un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

ポール・リクール「解釈学的論理学?」(1981年)[1/2]

[以下は Paul Ricœur, «Logique herméneutique?», dans: Écrits et conférences 2. Herméneutique, Paris (Seuil) 2010, p.123-196 の下訳。ガダマーによる展開、批判理論やウィトゲンシュタインとの関係など、ハイデガー以後の解釈学の動向を総決算する内容となっている。

 付されている注のほとんどは編集者の注であるが、リクール自身による原注と一緒にナンバリングされているので判別しづらい。そのため原注には注の頭に(NdA)と略記し一目でわかるようにした。またリクールの原注に挿入された[ ]の解説のうち、(NdE)の表記があるものも編集者によるものであり、それ以外の、(NdE)の表記のない挿入は訳者の解説である。またドイツ語の重要文献にかんする編集者の注にはフランス語の訳書のページ数が示されているが、ここではそれに代えて可能な限り日本語訳のページ数を示しておいた。なお原文のイタリックによる強調箇所は、訳文では太字で示している。また〈 〉は、修飾関係や意味のまとまりをはっきりさせるために訳者が挿入したものである。

 分量上、以下のように第1節から第3節までの前編と、第4節と第5節の後編に分割して掲載した。]

 

      

        解釈学的論理学?(1)

 

目次

[前編]  第1節 反論理学の徹底化?

   第2節 「真理と方法」か「真理もしくは方法」か?    

   第3節 問われる解釈学の普遍性要求

[後編] 第4節 解釈学の応答

   第5節 解釈学と分析哲学との対決

 

 

 われわれは解釈学的な論理学について語ることができるだろうか。実のところ、この言葉そのものは、私の知る限り『解釈学的論理学の研究』(1938年)(2)のうちでハンス・リップスが使用したにすぎなかった。この試みはそもそもリップスの死[1942]という原因によって中断されたのだが、むしろハイデガーによる解釈学の徹底化が体現する断絶のせいで、リップスの試みはゲオルク・ミッシュの『生の哲学現象学』[1930] (正確にいうなら、哲学的解釈学はミッシュの『生の哲学』から決定的に隔たっている)と過度に関連づけられて遅まきに登場したために中断されたのだった。そうした中断にもかかわらずリップスへのなんらかの回帰が目立つようになってきているのだが、当のリップスは、ハイデガー自身の言説の可能条件について反省したり、それを通じて現代哲学の別の潮流のうちに現われている論理学的な関心との関連で自らを位置づけようとしたりするハイデガー以後の解釈学の一般傾向とは何の関係もないのである。本稿は第3節と第4節で、最近の解釈学的哲学そのものの認識論的身分を反省するべく、解釈学的哲学のこれら二つの努力にちょうど当てられることになるが、まずその前にわれわれは、ハイデガーによって生み出され、ガダマーによって展開された問題の立場を思い起こすことになるだろう(3)

 

 

             第1節 反論理学の徹底化?

  一見したところ、ハイデガーによる解釈学の徹底化は、ディルタイの時代を支配していた認識論的な問いを遠ざけた(4)。認識論的な議論の平面に解釈学を閉じ込めることなく、そこに位置づけることがふたたびできるようになったのはディルタイのおかげである(5)。中心問題は三つあった。第一に自然科学に対して精神科学の自律を守ること、第二に両者の原理的方法、すなわち理解と自然科学で用いられている説明との間の相違をはっきりさせること、第三に精神的生、すなわち他人の心理的生のうちに自らを移入できる主体の能力という根本特性のうちで両者の認識論的な相違を確立することが問題とされた(6)。それゆえ解釈学的な諸科学の学問性そのものが、それぞれの領域の定義、原理的方法の明確化、特殊性の最終的確立という三つの平面で賭けられていた点で、ディルタイの解釈学は疑いなく認識論的な論争のうちに足を踏み入れることになった。[とりわけ]最後の特殊性への問いが示していたのは、認識論が、方法論的な研究を可能性の条件への探求に従属させるカント型の超越論的な問いかけへと言葉の厳密な意味で移行してゆくさまであった。

 ところで、ハイデガーの解釈学的哲学が縁を切ったかに見えるのは、まさにこうした超越論的な問いかけ方である。ディルタイと同様、ハイデガーの解釈学的哲学には三つのやり方がある。第一にこの解釈学的哲学が少なくとも直接的に関心をもつのは、精神科学の特殊性を正当化することに対してではない。解釈学的哲学の問いかけは〈自分自身に存在の問いを提起するわれわれとはどういった存在なのか〉という存在論的なものである。『存在と時間』(1927年)の序論からしてすでに、問いを非認識論的なものにする徹底化は明白だ(7)。もしわれわれが自分自身の存在、つまり現存在へとまず問いかけるなら、それは現存在がこの根本的問いの特権的な場であるからである。現存在の分析論が最前部を占めるのは、もっぱら「準備的」という資格においてである。意味の問い(すぐれて解釈学的な問い)とは、存在の意味の問いのことなのだ。かくしてアリストテレス起源の問いがカント起源の問いにとって代わる(8)。第二の[理解と説明の]分断線についてはどうか。(存在の問いのうちに含まれている)理解の問いは、それ自体、少なくともまっさきに認識論的な問いとなることはない。理解することとはわれわれ自身の弁別的な特徴、つまり世界内存在としての現存在の特質である(9)。或るものを或るものとして理解することがすでにそれを解釈することであるという点で、解釈は理解の展開にすぎない。解釈についていえば、それは陳述discoursのうちで分節化されるのだが、自分よりもいっそう根本的なレベルに最初から結びついたそうした[解釈学的]状況や理解の分節化を陳述が規定したり説明したりするのである。命題として表現された陳述から始めようとする主張、したがって[真偽を判定しうる]二値命題論的apophantiqueなロゴスの中心に自らの位置を定めようとする主張は、解釈学が反対の声をあげるもっとも根源的な誤解である(10)。分節化がなされる最初の環境は世界内存在それ自体であり、[解釈学的]状況-理解-解釈と陳述とのつながりが、たんなる命題的なレベルでのあらゆる探求を基礎づけている。第三の[カントへの道とアリストテレスへの道との]分断線についてはどうか。理解の問題が最終的に定立されるのは、可能性の条件という言葉においてではない。カントのパースペクティヴにおいて可能性の条件について問いかけることは、客観の客観性を司るカテゴリーを認識論的に担っている主体に準拠するということである。ところで現存在の分析論が暴露するのは、認識の主体ではなく、被投され企投する存在である(11)。主体と客体との認識関係よりも前に、理解は被投存在や予期という存在論的構造のうちに巻き込まれている。この存在様態は、認識よりも気づかいという方がいっそううまく言い表せる。気づかいのうちにこそ、存在論的な前-理解という資格で存在の問いが含まれているのであり、われわれはさきほどこの存在の問いについて〈この問いは精神科学でなされる探求に先行する〉と述べたばかりだった。

 このように認識論を存在論に従属させることは、歴史科学の方法論が現存在の歴史性についての問いかけによってとって代わられるのを目の当たりにするところで、決定的な地点に達する。つまり歴史学がその対象や方法をもつよりも以前に、われわれは一貫して歴史的なのである。

  非常に粗い素描ではあるが、こうしたことが『存在と時間』においてハイデガーが徹底化した反認識論的で反論理学的な解釈学のモチベーションである。

  とはいえ、われわれがここで関心をもつハイデガー以後の段階において、この徹底化された解釈学は認識論タイプの問いかけから逃れる必要はなかった。それは、われわれが解釈学の言述に固有の可能性の条件を調べたり、哲学の言述、とりわけ同時代の分析哲学の言述との比較によって解釈学の言述を論理学的で認識論的な主張にすることができ、またそうしなければならないからだ。

  こうした二次的な反省は、『存在と時間』においてわずかに素描されているにすぎないことを告白せねばならない。解釈学的な真理タイプが賭けられているどの節をみても、この二次的な反省の基礎的な大要はけっして見出されない。だから読まれるべきは、『存在と時間』の第7節での〈解釈学は一種の現象学である〉(12)もしくは〈現象学を語る者は、自らを示すもののロゴスを語っている〉という箇所である。それゆえ二値命題論的なロゴス、つまり命題論理学のロゴスとの関係で解釈学的なロゴスを位置づけなければならない。もし二値命題論的なロゴスが、或るものを或るものとして語る命題のうちでまっさきに分節化されるなら、一般に言われるように理解の契機を発展させ分節化する(『存在と時間』第32節および第33節)(13)解釈の契機を構成する解釈学の「~として」と、二値命題論の「~として」との間にはどんな関係があるのだろうか。このようにしてあらたに呼び出された真理概念は、もはや命題の性格によって定義されるのではなく、理解と[解釈学的]状況との間の関係のうちに含まれている暴露能力によって定義される。しかし同時に解釈学的哲学は、二値命題論型の真理要求、つまり命題による真理要求によって測られねばならない真理要求を掲げている。

