同一化の裏面は、教会からの批判や啓蒙主義からの批判の主要な議論のうちに姿を現わしている。[それらの主要な議論においては]古典劇の道徳的な作用と幻想の魔術的な強制力とが対立しているために、観客は芸術の鏡から自らの生き方を学ぶに当たって、すっかり理性的でなければならないという。英雄の想像上の運命に感情移入することには、呈示された苦悩との享楽的な同一化に一変する可能性がある。ボシュエはこうしたアウグスティヌス的な議論を、自身の苦悩に応答するという役割をもった秘密の共演関係として論じた。

 

人々は、同じような対象からもたらされたかのようにわれわれと似ているもののうちに自分自身を見る。人々はやがて悲劇の秘密の俳優となる。人々はそこで自分自身の激情を演じるのだが、もし余所の虚構がその人のうちに自分に応えてくれる真実を見出さないなら、その虚構は冷たくなんの楽しみもないものとなる(144)

 

この引用のうちにわれわれは、〈観衆の肥大化する幻想によって、観客がもともと有している悪に対する嫌悪がフェードルに対する共感に変わりかねない〉というルソーの議論に対する心理分析的な説明を見出す(145)

 観客による喜劇への感情移入には、自由な反省に向き直せなくしてしまう別の極へと一変する可能性がある。守銭奴や病気と思い込んでいる者や人間嫌いな者たち[順にモリエールの『守銭奴』『病は気から』『人間嫌い』の主人公]の乱心déraisonを共に笑うことは、ヨアヒム・リッターが「否定の肯定化」と呼んだものへと必ずしも導くわけではない、つまり〈喜劇におけるキャラクター類型の手法において、社会的理性の支配的規範そのものが不遜で、中身のない、嘲笑に値するものであることが明らかとなる〉という宥和的洞察へと導くわけではないのである(146)。共に笑うことはたんなる嘲笑に堕落することもあり、そうした嘲笑によって喜劇の登場人物は、「たいてい悪意とないまぜになった余所からの哄笑のひどい標的」(147)とされて、観衆は自分の方が優れているという誤った意識のうちに楽しみを見出すよう仕向けられる(148)。けっきょくのところ(ライナー・ヴァルニングのテーゼによれば)共に笑うことには、モリエールの偉大な偏屈たちを舞台から駆逐するアルカイックな笑いの儀式、言いかえれば彼らを「理性的なもの」の社会から破門するアルカイックな笑いの儀式に一変する恐れがある(149)

 古典主義の演劇の幻想的作用に対しては、啓蒙主義以来、二つの異なる態度が提起された。一つ目はすでに言及された英雄を貶める態度で、共感的同一化によって観客にあらたな要求と規範を伝達する。二つ目は演劇の虚構を打破する態度で、幻想の破壊とアイロニー的な同一化によって観客をその美的な心構えから切り離し、観客に共に考えることと批判的に理解することを余儀なくさせる。

 

 

              17アイロニー的同一化

 

 アイロニー的な同一化ということで理解されるべき美的受容の平面においては、観客もしくは読み手は期待される同一化を拒まれ、何ものにも邪魔されずに美的対象に向かうことから引き離され、自ら反省するようになり、幻想の条件や解釈の可能性へと方向転換し、そうすることで美的な心構えをその否定や道徳的訴えによってそもそも問いに付すことができる。

 ユニークな活動に対するアイロニーによって受容者の意識を解放しようとする意図は、美的経験の多様な相互作用の型のうちでも優れて規範破壊的な機能を呈示する。こうした意図そのものは、文化産業の操作に抵抗する、第二次大戦以降の前衛的な芸術や文学とそれを受けた否定性の美学にはじめて特徴的に見られるものではない。アイロニー的な同一化は、ヨーロッパ文学のあらゆる時期や多くのジャンルで周期的に繰り返される、現状是認的な古典性に対しての反対審級として把握可能である。ここではアンチロマン[*56]と反アリストテレス的な演劇のパラダイムが想起されればそれでよい。

 歴史上なんども叙事詩という手本に対して批判し対立することで発展してきた小説ジャンルの歴史は、その転換期をみてみるなら、その特徴を取り替えながら続くアンチロマンとして説明されよう。アンチロマンの逆方向性は、〈読み手の期待を巧みにかわすかその裏をかくことで、これまで自明だった美の規範を問いに付し、手法の形式を自覚させる反英雄〉というところに具体化されている。一方でドン・キホーテはキメラ的な同一化のうちで騎士道物語の規範を巧みにかわし、他方でピカロpicaroは自分自身を意識的に過小評価する者(εἴρων)[*57]という役割のうちでキリスト教的な人生の告解の規範の裏をかいたが、両者ともアイロニーによって解消された同一化の原型である。アイロニーによって解消された同一化はさらにベケットのアンチロマンに見出すことができ、それはまさに主観性をいっそう解体したところで自己同一性の探求の無益さをアイロニーによって主題化している。ベルトルト・ブレヒトの反アリストテレス的な演劇は、ピランデルロ[*58]のドラマがいっさいの自然主義の幻想から離反したところで成立していたように、よく知られた異化Verfremdungの手法を発展させ、共感的な同一化やカタルシス的な同一化に対しふたたび鑑賞者の反省的隔たり生み出した。ブレヒトの「叙事演劇das epische Theater」は、少なくともその観衆に対し驚嘆という叙事詩的な触発を拒否している点で非叙事詩的である。呈示されたものとの非―同一化によってこそ、鑑賞者は思考する鑑賞者となり、同様にブレヒトが冷静な観察者つまり「思考する者」もしくは賢者として劇に参加しない第三者という形態で舞台上の経過に寄り添わせる「非悲劇的な英雄」となる(151)

 一般にとりわけ美化して現状是認する芸術のあり方であるとされる抒情的な詩も、女性を賛美するミンネザング[*59]とは正反対のものである滑稽詩sotte chanson以来、それまでとは逆向きでアイロニー的な同一化の様相をいくどとなく呈している。それゆえ一八五七年の雑誌『リアリスム』における前衛運動の代弁者であったデュランティ[1833-1880]は、ロマン派の頭目であったヴィクトル・ユーゴーだけでなく、コミュニケーション一般の権威的な型であった抒情詩にも服従を宣告するのだが、それはあらゆるポエジーが気づかないうちに賞賛的に同一化させようとするからだという。

 

私もまたポエジーのうちに思考の横暴で絶対的な無秩序を見る。読者はうんざりして腹を立て、憤慨するかもしくは陽気になることを許されているが、賞賛せねばならず、さもなければ理解していないことになる(152)

 

ボードレールはこれと同じ年にアイロニー的同一化の手法でロマン主義から離反し始めた。この詩人の選び抜かれた瞬間と魂の状態に関わりたいと期待して『悪の華』を紐解く読み手は、「読者に Au lecteur」という緒言においてほとんど教化をもたらすことのない悪徳に直面させられる。このモダンな悪徳の目録は、詩人と読み手の間のあらたな合意を形成するはずのイメージ喚起のうちで頂点に達する。

 

これこそ「倦怠」! 眼に心にもない涙を浮かべ、

水煙管をくゆらせて断頭台を夢見る奴。

君も先刻御承知だ、読者よ、この洗練された怪物を、 

猫かぶりの読者よ、僕の同類、僕の兄弟よ![*60]

 

