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un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

ラインハルト・コゼレック「〈経験の空間〉と〈期待の地平〉 二つの歴史学的カテゴリー」

[以下はReinhart Koselleck “Erfahrungsraum und Erwartungshorizontzwei historische Kategorien” (in: ders, Vergangene Zukunft. Zur Semantik geschichtlcher Zeiten, Frankfurt a.M.: Suhrkamp 1979.)の試訳]

 

 

1.方法論上の前置き

     

人はよくよく仮説に逆らって語るものだから、しばしば仮説抜きで歴史に着手しようとする。何であるのかを語らずに、何かが存在するということはできない。人は仮設を考えながら事実を概念に関係づけるのであり、それがどんな概念に関連づけられるかはまったくもってどうでもよい。

 この文句によってフリードリッヒ・シュレーゲルは、〈歴史とは何であり、人はそれをどのように認識すべきで、どのように書くべきか〉という一世紀前の理論的考察からその要略を引き出したのだった。進歩するものとして経験される歴史と共に生じたこの歴史についての解明の最後に、「即自的かつ対自的な歴史」が現われる。簡単に言って、そこで問題となっているのは、歴史の可能条件とその認識の条件とを引き合わせる超越論的なカテゴリーである。以後、それがどれだけ周知なものであろうと、歴史を言葉にしてくれるこのカテゴリーについて明確にすることなく歴史を学問的に扱うことはもはやなされなくなった。

  みずからの体験と記憶を超えて、問いかけや願い、希望、心配に導かれながら過去へ遡って理解する歴史家は、今でも大雑把ながらまだ数多く残されている、いわゆる遺跡の前に立っている。その歴史家が、自分が知りたいと思う歴史を証言してくれる遺跡を史料に変えるとき、彼はつねに二つの平面で動いている。歴史家は、すでに以前に言葉で分節化されている事の実情を探求するか、もしくはいまだかつて言葉で分節化されていないが、仮説や方法の助けを借りて遺されたものから事の実情を導き出し再構成するかのいずれかをとる。最初の場合、歴史家に受け継がれている史料言語Quellenspracheの概念は、過去の現実を捉える発見的アプローチとして役に立つ。第二の場合、歴史家は、史料調査のうちで指摘されずに使用されている、事後的に作り出され定義された諸概念や学問的カテゴリーを用いる。

  したがってわれわれとしては、史料と結びついた諸概念と学問的な認識カテゴリーとに関わる。それらは区別されねばならないのと同時にもちろん関連づけることもできるのだが、必ずしもそうしなければならない訳ではない。そうした歴史的概念と歴史学的カテゴリーはしばしば同一の言葉でカバー可能であるが、それだけにそれらの使用のされ方の違いをはっきりさせることがより重要である。古い概念と今日の認識カテゴリーとの違いもしくはその収束を正確に測定し探求するのが概念史である。その限り、いかにまちまちな仕方で自分固有の方法であろうと、またその経験的な多産性を考慮せずとも、概念史は歴史の学問理論にとって一種の準備研究Propädeutikumであり、歴史論Historikになる。

  以下で歴史学的カテゴリーとしての経験の空間と期待の地平について語るなら、同じように前もって述べておかねばならないのは、これら二つの用語はそれ自体、史料言語の概念として探求されないということである。それどころか、プロの概念史家が服するべきと思われる方法論上の要求にいわば逆らいながら、これらの用語の来歴を歴史の中から派生させることは意識的に断念される。しかしながら、[これらの用語の]歴史学的・発生論的問いかけを除外することが歴史そのものへのまなざしを鋭くできる研究状況も存在する。いずれにせよ、自らの立場の歴史化をさしあたり断念するなら、今後の手続きが求める体系上の要求はよりはっきりとしてくる。

  さて、およそ歴史学的な特徴づけや名づけがそうであるように、用語としての「経験」や「期待」がそもそも歴史的現実をまったく伝達していないということは、日常の言語使用からもすでに明らかである。「ポツダム協定」「古代奴隷制経済」「宗教改革」といった名づけは、歴史的な出来事や状態やプロセスそのものを明白に向けられている。その点で言えば、「経験」や「期待」はただ形式的なカテゴリーであるにすぎない。それは、経験されるものやそのつど期待されるものが、これらのカテゴリーそのものから導き出されないからである。それゆえ、正反対に分かれたこれらの用語でもって歴史一般を解読するという形式的な先行把握は、「経験」と「期待」の歴史自体ではなく、歴史の可能条件の輪郭づけ、確定することを意図しうるにすぎない。重要なのは、歴史の可能性を基礎づけてくれる認識カテゴリーである。言いかえれば、行為し苦悩する人間の経験や期待によって構成されなければ、歴史は存在しない。そのため、そのつど過ぎ去り、現前化し、やがて到来する具体的な歴史についてはまだ何も語られない。

  もちろん[経験と期待という]われわれのカテゴリーは、この形式性という特性歴史学が有する他の数え切れない用語と共有している。私がここで想起するのは、「主と奴隷」「友と敵」「戦争と平和」「生産力と生産関係」である。もしくは、社会的労働や政権世代のカテゴリー、体制の構築形式、社会的ないし政治的な統一行動、境界のカテゴリーや時間・空間などを想起してもよい。

  ここでいつも問題となるのは、決められた境界や状態などについてまだ何も語らないカテゴリーである。しかし、こうした境界や状態もしくはあれこれの経験や期待が問われたり視野に入れられたりすることは、すでにそうした用語をカテゴリーとして使用してしまっている。

  さて、われわれが指摘した形式的なカテゴリーのほとんどすべてを特徴づけているのは、それらがまた歴史的、経済学的、政治的ないし社会的な概念であり、かつてもそうであったこと、そしてそれらが生活世界から発生したことということである。その限りこうしたカテゴリーは、まだアリストテレスの下でその語の理解から観照という意味を伝え、政治の日常生活がその反省のなかで称揚していた理論的諸概念のメリットをおそらく共有している。しかし、まさに前学問的な生活世界やその政治的ないし社会的概念に目をやる際に明白になるのは、そこから派生する形式的な諸カテゴリーのリストが、差異化されたり濃淡をつけられたりするということである。「デモクラシー」や「戦争と平和」や「主従制」といった用語が、「経験と期待」というわれわれが用いる両カテゴリーよりも生活味に溢れ、具体的で、感覚的かつ直感的であるなどと述べようとする者がいるだろうか。

  明らかに「経験と期待」というカテゴリーは、普遍であることとその使用が不可欠である点で、より高い、ほとんど最高といっていい程度を要求する。ここでこのカテゴリーは、歴史学のカテゴリーとして時間・空間のカテゴリーと同一になる。

