un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

J・フリュフトル/J・ツィンマーマン「演出化の美学- 社会的、個人的、文化的現象の諸次元」(2001)

[以下は、Josef Früchtl und Jörg Zimmermann, »Ästhetik der Inszenierung. Dimensionen eines gesellschaftlichen, individuellen und kulturellen Phänomens«, In: dies.(Hg.), Ästhetik der Inszenierung, Frankfurt a.M. 2001, S.9-47.の試訳。[ ]と[*]で本文中に挿入した解説と注は訳者による。また〈 〉のくくりも文意をはっきりさせるために訳者が挿入したものである。].

 もともと演劇の概念であった「演出化」は、19世紀以降、社会学や心理学や現代芸術のさまざまなジャンルなどで広く用いられるようになり、それぞれの領域で独自の問題系や芸術現象を形成するにいたった。本論文はそうした問題系や芸術現象を個別に拾い上げながら、けっして統一的には定式化できない「演出化」概念の内実を具体的に示している。扱われている時代が20世紀に限定されているため、シャフツベリやルソーの演劇論など近代の議論にはほとんど触れられないが、現代の「演出化」概念の問題状況を見通す分には十分と言える。

 

 

 

                 演出化の美学

 社会的、個人的、文化的現象の諸次元

                         J・フリュフトル/J・ツィンマーマン

 

 

 「そこまでの演出化はまったく行われていなかった」と人は思いたくなる。どこへ行こうとどちらへ向こうと、芸術、学問、政治、大衆文化、スポーツ、宗教、自然、もしくはたんなる日常領域など、そのほとんどいたるところで「演出化」という要因が執拗に頭に浮かんでくる。スーパーのBGM、色とりどりにきらめくスクリーン、いわゆる新メディアなど、演出化はいたるところに見られる。こうした現象すべてに意識が向けられることはほとんどないとはいえ、ここ一五年の学術書のタイトルや副題をみるなら、そこで明らかにあらたな主導概念が打ち立てられていることに充分気づくことができる(1)

 こうした現象に直面して関心を惹くのは、とりわけ二つの問いである。一つはこの情勢の理由への問いであり、もう一つは演出化概念の説明値への問いである。では演出化をめぐる目下の情勢はどのようにして概念化され得るだろうか。演出概念それ自体がその説明値に約束するかに思えるものは維持可能だろうか。まず意味論的にしっかり残されているのは、演出化の概念は演劇概念の環境に属しているということであり、歴史学的に想起されるのは、この概念が一九世紀の初めにようやく登場し、その二〇年代から三〇年代にかけてフランスで形成され、およそ同時期にドイツで市民権を得たが、それが編曲者から芸術家にいたる演出家の躍進の時代(2)であったのはおそらく偶然ではないということである。現代理論によって整理された哲学的な視座から、このアクチュアルな問いに対する答えとして(内的に細分化されているとはいえ、重複してもいる)[社会、個人、文化という]三つの説明の平面が提供される。

 

 

1.社会的な平面

 

 人々が自らの共同生活を律するやり方で社会的な共通性がその効力を発揮しているがゆえに、社会的平面はまず社会学の対象となっている。演出化の主題系は比較的多くの理由から長いこと社会学に知られているが、それは社会学が体系的に役割という根本概念を扱い、その他の社会・文化科学と同様、発見的に劇場性を扱い、さらにこうしたことを越えてとりわけ文化社会学の権限で生活スタイルを分析し、最終的にはソースティン・ヴェブレン[1857-1929, アメリカの社会・経済学者]ゲオルク・ジンメル以来、流行というテーマそのものを発見したからである(3)

 

 (a)たしかに役割概念は社会学によって用語として造語されたが、隠喩的な意味ではすでに古代西洋哲学において使用されており、とりわけ一七世紀以来、世界劇場theatrum mundiという論点の文脈で知られている(4)プラトンは劇場の領域から生活実践の領域へと移し変えられたものとしてこの役割概念をすでに認知しており、法に関する対話篇において人間の役割(トロポス)を、神々にもてあそばれる玩具であると自ら気づくことのうちにみている。それ以後、役割の倫理をきっちり定式化したのはとりわけ禁欲主義者である。すでに彼らは決定と自律との相克を知っているが、役割概念が用意する作用空間に自律を限定したために、役割概念そのものが変更されるほどこれを拡張してはいない。この概念の拡張が行われるのはようやく近世の初めになってからであって、それはモンテーニュが自らの人格と宮廷社会のうわべ付き合いとの分裂として先の相克を捉えるときである。これ以降、力点のおかれ方はさまざまではあるものの、[役割概念への]論評は役割の関わり合いについての議論を規定してゆく。ルソーにおいてその議論は受苦の観点から先鋭化された形式で現われるのに対し(「私はいっさいの役割を演じなかった。じっさい私はありのままの私であった」)、カントにおいては文明化の装いをまとっている(「人間は総体として、文明化すればするほど俳優になる」)[『実用的見地における人間学』]。たとえばシェリングにおいて歴史哲学的な論評は、役割を演じる状況を歴史に限定して説明している点で[自身と役割との分裂に対する]解決策を提供している。さらにこのことは社会理論の枠内でマルクスにも当てはまるのだが、一方でそれは「人物性格の仮面」を生み出すのが社会そのものではなく、ある特定の社会、すなわち資本主義社会であるからであり、また他方でこの状態を克服するのはプロレタリアートの「世界史的役割」であるからである。最後にニーチェにおいて、役割概念は人格の固有性にとっての近代的証拠という位置づけから解き放たれ、ソフィスト的・対話的な言い回しではあるものの、ルソーに対するアンチテーゼを表明している。すなわち役割ないし仮面の背後に本物は隠されておらず、むしろ仮面こそが本物なのである。「仮面においてのみ人間は完全に本物である」。同時期にオスカー・ワイルドが表明したように(「人は自分自身の人格において語るとき、まったくと言っていいほど自分自身ではない。彼に仮面を与えれば、真理を語るだろう」)、また後にヘルムート・プレスナーが人間学的に豊穣なものとしたように(5)、ここでは安全装置としての役割概念が発見されている。

 しかし、演出化概念が文化・社会科学的にますます影響力を拡大していることに対して役割概念がどの程度の寄与をようやくなすようになったかについて言うなら、一方で役割概念はその隠喩的意味においてポストモダンの思想がもつニーチェ主義により注目されるようになり(これに関しては以下の第三節(b)を参照)、他方で役割概念はアーヴィング・ゴッフマン[1922-82, 演劇論を社会学にはじめて持ち込んだアメリカの社会学]によって用語法的・社会学的な意味で形成され、最近ではリチャード・セネット[1943- アメリカの都市社会学]によって文化・社会科学的な観念として理解されて劇場性の観念へと再統合されている。