同時代のあらゆる陣営の評論によってショッキングと受け取られた『悪の華』の口調は、この[読者への]呼びかけのアイロニー的な背景の意味を証明してみせる。読み手が兄弟どうしの合意への呼びかけを字義通りに受け取り、驚嘆しつつ同一化し詩人が感じたのと「まったく同じ」叙情的感情へと享楽にまかせて耽溺しようといつまでも考えるなら、そうした読み手は支配的な道徳や自分自身に対して偽善者[猫かぶり]にならざるを得ない(153)

 〈アイロニー的な同一化の平面において、規範破壊的で反省を開放する経験はいかにして自らの目標を見誤り、欠陥ある美的態度にふたたび堕してしまうか〉の問いにもう少しとどまることにしよう。この問いに関係しているのが二十世紀になってますます加速しているアヴァンギャルド芸術の周知のプロセスであり、アヴァンギャルド芸術は作品の商品性格によって制作、そそられる欲求、消費という閉じた円環にはまり込んでしまっている。ショッキングな斬新さ、非享楽的なよそよそしさ、いらだたしいまでの曖昧さは挑発された読み手や鑑賞者のもとで、あっという間にあらたな受容の慣習に移行してしまうのが常であり、そうした慣習によって当初拒絶されていた同一化は、読み手や鑑賞者に対し、すぐにふたたび享楽的なスキャンダルとして現われるようになってしまう(154)。もう一方の極は、歴史的教養、派閥化された解釈技術、解読における根気強さなどに対する実験的芸術の要請であり、これらは秘教的なサークルによってのみ実際に行われているに過ぎない。度を越すと、物語機能の解体は空虚な内容の言語実験に、脱具象化は短調な知覚の禁欲に、曖昧さは方向の定まらない勝手な解決になってしまう恐れがある。これらすべてによって、読み手のなけなしの関心が与えられることはほとんどないだろうが、実のところ自ら主役になること、言いかえれば消えうせた英雄の空虚な自己同一性を自ら支持するか著者のようにふるまうよう読み手に要求する場合でさえ、読み手の関心は必要となるのだ。美的無関心の限界は罰せられることなく超えられてしまう。読み手ないし鑑賞者が拒絶された美的享受の等価物を自らの側だけで工面しなくてはならず、それゆえ求められる反省や活動をなににもまして選ばせる好意的な美的刺激が欠如しているなら、美的無関心はもう限界に達している。そもそも美的享受のこの不可欠の刺激ないし在庫残高[成立条件]は「無関心の関心」に対応していて、この「関心なき関心」はあらゆる美的経験のさいに想像的なものの開放する力によって読み手ないし鑑賞者のうちで呼び起こされざるをえないものであり、モーリッツ・ガイガーによれば「関心なき満足interesseloses Wohlgefallen」(155)というカント理論の基礎としても欠かすことができないものである。なぜなら、鑑賞者に本当に無関心と思われてしまうものは鑑賞者のうちに〈関心なき満足〉をまったく惹起することができないからであり、いわんや他人に同意する趣味判断を呼び起こすこともないからである。

 けっきょく「英雄の死」や「作者の退散」のあとに自己同一性を読者に委ねるしかない極端な試みの場合では、同一化を拒絶するというアイロニーはコミュニケーションの真空状態となる。英雄の死(156)についてクロード・オリエ[1922-]のラジオドラマは、テル・ケルの文学上の革命的なプログラムに対し徹底的だがおよそ致命的な帰結をここから引き出した。ここでまず「英雄」の消滅について作者を尋問しようとする読み手は、いまや自ら産出的な読解ができるようになろうという覚悟に気づく。それからそうした読み手は、作者の学校で体験したことを戸外の路上の現実に応用しなければならない。読み手は「現実を読む」ことを始めるのだが、もしそのさいあたかも文学の虚構が問題となっているかのように自分自身の謀殺のストーリーを語ろうとするなら、この読み手は殺人犯が自宅に来ていることを気づかぬうちに説明している。物分りのよい生徒は、考え得る限り完璧な仕方で文学上の経過と同一化する、つまり文学上の謀殺であるにもかかわらず自分自身の謀殺となるくらいに文学上の経過と同一化する。理想的な読み手の死はそれに先立つ文学上の英雄の死に続いて起こったが、この理想的な読み手の死に作家の死がすぐに続く。けっきょく教師は、あまりに物分りのよい自分の生徒と同じ殺人犯によって抹殺されてしまうのだ。そうなるともはや残されているのは劇に耳を傾ける証人だけである。「主役は読み手である」というアヴァンギャルドの根本命題に加えて、著者や(最終的には)聴衆自身までもが死んでしまうのだが、それは〈英雄や読み手や作者のケースでも死の意味とはその甦りである〉という信念を中世時代の読み手と共有するアレゴリー的な心持にならなければ、聴衆はこの否定的出来事の連鎖の最後の存在として、自分自身の死亡への不安から逃れることができないからである。劇に耳を傾ける証人はいまやこうした出来事を学べる立場にある。概して言うならsumma summarum, 「タブラ・ラサ」があたらしい制作にとってのベストな保育園であるというなら、あらたな連帯を生み出す革命的な未来の芸術へのもっとも美しい希望を抱かせるのは、否定性の美学によるこの焚書行為ということになってしまうだろう。

 

 

      18.範例的なものというカントの概念;美的経験における

          コミュニケーション的機能の再獲得[*61]

 

 減少してゆく教養エリートの芸術が、増大する大衆消費者の文化産業を前に手の施しようのない退却状態に置かれ、その結果、美学理論が記号論情報理論イデオロギー批判などのより優遇された方法に対してますます不利となっている時代において、美的経験はどのようにして実践理性に対しその意義をふたたび獲得することができるか。こうしたプロセスへの本質的な洞察、つまり「文化産業」のメカニズムとその「反啓蒙」の全体効果への本質的な洞察を授けてくれたアドルノ(157)、われわれの問いに対し「芸術は、実践を控えることで社会的実践の図式となる」(158)という清教徒的な解答しか用意していなかった。これによって芸術を制作する側にも受容する側にも課される禁欲は、芸術を商品に変容させることで生じる、美的に操作された態度の悪しき実践から、要後見人の宣告をされた個々人の意識をなるほど開放することができる。とはいえ、純粋な否定性という処方箋によって、つまりテル・ケル派のような唯物論的な美学にとっても知恵を絞ったあげくの結論である〈社会状態と同一化することの拒絶〉によって、社会的実践のあらたな図式がどのように基礎づけられることになるのかは見通されていない。〈自律的な芸術作品こそが社会の支配に対するもっとも宥和しがたい矛盾を分節化する〉というテーゼは、ふたたび名誉回復がなされた〈芸術のための芸術L’art pour l’art〉という原理と同時に実践喪失をも受け継ぎ、十九世紀の芸術の成果である自律性は「高級」(目的から自由)な芸術と「低級」(有益)な芸術の領域の分離と一緒にそうした実践喪失をももたらしたのだった(159)。文化産業の反啓蒙と美的経験によるあらたな啓蒙とを対置しようというのなら、否定性の美学はもはや美的経験の肯定作用に尻込みしてはならず、(私の用語法で定式化するなら)拒絶された同一化もしくはアイロニー化された同一化という美的経験の規範破壊的な機能を、ふたたび芸術の規範形成的な機能へと誘導しなければならない。

 芸術はいかに社会の現実に対し否定性を確保しつつも規範形成的であり得るかという問いに対し、十八世紀以来、権威としては非の打ちどころのないある啓蒙主義者の処方箋が存在する。その処方箋はカントの趣味判断の論及にのうちに含まれている。

 