  哲学的解釈学はなんらかの方法で、認識論的な様式に基づいて自分自身を問い直さなければならなかった。現存在の定義づけは、実存論的分析論と呼ばれるタイプの言述にかかっている。この分析論ということで、二つのことが含意されている。一方で哲学的解釈学は、しばしば不当に言われてきたように、言い表せないものや非合理的なものへの回帰するどころか、解釈学的哲学が差異化、規定、関係づけ(これらによって『存在と時間』における「構造」という用語の頻繁な使用や著作構成のひどく教育的な性格が生じる)によって執り行うものにおいてこの哲学は分析的なのである。他方、この分析論は、世界内存在や[解釈学的]状況や理解といった準カテゴリーを分節化する実存論的分析論なのであって、現存在にとってこれらの準カテゴリーは、〈もの〉のためのカテゴリーである。たしかに実存論的なものとカテゴリーとの差異化は、われわれ自身がそうである存在、すなわち唯一の脱自的存在である現存在や、存続する(手前にあるvorhandene)事物であったり、用具というあり方で手の届くところに(手に関わるzuhandene)(14)あったりする「もの」といったさまざまな存在様態の間の存在論的差異を後ろ盾としている。しかしこうした存在様態の差異化は、カテゴリー上の相違として言語や言述にそのままやってくる。こうした仕方で解釈学は、言述それ自体の可能条件というカント的な問いから逃れることができないのである。

  解釈学は三つのやり方によってカント的な問いへと送り届けられる。ハイデガーから発せられた解釈学的な問いかけがどれほど徹底的だとしても、解釈学は〈精神科学の問題系から誕生した〉という事実を排除できない。解釈学が徹底化されるのは、この精神科学の問題系によってですらある。同時にディルタイ解釈学との対決は、解釈学それ自体の企図の欠くべからざる部分となっている。解釈学的な諸科学を基礎づけようとするディルタイの主張は、少なくとも、われわれが先にディルタイの認識論に与えた第三の意味[精神科学と自然科学との認識論的区別]で彼自身の言説の否定しがたい認識論的な構成要素であり続けている。しかも『存在と時間』の多くの分析はこの方向に向いているにもかかわらず、完全なかたちでそこに関わることはない。このようにして、歴史性の存在論から歴史科学の問題系を派生させることが素描されるのは、なんらかの仕方で歴史性を示す分析においてであり、この分析はもともと未来に向かって導かれながらも、「くり返し」という[概念の]省察によって過去へと向きを変え、[解釈学的]状況と理解との弁証法に固有の時間性Zeitlichkeitのプロセスから、[時間の]測定や[暦などの]公共的な期間への参照を含んだ「時間内部性Innerzeitlichkeit」(15)へと人がどのように移っていくのかを示す。しかしながらわれわれは、歴史的認識というもっとも遠く離れた条件をこのように派生させずにいることはない。こうした派生を、歴史科学に対する歴史性の存在論的先行性の引証とは別物とみなすことを許してしまうようなカテゴリーが概念としてつくり上げられることはない。あるいは、どういった点で存在論的な研究の可能条件がまた客観的な歴史的認識の可能条件でもあるのか、たとえ知りたくてもわからない。〈うまくいけばハイデガーと共に根本へとさかのぼってゆく動きをつくり出せるかもしれないが、悪くすると(プラトンの口跡を借りるなら)「第二の航海」、つまり人文科学の認識論へと引き戻す「第二の航海」を行なう羽目になる〉と思われてしまう(16)

  これに関しては、『存在と時間』がなした人文科学の認識論への別の重要な貢献も同じくらい語られなければならない。この貢献は人文科学のテクストという身分についてほどは、その歴史的性格について触れていない。古代の解釈学は循環(いわゆる解釈学的循環)について議論し続け、この循環にしたがって解釈者の意味の先取りは、解釈されるべき意味の不可欠な部分となっている(17)。テクストを理解するには、すでに理解していることが必要である。そしてこの先行理解は排除されるものではなく、そんなことをしようものなら解釈する者と解釈されるものとの和議(この和議にしたがって解釈者はテクストの意味がもっている意図にアクセスする)が台無しになってしまう。認識論的な観点からすると、解釈される事柄のうちに解釈者がこのように含みこまれていることは、科学性の理想を要請するかにみえる客観性に対して、弱点ないし主観主義者の欠陥としか映らない。ハイデガーは、この認識論的な弱点が現実の存在論の力から派生していることを示すことで、解釈学的循環を正当化する。すなわち実のところもっとも根源的な循環は、解釈されるべき世界内的な状況と先行理解との間にそのつど存在する循環である(18)。この循環は誤った循環ではなく、もっとも根源的な認識の積極的条件である。その証明は非力どころではない。この証明は、方法の問いの反省が存在論に根づいていることに引き戻すという『存在と時間』の一般戦略の一部をなしている。だが、どうすればこの根本からテクスト解釈の領域に属する認識論に固有の困難に立ち戻ることができるのかわからない。とりわけ認識論的な循環を存在論的な循環に広く従属させることによって、テクストに対するさまざまな振る舞い方のなかからどれを選ぶかを決めることができなくなる。解釈学的な問題を存在論化することは、ディルタイにおいて解釈学的問題が心理学化されたことを完全に清算するだろうか。とくにテクストの意味を推し量る要求を、著者の意図に委ねてしまわねばならないのだろうか。著者が自分自身を理解する以上にその著者を理解したいなどと思ってはいけないのだろうか(19)。もっといえば、テクストの意味がもつ意図と自らを合一させる理念、もしくは(その意味がテクストの意味であれ、著者の意味であれ)そうした意味と自らを同じ時代のものとする理念を放棄しなければならないのだろうか。解釈学を誤解との闘いによって定義したり、異質なものの自己化appropriationによって定義したりすることをやめねばならないのだろうか。時間・空間における距離との闘いによって、もしくはもともとの制作を再現することによって解釈学を定義することをやめねばならないのであろうか。ハイデガーにおける根本への回帰は非常に徹底しているので、派生的な問いがある意味で視界から消失してしまい、根本へとさかのぼることによってこうした問いはあたかも非本質的なもの、不適切なものとみなされるほどである(20)。とはいえ、過去にこうした問いが聖書解釈や古典文献学によって提起されたり、文学の解釈学(もっと後でその典型が示されるだろう)によって提起されたりしたのは、哲学的解釈学のお陰でもなんでもない。より正確に言うなら、こうした派生的な問いに立ち戻る能力によってこそ、言葉そのものの意味で根本的な規律たらんとする解釈学の要求は測られるのである。

 

 

        第2節 「真理と方法」か「真理もしくは方法」か?

   同じような問いかけがガダマーの主著『真理と方法』によってなされていて、同書はディルタイ起源の人文科学の解釈学と、解釈学の認識論的な条件に関する本研究との第二の中継ぎとなっている(21)

  ガダマーのタイトルは多くの点で、「真理もしくは方法」という二者択一の一方の意味で読みたい気持ちにさせる。分析哲学の伝統で育った読者たちもおそらく同様にそう理解するだろう。

  作品が生み出される(作品がそこから語りだすところの)最初の経験は、近代的意識の発展段階である種の「疎外Verfremdung」(それは感情や気質以上のもので、人文科学の客観的なふるまいを支えている存在論的前提である)が生み出した躓きの石である(22)。人文科学の方法論は不可避的に距離化mise à distanceを含んでいて、この距離化の方は帰属Zugehörigkeitという原初的な関係の破壊(この帰属関係が破壊されなければ、客体との関係はありえない)を前提としている(23)。この疎外と帰属の経験との対立関係は、美的領域、歴史学的領域、言語的領域という三つの領域のうちでガダマーによって追求されていて、ガダマーによるとこれら三つの領域の間で解釈学的な経験が分かち合われている。美的な領域では、美しいものによって捉えられる存在経験が、判断力の批判的行使にいつも先行していてこれを可能にするものであり、カントはそうした判断力に関する理論を趣味判断という資格で仕上げたのだった(24)歴史学の領域では、伝統が伝える存在意識によって、人文科学や社会科学の水準で歴史学的方法論の行使が可能となる。最後に、なんらかの仕方で先の二つの領域を貫いている言語の領域では、文芸作家の偉大な言葉によって語られた事柄に共属することcoappartenanceが、あらゆる仕方で言語を道具にまで切り詰めたり、われわれの文化のテクストの構造を客観的な技術によって支配しようと要求したりすることに先立ちこれを可能にしている。このように唯一にして同一のテーゼが『真理と方法』の三つの部門を貫いている(25)

  それゆえ精神科学との論争は、哲学的解釈学に固有の投錨地点とはならない。逆に美学によってこの問題系に入ってゆくことが不可欠となる。趣味の調停者や意味の主人を自認しようとする判断意識の要求を阻止するにあたって、解釈学が共通の意識のうちで自らのよりよい拠点を見出すのはこの美学においてである。哲学的解釈学が歴史的経験の水準でその第二の進出を果たすことができ、かくして時系列的に最初の出発点をなしていたものとふたたび関係を結びことができるのは、この[美学という]第一の突破口のおかげである。このように、以下で言及されることになる解釈学とイデオロギー批判との論争において解釈学が要求するはずの普遍性は、具体的で多様な投錨地点を排除せずに、むしろこれを要請する。とはいうものの、ガダマーは「テクストとかかわる存在Sein zum Texte」のうちに彼は、解釈学的経験を〈世界に対する人間的ふるまい方の言語的モデルを自認する翻訳〉へと切り詰めてしまう危険をみてとっているが、このテクストとかかわる存在にかんする反省を大して重要ではないものとして遠ざけてしまったことは、些細なことではない(26)