 社会学の役割概念は五〇年代から六〇年代において、こだわりすぎている観はあるものの大きな重要性を享受する(6)。たとえばアドルノの批判理論が疎外現象を説明するために人物性格の仮面というマルクス的な意味で役割概念を用いる一方、この概念はとくにゴッフマンのような理論家には理論戦略上の鍵として現われている。ゴッフマンの書『日常生活における自己呈示』(一九五九年)[邦題『行為と演技』石黒毅訳、誠信書 1974]は、十年後のドイツ訳において『われわれはみな劇を演じている』というタイトルにされたのだが、それは時がたつにつれ[原題と]一緒くたにされて一般化された標語に成り果ててしまった。そのさいゴッフマンはこのように[自著のタイトルが]一般化されるとは夢にも思っていなかった。彼が意識していたのは、劇場のケースではモデルと隠喩が問題になり、それらは一方で(美学的な意味での劇場と社会的なものの領域との)類似性を発見するのに役立つが、比較されている[劇場と実社会という]二つの領域のそのつどの特別箇所を際立たせるのにも役立つということである。そしてこの特別箇所に属するのは、〈社会的なものの領域では行為する人格が自由に使える確固としたシナリオなどは一切ないために、劇場は「人生」というよりはそれを観る者の一つの視座にすぎず、いくつもあるうちの一つのモデル、すなわち直接的な相互作用がなされる特定の平面においてではあれ、そこでもっともうまく機能するモデルにすぎない〉ということである。物理的に実在する人格たちは、この平面上で行為し相互に作用し合っているが、彼らは二重に強制されている、すなわち「実際にとる態度」を認識させられる一方で、自らが何をどのように起こそうとしているのかとして[この態度を]認識させられもしている。このように人格は、身体現出や服飾や話し方のような表出要素に着目し、また「イメージ」を、それゆえすぐに読み取ることのできる特徴的な簡潔表現のようなものを自らに与えざるを得ない。直接的な相互作用の平面から引き離されれば引き離されるほど、劇場モデルはそれだけ不安定なものとなる。しかしこの直接的相互作用の平面にとどまるとしても、劇場観念はたとえばブルデューが展開した「ハビトゥス」のような別の観念によって補強されなければならない。というのは、こうした観念(社会的に産み出された身体的な性向としてのハビトゥス、いつもあらたな行為を生じさせるための図式としてのハビトゥス)によって、〈なぜ人格の行為は暗記学習の教科書や実践されるべき台本のように現われることがなく、完全に自由な一連の決断のようにも現われることがないのか〉という問いがよりよく説明されるからである。以後、行為する者は外から規定されるだけでなく、つねに自分を規定する者ともなり、これを伝統的概念の「判断力」が支持する。判断力は(規則や法といった)一般的なものを具体化すると同時に、これを革新的に拡大させる。社会的行為者が思いがけない状況に反応し、ゴッフマンも言うように「救う」ことができる限り、判断力は俳優と区別される彼らが舞台やスクリーン上にもいることを示してくれる。

 それゆえ社会・文化科学的なレベルで劇場性モデル(と今日では演出化の観念)が自らに期待されている説明値を有するのは、このモデルが他のモデルによって概念的に補完される場合だけである。しかしいずれにせよ、このモデルはそのつど具体的に分析されるさい、特定の歴史的・文化的な文脈において保証されねばならない(7)。もっともこのことは、かの書物による制限つきでのみ主張できることである。その書物とは、この文脈において劇場性モデルにもっとも多くの公然の名声を与えたセネットの『公共的人間の凋落The Fall of Public Man』(一九七四年)であり、その結論部での考察「親密さの専制」[*1]は見出し語としてすぐに広まったのだった。セネットが公共的な生活の(一九世紀に始まった)凋落と(二〇世紀に現実化した)終焉という診断を下すのは、人間が本質的に俳優として登場し、表出が感情描写とみなされていたアンシャン・レジームの公共性に定位することによってである。一八世紀は歴史学的な開始点をかたちづくるのと同様、「公共的表出」というセネットの理論にとって基準となる結節点をもかたちづくっており、その理論は言葉や服装といった公共的な態度における具体的な出来事を基礎とし、ゴッフマン学派の仕事を徴候分析としてのみ取り上げ、最終的に『孤独な群衆』(一九五〇年)[加藤秀俊訳、みすず書房 1964]におけるデイヴィッド・リースマン[1902-2002, アメリカの社会学]の中心テーゼを逆転させたのだった。すなわち[リースマンの主張とは逆に]西洋社会は、人間が行為し義務を負う場合に自らの内的確信を引き合いに出すような「内部指向的」な社会から、人が他人の意図をどれくらい高く評価するかに依存して行為がなされるような「外部[他人]指向的」な社会への道行きにあるのではない。われわれの社会はむしろ、ナルシズム的自己の命令やその思い上がった信憑性の下にすべてが置かれているというあらたな意味で内部指向的なのである。こうしたことを背景に公共性の歴史は凋落へと一直線に進む歴史となり、この歴史は、劇場性モデルを用いるだけで適切であったかどうかだけでなく、「代表的呈示の公共性」[ハーバーマス『公共性の構造転換』]を伴うアンシャン・レジームから一九世紀の市民社会を超えて現在にまでいたる時代の特殊性を正当に評価しているかどうかを自問しなければならない(8)

 

b)演出化が社会的な平面で効力を発揮する二つ目の巨大な領域は、文化社会学的な生活スタイル分析である。この場合、文化とは生活形式、生活様式way of life, 日常構造のことであり、それらは個人と社会との緊張の場においてほとんど決まった表現で語られることがなく、個人や階級集団、階層集団、身分集団、境遇集団などによって分析される。そこでは三つの読み方が目下の研究文献を規定している(9)ピエール・ブルデューは生活スタイルのうちにそのつどの階級帰属性にとってのもっとも優れた表現をみている。その研究書『自由な差異』(原著:一九七九年)[邦題『ディスタンクシオン-社会的判断力批判石井洋二郎訳、藤原書店 1990][*2]ブルデューは文化を、すなわち彼によれば卓越化形式の領野を、経済的な富と並んで階級構造を再生産する主要な手段として観察している。まさに「趣味」のうちに、つまり主観的なものとして現われるこの価値判断のうちに、言葉の二重の意味での人格の「階級/等級Klasse」が認識される。文化は身分闘争における(卓越化の)手段となる。これに対しウルリッヒ・ベック[1944-, ドイツの社会学]はその書『リスク社会』(一九八六年)[邦題『危険社会-新しい近代への道』東廉・伊藤美登里訳、法政大学出版局 1998]において、生活スタイルの複数化から孤立という意味での個人主義化のプロセスを導き出している。個々人は国民、階級、家族への伝統的な帰属性から離れ、いわゆる自己負担で生活をするが、労働市場や社会国家[社会の矛盾を排し国民の生存権の保障を旨とする国家]なしでは済まされず、これらがあらたな依存の審級として古き依存の審級にとって代わる。そうなると確かに社会的な不平等を廃止するのではなく、おそらく徐々に階級社会を廃止するようになってゆく。もっとも個人主義化する社会においてはリスクも巨大になるが、それはこうした社会があらたな機会と依存対象をもつ個々人を単独化させてしまうからである。これ以後、生活スタイルはそのつどの社会構造的な文脈に数え入れられなくなるか、もはやほとんどそうされなくなる。最後に第三の立場に立つのがゲルハルト・シュルツェ[1944-, ドイツの社会学]とその文化社会学の研究書『体験社会』(一九九二年)である。シュルツェは生活スタイルの複数化を階級構造化の特徴としても個人主義的な構造変移Entstrukturierungとしても解釈せず、むしろあらたな社会的細分化として解釈する。上昇志向の階級社会の命法がまだ「生ある限りなり得るものになれ」としていたのに対し、あらたな命法は「君の人生を体験せよ」となる。(壁が崩壊する以前の)八〇年代の西ドイツのように、高度成長による豊かな社会を当然のようによしとする社会では、幸福や首尾よい生活への旧式の哲学的問いは大衆現象となっている。しかしシュルツェはそこから個人主義化のプロセスやそれに伴う社会的なものの解体を導き出すことはしない。彼はむしろ、スタイルの類型や生活時代や教養によって区別され、かつての階級区分がかすかに残る等級づけを形成するさまざまな「境遇」を明確化してみせる。