趣味判断そのものは、あらゆるひとの同意を要請するのではない(というのは、ただ論理的に普遍的な判断だけがこのように要請しうるからであるが、それはこの判断が[あらゆるひとの同意の]諸根拠を提示しうるからである)。趣味判断は、この同意を規則の一事例としてあらゆるひとにあえて要求するだけであり、この規則の一事例に関して趣味判断は、その確証を諸概念から期待するのではなく、他の人々の賛意から期待するのである。(160)

 

それゆえ美的経験は、「自由による産出」(161)としてのその生産性の側面だけでなく、「自由における受け取り」としての受容性の側面にしたがっても際立っている。美的判断力が欲求によって強制されることのない関心なき判断の型と同時に(162)、概念や規則によってあらかじめ決定されることのない開かれた同意の型をも提供できる(163)ために、美的な態度をとることは行為の実践の意義をも間接的に獲得する。理論理性と実践理性とを、つまり規則・事例の論理的普遍性と人倫法則のアプリオリな妥当性とを媒介し、それによって美的なものから道徳的なものへの橋渡しができるのは、継承の態度としてカントによってたんなる模倣の機械的なあり方からはっきり区別された〈範例〉である(164)。美的判断の欠点として最初に現われそうなものについて言うなら、美的判断がただ範例的であるにすぎず、論理的に不可欠なものではありえないことが、この判断の特別なしるしとして示される。美的判断が他人の美的判断を頼りにすることで、形成されたばかりの規範への関与が可能になると同時に、社会性が構成されるようにもなる。それは、〈趣味判断は不可避的に多元論的にならざるを得ない〉(165)ということのうちにカントが、自らの感覚ですらも他の各人に対し伝達できるようなすべてのものの判定能力をも同時に知っていたからであり、またカントが美に対するこうした経験的関心を、さりげなくではあっても、ルソーの『社会契約論』との重要な類比に差し戻したからである[*62]

 

各人は、いわば人間性そのものによって厳しく命じられた根源的契約に基づいているかのように、普遍的伝達を顧慮することをあらゆる人に期待し要求する(166)

 

 〈美的判断は普遍的伝達への顧慮を各人に要求することによって、根源的な社会契約の実現のイメージを喚起するもっとも高度な関心を満足させる〉というカントの議論は、今日の美的経験の弁明に対しふさわしい修辞的締めくくり以上のものを確かに与えることができる。というのは、カントの判断力批判が美学の主観化によって一時代をなした一方で、賛同を頼りとする美的判断というその多元論的な概念が、十九世紀において美による人間形成Bildungという個人主義(カントの定式を用いるなら、自己中心的な理念[原注165参照])に回収されてしまい、現代美学や芸術理論によってもふたたび取り上げられることがなかったからである。ますます管理され道具化されたわれわれの生活世界において、支配的な文化産業やマスメディアの作用に対抗し美的経験にふたたびコミュニケーション機能を取り戻してやろうという試みからすれば、なるほど合意形成的な判断というカントの規定はふたたびアクチュアリティを獲得したと言える。とはいえこの規定は、〈芸術作品によって要求される同一化が、あらかじめ決められた規範として実践的行為の能力に課されないなら、芸術の規範形成的機能はイデオロギーによって煽動された迎合に必ずしも陥らざるを得ないわけではなく、むしろカントの範例と同様そうした実践的行為の能力に、他者の賛同そのものによって再規定されるような方向性ないし未規定の規範だけを差し出す〉ということを示している。しかし美的経験のコミュニケーション的機能は、やはり理性の合理性への見通しではなく普遍的伝達への顧慮だけを前提にしなければならないために、論理的に導かれる議論とも対照をなしている。それゆえ美的経験のコミュニケーション的機能にとって、まだ開かれた規範の形成と再規定をめぐって対話相手を内容上の合意にいたらせることは、教育的な論理学よりも容易であるといっていい。それは、そうした教育的論理学の対話的・論理的論証のモデルが、(すでに「必勝法Gewinnstrategie」という用語法が攻めと守りを表しているように)仮決定の真理をめぐってというよりはむしろ、特に問題のない合意にいたる手法をめぐってなされうるものだからである。

 最後に読者に対し私は、〈否定性の美学との広範囲にわたる対決のうちで導かれた美的経験についての私の弁明は同時に、コンスタンツ大学就任講義で自ら発展させた(167)受容美学の弱点をも的確に捉えている〉と公言する義務を果たさなければならない。この受容美学の理論が基礎づけるはずだったのは次の三点であった。すなわち、芸術作品のあり方がその歴史性に基づいていること、つまり読者とのたえざる対話を頼りとしたその作用に基づいていること、そして芸術と社会との関係が問いと答えとの弁証法のうちで解釈学的に把握可能とならねばならないこと、さらに芸術の歴史が自然発生的な伝統と選別的な受容との間で、後に残されている古典性と若返りを図るカノン改造との間で地平の変化を起こすことによりその固有性を獲得する、という三点であった。このような前提のもとで受容美学は、ロシア・フォルマリストの進化論や否定性の美学や解放に向かうあらゆる芸術理論(マルクス主義的芸術理論も例外ではない)と共に、だんだんと生成したものに対する突発的な新しさの優位を確信し、現状是認的ないし制度化された意味に対する否定性ないし差異の優位を確信している。とはいえ解放や現状是認や革新や再現といったカテゴリー上の枠組は、歴史性と社会的役割と芸術の能力とをすっかり承認したわけではない。社会的実践のコミュニケーション・プロセスにおける美的経験の特別な身分は、芸術の規範破壊的な能力がそのノルマ達成的な機能とだけ対立させられている間は、まだ完全に説明されたことにならない。否定と現状是認との間に幅広い多様性があり、この多様性のうちで社会的行動の規範が美的同一化のコミュニケーションの型を通じて形成される。このことを覚えておけば、コミュニケーション・行為・知識の社会学の諸問題をもはや締め出そうとしない解釈学がまだ保証されていない領域で初めての試みを行うとしても、そのようなリスクは冒すに値するものだと私には思われたのだった。

 

 

                  [完]

 

 

 

[*45]本稿の第9節からこの第11節までの内容は『美的経験と文学的解釈学』ではひと括りにされ、「カタルシス:美的経験のコミュニケーション能力(揺り動かすことと調停すること)」とされている。

(92) PL XVII, 236.

(93)このことは12世紀の終わり頃、世俗文学の「虚構」に対し宗教詩が抵抗していたことを証言しており、そうした抵抗と同時に、寓話fableとおとぎ話conteという文学的概念は、歴史物語estoire(historia)、韻文物語dit, 文例essempleといった聖書解釈から取られた概念によって抑圧された。以下を参照。GRLMA VI, 1, p.164. EBEL, Das altromanische Mirkel, Heidelberg 1965 (Studia Romanica 8), p.95.

(94)模範に関するアリストテレスの教説(『弁論術』第2巻第20章)を参照。この文脈でアリストテレスはたしかに作り物の寓話に対し歴史的事例の優位を認めているが、歴史的事例を省略三段論法の後に位置づけている。アリストテレスは、どうして作り物の寓話よりも歴史的事例に優位を認めるのかという問いの根拠を述べるさい、保証されたものや範例的なものの一回性によるいっそう高度な説得力にはまだ基づいておらず、むしろ事例と規則との関係に基づいており、この関係は範例をも歴史の循環的な把握に従属させる。「歴史的事例[による例証]の方が一段上である。なぜなら将来のことは過去に似ているからである」[『弁論術』94a]。

(95)以下からの引用。H. FRIEDRICH, Die Rechtmetaphysik der göttlichen Komödie, Frankfurt 1942, p.31. 試験experientiaという概念が範例的なものの理論の歴史的コンテクストに浮上してくることに関しては同書p.31を参照。

(96)「この〈範例と交じりあうこと〉は怠惰を奮い立たせ、また抽象的な掟によって人が動かされない場合に、その人にとって身近な事例によって、もしくは悟りと改心にいたったじっさいの出来事によってその人を動すのだが、そうした〈範例と混じりあうこと〉はグレゴリウス1世[540-604]以来(PL LXXV, 518)説教師の手引きによって要求されている。H. FRIEDRICH, op. cit., p.30.

