un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

ジャン・グレーシュ「自己の解釈学へ向かって- 近き道と長き道」

[以下は Jean Greisch, «Vers une herméneutique du soi. La voie courte et la voie longue», (dans Éthique et responsabilité. Paul Ricœur, Boudry-Neuchâtel, 1994, pp.155-173.) の

試訳]  

 

 

 偶像破壊的な問いから始めよう。[ポール・リクールの]『他者のような自己自身』は本当に解釈学の書であろうか、それともそのきわめて「大西洋横断的」な性格はわれわれが同書に明白なほど「大陸的」でもある呼称を与えないようにするだろうか。同書を構成する十の研究の方向性が読者に明確になるように、リクールは三つの図式を提案している。第一にそれは教育的図式であり、記述する、物語る、命令するという三つの根本操作(SA,32,139)に対応している。この三枝構造の図式に発見的図式を加えることができ、それは誰がの問いを発するもしくは供述する四つのやり方、すなわち「誰が話すのか、誰が行為するのか、誰が物語るのか、誰が非難を受ける道徳的主体なのか」(SA,28)によって定義される。最後に、三要素からなる別の図式――その身分の輪郭を描くことははなはだ困難である――の存在について言及せねばなるまい。著者自身が自分自身とその読者に向かって自ら自身の道程を反省するやり方をこの最後の図式が表明している限りで、われわれはこれを反省的図式と呼ぶことができる。この図式のもっとも明瞭な表現は第十研究の冒頭で登場し、そこでは解釈学は、「1.分析の迂回路をとって、反省への間接的な接近。2.同一性との対比を通じての自己性の第一の規定。3.他者性との弁証法を通しての自己性の第二の規定(SA,345 )という三つの問題系の分節化の場として定義される。この最後の三要素と共に何が問題となっているのかがよくわかる。すなわち、著者が「自己の解釈とこの三重の媒介の展開との間の正確な等価性」(ibid)に賭けていることからして、[同書で]なされる行程全体に対して解釈学の資格を正当化することが問題となっているのがよくわかるのである。

 以下の諸反省は、そうした等価性の側に立って擁護する理由の精査をその目的とする。われわれの注意を引きとどめたのは方法の問題である。すなわち、それは正確にどのような理由から、人間行為の類比的統一に関する長き調査が解釈学的という形容詞の名に値するかという問題であり、この調査のそもそもの場がギフォード講義であって、同書の序文がそのことの記述で終わっていることを斟酌するなら、[同書では割愛された]自己の宗教的身分に関する個別の分析のうちにこの調査は何らかの延長部分を見出すよう促される。問いはあまりに意外なので、答えは自明と思えるほどである。解釈学は六〇年代を支配したマルクス主義と七〇年代を支配した構造主義の後を受け継ぎつつ、一九八〇年代の哲学上のコイネー[共通語]となっていることをジャンニ・ヴァッティモ[その著『解釈の倫理』参照]と共に高く評価するなら、先の問いはいっそう意外なものとなろう。しかし、こうした発言は解釈学的思考の天国のようなイタリアにとって恐らく他のあらゆる国々(字義通りに受け取るなら、[これに関する]調書はドイツ、フランス、アングロサクソン諸国に転用しづらいにもかかわらず、これらすべての国々で実際になされた解釈学的業績は非常に豊かである)よりも有効なものであるという事実に加え、用心すべきなのはこの手の宣言に付きまとうヘゲモニーの主張である。それは、われわれがあまりによく知っていることだが、この手の主張はそれを掲げる者を裏切ることによって遅かれ早かれ終焉するからである。

先に喚起した反省的図式の意味を検証する最善の策は、それを逆向きに読むことのように思われる。これが以下の反省がとるであろう道程である。第十研究から出発して、私は著者の行程を前もって示すつもりであるが、それは自らの方でも自己の解釈学を練り上げた唯一人の著者、マルティン・ハイデガーとの関係をめぐり論争を始めるに先立って、[リクールによって]企図された作業が有する解釈学的次元をそのつど獲得するためにそうするのである。

 

 

1.自己の解釈学 ~自己自身と他者~

 

 『他者のような自己自身』の序文において、「自己の解釈学」という表現は、「自己の解釈学はコギトの弁明やコギトの格下げから等しく距離を置いている」(SA,14)というある種の根本規定を記す文脈において導入されている。自己を措定しつつ根本的な主張を掲げるデカルト的なコギトと、ニーチェ的な「傷ついたコギト」との狭間で見出されねばならないのは第三の道であり、それは熱狂する一方で辱められもする主体の擬似競合関係を隠し持つ罠から逃れる道である[SA,27]。まずこの宣言は思考のある様式を定義している。「自己の解釈学」は「傷ついたコギト」の理念に意味を与える新たな試みであり、その痕跡はリクールの以前のあらゆる著作のうちに見出されるものであるとわれわれは言うことができる。「自己」が実際には「傷ついたコギト」の表現であることが明らかとなるのはようやく第十研究においてであり、そこでは自己性と他者性との弁証法が「他者性は自己性の外部から付け加わるものではなく、自己性の意味を支え自己性を存在論的に構成するものに属する」[SA,367]というテーゼと共に、その効果を十分に発揮するのである。その際、探求されるべきものは、「自己性の核心で他者性がなすこと」[SA,368]の様々な現象学的諸形態(それが証言に言及する瞬間から、これを解釈学的諸形態と呼ぶこともできるだろう)である。他者性というプラトン的メタ・カテゴリーは、多様な仕方で人間の行動と混ざり合う受動性という、他者性と同等の際立った経験に対応する現象学的諸形態の複数性に基づいて分類されつつ、その内的な多義性を十分に展開する。