  このことは意味論的に根拠づけられる。すなわち、さきにいくつか列挙された現実味溢れる概念はカテゴリーとして二者択一を立て、それゆえに互いに関連づけあいながらも、自らを排除することでそのつどより狭く限定された、より具体的な意味領域を構成するような意味を立てるのである。そのようにして労働のカテゴリーは余暇を参照し、戦争は平和を、逆に境界線は内部空間と外部空間を、ある政権上の世代は別の世代やその生物学的相関者を、生産力は生産関係を、民主制は君主制を参照する。[しかし]「経験と期待」という対概念は明らかにこれとは別の性質を有しており、互いのうちで交差し、いかなる二者択一も立てず、むしろ一方は他方抜きでは保持しえない。期待がなければ経験はなく、経験がなければ期待もまたない。

  確かにその限りで、ここで不毛な優劣のリストを作らないのなら、〈さきに示された歴史の可能性条件のカテゴリーすべては別々に利用可能だが、それらはまた経験と期待によって構成されなければまったく思考できない〉ということが言われよう。したがってわれわれの両カテゴリーは、普遍的に人間の所見を証拠立てている。歴史を可能にし、またおよそ思考可能にするためにも、この両カテゴリーは人間学的な先行条件をしめしていなければならない。

  歴史理論が観念論の体系のうちで凝固してしまう以前、それがまだ自由に飛翔できていた時代の別の証人としてノヴァーリスを挙げるなら、彼はかつてこのことを『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』[邦題『青い花]において定式化していた。彼がそこで述べるように、人間の歴史にとっての本当の意味は遅まきながらようやく発展し、18世紀における歴史の発見を暗に示すという。長き年月を見渡すことができ、すべてを字義通りに受け取ったりせず、勝手気ままにもつれさせたりしない時にはじめて、人は来し方行く末の隠された連鎖に気づき、思い出と希望から歴史を組み立てることを学ぶ

  「歴史」は、後にそれが学問として整備された時のように、優れて過去を意味するものではなく、むしろさきの来し方行く末の秘密の連鎖に向けられていて、思い出と希望という二つのあり方から歴史を組み立てることを人が学んだ時にのみ、その連関は認識されることができる。

  こうした見方のキリスト教的な出自は別にするとして、私が冒頭で指摘した歴史の超越論的規定にとってはここに本来的なケースが存在する。現実の歴史の可能条件はまた、その認識の条件でもある。希望と思い出、もしくはより普遍的なものとされた期待と経験(それは期待がたんなる希望よりも多くのものを捉え、経験はたんなる思い出よりも深く把握しているからである)は歴史と同時その認識も構成し、しかも期待と経験は時を選ばずに過去と未来の内的な連関を指摘し作り出すことによって、そうするのである。

  かくして私は自らのテーゼにいたる。それは〈経験と期待は、過去と未来を交差させながら歴史の時間を主題化するのに適した二つのカテゴリーである〉というものである。二つのカテゴリーは、自らの内実を拡大させながら社会運動や政治運動の遂行の際に具体的な統一行動を導くわけだから、歴史の時間を経験的な研究の領域において跡づけるのにも適している。

  簡単な例を挙げておこう。[清教徒革命における]チャールズ一世の死刑執行の経験は、一世紀たった後に、チュルゴーがルイ十六世を(さしあたり王をチャールズ一世と同じ運命から守ることになった)改革に向かわせた時、チュルゴーの期待の地平を拓いた。チュルゴーはむなしくも自らの王に警告した。しかし、かつてのイギリスの革命と来るべきフランスの革命との時間的なつながりは、経験可能で拓かれており、たんなる年代記を越えていた。[ここでは]特定の経験と特定の期待とが媒介されることで、具体的な歴史が示されている。

  しかし、経験と期待というわれわれの両カテゴリーは、歴史の具体的な遂行を促進させつつ、そののうちに含まれているだけではない。経験と期待は同時に、われわれの歴史学的認識にとってのカテゴリーとして存在し、この具体的な遂行を解読する形式的規定である。経験と期待というカテゴリーは人間の時間性を示し、それゆえメタ歴史学的に言うなら、歴史の時間性を示している。

  このテーゼを二つの通路において論及することが試みられるべきである。まず私は〈人間学的な先行条件としての経験と期待は、どの程度、歴史の可能条件であるのか〉というメタ歴史学的な次元を素描するつもりである。

  その次に私は、経験と期待という分類が歴史の流れの中でズレたり変化したりしてきたことを歴史学的に指摘しようと思う。もしその指摘がうまくなら、歴史の時間がたんに空虚な規定であるのではなく、むしろ歴史とともに変化する尺度であり、その変化は経験と期待というおのずと変わってゆく分類から導き出されることが明らかにされねばならない。

 

 

2.メタ歴史学的なカテゴリーとしての

 経験の空間と期待の地平

 

 経験と期待というわれわれのカテゴリーが有する、メタ歴史的である限りで人間学的でもあるその意義を論及し始める際に、私としては読者の好意を請うておきたい。それはここでの論及が粗描にしかなり得てないからであるが、私は立証責任をより適切に割り振るためにもそうせざるを得ないのである。歴史の時間性を目指しているメタ歴史学的な規定がなければ、われわれは経験的な研究において自らの用語を使用する際に、その歴史化という際限のない渦に飲み込まれるだろう。

  そこで、いくつかの定義の提案が試みられねばならない。経験とは現在にある過去であり、その出来事はそこに組み込まれ、想起されることができる。もはや知のうちには現前しない無意識的な振舞い方と同様、物事の理性的な消化吸収も、経験のうちで結びついている。世代や制度に媒介されながら、そのつどの自分自身の経験のうちにますます異質な経験が含まれ止揚されてゆく。こうした意味で、実際、歴史物語Historieも昔から異質な経験の情報集として捉えられていた。

  同様のことが期待についても言える。期待は人格に結びつけられていると同時に間人格的であり、また今において遂行されルト同時に生き生きとした未来であり、〈まだないもの〉や〈経験されていないもの〉や〈ただ推測できるもの〉を目指している。希望と恐れ、願望と意志、気づかい、また合理的な分析や処方的な見方や好奇心なども、(期待を構成しつつ)期待となる。

  経験と期待は現在の二つの側面を有しているが、過去と未来をおよそ鏡像的に互いに区分する左右対称的な補完概念が問題なのではない(1)。おそらく経験と期待は、分かちがたいあり方をしている。このことは、スペインでの予期せぬ革命の再発以降の一八二〇年、文通相手のゲーテに宛てて書かれたカール・フリードリッヒ・ラインハルト伯の文章で論じられているように思われる。「わが畏友よ、あなたが経験について述べたことはおそらく正しい。個々人にとり経験はいつも遅れてやってきますが、政府や民族にとってはけっして現われません」。この駐仏外交官はゲーテに生じた変化を捉えており、その変化は当時、たとえばヘーゲルにおいても確固として存在していて、歴史の教訓がもはやそのまま使用できなくなったことを証言していた。私としてはこの文章がはじめて構想された歴史学的状況は措いておいて、続く段落に注意を向けたいのだが、そこでは次のように書かれている。

  なぜそう言えるかといえば、なされた経験はある焦点に統合されて現われるからです。[他方で]これからなされるべき経験は分、時間、年、世紀にわたって拡がっており、人はある場合には全体だけを見、また別の場合には個々の部分だけを見るために、似たようなことはけっして似たような仕方で現われないからです(『ゲーテ・ラインハルト書簡集』S.246)。

