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un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

マックス・イムダール全集(全3巻)総目次

[以下は Max Imdahl, Gesammelte Schriften, Frankfurt/M.:Surhkamp 1996 に収録された論文の総目次である。論文名の後のカッコ内の年はその論文の刊行年を表す。]

 

 

                現代芸術論

             マックス・イムダール全集第1

 

                  目次

 1.アウグスト・マッケにおける光としての色彩(1957年)

2.エルンスト・ヴィルヘルム・ナイ、1958年作「赤と青における和解」(1962年)

3.パブロ・ピカソ「猿のいる曲芸師の家族」(1964年)

4.ロベール・ドローネーの歴史的位置(1967年)

5.「それは旗か、絵画か?」:具象芸術のありうべき帰結について(1969年)

6.スナップ写真とエドガー・ドガの「ルピック伯爵」(1970年)

7.フランク・ステラ「サンボーンヴィルII」(1970年)

8.イッケ・ヴィンツァー(1971年)

9.フランク・ステラとヴィクトル・ヴァザレリを眼差すフランソワ・モルレのいくつかの作品について(1971年)

10.バーネット・ニューマン「誰が赤、黄、青を恐れるか?III」(1971年)

11.体系構築と非文学的なものとしてのセザンヌの絵画(1972年)

12.ルターの凸面対物鏡に関する注記(1974年)

13.ヨーゼフ・アルバース正方形賛歌」(1975年)

14.かたちとしての経過:ノルベルト・クリッケによる1975年以来の空間彫刻(1975年)

15.マックス・イムダールとエーリッヒ・ロイシュとの2回の対話より(1975年)

16.フランソワ・モルレ「デフォルメされた格子」と「四重の横糸の格子」(1977年)

17.具体彫刻(1978年)

18.リチャード・セラの「直角の支柱」と「子供」:具象芸術とパラダイム(1978年)

17.現代芸術と視覚経験(1979年)

18.ジョージ・リッキー「二つの開いた長方形」(1979年)

19.ヤーコブ・アガム「全方位」(1979年)

20.ジェームス・ラインキング1972年/73年-75年作「痕跡」(1979年)

21.アルベルト・ジャコメッティディエゴ」(1979年)

22.ニコラ・カリーノ1965年-1975年作「空間構造D」(1979年)

23.ジャン・メイヤー=ロッジの選び抜かれた仕事について:マックス・イムダールとミヒャエル・フェール(1980年)

24.なんたる黒!(1981年)

25.ロバート・マンゴールド「二つの長方形内の三角形」(1982年)

26.ギュンター・ユッカー「砂風車」(1982年)

27.リチャード・セラ「無題」(1982年)

28.ピカソの絵画「ゲルニカ」論:現代的な絵画性のアスペクトとしての非一貫性と一貫性(1982年)

29.ギュンター・フルートルンク論(1983年)

30.ピカソ――晩年の作品と死(1984年)

31.ラインハルト・ミュシャ作「飛行機」:諸対象-対象-状況(1985年)

32.ヤン・J・スホーンホーヴェンの白いレリーフとデッサン(1985年)

33.エドゥアール・マネ作「フォーリー・ベルジェールのバー」:正しいものとしての誤ったもの(1986年)

34.ゴットハルト・グラウプナー:魂を吹き込む色彩(1987年)

35.ノルベルト・クリッケのデッサン論(1988年)

 

               [出版社の紹介文]

  マックス・イムダールの内面的発展は、多くのドイツの若者にとって1945年という年が刻み込んだあのゼロ点から遂行された。その発展は戦後芸術、とりわけ終焉とあらたな始まりのこの経験を表わした抽象芸術とパラレルに遂行された。強烈な才能をもったイムダールは画家によって身を立てようと決心し、苦難のキリスト像の絵によって芸術賞を取るまで(1950)この道を進んだ。同時にイムダールはミュンスター大学で芸術史にも専心した。彼は自らの学問的道筋を現代の探究によって直接始めたのではなく、カロリング朝の書籍装飾の探究によって始めたのである[第2巻第1~第3論文参照]。そのさい影響を与えたのは、彼の学問上の教師で指導教員であったヴェルナー・ハーガー(彼の下でインダールは昇進し教授資格を得た)によるよりも、コンラート・フィードラーやアロワ・フィーンシュによる方が大きかった。