[*46]コメニウス(1592-1670)は30年戦争の渦中にあったモラヴィア(現チェコ)出身のプロテスタント系教育学者。各国の宰相に教育改革の提言をするほか、『教授学著作全集』を残す。ピエール=ダニエル・ユエ(1630-1721)はフランスの司教・学者。ボシュエの命で「王太子用」というシリーズで知られるギリシャヘブライ叢書を刊行する。クリスチャン・フリードリッヒ・ブランケンブルク(1744-1796)はドイツの文筆家。1774年の『小説小論Versuch über den Roman』で有名。

(97)これに関しては以下を参照。G. BUCK, Artikel Beispiel, in: Historisches Wörterbuch der Philosophie, ed. J. RITTER, Basel / Stuttgart 1971; R. KOSELLECK, Historia magistra vitae, in: Natur und Geschichte, Festschrift K. Löwith, 1968; D. HARTH, Romane und ihre Leser, Germanisch-romanische Monatsschrift 20 (1970) 159-179.

(98) G. BUCK, Kants Lehre vom Beispiel, in: Archiv für Begriffsgeschichte 11 (1967) 148-183, bes. p.180.

(99) G. BUCK, ib. p.182.

[*47]ヤウスによる強調部分は『判断力批判』第18節からの引用である。正確には以下の通り。「しかし美しいものについては、それが満足とのある必然的な関係をもっている、とひとは考えている。ところで、この必然性は特殊な種類の必然性である。(中略)この必然性は美的判断のうちで考えられる必然性として、たんに範例的と呼ばれうるにすぎない。すなわち、指示することのできないある普遍的規則の実例とみなされるある判断に対して、すべてのひとが賛同することの必然性である」(牧野英二訳、101頁)。

[*48]ヨハン・フリードリッヒ・ヘルバルト[1776-1841]はドイツの哲学・教育学者。ケーニヒスベルク大学でかつてカントが担当していた哲学の講座を引き継ぐ。教育学の分野で多くの業績を残す。

(100)これに関してはG. BECK, ib. p.183

(101)このことに関しては以下も参照。P. L. BERGER und TH. LUCKMANN, Die gesellschaftliche Konstruktion der Wirklichkeit - Eine Theorie der Wissenssoziologie, Frankfurt 1971 (2.Auflage), bes. p.101.

(102) Anatomy of Criticism (1957), Stuttgart 1964, cf. p. 37 sq.ドイツ語版は『文学批評の分析』。[翻訳『批評の解剖』、海老根宏 他訳、法政大学出版局 1980年。同書においてフライは、人間を圧倒する神が登場する「神話」、人間同士の中で優れた能力をもつ英雄の「ロマンス」と「悲劇」、運命や自然に翻弄される普通の人間が主人公の「喜劇」、劣った人間が主人公の「風刺」という物語主人公の類型論を呈示している。]

[*49]たとえば古代エジプトにおけるオシリスがこれに該当する。プルタルコスの紹介によってオシリスは冥界の王というイメージが強いが、もともとは植物神もしくは農耕神であり、エジプト各地の神話では、その死と復活によって冬の植物の枯死と春の新たな芽生えを象徴する存在として描かれている。

(103)私はここでH・G・ガダマーと対立するのであり、彼は祭祀の行為を「信者集団にとっての現実的表現」と把握し、明らかに演劇を「本質的に観客を求める遊びの出来事」としてふたたび祭祀の遊びに近づける(『真理と方法』初版版S.104)。[しかし]そうするに当たってガダマーは[劇と遊びとの]明白な構造の相違を無視せざるを得ないし、祭祀的な遊びおいても世俗社会の遊びにおいても、作品と鑑賞者、俳優と観客との対面はじっさいまさに廃棄されていることを無視せざるを得ない。祭祀の演技行為が信者集団にとっての表現となるとされるために、演劇は観客の前で行われ、[これによって俳優と観客との体面が生じてしまうために]祭祀的なものはすっかり消滅する(世俗社会の遊びも、もしいちいち観客を相手にしていたら、そうした観客によって妨害されることになってしまうだろう)。[『真理と方法』の該当箇所は以下の通り。「だがそれにもかかわらず、祭祀行為そのものは共同体のための表現であり、そしてこれと同じように、演劇もまた本質的に観衆を必要とする遊びとしての出来事である。祭祀における神の表現や劇における神話の表現は、したがって単にそれに参画している演技者が、演技にいわば没頭しており、そのなかで自己表現を高揚させるという意味での遊びではなく、それらは演技者が観衆のためにある意味の全体を表現するという形に自ずから変わってゆくのである」(翻訳第1巻、156頁)。]

[*50]詩人は何をミメーシスすべきかに関するアリストテレスによる非常に有名な規定。「したがって(再現の対象となる)行為する人々は、私たちよりも優れた人間か、より劣った人間か、あるいはわたしたちのような人間であるか、のいずれかである。それは、画家たちが再現した人物の場合に似ている」(松本仁助・岡道男 訳、岩波文庫 1997年、24頁)

(104)詩学と解釈学』第6巻[本論収録巻]のためのもともとも案では、美的同一化の五つの平面は、 (I) 連合的、(II)賞賛的、(III)カタルシス的、(IV)共感的、(V)アイロニー的という順序であった。カタルシス的同一化を賞賛的同一化と共感的同一化の間に組み入れることは、なお英雄の古典的な連続段階に、すなわち叙述の優位に対応していたのに対し、受容の視座はカタルシス的同一化を賞賛的同一化と共感的同一化という対照的な態度に従属させることを要求するが、それはカタルシスが驚嘆と哀れみを共に止揚することができるからである。

(105)ここで私はホイジンガ以来の遊び理論の根本認識にしたがう。以下を参照。J. HUIZINGA, Homo ludens: Von Ursprung der Kultur im Spiel (1938), Hamburg 1958(rde 21), p.17-20. [翻訳『ホモ・ルーデンス』、高橋英夫訳、中公文庫 1973年。該当箇所にはほぼ同一の表現が存在する。「「日常生活」とは別のあるものとして、遊びは必要や欲望の直接的満足という過程の外にある。いや、それはこの欲望の過程を一時的に停止させる」(訳書32頁)。]

(106) H. KUHN, Vom Wesen und Wirken des Kunstwerks, München 1960, p.73.

(107) G. H. MEAD, op. cit., p.193.

