un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ハンス・ローベルト・ヤウス『理解の道のり』(1994)目次と序言

[以下は Hans Robert Jauß, Wege des Verstehens, München (Wilhelm Fink) 1994 の目次と序言。ロマニスティク関連の論文集『美的モデルネの〈時代変遷〉のための諸研究』(1989)以来の、晩年のヤウスの書き物を集めた論文集。雑多な論文集の印象だが、第一部は『美的経験と文学的解釈学』以後の理論的展開として注目に値する。]

 

             

          理解の道のり

 

                [本の紹介文]

  解釈間の争いはここ十数年で、意味理解の基盤そのものと共に解釈学の権威を問いに付すところにまでいたった。理論先行のこの論争ではある問いがなおざりにされたが、本書はその問いと共に、概念史や言語使用が理解の遂行能力についてまっさきにどんなことをわれわれにほのめかしているかという簡素な問いを導入する。このような問いについては、ハンス・リップスがその著『解釈学的論理学』において、カール・レーヴィットが『共同存在の役割における個人』[邦訳『共同存在の現象学』]において、またルートウィッヒ・ウィトゲンシュタインが自らの言語ゲーム理論においてすでに取り組んでいる。それらの発端をふたたび取り上げ、それ固有の領域でさらに展開していこうとする文学的解釈学の計画が前提にしているのは、〈解釈学は秘教的な教説などではなく、むしろ実践の理論である〉ということである。それゆえ理解はまず主観と客観との関係に端を発するのではなく、むしろ主観どうしの相互作用、会話のなかで応ずることSich-Entsprechenにその端を発するのであり、そうした応答によってくりかえし改めることのできる理解が生み出されるのである。

  とりわけ文学的解釈学は、もともとモノローグ的ではなく対話的である。それゆえ文学的解釈学は、(テクストのもともとの意図に拘束されていようと、義務づけられた意志voluntas auctorisに拘束されていようと、神聖にして侵すべからざる書物の権威に拘束されていようと、はたまた伝統の効力に拘束されていようと)あらかじめ与えられた意味を理解-解釈-適用の関係に守らせることでこの関係を一義化しようとするあらゆる解釈学から際立っている。そうした一義化された関係に対立するのは、(会話における他者の理解が問題になっているにせよ、テクストの理解が問題になっているにせよ)万人に拘束力のある唯一の道のりで理解を探求するのではなく、さまざまな道のりで理解を達成しようとする捉え方である。この点で本書のタイトルは、〈理解のアプローチを開き、人物や物事の知られていない側面や観点を発見することを可能にする問い〉をくりかえしあらたに、また別様にも立てることのできる経験に対応している。

  体系に関わる第一部は理解の概念史を回顧することで始められ、そこから美的な意味理解の固有性を基礎づける。[しかし]これによって、文学や芸術の理解だけが世界そのものとして意味されているのではけっしてない。文学的解釈学の対話的原理は、反省の自由に訴える美的理解がいかにして宗教や法律や政治や道徳といったさまざまな生活経験の深層意味世界の間を仲介できるのかという点にも及んでいる。このことはとりわけ美学と道徳との関係に当てはまる。美学と道徳は統合不可能性なものであると誤解してしまうと、〈文学の伝統が規範的な道徳とは逆に実地調査的な道徳を含んでいて、他者の理解を開きつつもその理解をふたたび問題化することのできる自らの能力から美的なものの真正な道徳的要求を基礎づけていた〉という事実と矛盾することになる。以下本書では、この解釈学的道徳の問題系と両義性が〈すべてを理解することは、すべてを許すことである〉という格言の成立と影響に即して論及される。

  歴史学的な第二部は、[旧約聖書の]ヨナ書から、キャラクターの伝統、ダンテとシェークスピア、(現代抒情詩の代表として)イヴ・ボヌフォワ[1923-]を経て、(宗教対話の応答として)ミロラド・パヴィチ[1929-2009]の『ハザール事典』[1984]にまでいたる一連の事例に即して解釈学的な手法を検証する。評論的な第三部は、ルネッサンスにおける個性の発見、脱構築の思想(ポール・ド・マン)、ニュー・ヒストリシズム、ポストモダンの時代の入り口、ゲオルク・シュタイナーの芸術神学、音楽の解釈学と文学の解釈学との関係、そしてとりわけ精神諸科学の改革などについての見解をはっきりと表明している。

 

 

                  目次

  序言

 A.教義注解Ad dogmaticos:文学的解釈学のささやかな弁明

第一章 理解の概念史への回顧

第二章 解釈学的道徳:美的なものの道徳的要求

第三章 すべてを理解することは、すべてを許すこと Tout comprendre, c’est tout pardonner

 