  ここで『真理と方法』の第二部に注意を向けるなら、そこにはおのずとガダマーの反方法主義がもっとも鮮明に判明するがゆえに、彼の敵対者がもっとも好んでかかずらう三つのポイントがあるのだが、そのポイントとは先入見・伝統・権威の復権と、影響作用史Wirkungsgeschichteと「地平の融合」の観念の三つである(27)。『真理と方法』のさほど反方法主義でない読解を表題に結びつけ、さほど選言的でない解釈[真理か方法かのどちらかを選ぶのではない解釈]をそこに与えることができるようになるのも、同様にこれら三つのポイントにおいてである。

  ガダマーが先入見の弁護を企てたのは、間違いなく挑発しようとする観点をもってのことだった。先入見は啓蒙主義Aufklärungのカテゴリーの一つである。それは「勇気をもって思考する」ために(カントは〈あえて賢かれsapere aude〉と叫んだ)、また「成熟した」時代にたどり着くために除去されねばならないものだ(28)。しかし先入見は批判哲学や判断力の哲学においてのみ、一様に否定的であるにすぎない。判断力について言えば、客観性(そのモデルは学問によって供給される)から認識の尺度をつくり出す哲学だけが判断力を法廷とする(29)。むしろ逆に、〈どんな認識主体も、まず客体の領域との慣れ親しみを保障している先行理解をこの領域に企投しなければ、そこにアクセスすることはない〉ということをハイデガーと共に認識しなければならない(30)。ところで先行理解は反省に対しまったくと言っていいほど透明ではない。どんな超越論的な主体も、先行理解を完全に制御することはできない。そうであるがゆえに、先入見とは、たんに解釈学の基礎カテゴリーである判断力の平面への企投、すなわち伝統への企投でしかない。「人間存在は、〈自らを見出すのはまず伝統の中心においてである〉という事実のうちに自らの有限性を見出す」(31)。伝統とは、人間存在による自己理解についての、限界づけられた歴史的性格を積極的に言い表したものである。先入見―伝統―権威という三重の用語の第三のもの[権威]は、効力という観点からこの伝統の役割を明示化させているにすぎない。しかし権威の重要性は啓蒙主義から発した偏見によって覆い隠されてしまい、この偏見によれば権威は暴力という意味での支配と同義語であって、盲目的服従と同義の権威に屈服している。

  ガダマーによるこうした弁護の認識論的な帰結は、〈精神科学(その筆頭は歴史学である)は伝統の伝承と受容という先行的な地盤の上に築かれる〉ということである。研究Forschungが、歴史を生き歴史をつくる者たちの歴史意識を免れることはない。歴史が過去に対し「意味ある」問いを提起するのは、この歴史意識に訊問する伝統の方からである。伝統の影響力と歴史探求との間に、どんな批判的意識も解くことのできない和議が結ばれるのであって、そうでなければ研究そのものは無意味なものになってしまうだろう(32)

  こうした歴史学Historieの歴史的geschichtlich条件は、影響作用史(字義通りには作用の歴史)という概念のうちに表明されている。このカテゴリーはもはや歴史学の方法論には属しておらず、むしろ方法論を反省する意識に属している(33)。影響作用史とは歴史とその作用に晒されている存在者の意識であって、この効力は歴史的現象として自らの存在の意味の一部をなしているために、存在者に及ぼされる歴史の作用を客観化することができないような仕方で晒されている(34)。この歴史の効力の意識は否定的な意義と肯定的な意義をもっている。否定的な意義として、影響作用史は、われわれが過去から被る影響全体を視認によって制御可能にするような上空飛行を排除する。つまり歴史的存在は絶対知のうちへと移ってゆくことはないのである。ここでは解釈学の哲学は、ヘーゲルが絶対知のうちへのどのように解消しようとも、そうした解消に逆らって有限性の哲学であり続ける(35)。肯定的な意義としては、歴史効果の概念がわれわれと過去とを媒介するものであると述べておかねばならない。こうした媒介を通じて事物は有意味で、興味深く、価値があり、記憶可能なものとなるのであって、簡単に言えば歴史調査のうちで関連づけられるに値するようになるのである。

  〈われわれは過去の囚人である〉などということを歴史の効果がまったく意味していないことは、「地平の融合」という第三の鍵概念によって証しされている(36)。地平の概念は[解釈学的]状況の概念を完成させ、修制する。地平とは視点が切り分けるものである。地平の融合について言えば、それは〈他者の視点にいつでも自らを移入させることができる〉ということをディルタイ解釈学と共に認めるものである。しかしこうした移入は心理学的な謎ではない。視点の弁証法のうちに入りこむことができるとすれば、それは同一の事柄にかんする先行了解が、他者と自分自身との緊張関係のうちでじっさいの合意点を見出そうとするからである。しかしこの先行了解について言えば、それはあらゆる視点から距離をとることで、視点の他者性を廃棄してしまうような客観的な知へと変形されうるものではない。というのは、この視点の対話のうちではもはや誰一人としていうべきことをもたないし、自ら論争しようとするものはいないからである。われわれは閉じた地平のうちに存在するのではないし、客観的・経験的かもしくは弁証法的・思弁的な性格をもった唯一の地平のうちに存在するのでもない(37)。「歴史の効力」の理念としての「地平の融合」の理念は、否定的な射程と肯定的な射程を有している。否定的な射程という点で言うなら、地平融合の理念は、客観主義によるあらゆる包摂や思弁によるあらゆる止揚の拒絶を示している(38)。肯定的な射程という点で言うなら、地平の融合の理念が示しているのは、〈歴史認識の基礎となっている、他者の視点や異文化のうちへの移入が可能になるのは、「地平の融合」を通じてであり、これを支えている同一の事柄にかんする先行了解を通じてだ〉ということである。

  では真理と方法の関係についてはどうだろうか。まず、真理と方法の関係はたんなる対立の関係や相互排除の関係ではないことを総括的に述べておきたい。このことが当てはまるのは、歴史の理解が科学的説明と同一平面上で対立していたケースである。この点について、ディルタイが越えることのできなかった方法論的教説へとそっくりそのまま立ち戻らせるような『真理と方法』の解釈に対し、R・ブプナーが警戒するのはもっともである(39)。解釈学的哲学は反認識論なのではなく、認識論の非認識論的な条件についての反省なのだ。われわれがさきほど点検した三つのカテゴリーは、事柄を歴史的対象として価値づけることを可能にする意味の空間の欠くべからざる構成条件を示している。

  こうした一般的な注釈によって、真理と方法という二つの用語の関係についての以前よりももっと弁証法的な解釈を『真理と方法』に与えることができる。三つの歴史的カテゴリーのそれぞれが、解釈学と客観的な人文科学との媒介を保障する適切な批判的契機の空所に場を定める。

  先入見の復権はあらゆる伝統への服従を意味しているのではなく、ただたんに歴史的条件から逃れられないことを意味している。伝統の権威の対極をなすのは「伝統の優越性の承認Anerkennung」である。『真理と方法』によれば「権威は従属となんの直接的関係ももたない。権威は承認に委ねられている」(40)。最終的に権威を有するのは伝統であり、この伝統を通じてわれわれは問いかけを行なう。[だが]このように告白したところで、それは理性を犠牲にすることにはならない。というのは、文化的遺産の「保護Bewahrung」は批判ぬきには立ち行かず、それゆえに革新の精神と保守の精神との恒久的な論争ぬきには立ち行かないからである(41)。この点にかんし、検証が科学的仮説について果たしているのと同じような役割を伝統一般について果たしている操作のことを、ガダマーは「応用Anwendung」と呼んでいる(42)。応用の重要性をもっともよく理解したのは法律解釈学であり、応用は裁判官が立法者から区別される作用空間を示している。応用は、聴衆の情熱を考慮に入れつつ彼らを納得させ説得させる目的で発せられた古代の修辞学の高貴な表現を受け取っている。応用というこの基礎的なカテゴリーが証しているのは、〈理解の作法はあらたな文化的状況という条件において意味を批判的に現実化できなければ完成しない〉ということである。

  歴史的作用のカテゴリーは、その批判的な対極、つまり「歴史的距離distance historique」という概念がなければもはや立ち行かない(43)。まず距離とは事実であり、距離化mise à distanceは事実以上のものであって、方法論の構成要素である。正確に言うなら、効果の歴史ないし効力の歴史は、受動的な遠隔化éloignementと能動的な距離化という二重の意味をもった距離の条件のもとで発揮される。このように効果/効力の歴史は遠いものの近さとなる。方法論上の幻想が始まるのは、われわれが〈距離は過去との馴れ合いに終止符を打ち、自然科学における客観性と比較しうる状況を作り出す〉と勝手に想像する場合だけである。正確に言って過去の他者性の逆説は、〈効力の歴史とは距離における効力である〉という事実に依拠している。疎外の距離化が始まるのは、客観化の契機が自らの具体的な場から抽象化される場合、つまり歴史家が自ら探求しようとしている歴史全体に属していることから抽象化される場合である。

  思弁的になされるあらゆる止揚や客観的な知のうちへのあらゆる包摂との対比でその位置が強調された「地平の融合」という歴史カテゴリーについて言えば、このカテゴリーもまた同様に、『真理と方法』第三部で展開された言語構造のうちに自らの批判的捕捉を見出す(44)。じっさい同箇所において世界のあらゆる理解は、言語による共同実践によって条件づけられたものとして現われる。だがこの言語共同体が操作可能な記号体系のうちで言語を客観化することから免れているのなら、〈先に言及した、同一の事柄にかんする先行了解は既成の実際的合意点を含む〉ということをけっして意味しない(ここでふたたびR・ブプナーは、どのようなものであれ何らかの現実的な合意と、前提されている了解との混同に用心している(45))。地平の融合にふさわしい唯一の「論理」は問答法であり、言葉の根源的な意味で言うなら問いと応答の作法である(46)。解釈学の認識論が行き着くのはまさにこの問答法なのだ。この問答法は、問いの批判的契機を言語共同体によって支えられた理解の解釈学に包摂する。