 注目すべきことは、著者が別のところで「あらゆる著作の合言葉」[SA,335]と述べている「証し」という用語が、その際、「自己性へと加わる他者性がもっぱら自らの多様な発生源に応じてばらばらな経験においてのみ自らを証す」[SA,368]限りにおいて、「傷ついた証しそのもの」として自らの姿を現わすということである。第十研究において、他者性の発生源のこの多様性は、自分固有の身体もしくは肉体、よそ者の空間の下での他人、良心という三つの発生源からなる「三脚台」の形式の下でその姿を現わす。[とはいえ]同書がここで終わるところの、ソクラテス的イロニーの色彩を帯びた都合のよい議論が、その探求を終わりにするどころかむしろ続行するよう促さないかどうか、また自己の核心にある他なるものの存在という根本経験に応じて、もっと別の形態がないかどうかとさらに問うことができるかもしれない。

 

 

 

2.同一性と自己性の弁証法の解釈学的側面

 

 いずれにせよ、自己の核心で他なるものが刻み込まれる諸様態をこのように探求することが解釈学のタイトルに十分ふさわしいものであることは苦もなく同意されるだろう。しかし、記述、物語り、命令という三重の登録に関して展開されるこれ以前の諸研究の方はどうなっているだろうか。問いはとりわけはっきりと調査の前半のうちで提起され、それは「誰が話すのか」と「誰が行動の主体なのか」という二重の問いを探求することが問題となる最初の四分の一の諸研究に相当する。調査のこの部分におけるリクールの主要な対話者である著者たち――問題になるのはP・ストローソン、J・サール、G・アンスコムまたはD・デイヴィドソンであるが――は、普段から解釈学のレッテルを要求することはない。それゆえ、分析が解釈学的となるのは以下の瞬間からであるとわれわれは述べることになるのだろうか、すなわち、分析哲学の伝統に位置する著者たちを部分的に置き去りにしつつ、調査のうちに時間的パラメーターを導入したり、また性格の永続性によって説明される同一性の極と、結ばれた約束への忠実さによって説明される自己性の極との間で戯れる第一の根本的な弁証法を定義したり、『時間と物語』において歴史的時間が世界の時間と主体の体験される時間との間にまたがる三重の時間として定義されたいくぶんかのやり方で、物語的自己同一性がまさにその両者の間の均衡を保証するものとなったりする瞬間からであろうか。先行する分析が明白なかたちで自己の観念に頼る必要がまだなかったという単純な理由から、自己の解釈学について語ることができる瞬間からのみ解釈学的となると疑いなく言うことができる。

 同一性と自己性との弁証法が物語的自己同一性の保証の下でその姿を現わして以来、分析の解釈学的概観が実際はっきりしてくる。まず、行動そのものがその相貌を変えるからである。そうなるまでは、いわば几帳面な行動だけが問題であった。いまや、特定の行動の総体にグローバルな意味を刻み込む諸実践を検討することが問題となる。それゆえ、行動はお互いに解釈し合うと言うことができる。その際、伝統と革新を構成する弁証法がこのタイプの相互作用に応用され得るとしても何ら不思議ではない[SA,168]。とりわけ、アラスデア・マッキンタイアと共に実践の概念を「生の場」にまで拡大することを受け入れる時はなおさらである。それは、そうした場合には、実践の領域において「この領域を部分と全体の交代によるテクストの解釈学的理解に近づける規定の二重原理」[SA,187]が発見されるからである。

 『時間と物語』の分析と『美徳なき世界』の分析との間の「幸運な出会い」[ibid]をそのまま延長する際に同様に注目されるのは、リクールの反省が「フィクションによる生の再形象化の理念に結び付られた困難」[SA,188]になんとか取り組もうとすることであからさまに解釈学となるということであろう。リクールは、フィクションを生に適用するという観念を問題的とみなすであろう数々の障害を看過していない。そうした障害は「作者概念の曖昧さ、生の「物語としての」未完了、生の物語の相互的絡み合い、生の物語の想起作用remémorationと予測の弁証法の挿入」[SA,191:208]であると言われる。しかし、そうした障害はこれを単なる障害と特徴づけるのではなく「より巧妙でより弁証法的な自己化という知的作用に」[ibid]統合されねばならない、というのが解釈学の賭けなのである。この「より巧妙でより弁証法的な知的作用」とは、正確に言えば、解釈学的な知的作用である。フィクションを生に適用することを可能にする自己化というこの作業の成立については、ルビャンカ刑務所の独房で孤独のまま何ヶ月もじっとしていたアナトリー・シチャランスキーの回想が迫真の具体例を提供してくれる。自らの孤独を紛らわしまた尋問者にうまく抵抗するために、彼は聖書の偉大な物語のみならず、サイクロプスの洞窟でのユリシーズや風車に立ち向かうドン・キホーテのことを思い出していたと物語っている。