  期待が完全に経験から導き出されないのと同様、過去と未来はけっして一致することがない。いちど集積された経験はそのきっかけが過ぎ去る程度に応じて完全になるが、他方、これからなされるべき経験は、期待として先取りされながら、さまざまな時間的伸び広がりの無限性のうちへと解体してゆく。

  さて、ラインハルト伯が見出したこの所見にわれわれの隠喩的な書き換えが対応する。よく知られているように時間はいずれにせよ空間的な隠喩においてのみ表現されるが、「経験の空間」と「期待の地平」について語ることは、逆に「経験の地平」と「期待の空間」について語ること以上に(この変更もそれなりの意味を有してはいるものの)明らかに分りやすい。ここで問題となっているのは、過去の現前が未来の現前とは別ものであることを示すことである。

  過去に起因する経験が空間的であると語ることが有意味であるのは、かつての時間がそれ以前もしくはそれ以後について情報を与えないまま同時に幾重にも層をなして現前しているような全体へと経験が束ねられているからである。(そのきっかけによって日時確定が可能であっても)時系列的に測定可能であるような経験が存在しないのは、自分自身の人生の思い出から呼び出されたり他人の人生についての知識から呼び出されたりするものすべてによって常に経験が構成されているからである。時系列的に見るならあらゆる経験は時間を飛び越える跳躍を行い、過去を付加的に拡大させていくという意味で連続性の産出者である。クリスチャン・マイヤー[ギリシャ史家で元ドイツ歴史家協会会長]のイメージを借用するなら、むしろ経験は洗濯機ののぞきガラスのようなものであって、ときおりその向こう側ではあれやこれやの色とりどりの洗濯物が現われるが、それらは全体として洗濯槽のうちに含まれている。

  経験とは逆に、期待の空間に代わって期待の地平という隠喩を用いることはもっとはっきりしている。地平は線を意味していて、その線の向こうではまだ見通すことのできないあらたな経験の空間がこれから開かれる。未来は経験不可能であるために、予測はできてもその推測可能性は絶対的な限界にぶつかる。最近のある政治ジョークがこのことを直感的に明らかにしてくれる。

    「共産主義が地平線上に見える」とフルシチョフがある話の中で説明している。すると聴衆が「同志フルシチョフ、地平とは何ですか」と途中で質問。ニキータ・セルゲーエヴィチ[・フルシチョフ]は「辞書で調べなさい」と返答する。帰宅した知識欲旺盛な質問者がリファレンス・ブックに次のような説明を見つける。「地平:天空と大地とを分かち、近づくと遠ざかる見かけの上の線」。

  政治的な要点は別にして、ここでも示されているのは、〈未来に期待されるものは、過去にすでに経験されたものとはあきらかに別のあり方をするものとして最終的に限界づけられている〉ということである。抱かれた期待は改定可能で、なされた経験は集積される。

  今日、経験に対して期待できることは、それが未来においても変わらずにくりかえされて承認されるということである。だが同じような仕方で期待を経験することはできない。もちろん、希望に満ちていたり不安だらけだったり、用心したり計画づくだったりしながら未来に対し好奇心を抱くことを意識的に反省することはできる。その限り、期待も経験可能である。ところが、期待によって志向された立場や状況や行為結果それ自体はもはや経験内容ではない。経験を特徴づけているのは、それが過ぎ去った出来事を消化吸収し現在のうちで生き生きとさせ得るということであり、経験は現実に浸されていて、完成された可能性と未遂の可能性を自分自身の振舞いへと束ねてゆくということである。

  したがって繰り返すことになるが、問題となっているのはたんなる対立概念ではなく、むしろこの概念が対立とは異なるあり方を示していて、そうしたあり方の分裂から歴史の時間のようなものが導き出されるのである。

  このことは誰もがわかる所見に基づいて論及されるべきだろう。「最初にやって来たものは、次には思いもしないようなものになるerstens kommt es anders, zweitens als man denkt[一九世紀の風刺画家ヴィルヘルム・ブッシュの格言]にみられるような目的の不均等性、つまり歴史の時間経過の特殊規定は、経験と期待とのそもそもの違いに根ざしている。一方が断絶なく他方に変えられることはない。この所見を反論の余地のない経験信条として定式化しても、そこから一貫した期待はまだ結論されない。

  自らの期待すべてを自分の経験から導き出せると考えている者は、誤りを犯している。期待したのとは違ったようになる場合、人は考えを正す。だが自らの期待を経験に基づけない者も、同様に誤りを犯している。そうしていれば、人はより適切に自らの誤りを知ることができただろう。ここには明らかに、時間の経過によってのみ解かれるアポリアが横たわっている。経験と期待という二つのカテゴリーによって証明された両者のズレは、このようにして歴史構造のメルクマールをわれわれに示してくれる。歴史においては、先行条件のうちに含まれているのより以上かより以下のものがいつも生起するのである。

  こうした所見そのものはけっしてそれほど驚くべきものではない。つねに期待とは違うようになり得るとしても、それは、歴史上の未来がけっして歴史上の過去からすっかり生じる訳ではないという客観的な所見に対する主観的な決り文句にすぎない。

  しかし、〈経験されたのとは違うようにもなり得た〉ということもつけ加えておかねばならない。経験が誤った仕方で覚えられていて、その記憶が修正可能なことがあるかもしれないし、あらたな経験が別のパースペクティヴを拓くかもしれない。待てば海路の日和があり、あらたな経験が集積される。したがって、一度なされた経験も時がたてば別様にもなり得る。一九三三年の出来事は一度しか起こらないが、それに基づく経験は同様に時の経過のうちで変化し得る。経験は堆積して、相互に浸透してゆく。さらにあらたな希望や失望、あらたな期待は遡及的な仕方で経験のうちに入り込んでもくる。それゆえ経験は、一度なされたものとして同一であるとしても、変化することがある。これが経験の時間構造であり、それは遡及的に影響する期待なくして集積されることはない。

  これとは別の関係になっているのが、経験なしでは保持されない期待の時間構造である。期待が経験に基づいて実際になされれば、それはもはや意外なものにはなり得ない。期待されていなかったものだけが意外なものとなりえ、そのさいにあらたな経験が生まれる。それゆえ期待の地平を突破することはあらたな経験を産み出す。そのさい経験の獲得は、これまでの経験によって前もって設定された未来の可能性の制限を越えてゆく。だから期待による時間の乗り越えは、経験と期待というわれわれの二つの次元をそのつどあらたな仕方であたらしく分類する。

  面倒な説明を省いて手短に語ろう。そのつどさまざまなあり方であらたな溶解を引き起こし、その限りで歴史の時間を自分から動かしてゆくのが、経験と期待との分裂である。最近の例を挙げるとすれば、このことは予測の構造に即すことでとりわけ明確に示される。まず予測の蓋然性の割合は、誰かが期待していることに基づいているのではない。予告された未来の蓋然性は、それが学問的に処理されていようとなかろうと、さしあたり過去の先行状況から導き出される。[ここでは]経験データを含んでいる診断が[予測に]先行している。このように見るなら、未来に開かれている経験の空間がそれ自体、期待の地平を特徴づけている。経験は予測を拓き、これを制御する。