 

 

 

           第3節 問われる解釈学の普遍性要求

   批判的契機を理解の広範なプロセスのうちに包摂させるというこの最初の注記は、解釈学の普遍性要求のめぐる論争のおかげでさっそく詳述されるようになる。解釈学にかんする認識論的な争いは、〈その普遍性要求はどうなっているのか〉という明確な一点に結晶化されている(47)

  論争となったのは、[①]客観的な認識すべてがそれに先行する世界の言語的理解に根づいている限り、解釈学はあらゆる学問性を統制すると主張する一方で、[②]十九世紀の終わり頃に精神科学と呼ばれた一群の学問に対して解釈学が自分自身を解釈技術論Kunstlehre[*1]の役割に限定するそぶりをみせるからである。最初の場合[①]、普遍性は疑わしいものではない。つまりここでの普遍性はあらゆる説明をこれに先行する理解の基盤に従属させることを表明しているが、逆にこの理解の学問性の方は不確かである。第二の場合[②]、解釈学の学問性はますます認識論の枠組みのうちで人文科学を正当化しようともくろむが、説明が理解の外部に洩れてしまう限りその普遍性は疑わしいものとなる。

  この点について(それぞれフランス国外でつい最近なされた)二つの貢献、すなわちK・O・アーペルとH・ハーバーマスの貢献がここで吟味されるに値する。彼らの貢献はそれぞれ、解釈学の普遍性を犠牲にしてその学問性を強調しようとすることで、解釈学をいっそう広範な「学問的」全体のうちに位置づけることに向かう。

  図式的に言って、ハーバーマスによる[解釈学的前提の普遍性への]批判は次のように要約することができる(48)。ガダマーが先入見の復権をロマン主義哲学から受け取り、先行理解というハイデガーの観念から作用史的意識という自らの概念を派生させるところで、ハーバーマスが展開して見せるのは、ルカーチの『歴史と階級意識』やフランクフルト学派の仕事をもとに彼自身が再解釈し、マルクス主義のイデオロギー批判を元にした関心という概念である(49)。ガダマーがドイツロマン主義から隔たっているのと同様、ハーバーマスマルクス主義から隔たっているのも確かである。マルクス主義が生産概念を一元論的に持ち出すのに対し、ハーバーマスはそれに代えて〈それぞれ関心がアプリオリな人間学の仕方で学問の領域を統制している〉という関心の多元論を主張する。関心が学問領域を統制しているというのは、〈この客体の領野に属する可能な陳述の意味がそうした関心によってあらかじめ規定され決められている〉という意味においてである。このようにして、「対象化されたプロセスに応用される技術制御への認知的関心」と定義される技術的・道具的関心に対応するのは、経験主義的・分析的な陳述の領域である(50)。実践的関心もしくは人間どうしのコミュニケーションへの関心に対応するのは、歴史的・解釈学的な学問である(51)。この領域で生産される命題の意味は、可能な予測や技術的探求から発するのではなく、意味の理解から発する。そのような意味の理解は、日常言語でやり取りされるメッセージの解釈という経路をたどったり、伝統によって伝承されたテクストを解釈することによってであったり、けっきょくのところ社会的役割を制度化する規範の内面化のおかげで生じるものである。[経験主義的な関心と歴史・解釈学的な関心という]これら二つの関心についての議論は、技術的な次元と実践的な次元とを混同したり、カント・フィヒテヘーゲル左派から発した人間行為の可能性の条件への批判を実証主義に還元したりしてしまったことを非難するマルクスの批判のエッセンスを含んでいる(52)。だがガダマーとの対立を示すのは、コミュニケーションへの関心と、解放への関心と題された第三の関心との距離である(53)。この第三の関心は議論の中心を、歴史的・解釈学的な学問から批判的な社会科学(そのうちにはイデオロギー批判や精神分析が本質的に属している)に移す(54)。このイデオロギー批判と精神分析という対のうち、イデオロギー批判は応用の領域、すなわち体系的に歪められた人間どうしのさまざまなコミュニケーションを提供し、精神分析の方は説明のモデルを、すなわち〈その不透明さのために暗示的な前提の単純な説明を不可能としているプロセスの準対象化〉を提供する。こうした準対象化や準説明の迂回路によって、解釈学的理解の限界がはっきりする。じっさい解釈学的理解は、シュライアーマハーやディルタイの伝統におけるように、それ自身理解と同質である誤解の形式の解明に限定されているように見える。準対象化がけっきょく自己理解を拡大させ深化させるようになるというこの最終エピソードは、のちほど、メタ批判を自認する解釈学の主張とメタ解釈学であることを自認する批判の主張との競合の原因となるだろう。しかしながらこうした最終対決の前に、両者の差異を掘り下げておこう。

  批判的な社会科学を導く解放への関心と、歴史的・解釈学的な学問を統制するコミュニケーションへの関心とを区別することで、ハーバーマスはある一群の学問、すなわち「伝統的」学問に結びつけられる解釈学の限定的な性格を明らかにする。ところで、伝統という観念は曖昧である(55)。この観念が言い表していることの一つは、〈現在のあらゆる企投は、伝承されすでに理解された過去に依存している〉という動かしがたい事実である。しかし伝統の観念も伝承された内容を言い表しており、そのうちの幾つかのものは人間どうしの関係にかんするイデオロギー的に凍結された形式を表明している。こうした社会連関の物象化réificationを変容することができるのは批判だけだとすれば、それは、そうした物象化を表明している言述が、一方で言語と、他方で労働と支配によって形成される対との間の依存関係をはっきりさせるからである(56)。ここで解釈学は、言語が社会的な力に依存している関係を看過している点において、言語的観念論のそしりを受ける可能性があるのであって、そうした社会的な力は、いっそう鋭く洞察すれば消滅させることのできるような誤解には還元しえないくらい言語を体系的に歪曲してしまう。じっさいイデオロギーは社会のパートナーの背後で[労使交渉の背後で]機能している。そういう訳で、イデオロギーの解消にはもはやたんなる理解的な手続きではなく説明的な手続きが求められ、この説明的な手続きは、自発的な解釈作用から日常の言述や会話における所作へと単純に拡大させるだけでは派生しえない、フロイト流のメタ精神分析のような理論装置を活用するのである。

  それゆえ解釈学が認識論的に制限されている(一群の解釈学的な学問に制限されている)とすれば、それは、解釈学が〈社会的な力の葛藤によって惹き起こされる言語と暴力との関係〉を誤認しているために哲学的に制限されているからである(57)。個人的ないし集団的なバリエーションと共に考慮されるイデオロギーの現象は、この意味で解釈学にとっては制限された経験をなしている。

  解釈学とイデオロギー批判との葛藤は、よりいっそう徹底したものにならざるをえない。ハーバーマスにとってガダマー解釈学の原理的欠点は、解釈学を存在論化してしまったことである。ここでハーバーマスはこの批判によって相互了解や一致にかんする自らの主張を、われわれに先立つ合意があたかも構成要素、存在のうちにあらかじめ与えられた何かであるかのように了解してしまっている(58)ハーバーマスは、彼の目に存在論的な実体化と映るものに対して警戒心しか抱くことができない、つまり〈われわれのもっとも幸福な対話のうちでは相互了解が先行している〉という稀な経験が彼には存在論の実体化と映り、警戒心しか抱けなくなっているのである(59)。しかしこの経験は規範化することができるし、この経験からコミュニケーション行為の模範をつくることもできる。われわれにそれを禁ずるのは、正確に言ってイデオロギー現象である。もしイデオロギーが理解にとっての内的障害にすぎないのなら、すなわち問いと答えをしっかり運用しさえすれば再統合しうるような誤解であるにすぎないのなら、〈誤解があるところには、先行的な相互了解が存在する〉と言うこともできよう。それゆえ、引き受けられた伝統に応じて解釈学が思考するものを、イデオロギー批判が予期に応じて思考するというのは筋が通っている。言いかえればイデオロギー批判が想定しているのは、〈伝統の解釈学が理解の起源に存在すると考えているものは、統制的理念としてわれわれの前に措定されている〉ということである。この統制的理念は、制限も束縛もないコミュニケーションの理念である。ここではカント的な強調が明らかだ。つまり統制理念とは在るというよりも在るべきもの、想起というよりも予期である。この統制理念こそが、どんな精神分析社会学にも意味を与える。というのは、再象徴化の企図にとってしか脱象徴化は存在せず、暴力の終焉という革命的なパースペクティヴのうちでしかそのような企図は存在しないからである。このようにして非暴力の終末論は、イデオロギー批判の最後の哲学的地平をなしている。この終末論はエルンスト・ブロッホの終末論に近く、言語による相互了解が伝統の解釈学のうちで占めている場を確保している(60)