 こうした事例によって、物語がもつ倫理的含意の分析への一歩がすでに踏み出される。ここで解釈学の別の賭けが入り込んでくる。すなわち「創造性の大実験室でわれわれが行う思考実験はまた、善と悪の王国でなされる探検でもある」[SA,194:212]。もし実際、道徳的行為が真先に善き生の探求として理解されねばならないのなら、物語はこの善き生の諸可能性の探求において本質的に発見的な役割を演ずるのであり、ピーター・ケンプの定式化に従うなら、倫理的想像力は物語的想像力からその糧を得るのである[SA,195 note(33)]。人格的自己同一性が決定不可能となるような地点でこの同一性の重要性を弱めたと思われるデレク・パーフィットの厄介なケースと少なくとも同様の悩ましい事態を近代文学が抱え込んでいるという事実を考慮するなら、解釈学のこの賭けはけっして自明なものではない。ここにおいて解釈学の賭けは、「我ここに」という道徳的自己同一性を元にした言表と、本質的に問題を抱えたまま「[倫理的自己同一性と物語的自己同一性の]両者の生きた弁証法[SA,194:216]によって「私は何者か」という苦悶の問いへと向かうよう命ぜられる物語的自己との間の否定し得ない隔たりにとって代わることで成り立っている。

 第七~九研究で展開される「小エティカ」の敷居をわれわれに踏み越えさせるのは、まさにこの賭けである。あらためて問われる必要があるのは、倫理的行為の平面での自己の三つの相貌をこのように探求する解釈学的次元が何によって成立しているのかということであり、その自己の三つの相貌とは、倫理的目標によって生かされる自己、道徳的規範と対峙する自己、そして実践的知恵の行使において立論の拘束とよく吟味された確信との間の反省された均衡点に到達しなければならない自己のことである[SA,210]道徳的行為についてのリクール的着想のもっとも中心的でもっとも決定的である新たな解釈学的賭けに対応するのが、まさにそうした反省された均衡点が存在し得るという仮説であるということは苦もなく同意されるだろう。しかし、ここでもっと仔細に見るなら、たとえリクールが最近の理論家の幾人とは反対に道徳理論を統合して物語化することに抵抗していようとも、こうした着想を解釈学的モデルに近づける別の動機を発見することは可能である。

 倫理的な自己のアリストテレス的ともいえる最初の形象化の平面で――友情と正義と特徴についての長い再読解を通じてアリストテレスの存在がここでどれほど強かろうと――、まずわれわれは、マーサ・ヌスバウムの仕事を参照しつつ、人間行為の善なる資質の脆さについての主張を見出すことができる。もし各人にとり善き生が「成就の漠然とした理想、夢であって、そこから見ると生は多少とも成就したもの、もしくは未完のものとみなされる」[SA,210:231]のなら、そうした善き生は、驚くべき証拠をもって事前に認められる代わりに、解釈の長き作業が終わるところでのみはっきりすると言うことができる。またこの長き解釈は自己解釈の作業でもあり、そうした自己解釈は思慮φρόνησιςと思慮ある人φρόνιμοςとの間の不断の往復運動において成立する。アリストテレスによってすでに垣間見られたこの往復運動の関係について、リクールは「われわれの生活全体にとって最良と思われるものと、われわれの実践を支配している好みの選択とを適合させようとする探求は、行動と自己自身とについての解釈の絶えざる作業において遂行される」[ibid]という理念を通じて現代的な言葉で表現され得ると述べる。

 解釈学的な視点が明確に導入されるのを目撃するのは、まさにこのときである。人間とは象徴的動物――エルンスト・カッシーラーは人間の中にこれを見出そうとする――であるのみならず、同じコンテクストにおいて引用されたチャールズ・テイラーの定式に従えば、人間は「自らを解釈する人間」であるように見える。そうであるなら、善き生の全体的な目標と、われわれの生に独自の統合形象化を与えている[そのつどの]決断を支える選り好みの選択との間に全体と部分の解釈学的循環の理論を作動させることができる。さて、解釈のこの絶えざる作業の果実であるのは、まさに自己の評価という概念である。「倫理の平面では、自己の解釈は自己の評価となる」[SA,211]。もし自己の評価という概念が解釈学的概念であるなら、それは自分自身の内にこもることはできず、他者と共にあり他者のためにある善き生の表現としての孤独を含んでいなければならず、公正な制度の探求すらも含んでいなければならないということがより理解される。ここで再び、最大の迂回路という掟loiが機能しているのがわかる。

 もし倫理の平面で、思慮と思慮ある者との関係が自己の評価という解釈学的な着想に行き着くのなら、この解釈学的次元は思慮への訴求においてよりいっそう明確なものとなるのだが、それは、道徳的規範がもたらす普遍化の要求を通すことが普遍的法則と常に個別的な状況との出会いによって生ずる回避不可能な衝突という圧力のもとで[その要求を]実現するよう求める場合よりもいっそう明確である。まずここで、哲学の概念的言説のうちに潜む非哲学的な声の闖入に注目すべきである。明らかにリクールはピエール・オーバンクの口跡を辿っているのだが、そのオーバンクはすでに自らの大著『アリストテレスにおける思慮』の中で、悲劇の思慮することとアリストテレス的な思慮との関係を延々と分析していた。どのような意味において衝突の経験は人間の行動の相貌を何から何まですっかり変容するのかを理解させるのは、唯一無二の声――この場合はソフォクレスアンティゴネの声だが――についての詳細かつ注意深い読解である。「悲劇による倫理の教授」[SA,283]と悲劇の非道徳化――この二つが「行動の悲劇」の省察、すなわち偉大な荘厳さの刻印を命じる解釈学的賭けである。そうした省察においては、邪悪な神の悲劇的神話に関するより古い解釈[『悪の神話』第二章]――それはいまやアンティゴネの唯一無二の声によって媒介された解釈であるが――の反響が容易に認められる。