  しかし予測は、何かを期待しなければならないという要求によっても規定されている。広い行動領域に関係づけられたり狭い行動領域に関係づけられたりする関心は、恐れや希望を生じさせる期待を解き放つ。代替の条件が視野に入れられなければならず、やがて現実に実現し得る以上のことを含む可能性が関わってくる。このようにして予測は、経験だけからは導くことのできない期待を拓く。予測を立てるということは、予測を生み出す状況をすでに変化させている。言いかえれば、それまでの経験の空間は期待の地平を決定するのに十分ではない。

  だから経験の空間と期待の地平はそれぞれ静的な仕方で関係づけられていない。この二つは、過去と未来をそれぞれ違う仕方で制限しながら、今において時間的ズレを構成する。両者がそのつど互いに刷新する連関は、自覚的もしくは無自覚的に、それ自体予測の構造を有している。これでわれわれは歴史の時間のメルクマールを手にし、同時にそのメルクマールによって歴史の時間の変容可能性を指摘できるようになったのではないかと思われる。

 

 

III.経験と期待を分類する際の歴史的転換

 

 ここで私は、経験と期待というわれわれの両カテゴリーを歴史学的に使用するところにきた。私のテーゼは、近世Neuzeitにおいて経験と期待とのズレがますます大きくなること、より正確には、期待がそれまでになされたあらゆる経験からどんどん離れていってはじめて、近世は新時代eine neue Zeitとして把握される、というものである。

  [しかし]このテーゼによっては、客観的な歴史が問題となっているのか、その主観的な反省だけが問題となっているのかの問いについてはまだ決定されていない。それは、過去の経験はそうした経験を消化吸収している客観的な所見を含んでいるからである。もちろんこれは過去の期待に対しても機能している。未来に向けた気構えとして考察されるだけでは、過去の期待は心理的なリアリティを有しているにすぎないだろう。だが、期待が過ぎゆく現実という代償を払ってあらたな可能性をみずから産み出したことを考えれば、過去の期待の効力は消化吸収された経験の作用と同様に動かす力を有するものとして評価されるべきである。

  したがってまず「客観的」データが示されねばなるまい。そうしたデータは社会史によって容易に集められる。二〇〇年前までおよそ八〇%近い人々がまだヨーロッパのいたるところで農村世界に暮らしていたが、そうした世界は四季の循環とともに営まれていた。その社会体制やとりわけ遠隔取引での農産物の売上幅や財政のゆれ幅などを除外すれば、農村世界の日常は自然が産み出すものによって形づくられていた。太陽、風、気候からの恵みや災い、自分の技量で習得されたもの、こうしたものは世代から世代へと受け継がれた。かつても存在した技術的革新はとてもゆっくりと実現されたため、生活に入り込んで変化させるほどの結果にはならなかった。人はこれまでの経験領内を混乱させずにそうした革新に適応することができた。戦争ですら、神がもたらし認可した出来事として経験された。同様のことが手工業者(そのツンフト規則は、たしかに個々人を強く拘束するものではあったかもしれないが、すべての者がこれまでどおりに生活できるよう配慮していた)の都市世界についても言える。そうした規則が手工業者たちに強い拘束として経験されたという事実は、より自由な経済というあらたな期待の地平をすでに前提している。

  もちろんこのイメージは著しく簡略化されているが、われわれの問いの設定には明らかにこれで十分である。さきに述べられた農村・手工業者の世界において抱かれた期待、またそうした世界でのみ抱かれた期待はすべて先祖の経験から供給され、先祖の経験は子孫の経験となっていった。たとえ何かが変わったとしてもそれは緩慢で長期的なものであるために、これまでの経験とあらたに開かれるべき期待との裂け目が、受け継がれてきた生活世界に穴をあけてしまうようなことはなかった。

  むろん、かつての経験がこれからの期待へとほとんど継ぎ目なく移行しているかどうかの確認は、同じようなあり方であらゆる階層に拡げられるわけではない。権力手段がますます機動力を増している政治の世界でも、十字軍遠征の運動や後の海外での植民地獲得運動でも、さらにコペルニクス的転回の影響を受けた精神の世界でも、近世初期の一連の技術的発明でも、受け継がれてきた経験とあらたに開かれるべき期待との周知のズレは依然として前提にされていなければならない。フランシス・ベーコンが述べたように「この誤りのせいで過去においてと同じくらい障害があったからこそ、来るべき未来には希望についての議論が数多くある」[『ノヴム・オルガヌム』第一巻§94]。とりわけ一世代のうちで経験の空間が解体したところでは、あらゆる期待も不確実なものとなり、あらたな期待が沸き起こったはずである。ルネッサンス宗教改革以来、[かつての経験とこれからの期待が]このように裂開してゆく分裂はますます多くの階層に広がっていった。

  もちろん、(大まかにいって一七世紀の中頃まで)最後の審判というキリスト教的な教説がいかんともしがたく期待の地平を限定していたために、未来は過去に遡って結びつけられていた。聖書の啓示は教会によって管理されていたために、経験と期待は互いに乖離することなく交差していた。このことはすこし論じておかねばなるまい。

  これまでの経験を超出してゆくような期待は、此岸の世界と関わりがなかった。そうした期待はいわゆる彼岸の世界へと向けられていて、全体としては終末論的な仕方で此岸の世界の終末へと向けられていた。逆に此岸世界の終末の予測が的中しなかったことがいったん明らかになると失望も生じたが、どんなに失望してもこの状況は変わらなかった。

  実現することのない予言は幾度となく再生産された。もっと言えば、そうした期待の未遂によって晒された思い違いは、世界の終末を唱える終末論的な予言が次回にはよりいっそうの確実性をもって的中するかもしれないということの証拠ともなった。終末論的な期待のそうした反復構造は、これとは逆向きの経験が此岸の世界の次元で失効してしまうことに気を配っていた。経験は、当初それが正しいと証明していたのとは逆のことを事後的に証言したからである。それゆえ、此岸の世界を越えて延び拡がっているために経験がどんなに邪魔をしても乗り越えられないような期待が問題となった。

  今日では合理的に理解するのが困難であるこの所見もいまや説明できるだろう。ある終末期待に失望してはまた次の終末期待に失望するという事態が数世代にわたって続くことで、終末の予言を再び信じることが世代の自然な循環のうちに組み込まれていった。その限り、現世の長期にわたる日常経験が、世界の終末にまで延び拡がっていた期待に重なることはけっしてなかった。キリスト教的な期待と現世的な経験との逆方向性は、矛盾することなく互いに関連しあっていた。それゆえ、経験の空間そのものが此岸の世界で根本的に変化しない限りにおいて、終末論は再生産可能であった。