 もちろん、これら三つの理論を区別するにしても注意されなければならないのは、社会的卓越化の概念においてであろうと、個人化の概念においてであろうと、体験枯渇の概念においてであろうと、自己展開の意味論がこれら三つの理論すべてにおいて傑出した意味をもっているということである。そしてそこに切れ目なくつながってゆくことができるのが、「自己演出」という合言葉の下での演出化の主題系である。シュルツェは資料をふんだんに利用して練り上げられた研究に続けて、道徳教育的な方向へと進む社会学的エッセイへと移ってゆき、その最新著『幸福の舞台裏-イベント文化の概観』(一九九九年)において、〈現在の「演出化」は「虚偽ではなくむしろ戯れ」であり、「欺く」のではなく「形を変えよう」としているのであって、「人間は自らを引き立たせるsich in die Szene setzenことによって自分自身を実現させる」というところにその「本質」がある〉と注記している。またシュルツェはどうしてそのようになったのかの問いに対し、現在の「自分自身に対する自己の不明瞭さ」[という洞察]によって答えている。この洞察は豊かな社会の結果としてふたたび看取されるもので、そうした社会において人はもはや「人生を通じて戦う」ことがないために、諸条件との対立の中で自分自身のプロフィールをもはや獲得する必要がない(10)。以後、自己の演出化は自己発見や自己同一性の保障のアクチュアルな戦略、画期的なまでに先鋭化された実存的必然性であり、たんなる欺きではまったくない。自己が自分自身とみなされればみなされるほど、また自己が根本的に、つまり伝統を背負いつつも別のものに依存しなくなればなるほど、自己はますますこうした戦略を必要としているように思える。

 もちろん、個人と社会との関わりの第四の読み方もなおアクチュアルである。それは、かつては歴史家と理解されていたが、社会学にも比較的大きな影響を及ぼした哲学者ミッシェル・フーコーの筆に由来する。彼はその著『監視と処罰-監獄の誕生』(一九七五年)と『知への意志-性と歴史』(一九七六年)において、「規律化」という中心概念の下でマックス・ヴェーバーのテーゼをあらたに審理する権力分析を提起した。両者とも人間の規律化に直面した個々の暮らしの転換を分析しているが、それは合理的・技術的知識の増大という範型の助けと、切り詰められることなく捉えられるべき多様な合理化技術の「親和性」によって導かれる手法の助けを借りてなされている。そのさいフーコーにとって規律化は内向化の帰結であって、そのモデルを務めているのがジェレミ・ベンサムによる一七八七年のパノプティコンである。それはリング状の監獄施設の設計図で、この監獄施設が中央の監視塔の周囲を取り巻くように設置されているため、すべての収容者が看守から見えるようになっており、収容者から看守を見ることができないためにけっきょくのところ看守は余計ですらある。自己制御こそがパノプティコン的でかつ全体化的な社会での要求であって、そうした社会では人は永遠に監視されていることを自覚している。その点で個々人の生活空間は「小劇場」であるが、ギリシャや古代社会のように現代社会は「演劇」の社会ではない。それは演劇が群衆から僅かに見つめられるにすぎないのに対し、逆に現代はごく僅かな者もしくはたった一人に多数への眺めが保障されているからである(11)

 もっともフーコーは、こうした対比と共に[自らが行った]個人と社会との関わりの第四の読み方をも一九八四年に公刊された二巻本の最新著『性と真理』[『快楽の活用 性の歴史2』と『自己への配慮 性の歴史3]においてある点で撤回している。いまやフーコーは主体性をたんに下に投げられたものとしての基底に置かれたものsub-jectumという言葉通りの意味で理解しておらず、むしろ「自らとの関わり」として、つまり自ら自分自身と関わることのできる実在Entitätとして理解している。もはや主体はたんに特定の権力や知性によって形成されることはなく、自らの統御のあり方に自分から関わることができる。「倫理へと導かれる」道徳が古代ギリシャにおいて形成されたように、こうしたことはこの古代ギリシャ的な道徳において可能であって、その一方、「コードへと導かれる」道徳がキリスト教によって西洋世界に持ち込まれたように、そうしたキリスト教的な道徳は、統制的で後に規範化する局面のために個人主義化する局面を抹消する。フーコーは範例的妥当性に基づく個人主義的な古代の道徳に「存在の美学」という題目を与えているが、同時にこの道徳を現代の視座、いわば反近代・超近代の視座(フーコーにとってポストモダンという概念はひどくもつれたものとして現われている)から見ている。それは、この道徳がボードレールニーチェにおいて、すなわちダンディ崇拝や〈喜ばしき知識〉の格言において具現化されていて、人生に「スタイル」を与えているのと同様である(12)

 権力や知の次元から主体の次元へとフーコーが研究方向を変更したことは、理論の一貫性という点で、あちこちに漂流する彼の権力理論の構成要素をよりうまくまとめ上げる利点を有している。『監獄の誕生』の背景に基づく場合、フーコーは自己強制における外来強制の変容という内向化の中心的メカニズムを説明することができなかったが、それはフーコー自身が述べているように、彼のこの議論がたんなる権力以外のものによって構成される強制の形式を前提にしているからだけでなく、受動的に矯正され操作される大衆以上のことを意味する主体の観念をも前提にしているからである。もはやただコードに基づくのではない道徳によって後期のフーコーは、ふたたびブルデューハビトゥス観念と類比できるような決定論と自律との中間平面を提供してくれる。ハビトゥスが態度の性向として、行為を生み出すために獲得された図式として把握されるなら、なにゆえ個人の行動が一方で(言葉の二重の意味で)指示された/前もって書かれたvorgeschrieben本のように現われず、他方で完全に自由なものとしても現われないのかが説明可能になる。しかしこのことは、演出化の観念にとっても一つの結論となっている。というのは、もし個々人の「登場」する以前にすでに確定している「台本」のたぐいが問題にされないまま、彼らがその台本に従わざるを得ない場合、すべてを包括する説明モデルとしての演出化モデルは根本的な困難に突き当たるからである。むしろここで演出化モデルの説明値は、すでに上の役割概念の文脈で述べたように、限界づけられたものとしてもう一度示されている。

 

 

2.個人の平面

 

 再度アクチュアルなものとされた役割の社会学や大規模な劇場性モデルや最近の文化社会学による生活スタイル分析などの助けを借りることで、社会の平面での演出化概念の情勢が模写されると同時にその説明値が相対化されたわけだが、今度は人格・個人の平面で人間学的・心理学的な側面が前景に出てくる。人間学的な議論とふたたびこれにつながる社会学的な議論が、人間を行為者とみなす構成的な演出化の機能を示して、現今の演出化概念の全体化的使用をあらためて相対化するのに対し、心理学的な議論はとりわけ、色あせて形而上学的なきらいのある、「演出化」の反対概念としての「真正性Authentizität」という見出し語のもとでなされている。

 

 

 (a)カントは『実用的見地における人間学』(一七九八年)において「エゴイズムについて」の節を次のような文で始めている。「人間は自我によって語りだし始めたその日から、自らが許す限りの愛された自己を現わす」。カントがここで語っている〈愛された自己が現われること〉は、その見かけに反して「演出化」とまったく関わりがないし、いずれにせよエゴイズム的な自己演出とは関わりはなく、せいぜいナルシズム的な自己演出と関わるくらいである。この自己の現われはむしろ、「人間が他人に対して根本的につねにすでになしている自己解釈の陳列化である」(13)がゆえに、文化的ではなく人間学的に条件づけられた心理学的ふるまいである。もっともカントはその文化的な決定要因や肯定的で道徳的な作用も知っている。「容認される道徳的見かけについて」の節でカントは先と同じ文脈で次のように記している。「人間は総体として、文明化されればされるほどますます俳優になる。人間は傾向性や他人の尊重や非利己性の行儀よさといった見かけを身につけるが」、決定的であるのは「それによってどこの誰かを騙すことがない。なぜなら他人の誰もが、この見かけ上では心から思われていないことをそのさいに承知しているからであり」、さらにカントは評価しながら続けて「また世間がそうであることは極めて具合がいいからだ。というのは人間がこの見かけの役を演じることによって、最終的に徳がだんだんと実際に呼び起こされ(徳は長い間をかけてその見かけを無理に作り出していたにすぎない)、心術Gesinnung[*3]となるからである」。