  カール=オットー・アーペルは、学問論Wissenschaftslehreに復帰するべきだとする広範な企図の内部で解釈学を評価しようとしており、ドイツにおいてこの学問論はつねに学問以上のことを意味しているが、自らの認知的な権利は意味しても、分析哲学が言うところの「科学の論理」を意味することはない(61)。このような復帰が可能となるのは、カント流の超越論的な問いをふたたび取り上げ、これを拡大することによってのみであり、つまりは普遍的な仕方で有意味sinnvollとみなされるものの可能性の条件について反省することによってのみである。それゆえ解釈学にかんする二次的な反省が超越論的となるのは、解釈学が分節化する言述の可能性の条件を自分の対象とする限りにおいてだろう。しかしそうした反省がうまく運ぶのは、〈カントが客観性という資格で範囲確定し、純粋認識という主題によって経験の多様性を悟性のカテゴリーのもとに統合しようとした意味の圏域〉に超越論的な探求を限定してしまわない場合だけである。カントが省いてしまったのは、言語的統合がカテゴリーによる統合に先行するという事実である。ところでこうした言語的統合がカテゴリー的統合以上に働かせるのは、身体や技術に媒介された関与であり、コミュニケーションの暗黙の規範によって成立する間主観的な性格の相互了解である。それゆえ、この言語的統合は意識のアプリオリ以上のもの、すなわち身体的で社会的なアプリオリを要求する。こうした身体的・社会的アプリオリについて言えば、それはハーバーマスによって記述・分析された関心を作動させるものであり、この関心は超越論的な人間学にもたらされねばならない。

  拡大された学問論というこのパースぺクティヴにおいて、カール=オットー・アーペルは次の二つのテーゼを展開する。それはすなわち、彼が〈科学の論理Szientistik〉と解釈学と呼ぶものの間には相補性があるというテーゼと、競合する両者の主張をイデオロギー批判が媒介するというテーゼである(62)

  科学の論理と解釈学との相補性という理念自体がまず想定しているのは、〈「統一科学」という新実証主義のプログラムを拒絶し、それによって理解することと説明することとの区別というディルタイ的な問題をあらためて取り上げる〉ということである(63)。アーペルの主張するところでは、理解は論理的操作とは無縁の心理的操作に限定されない。すなわち理解は、あたかも科学が検証可能であったり可謬的であったりする立場からもっぱら始まるかのように、準備的な発見術にのみ属するものではないというのである。認識論に固有の次元として理解を正当化することは、〈解釈学的な学問のうちで理解が意味構成の不可欠な部分をなしている〉というディルタイ型の議論に部分的ながら応答している。ここで解釈学は分析哲学の領域の内部で応援者を見出す、すなわち歴史認識の認識論と、ヘンペルやポパーによって提起された説明モデルとを対立させる抵抗勢力のうちに応援者を見出すのである(64)

  しかし興味を惹かれるのは、〈分析哲学内の批判から発し、W・ドレイやA・C・ダントーに負うこうした議論が、どのような仕方でディルタイ起源の解釈学的伝統に書き込まれ、じっさいにそこへと統合されたか〉を理解することである(65)。アーペルが〈どんな理解も企図と状況との間の有意味な関係を作動させる〉という理念を受け取ったのは、ハイデガーとガダマーからである。そういう訳で理解は歴史における理解可能性の不可欠な様態であり続けるのだが、それは一連のユニークな出来事が、行為主の意味の意図と行為主が理解した限りでのユニークな状況との間の関係から自らの意味を引き出すためである。 

  分析哲学の片鱗をこのように解釈学へと統合することにかんして言えば、それは解釈学そのものを二様に方向転換させることで行なわれる。第一の方向転換にかんし、解釈学は一方で、存在―存在論的差異の問い、それゆえ存在することとしての存在の問いから遠ざかる。また他方で、解釈学は世界理解の言語的性格にほとんどもっぱら力点をおくようになる。このように[第一の方向転換において]解釈学は、本質的に言語解釈学Sprachhermeneutikになる(66)。言語解釈学は、あらゆる意味形成に暗黙裏に前提されているもの(その中でもっともすぐれているのは文化的伝承である)を追求するのである。解釈学の第二の方向転換いついて言えば、ハイデガーによる世界理解の言語的性格は、「生活形式」としての「言語ゲーム」というウィトゲンシュタインの理論に引き寄せられる(67)

  ウィトゲンシュタインハイデガーという二つの遺産の間の論争それ自体を考慮する段になったところで、この問題には後ほどまた立ち戻ることになるだろう。後期ウィトゲンシュタインから二つの主題が取り上げられるのは、それらが言語解釈学の主題と類比関係にあることによる。つまり〈言語による分節化がわれわれの世界の限界を規定する〉という一方の理念と、〈そうした分節化は総じて公共的である〉という他方の理念とが類比関係にあるのである(68)。この点にかんし、私的言語についてのウィトゲンシュタインの批判は、〈当初は主観的であった理解が、他人の意味の意図のうちで変容することによって間主観的な理解に移行する〉というディルタイ的な問題、またいくつかの点ではフッサール的な問題を廃棄する。ハイデガー、ガダマー、ウィトゲンシュタインはここで、反心理主義者がとる同じ反応のうちで意見の一致をみる。

  このように言語解釈学の言葉で再解釈された歴史認識の問題は、それ自体、ウィトゲンシュタインの受容を通じて修正されるために、次のようなものになる。すなわち、歴史の行為主が採用した行為の理由を理解することは、科学の論理に属する説明に還元することができない。歴史認識は、歴史が学問として成立する以前に、つまり文化的伝統の地平における物語り的実践以前にすでに作用してしまっている言語作用を(批判的に検証しつつも錯綜させるという二重の意味で)もっぱら訂正する。

  しかしながら、科学の論理と解釈学との間の相補性がもっともうまく証明されるのは、解釈学のパースペクティヴのうちで歴史認識の問題をこのようにふたたび取り上げることによってではない。客観的な説明と実践的・言語的性格の間主観的な了解との間の相補性を示さなければならないのは、全体として捉えられる科学的認識の平面そのものにおいてである。あらゆる認識のうちでも、この相補性こそが技術と倫理という二つの実践の次元を再統合すると言わねばならない(69)。じっさい、テクノロジーのうちでがんじがらめにされている現代の実践は、有意味とみなされる世界存在の可能性や規範にかんする先行了解を前提にしている。[そのさい]伝統はこうした理解の紐帯であり環境である。それゆえ、あらゆる認識が暗黙にコミュニケーション共同体の存在を前提にしているのなら、解釈学はこの共同体の前提を主題としなければならなくなる。科学の論理と解釈学との相補性が証しされるのは、まさにそのように主題を操作することにおいてである(70)

  それでは、科学の論理と解釈学の両者を調停するのにどうして[精神分析や言語解釈学といった]第三の学科に訴えるのだろうか? この地点でアーペルとハーバーマスはガダマーに対しそれぞれ距離をとり始める。ガダマーにとって伝統へと実存的に関与することは、過去の規範と現在の状況とを[(NdE) 媒介するopère une médiation] (71)「応用」として理解されるべきものである。効力の歴史は、応用をとおして時間的隔たりにもかかわらず自らのもともとの力を回復する。それゆえ解釈のモデルは、裁判官が規範をアクチュアルなものにする作業において探求されるべきである。

  否定してはならないのは、〈解釈学は伝統がその力を失った場合にのみ、それゆえ文化的伝承が崩壊寸前の危機的状況にある場合にのみ発言を許される〉ということにガダマーが完全に気づいていたということである。アーペルとハーバーマスは、解釈学の企図が具体化されることよりも多くの限界を「応用」のうちにみている。応用が語られるとすれば、それは、たとえ弱体化しているにせよ権威であり続けている宗教的テクストか、「古典的」文学テクスト、すなわちあらゆる文化的状況のなかでアクチュアルなものとされるテクストか、規範的価値が揺るぎなく存続している法律テクストについてのみである。ところで、ここで問題となっているのは現代と伝統との関係ではない。この点にかんし、非欧米の文化によって提起された問題は、われわれ[ヨーロッパ人]の問題よりも明確で徹底的である。そこでは過去の再自己化réappropriationは、もはや応用とみなされるのではなく、むしろしばしば痛ましく感じられるほどの距離化と同等といっていい徹底的な疑念の通過点とみなされる。同時に、方法論的な疎外によってあらゆる距離化を説明することはもはや不可能である。距離化は、伝統との関係という現代そのものの条件の一部をなしている。この意味で、自己化および方法的抽象化を可能ならしめているのは、ほかならぬこの距離化である。〈今日では[以下の]二つのテーゼを調和させることは困難になった〉とアーペルも進んで同意している。すなわち一方で、[①]〈あらゆる伝統を遠くから見ることのできるような中立的視点など存在せず、そんなものが存在するなら歴史主義の袋小路にふたたびはまり込むことになる〉と言わなければならない。この意味で伝統の伝承は、どういった文化的対象であれ、それらへのアクセスの条件であり続ける。解釈学は方法論的な幻想に対して、素朴さを暴き出すものとして機能する。しかし他方で、[②]〈これこれの文化はもはやわれわれに語りかけることはなく、われわれはそれを直接に再自己化することを禁じられている〉ということを再認識しなければならない。それゆえわれわれに残されている仕事は、距離化そのものから利点を引き出し、そうした距離化によって伝承された内容の準対象化を行って、最終的にいっそう媒介され複雑化した自己化にいたることであるのだが、どのみちわれわれはまだその鍵を手に入れていない(72)