 ようやく事態が変わったのは、もっぱら進歩として概念化されたものによってあらたな期待の地平が開かれてからだった。用語法上では、精神的な「完成profectus」が現世的な「進歩progressus」によって押しのけられるか解体されるかした。これ以後、以前は彼岸においてのみ到達可能であった完全化可能という目標規定は、現世での現実存在の改善のためになされるようになり、こうした改善によって最後の審判の教説は開かれた未来のリスクで乗り越え可能となった。結局、「無限の完成へと進歩してゆくprogressus est in infinitium perfectionis[「ものの根源的起源について」(1697)]と述べたライプニッツによってはじめて完全性は時間化され、現世での出来事として実現するなかで招来されることになった。もしくはレッシングは次のように結論した。「思うに、もし創造物すべてがそれが創造された時の完全性のうちにあり続けるべきであるなら、創造主は自らの創造物すべてをより完全なものにしなければなりません」[『レッシング・Mメンデルスゾーン書簡集』]。フランスではこの完成perfectioの教説の時間化に対応するのが「完成perfectionnement」という用語の形成であり、(ルソーによって)人間の「改善能力perfectibilité」[『人間不平等起源論』]という歴史の根本規定がこの用語の下に置かれた。以来、歴史全体は継続してだんだんと完成してゆくプロセス(退化したり回り道をとったりするものの、もっぱら人間自身によって計画され執り行なわれるべきプロセス)として把握可能となった。以降、設定された目標は世代から世代へと前進し、計画や予想のうちで先取りされた影響効力は、政治的行動を正当化する権限をもつようになる。一言で言えば、以後、期待の地平は時とともに前進する変動係数を含むようになる。

  しかし、歴史的に新しく、ユートピアを目指して継続的に乗り越え可能な特質を得たのは期待の地平だけではなかった。経験の空間もだんだんと変容していった。「進歩」の概念は、過去三世紀分のさまざまな新経験をまとめ上げることが問題となったとき、一八世紀の終わりごろになってようやく形成された。単一で普遍的な進歩概念は、日常のうちにますます深く入り込んでくる多くの個別的な新経験や、以前にはまだ存在していなかった専門諸領域での進歩から養分を得ていた。コペルニクス的転回、徐々に勃興しつつあった技術、球体としての地球とさまざまな発展段階のうちに生きる諸民族の発見、産業と資本による都市世界の解体などがそうした例として挙げられよう。こうした経験すべてが非同時代的なものの同時代性を、逆に言いかえれば同時代における非同時代的なものを示していた。進歩として捉えられた歴史が有する近世的なものを言い当てようとしたフリードリッヒ・シュレーゲルは次のような言葉を残している。

  歴史の本来の問題は、人間形成全体を構成するさまざまな要素において進歩が同じでないことであり、とりわけ知性と道徳の形成の程度における大きな相違である。

   それゆえ進歩は、時間的な変動係数を内包する経験と期待を束ねていた。人は他人を集団として、国として、もっぱらは階級としてあらかじめ理解し、他人に追いつき追い越そうとしていた。技術が優勢を決め、他の民族の前時代的な発展段階は見下されたため、文明的に優れた者は彼らを指導する権限をもつと考えていた。身分的ヒエラルキーは、進歩的な階級が後からやってくることによってこれから乗り越えられるべき静的な序列とみなされていた。事例はいくらでも挙げられる。キリスト教的な未来の期待と進歩との関連が精神史的にどれほど多様であっても、われわれにとってまず問題となるのは、進歩が彼岸ではなく此岸の世界を活発に変更しようとしているという指摘である。いまや未来へと延び拡がる期待が、これまでのあらゆる経験によって提供されてきたものから剥がれたのは新しいことであった。海外での植民地獲得や科学技術の発展以来あらたな経験として付け加わったものは、もはや将来の期待をそこから導き出すのに十分といえなかった。以降、経験の空間は期待の地平によってもはや包含されることなく、経験の空間の境界線と期待の地平は互いに別の道を進んだ。

  これまでのあらゆる経験が未来の異質性に対する異議にはなれないことがまさにルールとなる。未来は過去と別物になるどころかよりよくなる。歴史哲学者としてのカントが尽力したことはみな、期待に対して向けられる経験の異議すべてが進歩という期待を証明しているように整理しようとしていた。(かつて自ら定式化したように)カントは「かつてあったようにあり続けるだろう」というテーゼや、だから人は歴史的に新しいものを何ひとつ予言できないというテーゼに対し抵抗したのだった[カント「世界市民的見地からする普遍史の構想」]

  この言明はこれまであったありきたりの歴史における予言形式をすべて逆転している。これまで予言の代わりに予測に関わった者は、言うまでもなくこうしたことを過去の経験の空間から導き出し、過去が以前に有していた規模が調査され多かれ少なかれ未来への予想とされた。そもそもかつてあったようにあり続けるのであるから、将来起こることを予言するのはもとよりたやすいことであった。このように論じたのはマキャヴェリであり、そのとき彼は「地上のあらゆる事象はどんな時でも過ぎ去ったものとの類似性を有していたのだから、未来を見通さんとする者は過去へと眼差さねばならない。」[マキャヴェリティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』(邦題『ディスコルシ「ローマ史」論』)]と述べたのであった。またイングランドでの政体改革は絶対君主君主制の方により傾くべきか、それとも共和制の方に傾くべきかと問うとき、デイヴィッド・ヒュームも同様に論じている[ヒューム『政治論集』]。ヒュームは体制形態を最終的に限界づけていたアリストテレス的なカテゴリー群のうちでまだ動いていた。とりわけ政治家たちはこうしたマキャヴェリやヒュームの主張に従って行動していた。

  「進歩」のレッテルを貼られがちなカントは、ここで問題となっている転回を指摘している。根本的に同じことを期待している予言は、カントに言わせればまったく予測ではなかった。それは、同じものを望む期待が〈事態はよりよくなるべきだから未来にはよりよくなる〉という自らの期待と矛盾しているからである。そうした場合、過去の経験と未来の期待はもはや一致しておらず、両者は次第に分かれてゆく。ありうる未来を行為遂行的に予測することによって、あたらしい未来の長期的な期待が生じた。「経験が直接、進歩の課題を解決してくれる訳ではない」ことをカントは認めていた。しかしカントは、フランス革命のようなあたらしい経験が未来に蓄積され、「度重なる経験による教化」が「よりよきものへの」継続的な「進歩」を保証してくれるということをつけ加えもした(カント『諸学部の争い』)。こうした言明がようやく思考可能となったのは、歴史がそもそも一回限りのものとして設定・経験されてからのことであり、それは個々の場面において一回限りというだけでなく、総体的に一回限り、つまり進歩的な未来へと開かれている全体として経験されるようになってからのことであった。

  歴史全体が一回限りのものならば、過去とは違うあり方で未来が存在しなければならない。こうした歴史哲学的な公準や啓蒙の登場やフランス革命の反響が、「進歩」と同様に「歴史一般」を基礎づけている。これら二つの概念が用語として形成されることによってはじめて歴史哲学はその充実をみたのであり、両概念はこれまでの経験からはもはや十分なかたちで期待を導き出すことはできない事態を示している。