(108) M・フールマンの補完的な示唆による。

(109) Op. cit., p.180.「「コミュニケーション」の意義は、組織や個人が自分自身に対して客体になりえるふるまい方をコミュニケーションが生み出すという事実のうちに存する」。

[*51]トルバトゥールとは12~14世紀の南フランス、イタリア、カタルーニャ地方などで活動した吟遊詩人たちのこと。その詩歌の主題はおもに宮廷の恋愛と騎士道で、恋人同士の愛を歌い上げる「アルバ」や「カンソ」の他、複数の詩人の間でやり取りされる「討論歌(テンツォーネ)」や「応答歌(パルティマン)」などの20を超えるジャンルが発展したが、中世後期の騎士の没落と共に彼らの活動も衰退していった。

(110)このことに関しては以下を参照。HUIZINGA, l.c. 123sq., und S. NEUMEISTER, Das Spiel mit der höfischen Liebe, München 1969 (Beihafte zu Poetica, 5). [該当箇所においてホイジンガは、トルバトゥール吟遊詩人による「愛の法廷」は詩的フィクションで実在しなかったとする説を退けつつ、その裁判遊びとしての意義を強調する。「愛の法廷では、愛のディレンマ、愛の教理問答が主題であり、その目的は自分のよい評判を主張することである。それが名誉そのものを意味するからだ。その進め方にしても、できるだけ類比、前例の借用による論証を行って、訴訟のやり方を模倣するのである。たとえば「論難歌castiamen」「討論歌tensons」「応答歌partimen」「問答遊びjoc partit」などがそれである」(訳書262頁)。]

[*52]オノレ・デュルフェ(1568-1625)はフランスの作家。その代表作『アストレ』は五千ページを超える大著でありながらも人気を博し、各国語に翻訳され広く読まれた。中心となる話は羊飼いの女アストレと同じく羊飼いの青年セラドンとの恋愛であり、彼らは清廉な愛とは何かをめぐり決議論をもちいて語り合う。

(111)『アストレ』の影響に関しては以下を参照。M. MAGENDIE, Du nouveau sur l’Astrée, Paris 1927, p.424 sq. デュルフェ宛ての書簡は以下にある。H. WELTI, Die Astrée des H. d’Urfé und ihre deutschen Verehrer, in: Zeitschrift für neufranzösischen Sprache und Literature 5 (1883) 110 sqq. 中世以来、具体例として引き合いに出されるのは『狐物語Roman de Renart』であり、フィリップ・ド・ノヴァール[13世紀の中東で活躍した軍事・行政官]はフリードリッヒ2世に対し中近東で引き起こされた戦争(1228-1243)の間、対立状況を表現しその状況を「継続させる」べく、同書の動物キャラクターたちを敵味方の役割に当てはめた。以下を参照。R. BOSSAUT, Le roman de Renard, Paris 1957, p.155 sq.

(112) H. WELTI, l. c., p.115.

(113) K. BUDT, Feiern durch Rühmung (1960), in: Kunsttheoretische Versuche, Köln 1968, p.103-140 (ここではとくにp.135と139/40).

(114)カント『判断力批判』§29. [「[自分の揺らぐことのない諸原則に断固としてしたがう心の無情動という]このような心のあり方だけが高貴と呼ばれる。[高貴という]表現は、その後になって、たとえば建築物、衣服、書体、身のこなしなどの事柄にも適用される。それは、これらの事柄が、驚嘆(期待を超える斬新さの表象における情動)よりも、むしろ讃嘆(斬新さが失われてもやむことのない驚嘆)を引き起こす場合であり、このことは、諸理念がこれらの描出のうちで意図せず技巧を加えず、美的満足と合致する場合に生じるのである」(訳書上巻、151頁)。]

(115) Zur Ethik und Erkentnislehre, Berlin 1933, Bd. I, p.170. [『シェーラー著作集15 羞恥と羞恥心 典型と指導者』、小林靖昌訳、白水社 1978年]

(116)(神聖なもの、精神的価値、高貴なもの、役立つもの、快適なものという基本価値にしたがう、l. c., p.157)聖人、天才、英雄、文化を指導する頭脳、享楽の芸術家というシェーラーによる5つの手本モデルの問題系は、ここで議論する必要はない。

(117) Op. cit., p.156.

(118)デカルト『情念論』§53. [「なんらかの対象の最初の出現が、われわれの不意を打ち、それをわれわれが新しいと判断するとき、すなわち、以前に知っているもの、あるいはわれわれがかくあるべしと想定しているものとは非常に違っていると判断するとき、われわれはその対象に驚き、驚愕する。そしてこのことは、その対象がわれわれにとって都合のよいものか、そうでないかをわれわれが知る前に起こりうるのであるから、「驚き」はあらゆる情念の最初のものであると私には思われる」(野田又夫訳、中央公論社 1967年、443頁)。]

(119) Ib., §54-56. [§54「「驚き」には、われわれが対象の大きさに驚くか小ささに驚くかに従って「尊重」と「軽視」とが結びつく。したがってまた、われわれはわれわれ自身を尊重し、あるいは軽視することができる」。§55「しかし、われわれが善または悪をなすことのできる自由な原因とみなすところの、われわれ以外の対象[すなわち他の人間]を尊重しまたは軽視するとき、「尊重」からは「尊敬」が生じ、たんなる「軽視」からは「軽蔑」が生ずる」(ibid)。]

(120) SHELER, op. cit., p.166を参照。「人格の手本の形式のうちで過去は、それが保持する道徳的価値のそのもっとも純粋な金位において現前し、生き生きとし、影響力をもちつづける」。

(121)M・アルブヴァクスは『集合的記憶』[翻訳、小関藤一郎訳、行路社 1989年]において、集団の記憶の構成に対するそうした一連の手本の機能をもはや彼の初期の著作のようにユニークなものとして重視しなかった。

(122) C. S. LEWIS, The discarded image, Cambridge 1964, p.181 を参照[翻訳『廃棄された宇宙像―中世・ルネッサンスへのプロレゴーメナ』、山形和美 監訳、八坂書房 2003年]。「長い前書きによってそのストーリーは、共通の想像力のうちにある、事実のストーリーから区別できない(いずれにせよ区別されなかった)身分を有していた。(ワニがどのようにして彼女の頭を隠したのかをわれわれすべてが「知っている」ように)各人は、3人の異教徒(ヘクトールアレクサンドロス大王、ユリウス・カエサル)と3人のユダヤ人(ヨシュア、ダビデ、ユダ・マカバイ)と3人のキリスト教徒(アーサー王シャルルマーニュ、ゴドフロワ・ド・ブイヨン)からなる九偉人が過去を含んでいることを「知っていた」」。

[*53]「九偉人」とは、神話、聖書、神話、伝説、じっさいの歴史などに登場する英雄のうち、中世ヨーロッパの時期に騎士道を体現する偉大な人物と考えられた9人のこと。この9人の英雄はキリスト教以前の異教徒、旧約聖書の時代の人々、キリスト教徒の3人組みに分けられ、それぞれの分野での騎士・戦士の理想像として考えられた。具体的な人名は原注122に挙げられているとおり。

(123)このプロセスに関しもっとも有名な事例は、ローマ共和国という手本で1789年のフランス革命を捉えなおすことである。フロベールは『感情教育』においてこれに関連する1848年の革命[フランスで第二共和制樹立の契機となった二月革命のこと]の手法を皮肉ってみせた。「そして各人が自らの合図をモデルからとり、ある者はサン=ジュストを、別の者はダントンを、さらに別の者はマラーを物真似したように、彼[セネカル]はロベスピエールを真似ていたブランキ[ルイ・オーギュスト・ブランキ(1805-81)は武装革命主義者で、後の共産主義にも影響を与えた]に似せようとした」[III, i]。カール・マルクス二月革命に対する自らの批判の要点をそこから得たのだった。「かつての革命は自分自身の中身をごまかすために世界史を再想起する必要があった。19世紀の革命は死者に革命の死者を葬らせて、自分自身の中身を達成しなければならない」(『ルイ・ボナパルトブリュメール18日MEW Bd.8, S.117)。