この非哲学的な声の闖入はある二次的な効果をもっているのだが、それはこの声に対してのみ解釈学のあらゆる着想を明かすものである。もし「実践の知恵を導くことができる悲劇の知恵」[SA,284]について語るなら、それはあたかも悲劇の知恵に訴えれば哲学的問題が解決されてしまうかのようなものではまったくない。逆に、悲劇の知恵は、語のあらゆる意味において自己性の調査の過程ですでに生じた諸アポリアを重大化させ、誰も取り除くことができないアポリアの長大なリストに「倫理的・実践的なアポリア[SA,288]をつけ加えるだけである。しかし『時間と物語』の三巻本以来、(それぞれ詩学の)アポリア論と解釈学とが折り合いがよいことは次第に明白なものとなっている。

 (現実ではけっして通り過ぎることはない)行為の悲劇という敷居を通過すれば、制度や人格間の関連や自己との関係という巨大な領域――ここにおいて道徳的行為は回避不可能な衝突に立ち向かう――のうちで実践的知恵という概念の解釈学的射程を検証する自由な領域が現れる。「解釈学的なタイプの行動の哲学」[SA,302]は「倫理と道徳性の弁証法状況内の道徳的判断のうちで構成され、解かれるという可能性」[SA,290]にかかっている。

 

 

 

3.解釈学と分析哲学 ~計略結婚~

 

 同書第二部についてのいくつかの通読要点――われわれは物語的自己と倫理的自己の問題系が有する解釈学的次元が明らかにされるのを見た――をこのようにさっと概観し終えた今、明白なまでにもっとも「分析的」である分析の第一期に戻り、そこでは何が厳密に「解釈学的」な選択肢を識別できるようにしているのか、すなわち何が反省の短き道に対して分析の長き道を好んで選択できるようにしているのかを問うことにしよう。

 少なくとも言えることは、この賭けが分析哲学と解釈学的哲学との可能であるのみならず生産的でもある盟約関係という事実に期待する解釈学のきわめて規定的な着想を含意しているということである。リクール自身が解釈学を現象学に接木することについて幾度となく語ってきた通り、われわれはここで解釈学を分析哲学に接木することについて語ることができ、またいずれにしても交叉させるよう求められているのが哲学に関する異質な自分についての考え方であることが理解される。さらにそうした接木がけっしておのずと成立するものではないことは、最近公刊された二冊の解釈学的哲学の入門書――それらはこの学科についてのほぼ対照的な読解を行っている――によって確認されているように思われる。ハンス・イナイヒェンは、分析哲学と解釈学的哲学との不可欠の盟約関係に賭けながら、ポール・リクールに向けて賛辞を連ねた長大な章でもって自らの歴史的研究発表を締めくくっており、彼にとってリクールは同時代に生きる解釈学の理論家の一人であって、ハイデガーによって遂行され、さらにはハンス=ゲオルク・ガダマーによって――より「都会的」なバージョンではあるが――追認された存在論的展開という事実によって解釈学が失ってしまった批判的次元を解釈学にもっともうまく回復させてやった者であるかのようである。これとは逆に、ジャン・グロンダンは、解釈学の普遍化はその最終審において内なる言葉verbum interiusというアウグスティヌス的な理念[『教師論』参照]に基づくというテーゼを読解の導きの糸として主張しつつ、その分析をガダマーに集中させ、リクールに関してはきっぱりと黙して省略している!

 リクールが自著の第一部で用いている立論のすべてが、彼がグロンダンよりもイナイヒェンの方法論的な選択肢により近いことを示している。リクール自身も「英語圏分析哲学有意義な断片を自己の解釈学へと編入する」[SA,28]可能性に賭けているのだ。二つの伝統の異質性は、人格間の行動の分析がとりわけ示す通り、明白なものである。分析的アプローチの偉大な力の本質、すなわち記述における正確さは、証しの現象をそうした記述に適したカテゴリーに組み入れる困難をその反面として有する[SA,91]。その際、どの有意義な断片が問題となるのかを問うことが適当であって、さもなくば、『他者のような自己自身』の第一部におけるリクールの特権的な対話者――そこではP・ストローソン、D・パーフィット、D・デイヴィドソンが問題となる――である英語圏の哲学者たちを解釈学の外人部隊に強制登録することになってしまう。ところで、実際リクールは「ほとんど交流のない二つの精神の家系を強制的に結婚させるという偏執的な野望」[ibid]によって動かされていないことを詳しく説明している。しかしそれにもかかわらず、きっぱりと結婚が問題となっている。それはもし青天の霹靂から生じた恋愛結婚でないなら、「(基礎的)認識論は死に、解釈学が生きる!」と宣言し続けているリチャード・ローティの場合と恐らく同じように、少なくとも計略結婚であるに違いないような結婚である。『他者のような自己自身』のパースペクティブにおいて、そうした計略結婚がどのような条件なら成立し得るかがよく理解される。「分析哲学の伝統と現象学・解釈学の伝統との盟約関係」[SA,137]が企てられている言語理論と比べ、行動理論が比較的独立しているということが法的に明記されるなら、そうした結婚などということはないだろう。それゆえ、自己性の問題にとっての予備教育の役割を果たすのは、言語の分析哲学全般ではなく行動の意味論である。序文で定式化された「分析哲学と解釈学との構築的な対峙関係」への誘いや「分析哲学と解釈学との競合」[SA,29]という理念を理解しなければならないのは、正確にこうした意味においてである。分析[哲学]という伴侶が結婚に当たって持ち出す持参金がどれほどのものか正確に言うことすらできよう。それはどんな計略結婚においても、持参金は本質的役割を果たすからである。この持参金は、自己性の純粋に反省的なアプローチという罠から解釈学を救出してくれる。「分析哲学によって与えられたこの言葉の意味において、分析に訴えることとは、自己措定の間接的な地位によって特徴づけられる解釈学が支払うべき代償である」[SA,29]