  進歩する未来と共に過去の歴史的位置価も変化していった。「世界にとってフランス革命は歴史記述のあらゆる智慧を嘲笑したような出来事であり、そこからは歴史がどう問うてよいかほとんど分らないあらたな現象が日に日に起こっていた」とヴォルトマン[Karl Ludwig von Woltmann, 1770-1817. 歴史家]は一七九九年に書き記している。こうした連続性の断絶は当時の流行の論点であったため、クロイツァー[Georg Friedrich Creuzer, 1771-1858. 文献学・東方研究者]が一八〇三年に結論づけていたように「演繹的な目的は歴史学と両立しない」とされた。たえず一回のものとして時間化されプロセス化された歴史はもはや範例として学ばれることができなくなった。継承された歴史記述の経験はもはやそのままのかたちでは期待へと拡大されなくなった。むしろクロイツァーが続けて書いているように、歴史は「進歩する人間というあのあらたな類からあらたに見渡され、説明され」ねばならない。言いかえれば、過去を批判的にまとめ上げる歴史学派の成立は、未来への進歩を引き起こしたのと同一の見方のうちに根づいているのである。

  そのつどの立場にしたがってイデオロギーイデオロギー批判がそれぞれの視座から経験と期待とのズレのうちに入り込んでいるとしても、このような見方はもはやけっして単なる近代modernイデオロギーとして片づけることはできない。われわれのそもそもの体系的考察(その歴史的由来はこれまでのところで明らかにした)は、経験の空間と期待の地平との間にある人間学的に導出可能な非対称をすでにわれわれに示していた。こうした非対称をもはや逆戻りできない進歩へと狭め、一面的に解釈することは、近世Neuzeitを新時代として捉えようとする初めての試みであった。「進歩」の概念は、経験と期待の時間的ズレを固有の概念にもたらした最初の真正な歴史学的概念である。

  ここでいつも問題となったのは、もはやこれまでの経験からは導き出せなくなった経験を保証し、これまで抱かれることのできなかった期待に沿うようにこれを定式化することであった。こうした要求は今日では総じて近代初期といわれている時期に高まり、ユートピアの余剰ポテンシャルから養分を得て、フランス革命における出来事の奔流に至った。これにより、いままでは世代の移り変わりのうちに束ねられていた社会的・政治的な経験世界が爆破された。「歴史が継起する出来事を直接的に要約すればするほど、争いはいっそう頻繁に広まるようになる」と述べたのは、フリードリッヒ・ペルテス[Friedrich Christoph Perthes 1772-1843. ハンブルク市民軍への参加で有名]の観察であった(そうした観察は当時しばしばなされた)。かつてのエポックがその方向を変えるのに数世紀以上もかかったが、「われわれがいま扱っている時代は、完全に一致できないものをいま同時代に生きている三世代のうちにまとめてしまった。一七五〇年[啓蒙専制君主フリードリッヒ二世の時代]と一七八九年[フランス革命の勃発]と一八一五年[ウィーン体制の確立]の恐るべき対立にはいかなる過渡期も存在せず、祖父、父、孫が健在である限り、この対立はいま生きている人間のうちに継起としてでなく並存として現われている」。

  一つの時間経過から、同一時間に存在する多層的な時間のダイナミズムがうまれる。

  進歩が概念化したもの、これを簡単に定式化するなら、学問と芸術において、ある土地から別の土地へ、ある身分から別の身分へ、ある階級から別の階級へ新と旧が衝突することは、フランス革命以後、当然の出来事となった。たしかにいくつかの世代はある共通の経験の空間に生きているが、その空間は政権世代や社会的立場いかんでそれぞれの視座に基づいて破壊された。以来、経験と期待とのズレを時間的にさまざまな仕方で積み重ねる移行期のうちで人は自らを知り、いまもそうしている。

  さて一八世紀末以降、この政治的・社会的所見に付け加わったのは、多様な仕方であれ、いっぺんにあらゆる場面で生じた技術・産業上の進歩であった。科学上の発明とその産業への応用の経験信条となったのは〈前もって算定できないくらいあらたな進歩をそうした発明や応用が期待させる〉ということだった。それにもかかわらず経験から導出不可能な未来は、〈科学上の発明や発見があたらしい世界を招来させるだろう〉という期待を確信させた。科学技術は進歩を、時と共に前進してゆく経験と期待とのズレとして固定化した。

  このズレがいつもあらたに変化することによってのみ存続し得るということの確実な指標が最終的に存在する。それは加速化である。科学技術上の進歩と同様に政治・社会上の進歩は、加速化によって生活世界の時間リズムとタイムスパンを変化させる。全体として生活世界の時間は自然時間と区別された真正の歴史的特質を得る。発明が加速化されることをベーコンはやはり予言していたに違いない。「それゆえわれわれは人間の理性や勤勉や規則正しさや応用力からより深く、より良く、より多くの結果を希望するだろう」[『ノヴム・オルガヌム』第一巻§108]。もうライプニッツはこの言明に経験をつけ加えることができた。「社会の進歩」が起こるのは、精神的な生産と物質的な生産においてますます労働が分割されたり機械が発明されたりすることであの時間貯金が生まれるからだとアダム・スミスは最終的に証明してみせた。一八八四年のルードヴッヒ・ビュヒナー[1824-99. 自然科学者]にとって「退行はたんに時と場所を選ぶものにすぎないが、進歩は継続的で普遍的」であり、「現在ではほとんど日ごとにあらたなものが登場してくるのだから、今日、一世紀の進歩がかつての時代の何千年の進歩と同等であるとしても」[ビュヒナー『ダーウィン理論に照らした自然における進歩と歴史における進歩』(1884)]彼はまったく驚くことはなかった。

  道徳的・政治的な進歩の遅れやもたつきは、科学技術において一度なされた進歩の経験に属するとはいえ、加速化はこの領域にも広がってゆく。未来がより迅速に社会を変えるだけでなく改良もするということが、後期啓蒙によって大まかに描き出された期待の地平を特徴づけている。希望が経験から立ち去ること(「同一の進歩が起こる時間[タイムラグ]は望まれているようにますます短くなるから」という理由で、来るべき世界平和機構を確証するべくカントはその論点を[『永遠平和のために』で]利用した)や、一七八九年以降、社会や政治の体制変化が継承されたあらゆる経験を実質的に粉砕したかに思えることはどうでもよかった。ラマルティーヌ[1790-1869. フランス・ロマン主義の詩人]が一八五一年に書いているところによれば、一七九〇年以降、カントは八つ異なる支配体系と十の政府の下で暮らしたという。「距離に代わる時間の速さ」とは、つねにあらたな出来事が観察者と対象との間を押し入ってくるということである。「もはや現代史は存在しない。かつての日々は過去の影のうちに深く沈みこんでしまったようだ」[ラマルティーヌ『復古の歴史』(1851)]と述べることで、ラマルティーヌはドイツにおいても広く共有されていた経験を言い直した。イングランドから同時代の証人を挙げるなら、ジェームズ・フルード[1818-1894. イングランドの歴史家]がいる。「世界はますます速く動いている。おそらく相違は顕著なまでにより大きくなるだろう。それぞれ新しい世代の気質には何度も驚かされる」。過去と未来との断絶はより拡がってゆくだろうが、それと共に、生活し行動してゆくためにも経験と期待とのズレも引き続きあらたに、しかもより迅速に架橋されねばならない。