(124)このジャンルの古典的なテクストである『ローランの歌』において、ローランは以下のような言葉で戦場に赴くフランクの騎士たちに用心するよう注意している。「さあ、おのおの方、注意せられよ、自らひどい当てこすりを言って、悪く歌われてしまわないように Or grat chascuns que granz colps I empleit / Que malvise cancun de li chantet ne seit!」( v.1013 sq.)。P・ズントーがこの箇所に関して注記しているように(Essai de poéthique médiévale, Paris 1972, p.325)、英雄賛歌はここでの士気の源泉であり目標である。『ルー物語』[1160年成立したとされるノルマンディーの民族叙事詩]の作者ウァース[1115-83, バイユーの司祭で詩人]の証言によると、ヘイスティングスの戦い(1066)におけるノルマンディー軍を前に某タイユフェールは『ローランの歌』を歌ったのだった。「歌のうまかったタイユフェールは馬に乗り公爵の前に進み出て、シャルルマーニュ、ローラン、オリヴィエ、そしてロンセスヴァーェス[776年のロンセスバージェスの戦いでシャルルマーニュバスク人に完敗し、ローランも戦死している]で死んだ多くの臣下たちについて歌わんとしていた Taillefer, qui mult bien chantout / sur un cheval qui tost alout, / devant le duc alout chantant / De Karlmaigne et de Rolant / et d’Oliver et des vassals / qui moururent en Rencesvals.」(v.8035 sq.)。

(125) P. Zumthor, op. cit., p.324.「聖人詩と異なり、武勲詩の共通の主要テーマは…驚嘆であり、それは自らの行為能力をふたたび思い起こさせることによって人間の共同体のうちに惹き起こされる」。

(126)こうした宮廷における恋愛という〈愛の技法 ars amandi〉はアンドレアス・カペラヌスの有名な論考『愛について』(1174年頃)のうちで体系化されている。マックス・シェーラーならここに、性の選別と性愛によって模範の内実がどう移行するかに関する自らの理論にとっての歴史的事例を見出すことだろう。それは、「こうした愛し方において…、将来の世代のもっとも完璧なイメージが心の中でいわばあらかじめ描(かれた)」(op. cit., p.167)ということが12世紀の宮廷愛についてじっさいに言われ得るからである。

(127) Liber de Confessione (PL CCVII, 1088).

[*54]「真面目なジャンル」とは、ディドロが1758年の論文「劇芸術について」のなかで提起した新ジャンル。これまでの喜劇や悲劇人間の欠陥や英雄の苦悩を主題として扱っていたのに対し、「真面目」な喜劇もしくは「真面目」な悲劇は人間の美徳や義務、家庭的な不幸を描くべきだとされ、それらは「市民劇drame bourgeois」とも呼ばれた。

(128)本論第9節の後半を参照。

(129)これ以降の記述に関しては次を参照。U. EBEL, Das altromanische Mirakel: Ursprung und Geschichte einer literarischen Gattung, Heidelberg 1965 (Studia Romanica, 8).

(130)アンドレ・ジョレスのいう、具体化された徳としてここで引き受けられた聖人の人生の有名な規定は、達成不可能な完璧さの模倣というジレンマをU・エーベルと共に部分的もしくは段階的に実現しようとしても、積極的に模倣することがほとんどできない(p.53)。

(131) Baudelaire, Pierre Dupont, in: Œuvres complètes, éd. de la Pléiade, Paris 1951, p.954. [翻訳「ピエル・デュポン」(1851)『ボードレール全集III』収録、橋本一明訳、人文書院 1963年、87頁。「公衆はおのれが信頼を置く人の育成のあとを確かめるのが好きなものだ。公衆は平等という抑え難い感情によって、いやがおうでもこう叫んでしまうもののようである。「君は僕らの心に触れた! 君が一個の人間にすぎず、したがって、同じ完成の要素は僕らみんなにもあるということを、証明しなければならない」。哲学者に、学者に、詩人に、芸術家に、偉大なすべてのものに、自分を動かし変形せざるを得ない人ならどんな人に対しても、公衆は同じ請願をする。われわれが伝記に対して抱く涯しない欲望は、平等という奥深い感情から生まれるのである」。]

(132)本論第9節の後半を参照。

(133)「読者へと目を向けなおしてみるなら、娯楽文学におけるコミュニケーションと合意の成立の問題は、『椿姫』の事例に表われている」(Poetica 4, 1971, p.488-89)。

(134) Ib.

(135) H. J. NEUSCHÄFER, op. cit., p.504.

(136)以下を参照。JAUSS, Literaturgeschichte als Provokation, Frankfurt 1970 (ed. Suhrkamp 418), p.203. [ヤウス、『挑発としての文学史』、轡田収 訳、岩波現代文庫 2001年、75-80頁。当該箇所でヤウスは、文学が道徳的問題として惹起する「考えられる限り最大の社会的作用」としてフロベール裁判を取り上げ、検事の次のような論告を紹介している。「この本の中で、この女を罰しえたものが誰かいたでしょうか。だれもいません。これが結論です。この本の中には彼女を罰しえた人物は一人としていないのです。もしも皆さんが、ここに一人の分別のある登場人物を見出されるなら、もしも皆さんがここに、たったひとつでもこの姦通を断罪するような美徳の原理を見出されるなら、私は間違っているのです」(79頁、訳文を一部修正)。]

[*55]ナポレオン三世の検事」とは、フロベール裁判を担当したピナール検事のこと。フロベールは非人称的な語りを多用することで真実の陳述と登場人物の感想との区別を意図的に曖昧にしたが、ピナールはその意図を理解せず、作者の道徳的見解と登場人物の主観的感想を混同して〈フロベールは姦通を称揚している〉と断罪した。ピナールはさらにボードレール悪の華』の不道徳問題裁判の検事も担当している。

 なおこの裁判そのものは最終的にフロベールの無罪で結審するが、作家個人は無罪とされても、その「手法」が許されることはなかった。原注136の該当箇所でヤウスは以下のような裁判の判決文を引用している。「地方風俗、地方色を描くという口実の下に、作家が描こうとする事件や人物の言葉や身振りを、異常な形で描き出すことは許されない。このような手法が、美術の制作と同様に、精神の作品に通用されるとすれば、〈美と善との否定であるようなリアリズムに到達するのである〉。そして眼に有害で、同時に心に有害な作品の発生となり、公衆道徳および良俗への絶え間ない冒涜をおかすことになるであろう」(訳書80頁)。

(137) M. FUHRMANN, Einführung in die antike Literaturtheorie, Darmstadt 1973, p.65.

(138) SCHILLER, Über naïve und sentimentalische Dichtung, in: Ges. Werke, Berlin 1955, Bd. 8, p.557. [翻訳「素朴文学と情感文学について」『美学芸術論集』収録、石原達二訳、富山房 1977年、270頁。ヤウスによる引用のあとには次のような文章が続く。「それゆえ悲劇では心の自由を再建するところにその詩的な力が示されるのであるから、この自由がまず人工的に、また実験的に失われなければならない。これに反して喜劇では、そのような心の自由の喪失が決して生じないように注意されなければならない」。シラーは悲劇と喜劇の比較によって、単純に悲劇の優越性を論じようとしているわけではない。]

(139) M. KOMMERELL, op. cit., p.201.

(140) SCHILLER, Über das Pathetische, in: Ges. Werke, Berlin 1955, Bd. 8, p.340.