 文明的な役割概念や人間的な演出態度の人間学的側面は、ヘルムート・プレスナーの哲学的人間学において明確にされている。プレスナー人間の条件が「脱中心的位置exzentrische Position」であり、人間は自らに対して距離をとることで成立するあり方をしていると規定しているが、こうした彼の規定は演出化の観念にとって基礎的な機能を有する。それはいまや演出することの可能性必然性が明白だからである。動物と異なり人間は、脱中心的な位置において自分自身に対峙し、肉体Leibであるのみならず身体Körperをもつ者でもあって、それゆえ内的ま状況に委ねられるだけでなくいわば外部からも与えられているのだから、人間は自分自身を現わし特定の側面のもとで自らを示すことで自分自身と対面することができ、またそうしなければならず、かくして人間はいわば他人の目に触れ、そこに映りこむことになる。このことからプレスナーにおいて人間はその本性上、俳優なのである。これとまったく同じ意味でヴォルフガング・イーザーも、フィクション的なものと想像的なものとを文学の人間学的な成立条件として展開する試みの枠組において、人間の自己陳列としての演出化について語っている。ちょうど人間は自らの脱中心的な位置に「いる」がそれを自ら「保持」していないのだから「演出化は人間の本性上、対象化できないものを現わしてくれる」。その点で演出化は、〈つねに自らに先行して存在し、(ヘーゲルの言い方を借りれば)「分裂」ないし「二重化」の構造に基づく対象化され得ないもの〉を含んでいる。自我のように人間はいつもすでに[意識する自我と意識される自我の]二人いて、個々の規定によっては把握され得ない。しかし何かが演出化に先行して存在しているというのは人間学のみならず、論理的・意味論的にも主張可能である。なぜならもし演出化自体が自らに先行して存在するものであるなら、先行して存在するもの、「基体Substrat」、必然的に[他のものの]基底に置かれるがけっして[他のものの上に]「置か」れない実体といったものも、完全に演出化されることになってしまうからである。演出化について有意味に語れるのは、演出化でないものが同時に基底に置かれている場合だけである。こうした理由からも、イーザーと共に次のようなことが述べられる。「どの演出化も演出化ではないものから成り立っている。というのは、演出化のうちで素材とされるものすべては不在のものに仕えているからであり、そうした不在のものはなるほど存在者によって生き生きしたものになるが、自分自身は現在に存在することを許されていない。そのさい演出化は[実体と演出されるものとの]二重化の形式そのものであるが、とりわけそれはこの二重化が止揚不可能なものであるという自覚がそこで支配しているからである」(14)

 これらのことから三つの帰結が導かれる。第一の帰結として演出化カテゴリーの[すべては演出であるという]全体性要求は、文化科学的な議論の主導概念としてのその野心満々の性格をあらためて制限されざるを得ない。意味論は演出化の議論に〈演出されないもの〉を指摘する。ウィトゲンシュタインと共に言うなら、概念の使用を正当化する言語ゲームの規則は、この場合でも失効するどころかむしろ間接的なかたちで証明される。「すべては演出である」というような言い方は、哲学上のそのオリジナルである「すべては仮象である」と同じくらいに矛盾している。演出化の概念は、現在のところ同じくらいに大いに関心を呼んでいる構築の概念とそっくり同一視されてはならない。やはり仮象や演出と同じように構築の概念も、自分自身を含む全称命題の文脈で現われるとき(「すべては構築である」)、約束されるその内容を保持することができない(15)。しかし外延の論理から言えば、構築の概念は演出化の概念よりも広い。〈世界(少なくとも社会的世界)は構成されている〉という言い方は、〈世界は演出化されている〉という言い方よりも多くのものを包括している。どういった演出化も〈現わすことZur-Erschenung -Bringen〉として構築であるが、逆にどういった構築も演出化であるとはいえない。それは、演出化はいくつかの差異を抽出するために遂行されるのであって、限定された空間の中で意図をもって観衆のためになすものと規定されており、人目を引くことや影響に基づいて考慮されるからである(16)[演出化に関する]哲学的人間学な言説はさらに抑制的な同一方向へと突き進んでゆく。これらの言説の普遍史的妥当性に対して疑念が持ち上がり、人間的な演出態度の可能性と必然性が文化史的に看取されるにもかかわらず、哲学的人間学の言説はたんなる対立の意味でも(欺く演出化vs装わぬ真理)、同一化の意味においても(演出化は真理であるがゆえに、真理は機能なき概念である)、単純化に対して敏感に反応する。

 これによって第二の帰結がすでに持ち出されている。哲学的人間学を背景とすることで、演出化の観念は自らに「敵対的」な変種や「脱差異化」された変種にとって代わられるのでもなく、プラトン的でニーチェ的な変種やポストモダン的な変種にとって代わられるのでもなく、むしろおそらくは「補完的」な変種に、とりわけアドルノが実演して見せたような弁証法的な仕方にとって代わられる(17)。演出化は自らが現わすものをまったく誤ることがなく、唯一の真なるものを「人間性質Wesen」の真理と対立させることもなく、また無差別に[他の]「人間性質」へと移ってゆくのでもなく、むしろ唯一の真なるものと同価値の相手方である。

 最後に第三の帰結は「現前の美学」に関係していて、その輪郭はようやくちょうど浮かび上がってきたところである(18)。すなわち現前の美学は、哲学・人間学を背景にする場合、構造主義的に言いかえれば補完的な演出化構想を背景とする場合、けっして神学的・形而上学的な含意を伴って登場してはならない。偉大な他者(神、絶対者、無意識、言い表し得ないものとしての崇高)の現われに熱心に没頭する代わりに意識されていなければならないのは、存在するものと不在のもの、現在と非現在との両極的で「弁証法的」な関わりが認識理論的に演出化を成立させ、両者の神学的・形而上学的な関わりはこの認識論的な側面の越出以外の何ものでもないということである。

 

 (b)ドイツ語圏では今日にいたるまでほとんど鑑みられてこなかったその著『誠実の終焉』において、ライオネル・トリリング[1905-75, アメリカの文芸評論家]は七〇年代の初めに二つのテーゼを展開している。すなわち、①:ヨーロッパの道徳的な自己意識は歴史のある特定の時点、すなわち近世初期において「誠実さscincerity」というあらたな構成要素をめぐって示され、これは公的に共有された感覚と実際の感覚との一致や自己自身に対する忠実さと関係している。②:この構成要素は過去四〇〇年でますます(トリリングにとってはまったく嘆かわしいことだが)押し戻されてしまい、それどころか皮肉なことに[今では]「真正性authenticity」という尊大でほとんど喜ばしくない誠実さの名の下にある(19)。もっとも「真正性」は統合的な現象ではなく、トリリングはそのさまざまな形式の変化を追求している。一七世紀のモラリストたちの主題として始まるものが経験されるのは、一八世紀の中頃のディドロと作曲家ラモーの役立たずの甥との対話においてであり、ルソーの著作においてその最高点が経験される。一方は優柔不断で、もう一方は断固として非難をこめているこの両者が共に明確に語るのは、社会はロールプレイに、つまり不誠実さに基づいているために、人格上の統一性がほとんど不可避的に失われているということである。以来、徹底した文化批判の戦闘合図は「われわれの真正性を破壊するのは社会である。それは社会がわれわれを他人の意見に依存させるからだ」となる。サルトルの有名な文句「地獄とは他人である」[『出口なし』]において、非真正的なものの原理は最終的に二〇世紀になってはっきりと定式化される。その他の定式化は金、機械的なものの、もしくは意識のうちにこの原理を把握する。しかし、とりわけ一九世紀になってショーペンハウアーマルクスニーチェイプセン、そして最終的にはフロイトによってひときわ代表されるあの「暴露者たち」の伝統のうちで人はつねに振舞うようになる。とうとう人間は自らの真正性のことをあまりに心配しこれを求め続けるので、人間は反精神病院の潮流のように、一見すると(一見だけではないが)重い病気や際限のない混乱が支配している狂気において本物や本来性をまだ探し求めている(20)。これに対しトリリング自身はディドロ、ヘーゲルゲーテニーチェオスカー・ワイルドと共に、文明化された人間的ふるまいの必然的な構成要素としての「仮面」や自己の「疎外」を主張しており、同様にプレスナーも人間学に基づきながらそれ以上のことを主張している。疎外されない存在、自然、言説以前のものや社会的役割、文化、言説・象徴の秩序などが[トリリングにおいて]それぞれ交互に参照されている。