  典拠はこれで十分だろう。加速化というこの歴史的概念によってもうすでに歴史学上の認識カテゴリーは獲得されており、それはたんに楽観視するだけのものとして思考される進歩(英語では「改良improvement」、フランス語では「完成perfectionnement」)にとって代わるにふさわしいものである。

  加速化に関してはもっと語るべきだろう。われわれの歴史学的テーゼは、〈近世において経験と期待とのズレはますます大きくなる〉というものであり、より正確に言えば〈好奇心に満ちた期待がこれまでなされたあらゆる経験からますます遠ざかって以来ようやく、近世Neuzeitは新時代neue Zeitとして捉えられた〉というものである。さきに示したように、このズレは「歴史一般」と共に概念化され、その際立って近世的な特質は「進歩」としてはじめて概念化された。

  経験と期待というわれわれの両認識カテゴリーの多産性を検証するには、最後に[ブントと共和主義という]もう二つの意味論的領域の輪郭が描きだされねばならない。この領域は「進歩」や「歴史」のように直接的に歴史の時間と関わり合うわけではない。そこでは、「期待」と「経験」のカテゴリーによって社会的概念[ブント]と政治的概念[共和主義]を等級づけることで、変化してゆく歴史の時間を指摘するための鍵が手に入ることが示される。[第一の]事例群は体制の問題系から発している。

  まず引き合いに出されなければならないのはドイツ語の使用であり、これは人間生活とあらゆる政治に不可欠のあり方である連邦制的な機構形式を目指している。中世後期における諸身分の間で高度に発展した統合体は、時がたってようやく「ブント」という覚えやすい表現になった。この表現が(ラテン語の用語法の彼方で)見出されるようになったのは、つねに不安定な統合形式が、時間的に限定されてはいるが反復可能な成果を出してからだった。当初は口頭で誓約されたもの、つまり決められた期間で相互調停されるか契約されるか提携されるかした個々の協定は、その制度化が成功することであとづけ的に概念化され、「ブント」とされた。「ブント」が制度化された状況を捉えたのに対し、個々の「同盟Bündnis」はまだ遂行概念の主要な意義を有していた。たとえばこのことは、都市の「ブント」についての代わりに「ブントの都市」についても語られたとき、行為主の変位のうちに示されている。もともとの行為主体はその「~の」という属格のうちに隠されている。「都市のブント」がまだ個々のパートナーに力点を置いたのに対し、「ブントの都市」は広範囲に及ぶ行為統合である「ブント」に組み入れられた。

  このように同盟の多様な活動は集合的単一へとあとづけ的に合併されていった。「ブント」はすでに集積していた経験をまとめ上げ、ただ一つの概念にした。それゆえ要点をかいつまんで言えば、問題となるのは経験保管という発想である。この発想は、政治的活動の過程で未来に移され補正し続けられたかつての現実によって可能となる。

  同様のことは、中世後期および近世初期における無数の規則用語や法律用語の表現に示されている。それらの意味をむやみに体系的に解釈したり、それによって理論的に誇張したりすることは許されないとしても、その意味を時間的に位置づけるという観点から〈はっきりと問題となっていたのは、いまここにある過去から養分を得た経験概念である〉と述べることはできるだろう。

  神聖ローマ帝国の末期頃にようやく形成された都市ブントStaatenbund連邦国家Bundesstatt連邦共和国Bundesrepublikという三つのブントの概念の時間的広がりはそれぞれ完全に別物である。一八〇〇年頃につくられたこれら三つの表現はすべて新造語であり、そのさいヨハネス・フォン・ミュラー[1752-1809. スイスの歴史家]の「連邦共和国」は間違いなくモンテスキューの「連邦共和制」に準拠して形づくられた。ところでこれら三つの新造語は、ただたんに経験に基づいているというわけではない。それらは、かつての帝国に含まれていた連邦機構の特定の可能性をいつか利用できる概念にしようとしていた。重要なのは帝国の体制からそのすべてを導き出せなかった概念であるが、それでもこの概念は可能な経験として将来実現するべく特定の経験の(すじ)を帝国体制から切り出したのだった。もし神聖ローマ帝国がもはやすでに(うやむやな)皇帝の帝国や帝国議会として捉えることができなくなったとしても、半分君主国家という共和体制の形式の利点(それはいかなる絶対主義国家や革命国家も許容することはない)は新世紀まで保持されるべきであった。たとえ将来の体制の現実を見ることができなかったにせよ、このように経験に訴えることでかつての帝国からドイツ連邦Bundの来るべき体制が先取りされたのは確かである。しかし帝国体制の内部では、来るべき可能性としてすでに経験可能であった長期的な構造が見えるようになっていた。[帝国体制に見出された]さきの概念は、はっきりとせず気づきにくい経験を整理したというまさにその理由から、あらたな期待の地平を引き出す予測のポテンシャルを含んでいた。それゆえ重要なのはもはや経験保管の発想でなく、むしろ経験創設の発想である。

  [帝国でも連邦共和国でもない]第三の造語がわれわれを完全に未来へと導く。これまで地上における神の王国として期待されていたものを道徳と政治の目標規定に変えるには、カントが作り出した「民族同盟Völkerbund」という表現が問題となる。まさにこの考えからある先取りがなされている。すでに言及したようにカントが未来に期待したのは、自ら自身を組織する民族の共和制的な連邦Bundがもっと短期間のうちに、それゆえより加速化されて実現化されるだろうということであった。もちろん国家を超えた連邦の計画は以前から企図されていたが、グローバルな組織化の図式(それを満たすことは実践理性の要請であるという)はなかった。「民族同盟」は、これまでの経験知識では対応できない純粋な期待の概念であった。

  それゆえ、経験と期待との間の人間学的に前もって設定された緊張を含んでいる時間性指標は、体制概念においても近世の成立を把握可能にしてくれる尺度をわれわれに提供する。体制概念の表現上の特徴は、いったんその時間的延び広がりを問われることで、経験の空間と期待の地平(両者のズレは架橋されるべき政治行動の課題となる)が互いに自覚的に登場することを証言している。