 それでは、解釈学という[もう一方の]伴侶が持ってきた持参金はどのような中身であろうか。この問いへのよりよい回答は証しという現象以外に何もないことを認めることであり、証しについてわれわれは『他者のような自己自身』全体を貫いている「キーワード」が問題となっていることを既に上でみた。事実また、所与の自然言語の日常的使用に過度に従属する危険、行為の生起に固有な次元を説明できない「閉じた意味論」の危険という二重の危険を回避するための口実とされるのは、やはりこの証しの現象である[SA,349]。「解釈学に暗黙に含まれる存在論」が分析哲学に対してなし得る貢献を表明し、証しが「反省と分析との交差配chiasme[SA,350:373]を明らかにするのは、存在論的平面においてのみである、すなわち自己が存在する仕方を記述し分析することが問題となる場合においてのみであるというのは正しい。

 

 

 

4.自己の解釈学と存在論

 

 遅くなってしまったがここで、解釈学に暗黙に含まれている存在論の中身がどのようなものであるのか詳述せねばならない。この問いは、リクールの自己の解釈学をそのタイトルに十分ふさわしい他に唯一しかない着想、すなわちハイデガーの着想に立ち戻らせる。この視点から見ても、リクールの解釈学は「迂回路の哲学」であることが明らかとなる。自己性についてのハイデガー的着想がリクールの特権的対話者であるという事実が『他者のような自己自身』のうちですぐさまその姿を現わすのは、それぞれ誰がの問いに重大な重要性を付与する二つの哲学――一方はハイデガー、他方はハンナ・アーレント――が同時に合間見えるときである。アーレントにおいて誰がの問いへの唯一可能な答えは物語であり、その結果「行動は人間の所作のうちで、物語を自らに喚起する局面である」[SA,76:78]にもかかわらず、ハイデガー的な実存論的分析においては、目を引くのは自己性に関するじかに存在論的な規定である。それならば、直ちに存在論的な平面に位置取って、ハイデガーに追従しなければならないのだろうか。自己の問題を存在論的な問題として特徴づける決断は、(リクールが参照している唯一のテクストである)『存在と時間』の実存論的分析論の枠組みにおいて自己の身分を特徴づけるだけでなく、ハイデガーが事実性の解釈学という自らのプログラムに取り組んだ初期フライブルク講義にまで遡及することになる。

 一九二〇年代初頭にこの取り組みがどのようにして発表されたか直ちに想起するがよい。ハイデガーは、生を思考することは免れ得ぬ課題であるという確信をディルタイから継承した。ただし、この時期に「生の哲学」と名づけられるものはよりよきものとあまりよくないものを含んでいる。したがってまず重要なのは、多かれ少なかれ生物学化する無数の「ヴァイタリズム」と、稀にしかいない本物の生の思想家たちとを区別することである。そうした思想家には、ただ三人だけが、すなわちベルクソンディルタイニーチェだけが哲学的に見て真剣に受け取られるに値する。これに連なるかたちで、ハイデガーは一九二一年から二二年に「生の事実性」に関する彼独自の解釈をまとめている。この「生の事実性」が直ちに解釈学的現象学によって規定される着想に関わってくる。すなわち、それが生じるままに生現象の解明することがまさに課題なのであり、もし「現象学的に基礎的なカテゴリー」が生という表現のうちに認められることを受け入れるなら、そうしたカテゴリーは基礎的現象を示している」[GA61,S.80アリストテレス現象学的解釈/現象学研究入門』]生の哲学形而上学が、時に惨めな仕方で、とりわけ生という生物学的概念によって導かれるままになる誘惑――それはあらゆる代償を払ってでも避けなければならない誘惑である――に抗し切れずに挫折してしまった地点で、この現象の解釈は成功することになるだろう。この意味で、ハイデガーの試みは「生に関する近代哲学の肯定的諸傾向を適切に止揚するもの」[GA61,S.82]と理解されることを望む。