 現在のところ、真正性とは真逆のものも暴露化の伝統のうちでふるまっているが、それらが従っているのはニーチェという特定の伝統であり、正確には特定の時期のニーチェフロイトの伝統であって、フロイトラカンの眼鏡を通じて読まれた限りでのフロイトである。これ以後、本物であるのは本物でないものだけになり、真正なのは演出されたものだけとなる。真正なもの、ルソー的素朴さをヘーゲル風に言うなら、〈あらゆる演出化以前にある「直接的」な生は虚構である〉となろう。公共性の領域、つまり社会に相当する「外部」の領域では仮面舞踏会が予告されている一方、まごうことのないものとしての真正なものがプライベートなものの領域に、「内面」という社会的に定義された領域に属しているというイメージは、一八世紀に産み出されたその歴史的前提条件のうちで発掘されるが、その前提条件は公共性とプライベートとの(ポスト)近代的な関わりにとって十分なものではなくなっている。実際、このことは多くの日常現象のうちに、たとえばちっぽけではあるがいたるところでみられる「携帯電話」の現象のうちに観察される。この「携帯電話」は「今日でもなお「真正」な(と誤解されている)態度と演出化との区別がどれほどつきにくいかのとりわけ直観的な例証」である。というのは、「携帯電話」が鳴る瞬間(そのさい「鳴るklingeln」という言葉は、キンキン響き、笛のように鳴り、つんざくような一連の人工的・電子的で、おもちゃの缶を思い起こさせる音を、ぎこちなくも親切に言い換えている)、あらゆる人の注目が「この携帯電話に応答し不意を突かれている当の人格に向けられる」からである。それはつまり、自らの意志の決心によることなく純粋な状況によって、あらゆる人の注目が「観客(その他の居合わせる者全員)の前で小劇を演じる女優に対して」(21)向けられるということである。自我は、他人との平等から自らが際立ってくる状況のうちで自分自身を享受しているが、そのさい自我がありのままに振舞っているのか、自分が望むとおりに(またそう見られるように)振舞っているのかを判別するのは難しい。トリリングとプレスナーを導いた、真正性と演出との対極的で「弁証法」的な分裂は、ここでは不可識別性のために断念されている。これに呼応して、自我―同一性のイメージはもはや自己―探求の骨の折れるプロセスとしてつくりあげられることはなく、出現するイメージ、つまり外的に形成されるものの領域(そこで力をもつものが流行となる)の方を向くようになる。これに関して言えば、自我―同一性が[探求タイプから出現タイプへと]裏返ることが「近代」の現象であるという事実は、すでに注記したとおり、流行にその理論的関心を捧げてきたゲオルク・ジンメル社会学によっても証明されている。ジンメルがこのように個人主義化の問題を観察したのは、「独り身、気まま、装飾品趣味といった大都市に限って見られる奇行においてであり、その意味は当の振舞いの中身のうちではなく、他人の目から見て際立っていて注目を引く形式のうちにだけ存する」(22)。こうしたジンメルの観察は、ルソーの促しの声をもう一度思い起こさせる。それは、公衆の増大する力、つまり多かれ少なかれ人を大勢集め彼らの意見を通そうとすることで定義される社会的形成物の力の増大に関するルソーの発言は、たえず公衆に割り当てられていた演出化にも関連しているからである。人間は互いに「受けよく」しようとするので、より社交的に、より適合的になる。そのようにして「親密さの専制」(セネット)ないし真正性の専制だけでなく、演出化の専制も存在するようになる。

 

 

3.文化の平面

 

 演出化の現象がもっとも顕著に、まさしくもっとも誇大宣伝的にその姿を現わすのは文化の平面においてであり、ここでの「文化」とは、人間の情報欲求や解釈欲求をかなえる知識領域や意味領域として認知的・象徴的な意味で理解されている。この文化の平面は皮相的にも持続的にもわれわれの日常意識を規定している。そしてこのことは真っ先に電子メディア、オーディオ・ビジュアル・メディア、最近ではデジタル・メディアに現われており、それらのメディアは演出化にとって重要であるが、専門家的な学問・芸術の領域にも同様に及んでいて、そのために今日ではほとんど誰も逃れることのできない影響を惹き起こしている。

 

 (a)「文化を語る者はメディアを語り、メディアを語る者は演出化を語る」(23)。さしあたりこの同定は非常にわかりやすく、これを〈演出化を語る者はメディアを語り、一方のテーマについて語る者は、もう一方について沈黙することができない〉とひっくり返すこともできる。さらにメディアということで考えられているのは主に電子メディア、オーディオ・ビジュアル・メディアであり、これらから暗示的に連想されるのはとりわけテレビである。そのさい、演出化という観点で注意が向けられるのは、メディアの制度的文脈でなければその受容的文脈でもなく、また経済的な権力関係の問題でなければ視聴者の解釈態度でもなく、むしろ制作物そのもの、構造化する諸原則の分析に注意が向けられる。こうした諸原則のうちの一つが「ドラマ化」の原則であるが、それは、テレビが「出来事をイメージに作り変えると同時に、その意味、位置価、ドラマチックで悲劇的な登場人物を誇張する」(24)という二重の意味で考えられている。ここでは「ドラマ化」について語る代わりに、これをほとんど同じくらい適当な「演出化」について語るが、それは「演出化」も出来事を「上演」するがゆえに、これを感覚的に知覚可能なものへと置き換え、いつもではないにしろ、相当頻繁にドラマチックな効果、つまり「自分を引き立たせsich in Szene setzen」たり「誰かにひどい怒り方をしjemandem eine Szene machen」たりするような言い回しで表現される効果を目指している。演出化にとっては目立つことがおそらく最高の目的である。