  そうした準対象化は、精神分析をモデルとする批判的な社会科学が行うものである。この準対象化が成立するのは、言語とは別の次元に属する物質的構造から文化形態を(われわれにとってその意味は現実の関係の徴候であるにもかかわらず疎遠になってしまっている)論ずることによってである。よくあるケースは、産業資本主義における労働と支配との関係から発する意味の効果である。言述、労働、支配の間で織りなされるのは関係の網目であり、そうした関係の薄暗さ、非透明性は偶然的なものでなく本質的で、断片的なものでなく体系的である。したがって、言述というただ一つの力によって暗示的なものを説明する能力だけを当てにするような解釈学が、言語の観念論を非難することができる。そのような解釈学は、アーペルが自然の歴史を精神の歴史のうちへと引き伸ばすこととして考えているものと衝突する(73)。もしこうした原理の非透明性がなければ、人間は自分自身の意味の意図と等しくなることができるだろうし、ロマン主義の解釈学の理想であった[作者と鑑賞者が]相互に同一化する理想を実現することもできるだろう。ところで、これまで人間は実のところ自らの歴史をつくったことがない。歴史は多くのところ、人間の背後でつくられている。だからこそ、歴史の意味を反省によって総合的に取り戻すことは不可能なのだ。社会経験の偶然的因子は、フロイトのメタ精神分析をモデルとする準対象的な説明の水準でのみ分析される。この水準で、説明モデルの構築は当事者が参加することのできない第二度の用語法や概念性に訴えかけている。その代わり解釈学が優位に立つのは、〈けっきょくのところ治癒者という特徴的な立場であるこの準対象化は、疎外された意味を媒介され掘り下げられた自己理解のうちへと再統合することを最終目的とする、部分的に中断されたコミュニケーションにすぎない〉ということを思い起こさせるからである。

  このことから帰結するのは、〈治療的モデルに属する準対象的な知は、科学の論理の客観性によって併呑されることはないだろう〉ということである。もしそんなことになれば、治療的説明というメタ言語によって説明は、考慮される現象だけでなく人間自身をも技術的に制御できるようになってしまう。そうした技術的制御はただ、人間による人間の支配の拡張に使役するだけであろう。この危険に対してなされるただ一つの反撃は、最終的な自己理解の枠組みにおいてなされる自己反省の下に、批判的な社会科学の準対象性をおくことである。

  まさに批判的社会科学のこうした混合的身分こそが、解釈学と科学の論理とを媒介させる学科をイデオロギー批判からつくり出すのだ。

 

 

                  [続]

 

 

(1)これは1978年に国際哲学学院で開催された会議において発表された題目で、そのテクストは以下で公刊された。Contemporary philosophy. A new survey, vol.1, Philosophy of language. Philosophical logic / La philosophie contemporaine. Chroniques nouvelles, t.I, Philosophie du language. Logique philosophique, G. Fløistad (éd.), Martinus Nijhoff, 1981, p.179-223. そのなかでポール・リクールは、哲学的解釈学とそれへの批判に関係する主要な諸研究を体系的に読解する作業を始めている。リクールはいつもとは異なるやり方をとりつつ、きわめて莫大な注のなかで、場合によっては非常に最近の(多くのところドイツ語の)関連文献の参照箇所を自ら示している。本書収録の他の論文と同様、リクールの注は(NdA)と記す。われわれは、リクールによって省略された書誌情報を一貫して彼の注のうちに追記した。われわれが行なった追記が、現在入手可能なフランス語訳の参照箇所をとくに含む場合、それらについては(NdE)と記し、ポール・リクール自身の注に挿入するにあたってはカッコ内で表わしてある。とくに明示のない説明的な注は編集者によって作成されたものである。

 (2) (NdA) H. Lipps, Untersuchungen zu einer hermeneutischen Logik, Klostermann, 1938, ²1959. その抜粋は以下を参照。Seminar. Philosophische Hermeneutik, H-G. Gadamer et G. Boehm (éd.), Suhrkamp, 1976, p.286-316. オットー・F・ボルノウは以下においてG・ミッシュの「生の哲学」と自らとの関係を明言している。Otto F. Bollnow, «Zum Begriff der hermeneutischen Logik», Hermeneutische Philosophie, O. Pöggeler (éd.), Nymphenburger, 1972, p.100-122. [(NdE) H・リップスの著作は以下のタイトルでS・クリスタンザンによって翻訳された。Recherches pour une logique herméneutique (Vrin, 2004). ジャン・グロンダンは「ゲオルク・ミッシュと解釈学の普遍性:論理学か修辞学か」(Dilthey-Jahrbuch, 11, 1997-1998, p.48-63)と題された自らの論文のなかで、リクールの断言するところとは逆に、「解釈学的論理学hermeneutische Logik」という用語がすでにミッシュにおいて現われていることに注意を促している(以下を参照。G. Misch, Lebensphilosophie und Phänomenologie. Eine Auseinandersetung der Diltheyschen Richtung mit Heidegger und Husserl, Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1930, ³1967, p.56)。].

 (3)ディルタイハイデガーのアプローチが求める手短な主張に関しては以下を参照。P. Ricœur, «La tâche de l’herméneutique: en venant de Schleiermacher et de Dilthey», Du texte à l’action. Essais d’herméneutique II, Seuil, 1986, p.88-100 [翻訳「解釈学の課題」、『解釈の革新』収録、久米博 編訳、白水社、1985年、143‐174頁。].

 (4) (NdA)ハイデガー自身の手では未公刊の後期の著作や『ハイデガー全集』の公刊開始に加え、われわれは彼の哲学の解釈に当てられた仕事にも注意することになるだろう。O. Pöggeler (éd.), Heidegger. Perspektiven zur Deutung seines Werkes, Kiepenheuer und Wisch, 1969. 同様にHermeneutische Philosophie (textes de Dilthey, Heidegger, Gadamer, Ritter, Apel, Habermas, Ricœur Becker Bollnow), op. cit. – E. Tugendhat, Der Wahrheitsbegriff bei Husserl und Heidegger, De Gruyter, 1967. – H-G.Gadamer, «Martin Heidegger und Marburger Theologie», in: Heidegger. Perspektiven, op. cit. [(NdE) trad. de J. Grondin, Les Chemins de Heidegger, Vrin 2002, p.49-63.] – J.J. Kockelmans (éd.), On Heidegger and Language, Northwestern University Press, 1972.

 (5)以下を参照。P. Ricœur, «La tâche de l’herméneutique: en venant de Schleiermacher et de Dilthey», Du texte à l’action. Essais d’herméneutique II, Seuil, 1986, p.82 [翻訳152頁].

 (6)「精神科学sciences de l’esprit」はGeisteswissenschaftenの一般的訳語であり(これに対し「自然科学sciences de la nature」はNaturwissenschaftenの一般的訳語である)、リクールはこれを「歴史科学」によって[自然科学から]はっきり区別されるものとみなし、われわれはこの「精神科学」を適宜変更を加えながら「人文科学sciences hunaines」と同一視する。

 (7) M. Heidegger, Sein und Zeit (Gesamtausgabe, vol.2), Klostermann, 1977, p.3-53. われわれはここでE・マルティノーのフランス語訳を参照することにしよう。[マルティノー訳の『存在と時間』は版権をとっていない海賊版で今日では入手困難だが、訳の正確さには定評があり、リクールも好んでマルティノー訳を参照している。現在フランスにおいて普及しているのはガリマール社から刊行されているウザン訳。]

 (8)似たような文脈の論文「解釈学の課題」においてリクールは、存在論は認識論に優ると述べている(Du texte à l’action, op. cit., p.89 [翻訳159頁])。

 (9)M・ハイデガー存在と時間』の第31節を参照。

 (10)ハイデガーが『存在と時間』第7節Bで論及しているアリストテレスによるロゴス・アポファンティコスは「命題化されたかたり」に対応している(R. Rordrigo, Aristote, l’eidétique et la phénoménologie, Millon, 1995, p.191)。[ハイデガーによる「άπόφανσιςとしてのロゴス」という規定は、ロゴスをただちに命題と同一視するものではない点に注意されたい。『存在と時間』の同箇所においてハイデガーアリストテレスにさかのぼることでロゴスの再解釈を試みている。ハイデガーによればこれまでのロゴスの学的解釈は「理性、判断、概念、定義、根拠、関係」などと翻訳して、それらの根本にある「語り」(λέγειν)を看過してしまっているため、ロゴス=語ることというこの根本に立ち返ってロゴスの多義性を再考する必要があるという。アリストテレスは『形而上学』第七巻および『ニコマコス倫理学』第六巻において、語り=ロゴスをάποφαίνεσθαιとして明らかにしており、ハイデガーはこれをάπο-(~の方から)、φαίνεσθαι(あるものを見えるようにさせる)という原義に遡って、語り=ロゴスを「それについて語られている当のもの自身のほうから(άπο-)、〈見えるようにさせる〉」(SZ.32)と規定する。このように、現象学とロゴスのギリシャ的再解釈という文脈において「άπόφανσιςとしてのロゴスの構造」が提起されていることを忘れてはならない。]

 (11)ハイデガーが被投存在と理解の企投との間の関係を説明するのは第31節である。

 (12)ハイデガー存在と時間I』、渡辺二郎訳(中公クラシックス)、第7節C93頁。

 (13)存在と時間II』47-76頁を参照。

 (14)存在と時間』第14節から第18節を参照。

 (15)存在と時間』第二部第六章「時間性と、通俗的な時間概念の根源としての時間内部性」を参照。リクールは『時間と物語I』において「時間内部性」の概念を参照している。[翻訳『時間と物語I』、久米博訳、新曜社、113‐117頁。なお「時間内部性」は同書第三巻でも幾度となく参照されている。列挙しきれないので詳しくは第三巻巻末の事項索引を参照のこと。]

