un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

アンドリス・ブライトリンク「歴史のエクリチュール:埋葬の行為か」(2004)

[以下は Andris Breitling,  «L’écriture de l’histoire: un acte de sépulture?» (dans: L’Herne. Ricœur. Paris 2004.) の試訳]

 

 

 歴史家の任務が、研究の技術的で知的な要求を超えて、ある責任を含んでいることは疑いなく認められるだろう。一方で歴史家は、人格的に、道徳的に過去の人々に対して責任があるとみなされ得る。他方、歴史家は、政治的もしくは教育的な仕方で自分自身の同時代人に対して、つまり自分は歴史記述という作品を公衆に向かって書いているのだが、その公衆に対して語らねばならないという責任を負っている。ある場合には歴史家は、過ぎ去ってしまったものを、それが忘れ去られないためにも、証言する義務を感じる。またある場合には歴史家は、比較可能なものが繰り返すことがないことを通告するべく、過去の出来事や、そうした出来事を現在のうちで記念するやり方をも批判的分析にかけたいという欲求を感じている。

 さて、歴史家の職業的倫理という観点が特定化される前に、歴史家は一般に、自らの研対象とどのような関係にあるのかという問い、また歴史家はどのようにして過去を「現在とする」という熱望――これは一見すると逆説的な企図に思える――を可能にするのかという問いが提起される。歴史家は、過去の人々の行為を(史料がそれを証言しているように)科学的で距離化された分析にかけることからして、過去の人々と何らかの仕方で「つながって」いると言えるだろうか。その批判的作業の成果である歴史物語は、結局のところ読者と二次的な「再―現前化」によってのみ提供される過去とを「接触させる」能力をもっているだろうか。ミッシェル・ド・セルトーが歴史に関する自らの論考において展開し、リクールの下でふたたび見出される或る理念を吟味しつつ、私が自らの説明の中で取り組もうとするのは、歴史家とその研究対象との関係という先決問題であり、書かれた歴史の機能の問題を含んでいる問題である。そして、セルトーやリクールにおいて見出される理念とは、〈「歴史のエクリチュール(つまり過去の歴史記述による表象)は、埋葬の行為をなしている〉という理念である。

 まず私は、「歴史記述の操作」の理論を紹介したい。それは、なぜそうした操作が〈歴史のエクリチュールは「埋葬の儀式」の役割を果たす〉というテーゼに行き着くのかを示しつつ、セルトーが自著『歴史のエクリチュール』において展開した理論である。第二に私は、エクリチュールと埋葬とのこの同地が等置化がどのようにしてリクールの『記憶・歴史・忘却』という最近の大著において、つまりわれわれの歴史的存在の第一条件である内奥の時間性についての反省の枠組みにおいて採り上げられているのかを示すつもりである。さて、私が自らの説明の第三部で説明しようとするように、歴史性の解釈学的存在論というパースペクティヴにおいて、もしわれわれと歴史的過去との関係を「過ぎ去り」「不在」で「他」である過去として、もっぱらその否定的側面によってのみ特徴づけようとするなら、それはそうした過去との関係を縮減した発想であるように思われる。そのようにして私は、次のような結論にたどり着くであろう。それは、セルトーが示唆するように、歴史家のエクリチュールは「死の供述」であるだけでなく、リクールが『時間と物語』の刊行以降に強調し続けているように、それは「過去の果たされぬ約束の復活」、つまり「過去に埋もれた諸可能性の解放」の操作をもなし得るというものである

 

1.文字の墓

  (省略)

           [より詳しくはセルトー『歴史のエクリチュール』第一部を参照のこと]

 

 