 生がそうする限り、生が生そのものを理解する通りに生を考えること。なんと広大な試みだろう! ハイデガーは「生きる」という動詞に含まれる「表出的傾向」についての穏当な反省によって問いに取り組む。この動詞は、その実詞のうちに等しく反映している、自動詞にもなり他動詞にもなるという奇妙な両義性によって特徴づけられる。すなわち「生きる」と「生を生かす」との両方が語られるのである。この両義性を現象学的に回避することは、後期ウィトゲンシュタインがそうするように、「文法的」手がかりによってのみ導かれるままの「文法化」とは明らかに混同されてはならない。重要なのは「生きる」という動詞の文法ではなく、「生きたことば、生そのものについてじかに話すこと」[GA61,83]である。

生そのものについてじかに話すことへとたどり着くに当たって、解釈者―哲学者は、腹話術師のように振舞わなければならないのだろうか、それとも生がそれによって自分自身を理解するようなカテゴリーを取り出す準備ができているだろうか。疑いなくこうしたことは、ハイデガー的分析のこの部分を支えている困難な賭けである。言語的手がかりから出発しつつ、ハイデガーは意味作用の三つの層を取り出す。1.まず生は「連続性と時間化の統合体」[GA61,S.84]を意味している。別言すれば、生きられたものはあるものと別のものとを羅列するのではなく、時間を通じて統合体を形成するのであり、この統合体はさらに完了の多様な様態に従って様々な相貌を表す。2.生は自らのうちに秘められた可能性を含んでおり、予見しえず、さらにはわれわれを驚愕させるよう取り計らっている。ここで登場する可能性というカテゴリーは厳密に現象学的な意味で捉えられねばならないことになり、この語が様相論理学の枠組みで受け取る意味とは何ら関係ない。3.最後に、生の予見不可能性という第一の意味とその可能性という第二の意味は、互いに交叉し現実性に関するある理念を規定する。それは能力の不透明性であり、運命である。まとめれば、これら三つの意味作用は生を現存在という特別な在り方として規定する[GA61, S.85]

 注目すべきは、ハイデガーがこの時期に理解していた現象の観念を特徴づける内容意味Gehaltsinn、関連意味Bezugssinn、遂行意味Volzugssinnという三成分を生の現象学的解釈が動員していることである。生現象の意味の担い手は「世界」というカテゴリー――これもまた現象学的である――によって定義される。生はいつも何かの「中で」、何かに「向かって」、何かに「抗して」成し遂げられる。それゆえ生は自ら固有の仕方で世界と関係し、このことが言わんとするのは、生は内容意味として世界を持つということ、すなわち「生きられたもの、それによって生が自らを支えるところのもの、それに生がしたがっているところのもの」[GA61,S.86]を持っているということである。もしくは「世界とは、生現象における意味の担い手という根本カテゴリーである」[ibid]

 世界と対を成すのは気遣いであり、これは生の関連意味を定義している。生きるとは、「日々の糧」[マタイ6・11]という気遣いのきわめて基本的な意味でみずからを気遣うことであり、この意味はわれわれが欲求と欠乏(窮乏Darbung, 欠如privatio, 欠乏carentia)の存在者であることを喚起させる。日々の気遣いに照らし出されて、世界は生き生きとした意味を帯びる。世界は有意味になるのである。言ってみれば、気遣いは世界を特別な有意味Bedeutsamkeitを授けられたものとして発見する。「有意味signifiance」(もしくは表意性significativité)とは、論理学に依存するものとは程遠いものであって、事物とのあらゆる出会いBegegnisとわれわれがなす世界の経験に染み入る気遣いに照らし出されてのみ現われ出てくるものである。「各人の経験はそれ自体、自分を気遣うことにおいてなされる出会いであり、自分を気遣うためになされる出会いである」[GA61,S.91]。しかしこの有意味性と「価値」の観念とを混同する価値の哲学の誘惑に屈することは絶対に避けなければならない。「有意味性は価値と同一視されてはならない」[ibid]有意味性はなまの事実性に外部から接木されんとする「価値」ではない。

 この有意味性はほとんどいつも明示的ではない。これが明示的になるのは、われわれ自身の生の有意味性が疑われるようになる時だけである[GA61,S.93]。それは、或る者が「自らの生の意味」の問いに直面する時に生じる。その際、その者は個別の世界との関係、すなわち「自己の世界」との関係のうちに入り込む。実際、この時期ハイデガーは、「自己世界Selbstwelt」と「共―世界Mit-welt」と「環境世界Umwelt」という三つの異なる「世界」を区別している[GA61, S.94]。自己の解釈学の課題をその特殊性において検討可能にするのは、気遣いの「三つの世界」というこの理論である。

 用語法的に見えにくくなってはいるものの、「哲学の優先事項、すなわち事実性を見ること」[GA61,S.99]をその本質とする生の現象学的アプローチは、以下のような二者択一の手前にあるようにみえる。すなわちそれは、生に対し完全な透明性、水晶のような純粋性――論理学がわれわれにそのよりよい理念を与えてくれる――を認めてやらねばならないのか、もしくは絶対的な不透明性を認めてやらねばならないのかの二者択一である。「事実性」に関して言えば、この二者択一の後者が選択されるものと思われる。新カント派を悩ませてきたのはまさにこの点である。しかし事実性の解釈学の賭けは、第三の可能性が存在しなければならないということである。イメージを具体化するなら、水晶のような透明性と絶対的な不透明性との間に大なり小なり靄がかかった半透明性があるとわれわれは述べることになろう。ハイデガーが生と自己との関係を特徴づけるに当たって利用するのは、まさにかげりと靄がかり[GA61,S.88]というこのイメージである。

