un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ハンス・ローベルト・ヤウス『美的モデルネの時代変化に関する諸研究』(1989)目次

[以下は Hans Robert Jauß, Studien zum Epochenwandel der ästhetischen Moderne, Frankfurt/M 1989 の目次。『美的経験と文学的解釈学』以来のヤウスのロマニスティク関連の論文集。序論がヤウスの問題関心や本書の見通しについて教えてくれているが、長いので今回は訳出を断念。需要があればやるかもしれない。]

 

 

   美的モデルネの時代変化に関する諸研究

                 目次

 序論

第一章 始まりの神話:啓蒙主義の秘められた憧憬

第二章 ルソーからアドルノにいたるモダニズムの文学的プロセス

第三章 ジャン・スタロバンスキーのモデルネの考古学

第四章 反自然としての芸術:一七八九年以後の美の転回について

第五章 コロキウムをふりかえる:社会芸術と産業芸術

第六章 ボードレールによるアレゴリーの取り返し

第七章 痕跡とアウラヴァルター・ベンヤミン『パサージュ』についての注記

第八章 一九一二年というエポックの入口:ギヨーム・アポリネール「ゾーン」[『アルコール』収録]と「月曜日クリスティーヌ街」[『カリグラム』収録]

第九章 文学上のロベスピエール:あらたな受容の始まりとしてのポール・ヴァレリー

第十章 イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』:ポストモダンの美学の代弁者

 

  

               [出版社の紹介文]

  こんにち(ハイゼンベルクの要求にしたがい)人間が自然の領域で自分自身に出会うとき、また自然が生き延びることのできるほとんど唯一の媒体が芸術となっているとき、美学と倫理学が自然をふりかえりながら要請することは、〈自然は、カントがすでに自らの時代のルソー主義に対し反証した警告を守りつづけるべきだ〉ということであって、〈たとえ人間の自然状態の教説であろうと、われわれは自然に眼差しを戻すべきだ〉ということではない。死した〈自然の美学〉を回顧することによって、現在の困窮とその脅かされた将来に対しおぼろげに認識されるようになるのは、〈暴力なしに自然とともに生きるための規範を、脱魔術化された自然のイメージからつかみとることはもうできない〉という教説である。〈自然という他者〉によって、すなわちその関心なき自己存在によってではなく、〈人間という他者〉によって、すなわち〈自分自身である能力〉と〈他者のうちに存在する能力〉のうちで共同存在を承認することによってこそ、自然に対する人間の責任を正当化する規範は期待されうるのである。