B.解釈学的範例

第四章 ヨナ書 -「異他的なものの解釈学」のパラダイム

第五章 キャラクターの絶対複数Plurale tantumから個性の絶対単数Singulare tantumへ

第六章 照らし出された時間と奪われた時間:ダンテ文学

第七章 モデルネの〈地平の変化〉におけるシェークスピア:『リア王』の受容史

第八章 記憶のポエジーとの決別:イヴ・ボヌフォワ『光なく存在したもの Ce qui fut sans lumière』[1987]

第九章 宗教対話もしくは『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像 The last things before the last』

 

C.評論の歩み

第十章 ルネッサンスの肖像画における個性の発見

第十一章 ポール・ド・マンへの手紙

第十二章 古い酒を新しい皮袋に入れる?: ニュー・ヒストリシズムに関する注記

第十三章 文学のポストモデルネ:議論の余地のある〈時代の入り口〉を回顧する

第十四章 宗教経験と美的経験について:ハンス・ベルティングとゲオルク・シュタイナーをめぐる論争のために

第十五章 音楽的解釈学と文学的解釈学に関するザルツブルク対談

第十六章 学科どうしの対話における精神諸科学のパラダイム

 

 

                  序言

  ここに集められた、一九八五年から一九九三年にかけての論文を結びつけているのは、たいていのところはっきり表明されてはおらず付随的であるのだが、独自の仕方で詳しく述べられた弁明の見地である。最初は文学史、次に中世文学、その次に美的経験を論守することが問題となったさいに、私は[弁明という]この語り口をさまざまに用いたのだった。時代遅れなのではないかという非難は、今日、解釈学にはほとんど当てはまらない。解釈学をめぐって私は、その認識関心を正当化することが妥当なことだと考えるさい、この弁明が神学的な論調を帯びていることをはっきり意識している。とはいえ初期キリスト教以来の宗教史において、弁明はとくに正統主義の道具であったわけではない。むしろ文学的解釈学は、哲学や神学の厳格主義から詩の真理を確保しなければならないことを再三承知している。フィリップ・シドニー[1554-1586]の有名なタイトルをそのまま挙げるなら、「詩の弁護」はあらゆる陣営の正統主義者や原理主義者たちにとって当然のことながら幾度となく異端の疑いをかけられたのだった。

 私は、敵が用いた武器を彼ら自身に向け〈解釈学はそもそも非教条的であり、いまもそうだ〉と主張するさい、そうした異端の疑いを冷静に甘受しようと思う。解釈学を軽視する者はその理由として、(おざなりの非難を挙げるなら)解釈学が保守的で、過去に従順で、伝統の信者で、「起源という妄想Chimäre des Ursprungs」[*1]の虜になるものであり、また無批判的で、現状肯定的で、(いっそう悪い場合には)支配を確実にするもの、主観主義的で、非体系的で理論盲目的なものと考えているのだが、むしろそのように軽視する者の方が教条主義に陥る可能性があって、じっさいそうした者は、自分自身が理論的に拒絶するものから糧を得ていることに気づいていないのである。[解釈学ということで]解釈の手法やコミュニケーションの進行規則だけが考えられているが、もしそれらを断念してしまえば、発話状況のうちで他人を理解し自ら理解されたいという基本的欲求、いわばどうしようもないほどに人間に固有の欲求を否定することにもなりかねない。

 私は本書の第一部において、(私の見るところ)高度なほど理論的に戦わされた論争のうちでなおざりにされた問い、すなわち概念史や言語使用が理解の遂行能力についてまっさきにどんなことをわれわれにほのめかしているかという簡素な問いから始めることで、この欲求を解明するつもりである。こうしたやり方で私が望むのは、〈解釈学は秘教的な教説ではなく、むしろ実践の理論である〉ということを私の読者たちにこれまでもっともはっきりと説明することである。それにくわえて私は嘲笑する知識人たちに対し、〈もはや流行と化した解釈学への罵倒が、解釈学の歴史や意味理解という実践においてはもう長いことたびたび開かれていた扉を破壊することになっていないか〉しっかり考えるよう促したいのだ。

 『理解の道のり』というタイトルは、おそらく今日ならもはやほとんど詳しく説明する必要がない。教条的な解釈学のすべてが(たとえテクストのもともとの意図に拘束されていようと、義務づけられた意志voluntas auctorisに拘束されていようと、神聖にして侵すべからざる書物の権威に拘束されていようと、はたまた伝統の効力に拘束されていようと)あらかじめ与えられた意味に理解-解釈-適用の関係を守らせることでこの関係を一義化しようとするならば、本書のタイトルは私の計画をそうした教条的な解釈学とは一線を画すものにしてくれるはずである。私の計画の基礎にあるのは、(会話における他者の理解が問題になっているにせよ、テクストの理解が問題になっているにせよ)万人に拘束力のある唯一の道のりで理解を探求するのではなく、さまざまな道のりで理解を達成しようという余所でも共有されている捉え方である。本書のタイトルは、〈理解のアプローチを開いてくれ、また人物や物事の知られていない側面や観点をはっきりさせてくれる問い〉をくりかえしあらたに、また別様にも立てることができるという経験に即応している。