 哲学の課題とは、この靄がかりそのもののうちでも明確に見やすくすることである。この課題は解釈という特殊な作業、すなわち解釈学的努力を要求する。生の現象の解明は不可避的にカテゴリーの助けを求める。しかし、生の現象が帯びている多様な意味作用が問題となる時、重要なのはこのカテゴリーの身分を詳しく説明することである。このカテゴリーは形式的なものと似たところはない。それはもはや純粋に記述的なものではなく解釈的なものであって、それが生そのもののうちに隠されている理解の諸可能性を探り出す限り、前望的とも言い得るだろう。別言すれば、このカテゴリーは解釈学的カテゴリーである。各々のカテゴリーは「解釈的、もっぱら解釈的、すなわち事実的な生なのであって、実存的配慮のうちで適合化されている」[GA61, S.86-7]。この定式化は、ここでわれわれの関心の的となっている時期においてハイデガーの哲学的仕事を支配している「事実性という解釈学的」用語の秘密を打ち明けている。カテゴリーという用語のこの新しい定義に注目してみよう。カテゴリーとは「このことばの意味に基づくなら、現象を解釈されたものとしての理解に引き入れる、規定され原則に基づいたやり方で意味の導きに従いつつ現象を解釈するもの」[GA61,S.86]である。この意味で、生の現象学のあらゆるカテゴリーは、事実的生を解釈の下に置く解釈学的ないし解釈的カテゴリーである。ハイデガー現象学の見方とフッサールのそれとの隔たりが見極めることができるのはここにおいてである。ハイデガーは自分がフッサールの目によって[物事を]見ていると苦もなく宣言できる立場にある。つまりハイデガーは、とりわけ事実性というフッサールとは別の現象を見ることを可能とする別の見方、すなわち「解釈学的現象学」を直ちに発案し、その事実性が不透明にして盲目的で、純粋意識と対立していたことを推算するのである。

 解釈という用語はここでは明らかに反省という用語と対立している。自己の自己化の根本形式である生の自己理解は、自己についての反省という身分を有していない。反省はまだすべてではない。なぜなら、解釈的カテゴリーは解釈の一般理論という名目で外部から生に押し付けられると考えることができないからである。現実に、そうしたカテゴリーは生そのもののうちに自らの根源を持ち、「生の核心部で生きている」[GA61,88]。この解釈学が楕円[GA61,S.108]や双曲線[GA61,S.104]という修辞的形象に訴えて、生が自ら完遂する中で自己と関係づけられるところの特殊な方法を描写していることに着目するのは無駄ではない。少なくとも双曲線の観念はリクールの自己の解釈学にも等しく入り込んでいる。

 どのようにして生を裏切ることなく生の運動を描写するかという生の哲学によって構成されるアポリアを首尾よく解消するのは、解釈の作業だけではない。一九二三年、ハイデガーパスカルの思想によってこの難問をこう説明している。「すべてが一様に動くときには、船の中のように、見たところ何も動かない。皆が放縦の方へ向かって動くときには、誰もそちらに向かっていくように見えない。立ち止まった者が、固定点の役割を果たして、他の人たちの行き過ぎるのを認めさせる」[『パンセ』382]。この思想にコメントするかたちで、ハイデガーは、生のコナトゥス的熱狂へと単純に参与することは理解の作業、すなわちカテゴリーによる解釈の作業を不可能にしてしまうと詳述している。問題のすべては、すぐにも事実性というその存在の意味を裏切ることのない生への態度を見出すことである[GA63オントロギーS.109]

 客観化することのない、生の理解に向けたこの態度は「解釈学的」な態度である。しかしまさにその際、われわれは、とりわけディルタイによって特権化された認識論的アプローチと縁を切る解釈学の新たな概念を欲する。ハイデガーにとり、解釈学はもはや一つの学科、「解釈の一般理論」ではなく、事実性そのものの内的次元である[GA.63,S.15]。このことが言わんとするのは、事実的生の内在的次元である「理解すること」は認知的タイプの身構えではないということである。このような理由で、ハイデガーはとりわけエーディト・シュタインやシェーラーやディルタイによって当時さかんに議論されていた、他者の理解という問題(感情移入の問題)に背を向けている。理解することは他の事物――それがたとえ他者であろうと――へと身を向けることではなく、現存在そのものの存在様式である。それゆえ解釈学は魂の状態を精査する、意識的に望まれた好奇心とは似ても似つかぬものであって、ただ単に現存在が自己に対して覚醒状態にあることである(現存在の自己自身に対する覚醒態)[ibid]

  自己のハイデガー的解釈学の秘密を含んでいるのは、おそらくこの観念である。ところで、解釈学が自らの「対象」と不可分の地点にあるのなら、それは解釈についての一般的な学問もしくは理論ではあり得なくなる。事実的にも時間論的にも、解釈学は学問の立ち上がりに先立っている。同様の理由から、解釈学が引き合いに出し得る「明証的なもの」は根本的に脆弱であり、それはけっして形相的なタイプの「明証性」や「直観」に還元されることはない[GA63,S.16]。実際、解釈の対象は、まさにそれが自己の探求の途上にあり、自己自身にいたる途上にある限り、現存在である[GA63,S.17][解釈学が]進捗すること、このことが言わんとするのは徹底的な問いを措定すること、すなわち払拭し得ない不安や苦悶のうちに反映されている問いかけを行うことである。