2.歴史と死に直面する存在

 〈歴史のエクリチュールは埋葬の行為をなす〉というテーゼにいたるミッシェル・ド・セルトーの方法についてのこの短い紹介を終えた後で、いまや問題となるのは、ポール・リクールがどのようにして彼の二〇〇〇年に出版された著書『記憶・歴史・忘却』において、このセルトーの等置化を取りあげたのかを示すことである。同書の第二部で展開された「歴史の認識論」において既に、リクールはセルトーのいくつかの鍵概念、とりわけ彼自身も三つの「段階」ないし三つの「方法論的契機」(MHO.170)に分ける「歴史記述の操作」の観念を適用する。セルトーと同様、リクールは、エクリチュールの根本的役割について主張し、それは過去の文学的ないし「文字上」の表象という第三段階のみならず、「刻字化」や史料のアルヒーフ化という第一段階においても、歴史の作業を条件づけている。「歴史は徹頭徹尾、エクリチュールである」(MHO.171)。テクストの媒介にも力点を置きつつ、リクールは、われわれに記憶をもたらしてくれる過去の生きた経験との隔たり、断絶によって科学的「操作」としての歴史が定義されることを強調する。記憶とは異なり、歴史は、思い出される何かの再認識をわれわれに与えてくれる「小さな幸福」を知らない(MHO.47)。歴史と記憶術の経験とのこの隔たりは、歴史記述の操作の第二段階でもっとも注目すべきものであり、リクールはこれを「説明・理解」の題の下に置いている。(例えばアナール学派の歴史家が用いる「持続」の時系列的モデルや「尺度の多様性」といった)説明による構成は、過去の理解による再構成において作用している。リクールによれば「説明・理解」というレベルには、心理学の概念を歴史の現象に応用する(例えば、それは一六・一七世紀の神秘家の精神性であり、セルトーは何作かの著作、とりわけ『ルーダンの悪魔憑きと神秘的説話』を当てている)ことで成立する「セルトーの契機」(MHO.257)も存在している。リクールによれば、フロイトが明かした「反復強迫」(Wiederholungszwang)によって、伝統的な過去の反復という幻想を説明することでこれを除去するそうした精神病理学のアプローチは、歴史家が集団的記憶の「使用と濫用」に関して行使できる批判的機能を強調している。したがって、リクールがセルトーにおいて見出される「不在の賞賛」(MHO.259)にはけっして組しないにしても、歴史的認識が過去の生きた経験からは事実上、分離されないのみならず、そうした認識は方法論的な距離にとどめておくのがよいというこの「厳密さの大家」にリクールは同意している。

 さて、リクールが歴史家のエクリチュールと埋葬との等置化を取りあげるのは、認識論の枠組みにおいてではなく、『記憶・歴史・忘却』の第三部で展開された「歴史の条件」という解釈学的存在論の枠組みにおいてである。われわれの歴史的実存の「状況」や「条件性」についてのこの存在論的反省(MHO.374)は、真っ先に「語られない」もの、つまり「歴史研究の盲点」(EH.79)として社会学的見地から主題化されたものを説明するよう定められている。それはすなわち、「社会的な場」であり、セルトーが極めて哲学的な表現を用いて語ってもいるように、「主体の場所」(EH.65)である。セルトーに従えば、歴史家の実践の社会的性格がわれわれに思い起こさせるのは、「歴史の作法」に特有の手続きは、「歴史を作る」仕方へと打ち返しているということである。さて、リクールによれば、歴史家が自分自身の研究領域にこのように帰属していることは、歴史的時間の存在論という理論的レベルにおいてのみ説明される。「われわれが歴史をつくり、また歴史学を行なうのは、われわれが歴史的に存在しているからである。この「~だからである」という言い方が、実存論的な条件性の言い方である」(MHO.456)