 万人に拘束力のある認識の道のりなど存在しないなら、そのことがまず言い表しているのは、〈各人は自分固有の理解の道のりを探し、そこでさまざまなスタートを試し、回り道をとって進まなければならない〉ということである。

 

人は知恵を受け取ることはない。誰もわれわれに代わってすることができず、誰もわれわれのためにとっておくこともできない行程のあとで、知恵は自分自身で発見されねばならないのであって、それは知恵が物事に対する見方だからである」(プレイヤード版『失われた時を求めて』, II, p.219)。

 

プルーストの『失われた時を求めて』が最高潮に高まるこの文章は、それにもかかわらず、多くの時間と道のりを経た人生の行程において、認識できるテロスもなしに経験されたことを一つの道のりへと統合する回顧の洞察である。こうした無益と思われがちな探求がじっさいすでに不可視の天命の物語であったことは、月並みではあるが、後に物語り手によってようやく解明されることであり、この解明が物語り手に教えるのは、想起が時を経てふたたびこれまでの道のりを描くことでようやくその想起によって〈失われた過去の意味〉が〈ふたたび見出された時〉のうちで発見され得るということである。

 文献学者を天職とした私自身の道のりはマルセル・プルーストの作品と共に始まったのだが、そのプルーストの作品を思い起こすことが理解の道のりという隠喩でもって示そうとしているのは、〈学問的な認識は探求や気づきという偶然や異質なものの予期せぬ抵抗にいつも晒されていて、そのさい道連れとしてわれわれに寄り添うもの、別の道のりで味方となるもの、また対立するものとの出会いに多く負っている〉ということである。この点で道のりという隠喩が意味しているのは歴史の偶然性という経験であって、これによって道のりの隠喩は組織的な発展の隠喩、つまり過ぎ去った時代を理想的に作り上げることとは厳しく対立する。理解のさまざまな道のりや回り道が回顧のうちでようやく認識に固有の道のりに統合されるが、そうした認識に固有の道のりにとってもすべてが自分のものeigenであるというわけではない。そう誤解された連続性に対立するのは、この道のりが幾度も別様にたどり得たことを知る意識、また遠い目標の追及が問いかけの方向性の変更を幾度となく要求したことを知る意識であり、そうした変更は必ずしも自分自身の選択ではなく、むしろ余所からのきっかけ、つまりあらたに立てられた問題への答えが求める無茶な要求から生じたものなのだ。

 かくして本書のテーマの出発点となった問題設定も、すべて著者の意図や計画に帰すことはできない。本書第二部には『詩学と解釈学』という作業部会のコロキウムのために編集された諸論文がとくに取り上げられている。そこで私は、そのテーマ設定自体に関わることができ、自分の見積もりを学科間の対話にかけることができるという幸運な立場にあり、このサークルにおいてそのような対話は、理解のさまざまな道のりを検証するのに以前から有益であったのだった。これに対し本書第三部の章は、目下の論争において文学的解釈学の観点からの答えを求めていた問いに対し私が態度表明した諸講演を元にしている。それらの機会は(付録の)文献目録の後注から察せられよう。とはいえ私にとってはっきりわかっていることは、私自身、多くのことが自著への拡張に貢献するはずの提起されたテーマを汲み尽くすことがまったくなかったということである。しかしながら私はそこに不足を感じていないし、むしろ対話に開かれた解釈学の帰結を見出していて、この帰結はすでに採用されていた理解の道のりを広く説明するか、別の道のりでこれを超える成功を収めようとするかに導いてくれるものである。教条主義者だけが自らのテーマをすっかり汲み尽くしたと信じることができる。これに対し、教条的に理解されなたくないと思う理解の弁明は、ポール・ヴァレリーの「後でやってくるはずの者のために私は仕事をする」(Cahiers, II 60)という言葉で自らを説明することができる。

 

 

 

[*1]「起源という妄想」とは、M・フーコーの「ニーチェ系譜額、歴史」(1971)に出てくる表現。「系譜学者は起原という妄想を祓うために歴史を必要とするが、それはよい哲学者が魂の影を祓うために医者を必要とするのとやや似ている」(フーコーニーチェ系譜学、歴史」『フーコー・コレクション3』収録、伊藤晃 訳、ちくま学芸文庫 2006年、356頁)。人は起源にこそものの本質や真理があると考えたがるが、そのような発想は「形而上学のひこばえ」(354頁)である。フーコーはそうした起源への誘惑に抗する手段としてニーチェ系譜学をとりあげ、ニーチェがものの「起源」ではなく「由来Herkunft」や「発生Entstehung」を重視していたことを指摘する。