 そのさいドラマチックに強調された演出化原則は、多かれ少なかれテレビのあらゆるジャンルを特徴づけている。たとえば、情け容赦ない上機嫌の司会者と拍手のタイミングを教える雇われのさくらたち(「暖め直し屋たち」)が登場するコメディ・ショーがそうだが、どのみちトークショーや(たとえば『文学の四重奏』[*4]のような)集団討論やその混合形式である「情報バラエティ」では互いに精根尽き果てる意見表明が重要なのではなく、合言葉やそそる言葉(「危機」や「恐怖」が非常に好まれる)が持ち出さながら、あるときは上機嫌ながらもそのじつ知的な争いで、あるときは政治的に中標準的な争いで、またあるときは野卑な争いそのものが重要となるか、もしくはトーク力やゲストの選択やカメラワークや番組途中のお楽しみコーナーなどによる器用な演出Regieのもとでなされる感じのいい愉快な歓談そのものが重要となる。ボトー・シュトラウスの論争的な投書(「私が番組のトークと進行の合間に見るのは、告発された人たちがどれだけ笑いものにされているかの程度の違いにすぎない」(25))は、古きヨーロッパのモラルや、ロマン主義的であると同様にエリート的な志操を体現してはいるが、確かに間違ってはいない。いわゆるリアリティ番組(『私を許して』[*5])は生存上の問題を解決しようとするのではなく、むしろ感情を煽り立て、興奮を沸き立たせ、自分との対比を惹き起こそうとしている。スポーツ番組(ドイツの民放局sat 1の『ブンデスリーガ・クリミ』)におけるドラマ化の原則は歴然としていて聞き逃せないし、ニュース番組ですらも、映像ショットにおける決り文句や戦略によってとりわけ[視聴者を]興奮させながら、感動的なカメラ映像と「より親密な」言葉のためにそのいかめしいイメージを脱ぎ捨てている(26)。ここ二〇年間でドラマ化の主題系と演出化の主題系にとって関心を惹く観察領域はもっぱらビデオクリップ(一九八一年にMTVがはじめて放送された)と共に作り上げられたが、このビデオクリップは音楽と映像と俳優演出の共同作用に基づいていて、(例によって単純化するなら)「アヴァンギャルドか大衆文化か」「ステレオタイプか多義性か」「真正性か市場操作か」の二元論の間でなされる文化批判上の対立論争のうちで動いている(27)。こうしたことに関して、これらの番組ジャンルすべてにおけるドラマ化の原則は、不可避であると同様に矛盾を孕んだ仕方で番組継続Endlosserieの原則と組み合わされてゆく。すなわち番組継続がいつも同一の図式を要求するのに対し、ドラマ化は逆に逸脱するもの、特別なもの、センセーショナルを求めており、ドラマ化の原則はこれらの組み合わせにおいて、永遠に興奮させるか定期的に修正するかによってのみ、つまり集中的か拡散的かどちらかの仕方で変化することによってのみ、もっともな仕方で存在することができる。

 オーディオ・ビジュアル的・デジタル的に規定された文化の平面では、とりわけ演出化観念で説明しようとするさいの全体化要求が念頭に浮かぶ。というのは、「メディア」を語る者は「演出化」を語る者であるが、また「構築」や「非現実化」や「超現実化」を語る者でもあるからである。こうしてボードリヤールに続けて「現実、つまり外的現実のみならず自己理解や社会的プログラミングといった内的現実も、今日ではマスメディアによる知覚によって広範に構成されている」(28)と言うことができよう。しかしこの平面では〈現実的なものはすべてメディアである〉という全体化的な言い回しが、覚醒した表現においてうまく保持されているが、それは[メディアの]四つの意味が区別され、メディアが一方であらゆる現実的なものの理論的なモデルかもしくは実践的なモデルとして、他方でたんなる影響力の審級かもしくは規定の審級として理解されるが、そのさい影響力の審級と実践のテーゼだけが一貫していて興味深いものであると示される場合である(29)

 

 (b)演出化の主題系が重要性を獲得したのは、ポストモダニズムの周囲での精神科学や社会科学による議論、もしくは(今日風に言うなら)文化科学の議論によってである。その中心的な認識理論・真理論のテーゼによるなら、客観性の観念に固執するのは、再現Repräsentationの観念が、即自的に存在する現実とその忠実な描写とに分裂し、「自然の鏡」という隠喩のうちで長期に持続するその影響力を展開する二元論を前提とする場合だけである。しかし命題なきところでは真理も存在せず、命題は人間の言語に属し、人間によって生み出されたものであるなら、真理もまた「向こう側で」発見されるのでなく「発明」されるものであるように思われる。リチャード・ローティは〈デカルト的な揺るぎないあらゆる認識の基盤に基づいて分厚い「論証でできた壁」を求めることは虚しいことだ〉と述べるさい、とりわけフランスの同業者になり代わって語っている。それはこの徹底的で教養ある言語哲学者にとって、この論証の「壁が描かれた書割にすぎず、人間の作り物、文化のための舞台装置にすぎない」(30)ということが示されるからである。

 文化の平面では、仮象、作品、解釈という三つの観念が議論の中心となっている。仮象の観念がすでに中心的であるのは、「演出化Inszenierung」が、字義通りに訳すなら「場面に据えることIn-Szene-Setzen」、「舞台に上げることAuf-Bühne-Bringen」、より広い意味では「現わすことZur-Erscheinung-Bringen」が〈そこで現われるものはどのような存在論的・認識論的身分を有しているのか〉とただちに問うからである。また次のようにも問われる。演出化において現れるものは自立したものなのか、それとも他者に基づくもっともらしさのうちで「真理」を証示するのか、それは真理に対して二次的なものか、それともその真逆の状態にあるものなのか、最後に、ポストモダンによってふたたびアクチュアルなものとされたニーチェのような人が「シミュレーション」や「バーチャリティ」といった見出し語によって熱心に勧めるように、[真理か仮象の間での]優位の問題は今日ではどのみち時代遅れであるのか、と。仮象の観念ともっとも密接に結びついているのは作品カテゴリーであり、それはルネッサンスと共に始まる作品[という概念]が真理の存在論的な場とみなされるからである。作品概念がその最高点に到達するのは、ドイツ観念論においてこれが高く評価された時であり、それは社会史的には一九世紀の市民社会と同時期である。ここでは芸術家は天才の伝統のうちにあり、天才は〈もう一人の神alter deus〉という神学的な伝統のうちにある(31)。こうした伝統を背景にし、またこの伝統に対し二〇世紀の芸術的アヴァンギャルドによってなされた、作品概念を実践的に解体する労苦を背景にすることで、この作品カテゴリーが当時有していた妥当性に対し一斉に向けられた懐疑が理解されるのだが、そこで扱われる「制度」「権力」「出来事」といった後継のカテゴリーも同様に十分ではないように見えてくる。解釈の観念の理論的身分も、誰かが主張した認識理論や真理論にけっきょく依存している。人はここでもふたたび満足のいかない二者択一を根本的に迫られる。というのは、一方で(唯一の)適切な解釈の可能性が主張可能なら、もちろんその基準や方法が挙げられなければならず、また〈もし(たとえばイデオロギー批判、心理分析、脱構築フェミニズムなどの)方法に従って解釈しなければ、美的対象を理論の応用領域として役立たせたり誤用したりすることになるのか〉という問いを甘受せねばならなくなるからである。もしくは他方で、とめどもなく非方法的ではあるが、経験に開かれた解釈の立場が主張可能なら、〈逆にこの場合、美的対象をそのつどの主観の反映として役立たせたり誤用したりすることにならないか、またそうした場合、(広い意味での合理的な)議論、もしくはローティに結びつけて言えば、無駄な意見を表明するだけでない実際的な「会話」はどうすればなお可能であるか〉という二重化された問いにもちろん答えなければならない。「趣味の問い」について論争するには、いま指摘された二者択一の間を動く美的合理性の理論に関して、カントから霊感を受けた仕事がおそらくまだ依然として必要とされる。

 

 (c)演出化の美学の真正な場所は芸術の領域であって、ここでふたたびその主たる字義通りの意味に戻るなら、それは劇場の領域であった(32)。演出化の概念を拡大させ、変容させ、〈あらゆるものは基本的に演出である〉という疑惑にまで隠喩的に移転させることすべては、けっきょくのところ劇場での上演という範型に戻ってゆく。

 