  これは第二の事例群でより明快に示される。君主制、貴族制、民主制というアリストテレス的な支配のあり方は政治的な経験を消化吸収するのに、それまではその純粋なあり方や混合的なあり方や堕落形態でもなお十分であったが、一八〇〇年頃に歴史哲学によってその形を大きく変える。三つの体制形態は、「専制政治か共和制か」という二者択一の強制の下に置かれる(その際、この二者択一の概念は時間的な指標を得た)。歴史の歩みは過去の専制政治からそのさきの未来の共和制へと進んでゆかねばならない。これによって、これまであらゆる支配のあり方をカバーすることができた「共和国res publica[キケロプラトンアリストテレスの「国制Πολιτεία」をこの語で翻訳し、理想国家の意味で用いた]という古代政治の上位概念は、窮屈ではあるが未来に関連づけられた専有性格を獲得する。ここではただ短縮されて記されたにすぎないこの転換は、理論的にみれば時間をかけて進められた歩みであった。歴史学的もしくは理論的に利用され、そのつど経験を許容する概念から期待の概念が生ずる。[経験から期待へという]こうしたパースペクティヴの交替もまた、カントに即して示される[『歴史基礎概念辞典』の「民主制」の項目を参照]。カントにとって「共和制」は、実践理性から導かれ人間に永続的なかたちで前もって与えられた目標規定であった。カントはそこへ至る道のために、「共和主義」というあらたな表現を用いた。共和主義は歴史の運動の原理を示しており、それを促進することは政治行動の道徳的要請である。目下どのような政体が力を持つにせよ、結局のところ重要なのは、人による人の支配を法の支配にとって代えること、つまり共和制を実現することである。

  それゆえ「共和主義」は、「進歩」が歴史全体のうちで実現すると約束したものを政治の行動空間で達成する運動概念であった。ある状態を告げ知らせる「共和制」という古代の概念はテロスとなり、同時に(「主義」という語尾によって)時間化されて運動概念となった。「共和主義」は、来るべき歴史の運動を理論的に先取りし実践的に影響を及ぼす役を果たした。これまで経験されてきたあらゆる支配形式と、期待され目指されるべき将来の体制との時間的差は、この「共和主義」によってそのまま政治現象に影響を及ぼす概念とされた。

  これによって書き換えられるのが概念の時間的構造であり、その構造は後続する無数の諸概念においてふたたび現われ出て、これ以降それら諸概念の未来投企は自らを乗り越え克服しようとする。「共和主義」に続いて登場したのは(とりわけ影響力の強い造語だけを挙げるなら)、「民主主義」であり、「自由主義」、「社会主義」、「共産主義」、「全体主義」である。いま挙げた表現すべてはそれがつくられた際にはほとんど、もしくはまったくと言っていいほど経験内容を含んでいなかった(どのみちそうした経験内容は概念形成によって得られるようなものではなかったが)。これらの主義がそのつど体制に則って実現される過程では、もちろん無数の旧来の経験がその姿を現わし、すでにアリストテレス体制概念に含まれていたエレメントもその姿を現わしている。しかし運動概念の目的と機能によってこのエレメントと古代の問題系は区別される。[君主制、貴族制、民主制という]三つの体制類型とその混合形式と堕落形式を広めたアリストテレスの用語使用が人間の自己組織化という有限の可能性を目指し、一方の体制が他方の体制から歴史学的に導出可能であったのに対し、さきに示された運動概念はあらたな未来を切り拓くはずだった。かつて存在した体制の成功という数限られた可能性を分析する代わりに、それら運動概念はあらたな体制状況を打ち立てるのに役立つはずだった。

  社会史的に問題となるのは、産業や技術によって自ら変容する社会の要求に応える表現である。そうした表現は、もはや身分によって区別されなくなった大衆を新しいスローガンの下に秩序づける役割を果たした。たとえば社会的関心や科学的・政治的診断がそうしたスローガンとなった。その限りそれらスローガンは党派形成的なキャッチフレーズの性格をもつねに有している。以降、政治・社会的な表現領域全体は、徐々に引き裂かれる経験と期待との間の緊張によって招来される。

  すべての運動概念は共通して、自らが行うある補完的な能力を有し続けている。経験内容が少なくなればなるほど、それに続く期待はますます大きくなる。経験が少なくなればなるほど期待が大きくなるというこの説明は、進歩によって近代modernの時間構造が概念化される限り、その時間構造を的確に言い表す表現である。技術によって自らの姿を大きく変えてゆく世界のプロセスから導き出された期待の根拠となるには、これまでなされたあらゆる経験が不十分である限りで、先の説明は説得力をもった。むろん、いったん革命によって急き立てられた当該の政治的企図が実現されるなら、古い期待は新しい経験に比して用済みなものとなる。これまでの歴史の認めるところでは、このことは共和主義、民主主義、自由主義に当てはまる。時代が下ればおそらくこのことは社会主義に妥当するだろうし、およそ共産主義の導入が宣言されればこれにも妥当するだろう。

  それならば[経験と期待との]古い関係規定がふたたび正当性をもつこともありうる。つまり、経験が大きくなればなるほど、期待はますます慎重になるが、ますます開かれるようにもなるのである。どんな誇張も抜きで、その場合には、最高を目指す進歩という意味での「近世」に終止符がうたれるだろう。

  経験と期待というわれわれの二つのメタ歴史的カテゴリーを歴史学的に使用することによって、われわれは歴史の時間、とりわけ以前の時代と区別されるものとしてのいわゆる近世の成立を知る鍵を得た。その際、経験と期待との非対称というわれわれの人間学的前提がそれ自体、かの大変革の時代(この時代では先の非対称は進歩と解された)の特別な知識の産物であったことも同時に明らかになった。むろんわれわれの両カテゴリーは、ようやく「新時代」として概念化された進歩しつつある歴史の発生を理解するためのたんなる説明モデル以上のものを提供している。

  同様に経験と期待のカテゴリーは、進歩についての解釈の一面性をわれわれに示している。それは、明らかに経験がそれ自体反復可能であるためにただ集積されるだけだからである。とすると、経験を集積させる歴史の長期的な形式構造が存在しなければならない。だがその際、歴史がふたたび学習可能なものとして捉えられる限り、経験と期待とのズレも架橋されなければならない。書かれた歴史Historieがつねに自ら変化してゆくものやあらたなものを知ることができるのは、持続的な構造をそのうちに蔵している素性について知る場合だけである。歴史の経験が歴史学のうちに翻訳されるようになるなら、そうした構造も見出され研究されるに違いない。

 


(1)これに関しては、『告白』第11巻におけるアウグスティヌスの分析を参照。そこでは時間の三つの次元が精神、魂における期待、知覚、想起に差し戻される。さらに『存在と時間』のとりわけ第二篇第五章「時間性と歴史性」におけるハイデガーの分析も参照。そこでは人間の現存在の時間的体制が歴史の可能条件として示されている。もちろん、アウグスティヌスハイデガーも歴史の時間への問いを拡大させなかった。そのつど間主観的な歴史の時間構造が現存在分析から充分に導き出されるかどうかは、ここでは開かれた問いのままである。以下では、経験と期待のメタ歴史学的カテゴリーを歴史の時間を変容させるものとしての徴候として使用しようと思う。あらゆる経験に備わる歴史的含意については、ハンス・ゲオルク・ガダマーが『真理と方法』において論じている(S.329ff.)