 この問いかけに注目することによって、われわれは先に出くわした「自己世界Selbstwelt」という観念に立ち戻るよう促される。今やその解釈学的な意味作用を詳述せねばならない。最初の調書は否定文で述べられる。すなわち、「自己世界」は自己やその内部世界と一致しないはずである[GA61,S.94]。「自己世界における生すなわち自らを気遣うことは、自己反省ではなく、自らに依存しない」[GA61,S.95]。われわれはここでも自己が、リクールの場合と同様の「自己自身」についての反省形式の下で把捉されていると理解する。

 この文脈だと、やはり「自己の配慮」というミシェル・フーコーの著作のタイトルが想起されるかもしれない。ハイデガーにおいて「自己の気遣い」と「自己世界」という観念は、原始キリスト教的経験を対象とする解釈学的作業においてより詳細に規定されている。そうした作業は、一九二〇年~二一年および二一年に行われた宗教現象学講義の主要な掛け金であるように思える。そこではガラテア人とテッサロニケ人に当てたパウロの手紙が、事実的生の経験の典型的証言として読まれる。ハイデガーキリスト教の歴史を二つの傾向の間にある緊張として解釈している。二つの傾向とはすなわち、一方で「知」ないし「理論」の熱望の傾向、他方でキリストの出来事のうちにその根を持つ事実的生の強調という傾向である。その際、ルター、聖アウグスティヌスキルケゴールは事実的なキリスト教経験への回帰の主要な証言者として現れる。

 リクールが反省の哲学の罠と同時に自己についての簡素な存在論の短絡思考をも回避する「迂回路の解釈学」の必然性に賭けるのは、一九二三年以来、存在論と決定的な条約を結んだこのハイデガー的自己の解釈学に直面してのことである。かくして行動の分析理論は誰がのハイデガー規定に対する非難を表明しているのだが、もし行動の何がやなぜにの質問によって骨抜きにされることなく、誰がの問いがこうした省察のすべてを加えて豊かになると示されるようになるなら、この非難は優位なもの[生産的な議論]に転換し得る[SA,76-77]

 けっきょく、われわれがここで自己の解釈学という大地に見出すのは、多大な負債の告白にもかかわらず、ハイデガーに関する批判的保留と同一の態度であり、この態度は『諸解釈の葛藤』において既に定義されていたものである。言語科学とこれに対応する認識論的問題との長大な対話の利益となるべく、理解の存在論に飛びつくことを断念する決意として同書の時期に言い述べられたことは、今回で言えば行動理論の大地で再び採られる選択肢である。この意味で、リクールはコギトの根本的主張を断念しているとはいえ、けっきょくのところリチャード・ローティ――解釈学を理由とした彼の転向は、最近の転向者たちがときおり発揮する過度な熱狂を確かに帯びている――よりももっと認識論的関心に近いところにいるようにみえる。

 しかしながら、ハイデガーの関心事である存在論的関心に背を向けることが問われているのではない。実存論的分析論という大テーマと共鳴する自己性の解釈学的テーマの目録は膨大であり[SA,357-9]、またある厄介な問いへと導く。それは、行為することとは果たしてリクールの企画のうちで、ハイデガーが気遣いに与えたものと比肩し得るほどの場を占めているのだろうか[SA, 359]、という問いである。実際、気遣いと行為することとを純粋かつ単純に対立させる根拠はないという事実を考慮するなら、この問いは厄介である。それは、実存論的分析論を一瞥しさえすれば、同論がいかなる点で行為することを規定する着想を前提としているのかが示されるからである。それゆえ、『存在と時間』の最近の読者が、実存論的分析論に伏在するある種のプラグマティズムを利用せんとするのは故なきことではない。

 見方を変えれば、だからこそ、リクールはアリストテレスのデュナミス/エネルゲイアの対を独自に再構成することとハイデガーが示唆したその再構成との間の「小さな相違」[SA,358:381]についてそっけなく語るのである。その際、ジャンニ・ヴァッティモ、レミ・プラーグ、ジャック・タミノーらの読解に関する分析に[リクールが寄せている]あらゆる関心が理解される。しかも当然ながら、これらの読解は自己と世界との関係の理解に関わっている。リクールの「小さな相違」が当てこむ抵抗のポイントは、エネルゲイアと事実性との厳密な等価性を確立しようとする試みに関わっている。ハイデガーが一九一九年~二三年に定義したような事実性の身分そのものを再考することで、その最大射程だけでも測られよう。事実性という用語が生という現象学的概念と同義の巨大な尺度のうちにあることを思い出すなら、リクールがアリストテレス的存在論をハイデガー以後のやり方で読解することによって途を切り開いた後に、「行為し受苦する自己の現象学と、自己性を浮かび上がらせる現実的で可能的な土台との間にある中継点」[SA,365:388]であるようなスピノザ的コナトゥスに基づく再自己化の類比的作業を望むという急展開に驚かされることは恐らくほとんどないだろう。