 (aa)まずこう断言すると、最近ようやく知れ渡るようになってきた演出化概念のアクチュアリティの主張と矛盾するように思われるが、もっとも古い伝統、つまり古代の悲劇や喜劇の上演実践との事柄上のつながりは、演出を行うあらゆる芸術の「原現象」を示唆している。まず[もともと古代ギリシャ]スケネーとは舞台後ろの領域のことで、劇の途中、俳優たちはそこでさまざまな役を体現するために仮面や衣装を着替えた。後に舞台そのものがスケネーと言い表され(33)、最終的に上演時の幕が注目されるようになることで、もともと静態的な規定がダイナミックな規定に変わったのであった。いまや「演出化」の概念は、特定の時点に特定の場所で行われ、特定の観衆に向けられた事象に関係づけられる。とはいえこの概念は通常、ただ一つの上演と同一視されることはなく、むしろ原則的として複数の上演を任意に特徴づけることができる一連のメルクマールが類型的に一般化されるさいに、この演出化概念もそこに包括されるが、それぞれの上演自体はもともと現前的で、一回限りで、切り詰められることのない劇場的な出来事を体現している。

 さて、このように演出化概念の発生を指摘しても、そのさいこの概念がどうして美学的な言説においてもこれほどまでに中心的な役割を要求するようになったのかはまだ説明されていない。英語圏において上演stagingが問題となり、それと共に舞台関連[の問題の考察]が必須となっているという事実によって生じてくるのは、あまりに演出化概念を信仰するあまりその意味論的な余地を拡大させ、そのために現象上のつながりの平面で実際の多様性がむしろ覆い隠されてしまうのではないかという警戒である。ここで歴史学的、分析的、戦略的基準は、純粋に定義する仕方で[この演出化概念を]どのように固定化しようとも、そういった試みには挫折の宣告が下される点で一致している。いずれにせよ、劇場上演という範型は演出化概念のあらゆる使用法の「字義通りの」基盤でありつづけ、その光のもとで芸術のその他の領域への影響が多かれ少なかれ隠喩的なものとして示される。それゆえ演出化は、演劇学的に正統な根本意義においてまず「芸術的で技術的な事象の総体」以外の何ものでもなく、「それら事象の助けを借りることで、著者によって文字テクストとして捉えられた作品が、その純粋に精神的で気づかれていない存在から現実的で現在の劇場存在に移行する」(34)。もっともそのさい、テクストと上演との関係そのものは可変的であり、極端な場合では、一回限りで、あらかじめ定められた基準もなしに即興される劇場での出来事の呈示によって「取り込ま」れてしまうこともある。

 総体的に見て、劇場という範型を越えた演出化概念の立身出世は、伝統的な美学の要請から離れているのと同様、アドルノ型の現代美学の要請からも離れている美学的言説の多様な布置を特徴づけるものである。[それら言説の]状況はその基準からして矛盾している。すなわち、演出された出来事の一回性や強度が取り沙汰される一方、〈「ポストモダン」の研究ではあらゆる美的プロセスは、もっぱらコミュニケーションの自己言及的な体系として自らを再生産する「社会の芸術」(35)の演出であるにすぎないのではないか〉という疑惑も表明されているのである。諸芸術において演出化が問題とされればされるほど、それによって「古典的」な芸術の核心領域は、自らを理論的に位置づけるさいに、かつて優勢とされた周辺領域にますます強力に近づいてゆくように思われ、この周辺領域では、われわれの「体験社会」内のあらゆる生活領域は文化産業の操作によって審美化されてしまっている。それゆえ細分化された演出化の美学の試みはどのようなものであれ、演出化概念と共に書き換えられた複合問題の歴史学的背景や分析的詳細について教える演劇学研究にまず資するべきだろう。したがって(これほど頻繁に要求されても、まったく実現されていないことだが)問題なのは、経験的・理論的な基盤に訴えながら学際的に議論できる美学であり、そうした美学は演出化の現象をそのもっとも具体的で、もっとも直接的な表現形式において例証し、体系化し、再構築する。哲学的美学の歴史において独特の芸術形式であった劇場という範型が周辺的な位置価しか担っていないという理解は、この美学によって批判されるべきものへと傾いてゆく。このように劇場の範型をいまだ周辺と見るところでは、とりわけ一冊にまとめられたテクスト-台本-総譜の平面と、上演-演奏-呈示としてのその現実化の平面との分析上根本的な区別が、実体化的な作品概念のために(完全とは言わないまでも)看過されており、その帰結は広くないがしろにされている(36)

 重要な哲学者のなかでもとりわけヘーゲルが主張するところによれば、劇作家は「生き生きとした上演をしっかりと髣髴とさせ、その登場人物が同じように、すなわち実際になされている行動のように話したり行為させたりしなければならない」(37)という。それどころかヘーゲルは舞台での現前ということに関心を寄せながら、ドラマの元テクストをけっして真っ先に印刷せずに、劇場での作業プロセスのうちでなされる台本[と実際の演出と]の往還に限定することを擁護している。そうなるとドラマについての美的判断もまた、決定的な試金石として「劇場での執行」を要求せねばならなくなる。「演劇芸術」はその本質において、音楽演奏の芸術に並ぶ第二の「公演的芸術ausübende Kunst」として評価される。それゆえ、劇場演出の美学の集結点としての演出伝達の平面はまだ独自に考慮されていないものの、(ワイマール国民劇場の監督であったゲーテの自己了解に同調した)ヘーゲルが〈「圧倒する力」としての「詩的表現」は「ジェスチャー、行動、朗読、音楽、踊り、舞台装置」などによる表現に優る〉と主張するさい、そうした演出伝達の平面は暗示されている。韻文芸術はたんなる手段に貶められてはならず、公演的な芸術なのであって、そもそも創造的な芸術に祭り上げてはならない。それにもかかわらずヘーゲルは、詩の精神を「独自の生産性」によって補完し、説明し、観衆に理解させる芸術家として俳優の要求を擁護している。たとえばロマン主義時代に到来した古典的な演劇実践を乗り越えようとする傾向を見通してみるさい、歴史的に反省された弁証法の使い手であるヘーゲルは、コンメディア・デッラルテ[*6]という即興の芸術を振り返りながら、あらゆる権威的な先例から「俳優の本来の芸術を解放する」可能性すら考慮している。これによってもともとの演出Regieという意味での演出化の芸術はまだ考えられていないものの、その体系的な場所は、時間、地域、文化の固有性を越えた(38)「対話Zwiegespräche」としての芸術作品という定式によってすでに述べられている。これによりどの芸術の時代の権利もかつての芸術の「改作」によって明瞭に際立たされ、その改作のおかげで自分の時代からは疎遠になってしまったドラマ作品がふたたび甦って「演出」される。それゆえ、ダルムシュタットのアカデミーが言語と詩に関して一九九三年に公布した懸賞問題「演出劇Regietheaterは古典作品の死刑を執行するか?」(39)にもしヘーゲルが答えるとすれば、彼は伝統の権威を心配する最近の演出芸術の批評家たちよりもおそらく慎重に答えたことだろう。