 歴史的時間を構成するこの条件性を探究する際に、リクールは、ハイデガーが『存在と時間』の第61節から66節で展開してみせた「時間性」(Zeitlichkeit)という実存論的分析のうちに自らの出発点をとるのだが、ハイデガーはこの分析によって、すべての時間経験を未来、過去、現在という「等根源的」(gleichursprünglich)な三つの「脱自態」の弁証法のうちに置きなおす根本的な手振りをとり続けている。時間の審級の根源的な絡み合いだけが、過去のアクチュアルで現実の経験がいかに存在し得るかを説明できるのである。またリクールがハイデガーに同意しているように、過去の人々の運命にどのように関心をもちえるかを逆向きに説明する「気づかい」(Sorge)という実存論的カテゴリーの下で不在として現れるものとわれわれとの関係を思考可能にするのは、他の二つの時間的審級に対する未来の確かな優位という主導的理念である。さて、時間性の主要な構造についてハイデガーと同意するにもかかわらず、リクールは、ハイデガーによれば実存の「先駆的」(vorlaufend)な性格を要約している「死とかかわる存在」(Sein-zum-Tode)の観念を批判する。議論のこの点で(MHO.476sq)、リクールは、[ハイデガーが論じる]深遠な時間性のレベルにも、死にかんする歴史家の反省を刻み込みつつ、セルトーの領域をふたたび考える。というのは、(ハイデガーが言ったように)死の派生的で「通俗的」な観念を誇示するどころか、歴史家がわれわれに思い起こさせるのは、死の第一の経験が、過去の「不在者たち」すべての列へと立ち去りながら移ってゆく近親者の「死去」の経験であるということである。そのようにリクールは、〈(セルトーによって導入され、次いで例えばジャック・ランシエールのような別の著者によって取り上げられた)歴史家のエクリチュールと埋葬との等置化は、文法的人称すべてに死ぬことを付与できると説明する「死と直面する存在」の存在論と自我論的な存在論とを対置する試みを強化できる〉と言明する。

 歴史の認識論から「歴史の条件」の存在論への移行が、セルトーによって進められた「場所」と「エクリチュール=墓」という観念の哲学的身分と射程をはきりさせることになると言える。しかしこれですべてではない。リクールにとって、「歴史の条件」の存在論が「時間性」(Zeitlichkeit)の分析で完了するのではなく、「歴史性」(Geschichtlichkeit)の解釈学のアスペクトにまでも達している限り、この移行は問題系全体の決定的な移動をなしているのである。いま私がこの説明の第三部で見せようとするのは、この観念がもつ含意である。

 

 

3.可能的なものの解放

  ハイデガーにとってと同様、リクールにとって、「歴史性」という用語は、われわれの過去の経験の実存論的次元を、つまりもはやないものとの具体的な関係を可能ならしめる構造全体を指している。さて、リクールが強調しているように(MHO.491sq)、過去の問題への存在論的アプローチのもっとも重要な帰結は、正確に言って、〈「過去性」のその性格は、もはやない、完了した、過ぎ去った(vergangen)という単純な事実のうちにあるのではなく、むしろ逆に、「既在性」(Gewesen)としての過去の現在の審級のうちにある〉ということである。われわれが生まれた世界に自らの足跡を残しつつ、過去の人々は自らの企投、心配事や希望と共に「現に存在していた」からこそ、彼らはわれわれのアクチュアルな実存になおも影響力を行使するのである。それは、彼らが自らの背後に残してきたものが物質的な構築物だけでなく、世代の連鎖を貫いて「沈殿」し、伝達される世界や存在の先行了解によって文化的な価値や意味も残されるからである。簡単に言って、過去の人々とわれわれとをつなげるのは、「伝統」という受け取られた「遺産」すべてなのである。このような仕方でわれわれは、彼らの影響力から逃れようとする時でさえ、彼らへの「負債」の状態にあり続けている。そうした過去との関係のうちで含まれているのは、過去の人々の行為が求めていたものを了解する感受性、彼らへの批判的な注目の可能性、キルケゴールの受苦的な意味ではない肯定的な意味で彼らの企投を「取り戻し」「反復」(Wiederholung)する可能性である。