(141) Ed. de la Pléiade, Paris 1956, I p.765.

(142) W. KRAUSS, Molière und das Problem des Verstehens in der Welt des 17. Jahrhunderts, in: Gesammelte Aufsätze zur Literatur- und Sprachwissenschaft, Frankfurt 1949, p.340 / 41.

(143)D・ハートにしたがう。HARTH, Romane und ihre Leser, in: Germanisch-romanische Monatsschrift 20 (1970), p.159-179.

(144) BOSSUET, Traité de la concupiscence, Paris 1879, p.127.

(145) ROUSSEAU, Lettre à M. D’Alembert, éd. Garnier, Paris 1960, p.139. [原注31を参照]

(146) J. RITTER, Über das Lachen, in: Blätter für deutsche Philosophie 14 (1940-41), p.1-21. モリエールを参照したリッターの有名なテーゼは、明らかにW・クラウスの解釈(原注142を見よ)を支えとしていた。全体的なことにかんしては、また別の捉え方を支持しているR・ヴァルニングの「滑稽と喜劇」を参照[同論はヤウスのこの論考のあとに収録されている]。

(147)この定式化はモリエールの喜劇に対するヘーゲルの批判が元になっている。HEGEL, Ästhetik, ed. BASSENGE, Berlin 1955, p.1103.

(148)ボードレールは、もはや社会態度の規範に限定されないモダンな「絶対的な滑稽comique absolu」と、古典主義の喜劇の「有意義な滑稽comique significatif」とを対立させ、後者を批判しているが(「笑うことは優越性の理念の表出であるが、それは人間の人間に対する優越ではなく、自然に対する人間の優越である Le rire est l’expression de l’idée de supériorité, non plus de l’homme sur l’homme, mais de l’homme sur la nature」)、これに関しては以下を参照。JAUSS, Molière: L’Avare, in: Das französische Theater, ed. J. STACKELBERG, Düsseldorf 1968, p.301 sq. [ヤウスによるこの引用はボードレールのエッセイ「笑いの本質について」(1855年、翻訳は『ボードレール全集IV』に収録、阿部良雄訳、人文書院 1964年、127頁)からのものであるが、この引用だけでは何のことかわかりづらい。ボードレールによれば「絶対的な滑稽」か「有意義な滑稽」かの区別は、われわれの笑いが「グロテスクなもの」から来ているかどうかにかかっている。「グロテスクなもの」によって惹き起こされる笑いとは、「奇想天外な創造物、常識の基準から割り出したのではどうしてもその存在を正当化できないような者たち」によってわれわれのうちで度外れに生じる笑いである。われわれよりも劣っているかどうかが要件となる通常の、相対的な滑稽、すなわち「有意義な滑稽」とは異なり、「絶対的な滑稽」は「それ自体のうちに何か深淵で、公理的で、原始的なものをもっていて、それは人間のふるまいの滑稽によって惹き起こされる笑いに比べて、無垢な生活や絶対的な悦びに接近するところがはるかに多い」(ibid)とされる。]

(149)本論収録巻のp.341以下[R・ヴァルニング「滑稽と喜劇」]を参照。

[*56]アンチロマン[反小説]とは、戦後フランスで起こった「ヌーヴォー・ロマン」の別名。詳しくは訳注31を参照。

[*57]「ピカロpicaro[悪漢]」とは16世紀半ばのスペインにおける造語で、のちに「ピカレスク小説」の語源となった言葉。文学の上ではマテオ・アレマンの『ピカロ:グスマン・デ・アルファラーチェの生涯』(1599-1604)の主人公に対する形容として用いられたのが初めてとされる。ピカロはたんなる悪者ではなく、暗い出自をもち、生きるために仕方なく悪事を働くといった特徴をもつ。

  また「アイロンεἴρων」とは古代ギリシャの喜劇における出来合いのキャラクターのうちの一つで、じっさいよりも自己卑下してみせることで大言壮語する相方 ἀλαζώνをやりこめる役回りをもつ。この「アイロン」から「アイロニー」が派生したとされる。

[*58]ルイジ・ピランデルロ(1867-1936)はイタリアの劇作家。代表作は『作者を探す六人の登場人物』(1921)で、後にノーベル文学賞を受賞した。

(151)W・ベンヤミンにしたがう。W. BENNJAMIN, Was ist das epische Theater? In: Schriften, Bd. 2, p.261. ベンヤミンは叙事演劇の決定的な革新性を、ブレヒトが叙事演劇において「思考する者を、じっさい賢者をドラマの英雄そのものにしよう」とした点に認めていた。[翻訳「叙事演劇とは何か」『ベンヤミン・コレクションI』収録、野村修 訳、ちくま学芸文庫 2002年、540頁。「フランス古典主義演劇の舞台では、俳優たちが演技する空間のなかに貴族用の場所が設けられてあり、そこに座席をもつ貴族たちは上演中の舞台の上で観劇した。こうしたことは、私たちには、演劇の舞台にそぐわないように思われる。また同じように、私たちがなじんでいる〈演劇的なもの〉の概念からすれば、舞台の出来事に、その当事者ではない第三者を冷徹な観察者として、〈思考する者〉としてかかわらせることも、やはり的を得ぬものに見えることだろう。ところが、これに似たことがさまざまに、ブレヒトの念頭に思い浮かんだのだ。それどころかさらに、ブレヒトが試みたのは思考する者を、ほかならぬ哲人を、劇の主人公(ヒーロー)そのものにすることだった、と言える。そして、まさにこの点から、彼の演劇を叙事的なものと定義できるのである」。]

[*59] 12世紀から14世紀にかけての中世ドイツにおける宮廷騎士文学の叙事詩、とくに恋愛詩の総称。「ミンネminne」とは中世高地ドイツ語で「愛」意味する。12世紀末頃からドイツの抒情詩人は、訳注51で述べた南フランスのトゥルバドゥールなどの影響を受けて宮廷愛や騎士道精神について歌い始め、ヘンリク・ファン・フェルデーケ、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ、ハルトマン・フォン・アウエ、タンホイザーといった代表的ミンネゼンガーらが登場するが、騎士階級の没落と共にミンネゼンガーたちの活動も衰退し、15世紀以降はマイスタージンガーが活躍する時代となる。

(152)ヴィクトル・ユーゴーの同時代人たち」という記事のなかでE・デュランティは、自分の雑誌『リアリスム』(1857, p.43)に登場したのだった。

[*60]この一節は『悪の華』緒言の「読者に」の最後に置かれた詩節である。翻訳『悪の華』『ボードレール全集I』収録、福永武彦訳、人文書院 1963年、8頁。

(153)私はここでG・プレと対立していることに気づくが、彼は普遍的な共同体universelle communionや美の記憶術mnémotechnie du beauというモティーフを参照することで、自らの「同一化の批評」をボードレールに基づけようとするさい、ボードレールの抒情詩がそもそも有していた否定性の作用を奪ってしまう(G. POULET, Baudelaire et la critique d’identification, in: Paragone 214, 1967, p.18-37)。ボードレールにとって否定性とは何かがもっともわかりやすく現われているのは、1851年のシャルル・デュポン[ピエール・デュポンの誤りか]に関する彼の記事であり、そのなかでボードレールはこんにちの観点からすれば完全に「現状是認的」で庶民的なデュポンの歓びの唄を、むしろ彼の『悪の華』の意図を的確に捉える議論で正当化している。「詩の運命とは偉大なる運命である! 歓びにあふれていようと、悲しみにみちていようと、詩はつねに神聖なユートピア的性格を身内に蔵している。詩は絶えず事実を、もはや存在すべからずと断罪して、反論する。牢獄にあっては、詩は反抗となる。病院の窓辺では、快癒への熱烈な希望である。ぼろぼろの不潔な屋根裏部屋では、豪奢と優雅の妖精のように身をよそおう。詩はただ確認するだけではなく、修復もする。いたるところで詩は不正の否定となるのである」(Œuvres, éd. De la Pléiade, Paris 1951, p.960 / 61)。[前掲「ピエル・デュポン」『ボードレール全集III』収録、93頁。]