  マックス・イムダールの看過しえない貢献の一つであり続けているのは、現代芸術(同時代のものも含め)と大学のアカデミックな芸術史とを結びつけたことである。彼の孤独な仕事は、最初は芸術家、学芸員、展覧会や芸術批評においてしかほとんど取り上げられず、セドルマイ ヤーの「中心の喪失」によってもっとも知られることとなる保守的な批判を思わず受けもしたが、そうしたイムダールの仕事によって可能となったのは〈現代のパラダイム〉をアカデミックな芸術史の正当な対象として立てたことである。こうしたことが行なわれたのは、芸術への関与のために学閥に属するものを 不信の目で見ることができた時期であった。大衆の無関心によって語られないことが、80年 代の美術館ブームでようやく明確に遅まきながら受容されたのである。当時、大多数の大衆と現代の間の、また専門家の方法論的な残滓と芸術の革命的な 変革との間の「受容の隙間」を埋めようとするには大変な勇気が必要であった。イムダールが自らの学問的業績にどれほど専念しても、自らの来歴に対する裏で の衝動は彼に残り続けた。彼は幾度となくその衝動に従った。彼の死の直前に短くまとめられた、本全集の第三巻を締めくくる「自伝」においてやはり彼の最後 の言葉は、自分自身にとって絵を書くことの重要性を注記するものであった。

 

 

           伝統芸術論

             マックス・イムダール全集第2

 

                   目次

 1.カロリング期の画家リュタール Luithardのミニアチュール:色彩法-描画法-構成(1955年)

2.図像統辞論と図像意味論:コデックス・エグベルティにおける百人隊画論(1970年)

3.言語と図像-図像と言語:コデックス・エグベルティにおける捕虜のミニアチュールについて(1987年)

4.ケルン大聖堂におけるゲロ大司教の十字架(1964年)

5.キリスト顕現の出来事画Ereignisbildとしてのアーヘンのパラ・ドーロにおける磔刑像(1987年)

6.オットー朝芸術の作品:直観と言語(1989年)

7.ジオットのアレーナ・フレスコにおけるいくつかの物語り構造について(1973年)

8.ルーヴル美術館所蔵のラファエロ作「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」:ラファエロの図像デザインの起源を問うために(1962年)

9.ハンス・ホルバイン作「ダルムシュタットの聖母」:信心用の聖画像と出来事画(1986年)

10.木の位置と空間影響:ドメニキーノ、クロード・ロラン、ヤン・フランス・ファン・ブレーメンの変更された風景画のために(1958年)

11.メインデルト・ホッベマ作「ミッデルハルニスの並木道」への寄与(1961年)

12.ヤーコプ・ファン・ロイスダール作「ヴェイクの風車」(1968年)

13.レンブラントとフランス・ハルスによる最後の集団肖像画における演出と構造(1962年)

14.レンブラント作「夜警」:その図像デザインの起源に関する考察(1966年)

 15.模倣を通じての変更:ピーテル・ラストマン「スザンナと長老たち」以後のレンブラントのデッサン(1975年)

16.場景の統一としての話すことと聞くこと:レンブラント作「テュルプ博士の解剖学講義」に関する注記(1984年)

17.プッサン作「マナの収集」における時間構造:虚構と参照(1989年)

 

               [出版社の紹介文]

1965~66年以来、ボークムのルール大学で芸術史を教えていたマックス・イムダール(1925-1988)に とって、反省や理論的解明や方法論的な確証は彼の仕事に絶えずつき添うものであった。とはいえ、彼は本来の意味で理論家では決してなかった。眼が持ち合わ せていないような概念は、彼にとって懐疑心を引き起こすものであった。普遍性を要求するが、個々の作品の感覚的固有性に対するセンスを欠く方法を彼は忌み 嫌った。イムダールのどの仕事も純粋に論証的ではなく、像の分析や直観を断念していない。ジオットのアレーナ・フレスコに関する彼の表題(「図像、図像学、図像論」)を彼の思考のダイアグラムと読めば、同時に彼の思考の格律を使いこなすことができる。