  この「歴史性」の発想は、歴史理論にとってもっとも重大な帰結をもっている。科学的な進め方としての歴史記述の操作が、生きた時間経験と対比された「距離化」の行為によって定義されるなら、過去に関するテーマやパースペクティヴの選択が歴史家の徹底した自立的な選びから生ずるのでない限り、この操作は、上のように定義されたとしても、生きた時間経験に依存したままである。セルトーが言うように、ある研究を「情勢変動や共通の問題系の事実によって」(EH.78)可能にしたり不可能にしたりするのは、歴史家の実践の「場」である。つまり、集団的記憶のイデオロギー的ないし社会病理学的歪曲を批判することが問題となっている場合ですら、歴史の作業はそうした記憶の力動性に依存し続けているということになる。事実、リクールが看取しているように、批判的な歴史は、「抑制された記憶」(cf.MHO.105sq)の伝達者として機能する「公共的な歴史」というもう一方の敵であるにすぎない。さて、歴史家が進行中の歴史のうちに巻き込まれていることは、歴史学の客観性要求を設定する「個別性という制限」であるのみならず、歴史家の対象そのものの構成をつかさどる根本的な条件でもあるのである。したがって、歴史家のエクリチュールが「ギャラリーの構造」をとっているとしても、それは、われわれがそこから解放されるべきであるところの過去によって「取りつかれている」ことを必然的に意味しているのではなく、もっと一般的に言って、歴史記述の表象を通じて過去の人々はわれわれを見ているということを意味している。書かれた歴史の機能をこのように論ずることは、読者が、歴史家の説明という批判的な作業を高く評価した後でさえも、「既在した」生の諸相を自己化し「反復=取り戻し」することができる可能性を残している。こうした観点からすれば、セルトーが歴史家のエクリチュールと埋葬との間に設定した等置化は、過去と関係する多様で――否定的であると同時に肯定的な――諸可能性を否定している限り、[われわれと歴史との関係を]縮減したものであるように思える。

  セルトーが自らの著作において、不在者や欠如という否定的なアスペクトを明示するにとどまらなかったことは確かである。事実、「関与的不在」として「欠席者」を定義しつつ、セルトーは、過去のうちでわれわれを見、われわれに関与するのはそうした欠席者であることを正確に主張している。キリスト教の「教訓的」な「聖人の生」において、セルトーは、歴史記述がその教育的な機能のゆえに聖者伝の文学と同属であることを示唆している(EH.274sq)。またフロイトの「モーセ書と一神教」に関する論考の中で、セルトーは、心理学のこの著作ですら、著作とその弟子の歴史という二重の関係、「異議」と「帰属」、「出発」と「負債」との二重の関係を明らかにしていることと示している(EH.312-358)。同様に、この曖昧さは、セルトー自身の歴史学的著作を特徴づけており、とりわけ「異常」なもの、つまりキリストの存在という本来的な可能性を見えるようにすることを通じて、科学的な距離化と、回復の目的との間を揺れ動く神秘主義の歴史家を特徴づけていると言うことができる。それゆえリクールが『時間と物語』で示唆したように(TR.III:269sq)、セルトーの歴史の発想が過去の否定的な存在論」を含意していると言うことは、恐らく、そうした発想をいくぶん図式的に分類することである。しかし、喪失、「死去」や「流浪」というようなテーマをくりかえす際に、否定的なものの優位が表れてくるのであり、セルトーにおいてこの優位は歴史の肯定的な現われを定式化するときでさえ継続する。隠して、「社会にその優位を教えてやる」歴史家のエクリチュールに備わる「象徴的機能」を説明するべく、最後にセルトーは、未来へと開かれている現在とエクリチュールの企図によって「分離」されねばならない過去との関係を純粋に否定的に述べようとする。既に言及した『歴史とエクリチュール』の引用をふたたび取りあげるなら、「過去を「示す」こと、それは死者に場所を設けることであるが、同様に諸可能性の空間を再配分して、なされるべきことを否定的規定することである」(EH.118, 強調は引用者)

  逆に、「過去のしるし」という題をもつ一九九八年の論考においてリクールが主張するのは、〈歴史家の距離化の行為は、歴史家の方が過去によって「しるしづけられ」「影響を受ける」ことを前提にしている〉ということであり、また〈この「過去によって影響を受けること」(ガダマーの影響作用史の観念を翻訳する表現)は、病的側面(pathique)、つまり病理学的(pathologique)側面のみならず、ガダマーが「生ける伝統」(lebendige Überlieferung)と呼ぶものの肯定的側面をもとっている〉ということである。そうした伝統が過去の遺産を積極的に自己化するだけでなく、「なされるべきことを肯定的規定する」ようにも勧める可能性があるために、歴史家のエクリチュールは、単に「果たされぬ約束という墓地」(MP.24)であるだけではない。リクールによれば、まったく逆に、歴史家のエクリチュールによって読者は「そうした果たされぬ約束を覚醒させ、活発にさせる」(ibid)のである。同じように『記憶・歴史・忘却』においては、次のように書かれている。「すべての歴史家の野望は、かつて生存し、行為し受苦し、達せられずにある約束を果たした者たちの顔を、死のマスクの背後で捉えることではないのか」(MHO.649)