(154) STAROBINSKI, L’Œil vivant II: La relation critique, Paris 1970, p.57.「逸脱が流行となっている場合、また逸脱それ自体が伝統になってしまっている場合、〈偉大な逸脱〉の作者はほとんど逸脱することはない。いやおうなしに文学上の英雄の役を演じているのはアントナン・アルトーである……。しかしながらアルトーの成功、彼がわれわれの時代の呪術師として受け入れられた仕方、そして彼についての評論は、彼のスキャンダラスな相貌がむしろ一般にかなり抱かれている期待に対応していることを証明しているように思える」。

(155) GEIGER, op. cit., p.655 sq.

(156)南ドイツでラジオ放送されたこのラジオドラマに関して、私はD・ハートから示唆を得た。HARTH, op.cit., p.159 sq.

[*61]この節は『美的経験と文学的解釈学』には存在しない。

(157) ADORNO, Résumé über Kulturindustrie, in: Ohne Leitbild – Parva Aesthetica, Frankfurt 1967, p.60-70.

(158) ADORNO, Ästhetische Theorie, l. c., p.339. [翻訳388頁]

(159)高級芸術と低級芸術との領域が何千年もの間けっして分離されることがなく、むしろ実践的な機能の点で両者は美しき芸術の解放にいたるまで区別されていなかったことを、その「文化産業に関する概要」(op. cit., p.60)において明らかに看過しているアドルノに反対する。

(160) KANT, Kritik der Urteilskraft, §8. [A216, 牧野英二訳(上巻), 73頁]

(161) KdU, §43. [「行為facereが働きないし作用agere一般から区別されるのと同様に、技術Kunstは自然から区別され、また技術の産物ないし帰結は、作品opusとして、結果effectusとしての自然の産物ないし帰結から区別される。/ 正しく言えば、自由による産出、すなわちその働きの根底に理性を置く選択意志による産出だけが、技術と呼ばれるべきであろう」(翻訳193頁)]

(162) KdU, §5. [「[快適なもの、美しいもの、善いものという]これら三種類の満足すべてのうちで、美しいものに対する趣味の満足は、ただこれだけが無関心で自由な満足である、と言うことができる。というのも、諸感官の関心であれ、理性の関心であれ、どのような関心も賛同を強要することはないからである」(翻訳65頁)。]

(163) KdU, §8. [「なによりもまず、次のことを十分に確信しておかなければならない。[第一に]それは、趣味判断(美しいものについての)によって、ある対象についての満足があらゆるひとにあえて要求されるが、それでもこの満足は概念に基づかない(概念に基づくならば、それは善いものであろうから)ということである。[第二に]また普遍妥当性に対するこの要求は、われわれがあるものを美しいと言明する判断に本質的に属しているのであるから、判断に際して普遍妥当性を考えなければ、誰ひとり[美しいという]この表現を使用することを思いつかないであろう」(翻訳70頁)。]

(164) KdU, §32; ここで私はG・ベック『範例に関するカントの教説』にしたがう(l. c., p.181)。 [「歴史上みられるこの[徳や神聖性の]実例は、人倫性に固有の根源的な(アプリオリな)理念に基づく徳の自律を不要にさせるのでもなく、この自律を模倣のメカニズムへと変化させるのでもない。模範的な創始者の作品が他のひとびとに及ぼしうるあらゆる影響を表わす正しい表現は、先例に関わる継承であって模倣ではない。これは、創始者自身が汲み取ったのと同じ源泉から汲み取り、自分の先行者からそのさい振舞い方だけを学び取るのと同じ意味である。しかし、すべての能力のうちで趣味は、その判断が諸概念や諸指令によって規定されることはできないのであるから、開化の進行のうちでもっとも長く賛同を保持し続けてきたものの実例をもっとも多く必要とする」(KdU翻訳166-167頁)。]

(165) KdU, §29. [「しかし、対象についての満足は、対象が魅力や感動によって楽しませることにもっぱらあるとすれば、われわれが下す美的判断に賛同することを他のひとにも要求してはならない。(中略)それゆえ、趣味判断は、自己中心的とみなされてはならず、その内的本性からみて、すなわち他のひとびとが自分たちの趣味について与える実例のためではなく、趣味判断そのもののために、必然的に多元論的とみなされなければならないとすれば、つまり趣味判断は、あらゆるひとがこの判断に賛成すべきであることを同時に要求してよいような判断として評価されるとすれば、この判断の根底には、なんらかのアプリオリな原理(客観的原理であれ、あるいは主観的原理であれ)が存在しなければならない」(翻訳159頁)。]

[*62]判断力批判』の第41節「美しいものに対する経験的関心について」に次のような文章がある。「美しいものが経験的に関心をひくのは、ただ社会のうちだけである。また、社会への衝動が人間にとって自然であると容認され、だが社会に対する有能性と性癖、すなわち社交性が、社会[形成]のために規定された被造物としての人間の要件として、それゆえ人間性に属する特性として容認されるとすれば、趣味もまた、ひとが自分の感情すらも他のあらゆるひとに伝達できるようなすべてのものの判定能力として、したがって各人の自然的傾向性が要求するものを促進する手段としてみなされることは、間違いないであろう」(翻訳184-185頁)。この文章のあとに、ルソーの社会契約論を意識した次のような一説が続く。「荒涼とした島にひとり取り残された人間は、自分だけのために自分の小屋も自分自身も飾ることをしないであろう。あるいは自分を飾るために花を探したり、まして花を植えたりすることもないであろう。むしろ、ただ社会のうちでのみ、そのひとは、たんに人間であるだけでなく、それぞれ自分の流儀にしたがって一人の洗練された人間になろうと思いつくのである(これは文明化の始まりである)。というのも、このような洗練された人間と判定されるのは、自分の快を他のひとびとに伝達することを好み、それに巧みな人であって、またある客観についての満足を他のひとびとともに感じることができなければ、その客観に満足しないようなひとびとだからである。各人は、いわば人間性そのものによって厳しく命じられた根源的契約に基づいているかのように、普遍的伝達を顧慮することをあらゆる人に期待し要求する。」(翻訳185頁)。なお「根源的契約」とは、岩波版訳書の訳注によれば「自由で平等な主体間の合意による社会契約論を意味し、人民自身が自らを一つの国家へと構成する働き」であるという。詳しくは、カント『人倫の形而上学』「法論の形而上学の原理」第47節以下を参照のこと。

(166) KdU, §41.

(167)「文芸学の挑発としての文学史」(Konstanz 1967, in: Konstanzer Universitätsreden, 3)。後に『挑発としての文学史』(1970)に収録。この講演に対してなされた批判への私の応答は、以下のタイトルのうちにある。JAUSS, Racines und Goethes Iphigenie – Mit einem Nachwort zur Partialität der rezeptionsästhetischen Methode, in: Neue Hefte für Philosophie 4 (1973), 1-46. [後者の論考は現在、『美的経験と文学的解釈学』の第三部に収録されている。]