 (16)リクールはふたたび論文「解釈学の課題」において同じ批判を行なっている [翻訳167頁。「ハイデガーの哲学によって、われわれは絶えず、根本へと遡行する動きをやめないかわり、回帰する動きをはじめることができなくなってしまった。この回帰の動きは、根本的存在論から、精神科学の位置という本来認識論的な問題へと連れもどすものである。ところで、諸科学との対話をやめてしまった哲学は、もはやそれ自身にしか語りかけない。(中略)上昇的対話術は下降的対話術よりも容易であり、この下降的対話術においてこそ真の哲学者であることがはっきりあらわれることを、われわれはプラトンから学んだのではなかったか」]。リクールはここで「第二の航海」というイメージに訴えかけているが、プラトンはこの「第二の航海」によって、別の方法によって行なわれる研究、それどころか最初の研究において用いられた方法とは逆の手続きにしたがう研究をやり直すべきだとつねづね要請していた。たとえばプラトン『パイドロス』(99d)を参照。

 (17)「解釈学の課題」p.92, 115sを参照 [翻訳164-165頁、および論文「疎隔の解釈学的機能」の192-193頁]。循環的な理解のプロセスの理念については、自らF・アストの手引き書に立ち戻るシュライアーマッハーの第二の「学術対話」(1982年)を参照(F.D.E. Schleiermacher, Hermeneutik, H. Kimmerle (éd.), Carl Winter Universitätsverlag, 1959, ²1974, p.141)。

 (18)存在と時間II』第32節59頁参照。

 (19)著者自身以上にテクストを理解しようとする意図について、ジャン・グレーシュは次のように詳述している。「[著者以上に著者を理解せよという]テーゼは、ここではシュレーゲルやシュライアーマッハーといったロマン主義タイプの解釈学の言い回しが問題にされているのだろうと長いこと考えられ、テクストの明証性に抗うことがなかった。1940年以来、O・F・ボルノウはカント『純粋理性批判』の文章への注意を喚起してきたが、そこではこの格率が省略されずに述べられている。[…] このことはすでにヴォルフにおいても再確認される。[…] 「より多く理解する」という格率がヴォルフやその他の啓蒙主義の理論家によって無視されていないからといって、〈ここでは先の格率がロマン主義的な解釈学や同時代の哲学的解釈学の場合とはまったく別の事柄を指している〉という事実をけっして誤解してはならない」(J. Greisch, Le Cogito herméneutique. L’Heméneutique philosophique et l’héritage cartésien, Vrin, 2000, p.86s)。

 (20)存在と時間I』第6節57頁。リクール「解釈学の課題」167頁を参照。

 (21) (NdA) H.-G. Gadamer, Wahrheit und Methode. Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik, Mohr / Siebeck, 1960, ³1967.第2版と第3版の重要な「序論」をわれわれは考慮にいれることになるだろう。同時に以下も参照。Kleine Schrften, I et II, Mohr/Siebeck, 1967. [(NdE)ここで読者には、1986年のドイツ語版(Gesammelte Werke, Band 1, Hermeneutik I, Wahrheit und Methode. Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik, Mohr/Siebeck)のページづけを欄外に示したフランス語訳を参照していただきたい(Vérité et Méthode. Les grandes lignes d’une herméneutique philosophique, édition intégrale revue et complétée par P. Fruchon, J. Grondin et G. Merlio, Seuil, 1976, ²1996)。]

 (22)同様にガダマーも「外在化Entfremdung」という用語を用いている(たとえば『真理と方法』第2版のS.11とS.80)。「疎外」にかんしては本稿第4節(b)を参照。

 (23)帰属appartenanceという概念についてはとくにガダマー『真理と方法』のS.434ff.を参照。また本書収録論文「啓示の観念の解釈学」[リクール『聖書解釈学』収録、久米博・佐々木啓訳、ヨルダン社、1995年、172頁]を参照。

 (24)カント『判断力批判』の第一部第一編第一章「美しいものの分析論」を参照。

 (25)同じコメントは「解釈学の課題」[『解釈の革新』169頁]や「解釈学とイデオロギー批判」[同292頁]のうちにも見出されるだろう。また『真理と方法』の統合フランス語訳版が公刊された折に『リベラシオン』紙に掲載されたP・リクールの記事「ガダマー再来」も参照( http://www.fondsricoeur.fr/ )

 (26)問題となっているのは、「修辞学、解釈学、イデオロギー批判:『真理と方法』のメタ批判的コメント」と題されたガダマーのテクストにおける「テクストとかかわる存在」である[翻訳:ガダマー『哲学・芸術・言語 真理と方法のための小論集』、斎藤博 他訳、未来社、1977年、91頁]。ガダマーは同書でこの表現をO・マルクヴァルトに帰している。リクールは「解釈学とイデオロギー批判」[1973]においてこのガダマーのテクストを参照し、そのなかでガダマーと同じ論の進め方を論じている[『解釈の革新』、292-293頁]。たとえば彼が自らの解釈学的研究の成果によって「解釈学的経験は…もはや「テクストとかかわる存在」に限定されることはなかった、つまり方法のうちに組み込まれた解釈者のためにテクストへと問いかけたり解釈したりする手順に限定されることはなかった」と書いている点で、じっさいガダマーが「テクストとかかわる存在」を意図的に否定的な仕方で用いてることを付言しておこう(«Itinéraire de Hegel», Critique, 1981, nº 413, p.889; cf. L’Art de comprendre. Écrits I, op. cit., p.107)。「テクストとかかわる存在」はガダマーにおいては逆説的で批判的に用いられているが、リクールにおいてはきわだって肯定的な次元を占めている。

 (27)厳密に言うなら、影響作用史は歴史科学や釈義学の核心部で、テクストの効果の歴史、すなわち時代を通じてのその受容の歴史を言い表している。後にリクールは『真理と方法』におけるこの影響作用史が占める意味を詳述することになる。「地平の融合」にかんしては本節後半を参照。

 (28)カント「〈啓蒙とは何か?〉という問いへの答え」[1784]を参照。「あえて賢くあれ!自分自身の悟性を用いる勇気をもて!これが啓蒙の標語である」[翻訳『カント全集第14巻 歴史哲学論集』、福田喜一郎訳、岩波書店、2000年、25頁]。〈あえて賢くあれ〉とはホラティウスへのほのめかしである[Epistolae, I, 2, 40]。啓蒙主義にかんしては本書収録の論文「救済の神話と理性」のp.295を参照。

 (29)『解釈の革新』収録「解釈学とイデオロギー批判」295頁。

 (30)ハイデガー存在と時間II』38頁。

 (31)ガダマー『真理と方法』S.260.

 (32)リクール「解釈学とイデオロギー批判」308頁。

 (33)この論点が暗示しているのは、〈リクールが対象としているのが、いっそうガダマーらしい影響作用史的な意識という概念だ〉ということである。この主題に対し、次のように要請することでガダマーによってもたらされた決定的な詳述に注意が向けられることになるだろう。「影響作用史の意識にかんする私の章をふさわしいものとして読んでもらいたい。たとえば影響作用史を対象としてもってしまうような自己意識のあらたな様態をこの意識のうちにみること、つまりこの影響作用史に基づけられるような解釈学的方法をみることは排除される。むしろこの意識のうちで再認識されねばならないのは、われわれすべてがそのうちに存在する影響作用史によって意識が限界づけられているということである」(H-G. Gadamer, L’Art de comprendre. Écrits II, Herméneutique et champs de l’expérience humaine, P. Fruchon (éd.), Aubier, 1991, p.21)。

 (34)「解釈学とイデオロギー批判」304頁。

 (35)ヘーゲル精神現象学 下巻』、金子武蔵訳、岩波書店、1979年、1137頁。

 (36)ガダマー『真理と方法』の「作用(もしくは影響)史の原理」を参照(S.305-312)。とりわけガダマーによって提起された以下の問いが注目されるだろう。「理解する者が生きる地平と、理解する者が入れ替わるそのつどの時代ごとの地平という二つに区別される地平が存在するのだろうか」(S.309)。またガダマーがこの問いに与えた否定的な答えがとくに注目されるだろう。「それゆえ現在の地平は、過去ぬきには絶対に形成されない。征服されねばならないような歴史的な地平がほとんどないのと同様、それ自体で存在している現在の地平もまたほとんどない。むしろ理解するとは、それ自体で存在しているかに思えるそうした地平が融合してゆくプロセスなのである。(中略)伝統が優位を占めるとき、こうした融合はつねに行なわれている」(強調はガダマー。S.311)。

 (37)「解釈学とイデオロギー批判」307頁。

 (38)この文脈では、止揚は視点の不統合をあからさまに撤廃してしまうことを言い表している。

 (39) (NdA) R. Bubner, «Über die wissenschaftliche Rolle der Hermeneutik», Dialektik und Wissenschaft, Suhrkamp, 1973, p.89-111.[翻訳『弁証法と科学』、加藤尚武竹田純郎・伊坂青司訳、未来社、1983年、132-167頁] ブプナーによれば、解釈学の超越論的解釈のみがH・アルバートの激しい攻撃に応じることができる。H, Albert, Traktat über kritische Vernuft, Mohr/Siebeck, 1968 [翻訳ハンス・アルバート『批判的理性論考』、萩原能久訳、お茶の水書房、1985年]. Bubner, «Transzendentale Hermeneutik?», in R. Simon-Schäfer / W.Ch. Zimmerli (éd.), Wissenschaftstheorie der Geisteswissenschaften, Hoffmann und Campe, 1975, p.56-70.[翻訳『現代哲学の戦略』、加藤尚武竹田純郎訳、勁草書房、1986年、51-80頁]

 (40)『真理と方法』S.284.