  この「約束」は何によって成立するのか、歴史物語の読者はそうした約束をどのようにして活性化し得るのかが問われるだろう。他者との約束はどのようにして果たされるのか。この問いに答えるべく、私が示唆したいのは、リクールの著作のいたるところでくりかえし現れる可能性と潜在性という概念に訴えるべきであるということである。つまり、過去の人々との「約束」とは、読者にとって、行為や思想や経験によって規定された可能的なもの、可能性なのであって、読者は(「能力のある人間」として)そうした可能性を潜在性の地平そのもののうちに統合する能力がある。さて、「現にあった」者たちの経験を可能性に変えるのは、歴史家のエクリチュールであり、過去の文学的で「文字上」の表象である。リクールが『時間と物語』で示したように、歴史記述は、自らが「統合形象化」なり「筋立て」の作用によって表象する行為を「あたかも~であるかのようにの王国」(TR.I,125)へ、実際に存在して過ぎ去ったものの可能性が文学的フィクションという非現実の可能性と接する想像的なものの領域へと移す。現実とフィクションとのこうした親族関係のために、「経験の想像的変容」を伴うフクションは、「実際の過去のうちに埋蔵されている可能的なものの探知機」(TR.III,347)として機能し得る。またすべてのテクストは、「私がそこに自分のもっとも固有な可能性を企図するために住み着くことのできる世界の呈示(DA.115)を読者に提供するのであるから、歴史記述のテクストは「歴史的過去の実現していないいくつかの可能性を回顧的に解放する」(TR.III,347)能力を有している。

  こうした仕方で、歴史家のエクリチュールは「可能性の空間を再配分する」のに役立つのだが、それはセルトーの否定的な意味においてだけではない。エクリチュールが死者と生者とを分かつ深淵を深めるのは確かであるが、「過去を、達成されたものや変更不可能なものや完了したものという角度でのみ考察する傾向と闘わねばならない。過去をふたたび開き、過去において未完で、妨げられ、つまり虐殺された可能性をふたたび活性化しなければならない」(TR.III,390)。死者たちはもはや語らないし、彼らの「死去」を完成させ、そうして埋葬の行為となすのは歴史家のエクリチュールである。しかし、過去の人々の行為や思想がなおもわれわれに語らねばならないものをわれわれに伝えるのは、やはりエクリチュールであり、過去の人々についての文字上の表象である。この意味で歴史記述は、死者それ自身を本当に「復活」させる操作ができるわけではなく、実現可能な未来の可能性を死者の生の物語においてわれわれに示してくれるものを「復活」させるという、そうした操作ができるのである。

  結論にあたり、私が注記したいのは、〈歴史記述のテクストの読者は、現在のエクリチュールという可能性を実現しつつ、過去の人々の「果たされぬ約束」を「果たす」ことに参与し得るという理念は、歴史の倫理というテーマを告げ知らせている〉ということである。さて、リクールがこのテーマに当ててきた考察すべてをここで要約するのは不可能であるから、私は歴史家の責任を名指すのにふさわしいと思われる概念を言及するだけにとどめることにする。それは、『時間と物語』においてと同様に『記憶・歴史・忘却』において、「表象」という多義的な観念を精確なものにするのに役立つ「代理表出」の概念である。一方で歴史家の表象は、過去の「代わり」となり、それゆえに死者たちが自らのために語る能力を永久に失ってしまったという事実を示す。他方で歴史家は、「代理」する者、弁護者、「スポークスマン」として、読者による葬儀の面前で、つまり公共的な議論において、「死者たちの立場を擁護する」課題を引き受けることができる。こうした仕方で、歴史家の作業は、過去についての距離化された科学的な分析に限られずに、文字による表象を通じて、現代人を過去の人々と間接的に接触させつつ、現在進行中の歴史、「なされるべき歴史」に貢献する。いずれにせよ、歴史家の職業倫理を練り上げることが問題となる場合に強調されねばならないのは、歴史家とその研究対象とのこうした二重の関係であり、書かれた歴史のこうした二重の機能である。