 イムダールは絵画を、とりわけ伝統的な絵画を閉じたもの、永遠に過ぎ去ったものとしてではなく、何度もあらたに始められるべき活動をまさに要求する開かれた視覚提案と捉える。そうした見方はモデルネの芸術に備わるものであろう。この側面は絵画の再現(Repräsentenz)よりもその現前(Präsenz)を 重んじ、語の本来の意味での伝統の作品こそ伝承されねばならず、何度もあらたに接近可能とされ、何度もアクチュアルに挑発と見なされねばならないと帰結す るのである。伝統的な絵画作品はどんなものであれ、われわれの視覚を幾度となく挑発し、あらたな解釈へと促すことに成功しているのは明らかである。意味連 関の必然的な多様性を 可能にし、創造するのが困難で特別に優れた作品にのみ備わる意味の余剰をそうした仕方で構築するためには、絵画的なものの中に刻み込まれている解放構造が 求められる。まさにイムダールのテクストにおいて問題となるのは、例外なくそのように挑発する絵画芸術の作品なのだ。余計で、流行らず、周辺的な叙述では なく、西洋芸術の中心的な大作が議論され、その意義を過大に評価することが困難な大作が議論される。直観のどんな契機においても、視覚的な対面のどんな契 機においてもその絵画的に規定された過程をあらたに開始して透徹するが、決して終わることのない作品が議論されているのである。

 

 イ ムダールの学問的活動の中心は眼の仕事であった。具体的なものを概念や論弁の世界へとただ漸近的にのみ位置づけることが、イムダールの根本経験なので ある。事柄と対立するその学問的論及の身分は、間接的なものにとどまらざるを得ない。言うことはできないが見ることはできるものを書き換えるだけでなく、 それ以上のことを要求するなら、学問的論弁はその眼において自らの本来の課題を見誤る。イムダールにとって問題なのは、制御しつつ追体験すること、見たものを論弁的に検討することなのだ。重要なのは、より多くかつよりよく見ることなのである。

 

 

             反省・理論・方法

            マックス・イムダール全集第3

 

                  目次

 1.マレース、フィードラー、ヒルデブラント、リーグル、セザンヌ:絵画と引用(1963年)

2.シャルル・ペロー『古代人近代人比較論』についての芸術史的補説(1964年)

3.近代フランス絵画における色彩の役割:抽象と具象(1966年)

4.オプティカル・アートの問題:ロベール・ドローネー、ピエト・モンドリアン、ヴィクトル・ヴァザレリ(1967年)

5.ポップ・アートの問題(1968年)

6.造形芸術における美的な境界越境の問題についての四つの側面(1968年)

7.美的情報と意味論的情報とのかかわりにおける諸様態:マックス・ベンゼ『エステティカ』(1965)への注記(1968年)

8.美的経験に関する芸術史的注記(1972年)

9.セザンヌ――ブラック――ピカソ:図像の自律と対象視覚との関係のために(1974年)

10.絵画の同一性に関する考察(1979年)

11.ジオット:図像的意味構造の問いのために(1979年)

12.偶然――構成――摂理:ジオットの絵画の直観について(1980年)

13.ドイツ芸術家同盟三〇周年展覧会のための演説(1982年)

14.現代芸術とメディア:講演(1983年)

15.図像概念と時代意識?(1985年)

16.戦後のヨーロッパとアメリカにおける図像-対象という問題系について(1986年)

17.ポーズとイデオロギー教化:第三帝国における彫刻作品と絵画作品について(1988年)

18.肖像と個性との関係(1988年)

19.「自伝」(1988年)

20.ハンス・ローベルト・ヤウス「マックス・イムダールの思い出」

 

               [出版社の紹介文]

 イムダールの方法論的王道via regiaは、目を見開き耳をそばだてる用意ができている者であれば誰でも近づくことができる初歩的な基礎をもっていた。イムダールがこの基礎によって真 剣に考えたのは、芸術作品は芸術史家に宛てられるのではなく芸術の友に宛てられており、その意義は生と思考を促進させることにあるということであった。具 体的なものに対するイムダールの情熱は、作品の素材上の形態を含んでいた。その際、イムダールは自分が美術館に近い立場にいることを自覚していた。70年代半ば以来イムダールは、自らが取り仕切ってボークムのルール大学の芸術作品収集を指導した。