 (41)『真理と方法』の「保守とは理性の行いであり、実のところ人に気づかれずにいるものの行いである」(S.286)を参照。

 (42)応用の問いについてはガダマー『真理と方法』のS.321ff.を参照。

 (43)以下、同様の説明は「解釈学とイデオロギー批判」のうちにも認められる。『解釈の革新』305-306頁。

 (44)『真理と方法』第三部「言語という導きの糸に即した解釈学の存在論的転回」を参照。

 (45) R. Bubner, «Über die wissenschaftliche Rolle der Hermeneutik», Dialektik und Wissenschaft, Suhrkamp, 1973, p.97. [翻訳『弁証法と科学』145頁]

 (46)『真理と方法』S.375-384を参照。

 (47) (NdA) この論争の関連文献はJ・ハーバーマス、ディーター・ヘンリッヒ、ヤーコブ・タウベスらによって以下のタイトルの下に集められている。Hermeneutik und Ideologiekritik (Theorie-Diskussion), Suhrkamp, 1971. さらに以下も参照。E. Betti, Allgemeine Auslegungslehre als Methodik der Geisteswissenschaften, Mohr/Siebeck, 1967 (Teoria generale della interpretazione, A. Giuffré, 1955).

 [*1]「解釈技術論」という名称について、ガダマーは1974年の論文「実践哲学としての解釈学」(『科学の時代における理性』収録、本間謙二・座小田豊訳、法政大学出版局、1988年)において次のように解説している。「解釈学は、解明、すなわち解釈Interpretationの理論Theorieないし術Kunstと理解されている。解釈学を表わす十八世紀の普通のドイツ語の表現〈Kunstlehre〉は、もともとギリシャ語の〈Techne〉の訳語であり、解釈学を、文法学や修辞学や弁証論といった、いわゆる〈学芸Artes〉と一纏めにするものである。ところがKunstlehreという表現は、実際にはさらに、こうした古代後期の教養の伝統とは別の伝統を、すなわち、遠いところから流れ出ている、今日ではもはや実際に生けるものではなくなっているアリストテレスの哲学の伝統を指し示しているのである。この伝統のうちには、十八世紀の末期までなおも命脈を保っていた《実践哲学(もしくは政治哲学)》があった。この実践哲学が、すべての「術」の、それらすべてが「ポリス」に奉仕するものである限りで、体系的な枠組を形作っていたのである」(73-74頁)。

 (48) (NdA) J. Habermas, «Zur Logik der Sozialwissenschaften», Philosophische Rundschau, 14, Beiheft 5 (1967). [翻訳『社会科学の論理によせて』、清水多吉他訳、国文社、1991年] 『解釈学とイデオロギー批判』に収録されたハーバーマスの論文は以下を参照。«Zu Gadamers Wahrheit und Methode», in Hermeneutik und Ideologiekritik, p.45-56. また以下も参照。«Der Universalitätsanspruch der Hermeneutik», in R. Bubner / K. Cramer / R. Wiehl (éd.), Hermeneutik und Dialektik, Festschrift für H.-G. Gadamer, Mohr / Siebeck, 1970, 1, p.73-104. なおこの論文は 『解釈学とイデオロギー批判』に再録されている。またハーバーマスの著作としては以下を参照。『認識と関心』、奥山次良・八木橋貢訳、未来社、2001年。『イデオロギーとしての技術と科学』、長谷川宏訳、平凡社ライブラリー、2000年。「コミュニケーション的競合の理論に関する拡大注記」、『批判理論と社会システム理論:ハーバーマス=ルーマン論争』収録、佐藤嘉一訳、木鐸社、1984年。

 (49)翻訳、G・ルカーチ『歴史と階級意識』、平井俊彦訳、未来社、1998年。フランクフルト学派のもっとも知られた代表者は、マックス・ホルクハイマーとテオドール・W・アドルノである。

 (50)ハーバーマス「認識と関心」(『イデオロギーとしての技術と科学』収録)、前掲訳書180頁。「…経験科学の理論は、さまざまな情報にもとづいて、できるだけ行動の結果を確実かつ広範囲に統制することを主要な関心事として、現実の解明へと向かうことが示唆される。これは、対象化された過程の技術的処理にかかわる認識関心である」。

 (51)歴史的・解釈学的な学問の分析については、ハーバーマスイデオロギーとしての技術と科学』の170頁と180頁および、『認識と関心』の●●●頁を参照。

 (52)カントとフィヒテについてはとくに『認識と関心』の「理性と関心:カントとフィヒテへの還帰」と題された第9章を参照。

 (53)ハーバーマスイデオロギーとしての技術と科学』187-188頁参照。また『認識と関心』●●●頁も参照。

 (54)イデオロギーとしての技術と科学』181-182頁。また『認識と関心』の最後の2章でハーバーマスは、フロイトニーチェの評定に取り組んでいる。

 (55)伝統については、『イデオロギーとしての技術と科学』180-181頁および191頁を参照。

 (56)言語、労働、支配は認識を指導する関心を生み出す三つの層である(『イデオロギーとしての技術と科学』187頁参照)。

 (57)ハーバーマスはガダマーへの批判において、言語が支配や社会的能力の道具として組織的暴力関係の正当化に加担していることを強調する。J. Habermas, «Zu Gadamers Wahrheit und Methode», Hermeneutik und Ideologiekritik, op. cit., p.52.

 (58)この段落のおおよその全体像は『テクストから行為へ』収録の「解釈学とイデオロギー批判」にも現われている。『解釈の革新』323頁以下を参照。

 (59)ハーバーマスはガダマーに対し、反省の力を誤認しているとして批判する。反省は伝統の発生を理解し、その結果、実践の教条的性格を問いに付すことができる。以下を参照。J. Habermas, «Zu Gadamers Wahrheit und Methode», Hermeneutik und Ideologiekritik, op. cit., p.48.

 (60)エルンスト・ブロッホ『希望の原理』、山下肇 他訳、白水社、2012年。

 (61) (NdA) K.-O. Apel, «Szientistik, Hermeneutik, Ideologiekritik», Wiener Jahrbuch für Philosophie I (1968), p.15-45. この論文は『解釈学とイデオロギー批判』およびアーペルの論文集『哲学の変貌II』に収録されている [翻訳:アーペル「科学の論理・解釈学・イデオロギー批判」、『哲学の変換II』(全二巻)収録、磯江影孜訳、二玄社、1986年、177-220頁]。以下も参照。Th. Kisiel, «zu einer Hermeneutik naturwissenschaftlicher Entdeckung», Zeitschrift für allgemeine Wissenschaftstheorie 2, 1971, p.195-221. G. Radnitzky, Contemporary Schools of Metascience, Akademiförlaget, 1968.

 (62)この二つのテーゼは前掲の「科学の論理・解釈学・イデオロギー批判」において展開されている。アーペル『哲学の変換II』●●●頁。

 (63) K.-O. Apel, La Controverse expliquer-comprendre. Une approche pragmatico-transcendantale, trns. S. Mesure, Cerf, 2000 (1979).

 (64) C. G. Hempel, «The function of general laws in History», The Journal of Philosophy, 39-2 (1942). カール・ポパー『科学的発見の論理』、大内義一・森博 訳、恒星社厚生閣、1971年。

 (65) (NdA) W. Dray, Laws and Explanation in History, Oxford University Press, 1957. ダントー『物語としての歴史』、河本英夫訳、国文社、1989年。[なおダントーのこの著は、2本の論文をあらたに加えて1985年に『語りと知識』として増補改定されている。A. C. Danto, Narration and Knowledge, Columbia UP, 1985.]

 (66)アーペル「言語と秩序:言語分析 対 言語解釈学」(『哲学の変換I』収録)●●●頁。

 (67)アーペル「ウィトゲンシュタインハイデガー:存在への問いと、あらゆる形而上学は無意味なのではないかという疑惑」、『哲学の変換I』収録、●●●頁。「生活形式」については、リクール「隠喩と解釈学の中心問題」(『解釈の革新』収録)106頁。

 (68)ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、114頁。「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」。アーペル「ウィトゲンシュタインと解釈学的理解の問題」(『哲学の変換I』収録)も参照。

 (69)実践praxisについては、本書収録の「解釈学の問題」第4節「行為理論の倫理的含意」(未邦訳)を参照。

 (70)この段落はアーペルの「科学の論理・解釈学・イデオロギー批判」のうちで表明された理念を要約している。『哲学の変換II』●●●-●●●頁。

 (71)われわれはリクールが以下のように書いた当初のテクストを変更した。「過去の規範と現在の状況とを〈媒介するmédie〉〈応用〉として理解する…」

 (72)アーペル「科学の論理・解釈学・イデオロギー批判」(『哲学の変換II』収録)●●●頁を参照。

 (73)上掲書●●●頁以下を参照。