ヘーゲル以後、演出化を独自のsui generis芸術形式として評価する最初の言及の一つは、フランスで支配的であった演出細工mise en scène の可能性(「最近では演出が愛好されている」(40))への注目に触れている一八三八年の『一般演劇批評』のうちに見出される。とはいえその美学上の位置価はまだ議論の余地が残る。『人造人間劇場』(一八九〇年)への応訴のさいにモーリス・メーテルリンク[1862-1949]は、読解の創造的な想像空間とは逆に具象主義的な「われわれの夢の簒奪」だけが問題となり得るのだから(42)、長大なドラマテクストの上演はすっぱり断念すべきことを主張しているのに対し、トーマス・マン[1875-1955]はその『劇についての試論』(一九〇八年)の中で、「上演は芸術作品、テクストはたんなる敷物」(42)というモットーにしたがって「舞台上の詩」に利するよう「ドラマ本」からの離反を要求している。結局、自律的な演出芸術への擁護も二〇世紀のアヴァンギャルド運動に関わってゆき、今では劇場の演出化に関する美学的言説の実質的な布置が形成されているほどである。こうしたことを背景にするなら、演出劇の不遜な自由行為をめぐる最近の争いは[演出化に関する今日の言説の]たんなる余韻のように思える。もちろんいま問題となっているのは市民の文化制度の枠内での余地であって、そうした文化制度の妥当性はアヴァンギャルド的な劇場の先駆者によって長いことはねつけられてきたのだった。

 こうした言説全体の展開、そして作品に対しての無条件の忠実さと徹底的な自律という両極間の論争の展開はこれまでのところ、演劇学の研究により詳細にいたるまですべて片づけられている。これと同じ状況なのが、〈演出家による演出効果〉と、演劇論、舞台背景、仮面、衣装、照明、振り付けなどをふたたび演劇実現化の特別な平面として内包する〈複合的で集合的な仕事の統合的効果〉との間でなされるような細分化である(43)。そして同様に重要なのが、コンセプトないし類型としての演出化と一回限りの出来事としての個々の上演との区別を、すなわち作品全体としてみた場合、演出を未完成品work in progressにする[演出と上演との]関係を演劇学が例証していることである。この関係については、たとえばモデルネの先駆者であるフセヴォロド・メイエルホリド[1874-1940, ロシアの演出家]ゴーゴリの『検察官』の作業の折に以下のように書き換えている。「批評家が初演といわれたこの最初のリハーサルに立ち会うさい彼は誤解すると、私たちは率直に言わざるを得ない。私がこのリハーサルを初演と言ったのは、それが観客の参加するはじめてのリハーサルであるからだ。そこではまだいたずらが行われ、賄賂の金を渡すシーンを私がすっかり変えてしまったとき、七五番目の検察官のところで私に起こったことが起こる。批評家はこの公演を観て〈詐欺だ。われわれにはこれが見せられても、観客には別物が見せられる〉と言ったのだった。私たちの仕事に対しなんという態度であるか!」(44)。それゆえこうした意味で演出化は、演出家の最初の着想から、リハーサル作業、および個々の上演の経験がもたらす修正を経て最終公演にまでいたる統合的なプロセスなのであり、その最終公演は革新的な演出化の影響作用史や再演出化の可能性に触れればふたたび暫定的な終幕点を記すにすぎない(45)。コンセプチュアルな平面とパフォーマティヴな平面との緊張にみちたプロセスとしての共同作業は、変更されるところがありながらもテクストのない演劇形式にも当てはまり、ここでもまた「潜在-テクストGeno-texte[*7]が再構成される点でその出来事性格は相対化され、この「潜在テクスト」は、幾多の上演が個々の点でどんなに逸脱していようとも、これに共通の美的な相貌を与えてくれる(46)特定のドラマコードを暗に使用している。こうしたことを背景に、劇場の地平における演出化の美学のもっとも極端な可能性を代表するのがアントン・アルトー[1896-1948]の立場であり、アルトーは演劇のプロセスと演出のプロセスとを同一視し、言語に囚われたロゴスの支配を多くの非合理的でパフォーマティヴな身振りの合図のために破壊するのだが、「そうした合図が効力をもつのは、それが言葉を経由する回り道をとることなく直接に舞台と関わりながら、舞台上で自発的に発生するからである」としている。「舞台で直接に成立し現実化するような劇が公演されてはならない謂われがあろうか」というアルトーの修辞的な問いはこれまで自律的な演出劇の信条となっていて、伝統に対してのあらゆる越境行為が試されながらもそれが時と共に儀式化した今となっては、この展開を厳密に逆転させるなら、これまでけっして実現することのなかった完全なファウスト・テクストをその精神と文言にしたがって劇場版へと書き換える作業も、一度限りのものとしてまだ存続しているアヴァンギャルド的な行動と思われるかもしれない(47)

 演劇は以前からある種の全体芸術作品を呈示していることから、演出芸術を基礎づけるさいに、その他の芸術の美学的原則に訴えることは重要な役割を演ずるというのは不思議なことではなく、もっと言えば二つの美学原則が実際に融合するという事実によってだけでなく、より間接的に手法を類比することによっても、こうしたことは演出芸術にとって重要な役割を演じることになる。このようにして、たとえば自分自身の劇の演出家であったサミュエル・ベケット[1906-89]が強調したのは、自らの演出化の独自なあり方の基礎にある「音楽的構造」であり、その構造そのものはテクストの言語的形式と行為のドラマ的形式を重ねるか、増強するかもしくは両形式を妨害する(48)。しかし確実にもっと明白なのは、とりわけアヴァンギャルド運動によって強化された、幻想的な舞台背景を越えたところでなされる演出化の視覚的手法の美的な固有意味である。これに関してアクチュアルなのは、俳優たちが舞台上で「ジェスチャーの彫像」に成り変るボブ・ウィルソン[1941- アメリカの実験演劇の演出監督]の演出劇であり、これがおそらくもっとも有名な例だろう(49)

 音楽的な戦略と造形的な戦略とがそのような仕方で、外的に適用されることなく劇場の演出芸術に移住する一方で、現代の諸芸術の迷走傾向(50)は、演出という劇場的契機がどのようにしてあらたな音楽やとりわけ造形芸術によって取り上げられ、広範に展開されたかを証明している。これに関するもっとも有名でもっともアクチュアルな事例は拡大されたパフォーマンスの領域であり、その増大する意義はパフォーマンスの美学への移行をふたたび思いつかせたものの、いまやこの美学のグローバルな要求は、一面的な仕方で作品というカテゴリーに定位した伝統的美学の要求と同じくらい疑わしいものになっている。美的なものの複合性はけっして一般的な定式にもたらされ得ず、規範的な帰結に関し開かれていて改正可能なものでありつづけなければならないような言説のプロセスにおける動的で布置的な関係としてのみ規定可能である。

 

 (bb)ヨーロッパの半ダースの舞台がベルディのオペラの新演出を行うシーズンを開幕しようとしている事実に直面して、「人は何人のオテロを必要とするのか」と最近あるオペラ批評家が問うている。音楽劇の領域における演出化への問いは、劇に比べむしろ制限があるものの一般的評価では格別にしっかりとしたレパートリーを有しているために、当初から別の位置価を有している(51)。作品の歴史的状況設定とアヴァンギャルド的な演出によってアクチュアルなものにしようとする努力との亀裂は、言葉の演劇よりも音楽劇とりわけオペラの総譜においてより明白に今日まで尊重されてきたが(52)、それは音楽劇が総合性を有し、ドラマのテクスト(ドラマのテクストでは短縮、改編、自由な補完こそが演出である)とはまったく別の基準に従っているためである。この動きに対し間もなく堂々とした観客が、慣習的な演出様式に反対する「実験」に対して荒っぽく反応したのだった(53)。全体として癖のある舞台背景の形式と結びついた演出はさらに自律的になることで、「もともと虚構と音楽のために確保されている空間へと映像的に超出」(54)してゆく。最後に、最近の展開としてここに加わるのが、あらたなメディアの導入によって成立した「融合-美学」であり、それは極端な場合にはオペラの舞台をある種の「サイバー実験室」(55)に変えてしまう。

 音楽劇を超えて演出化概念を適用する糸口は、とりわけ劇場上演という呈示的な出来事と、同じように一回限りであるコンサートという出来事とを類比してみることである。とはいえ、コンサートでの解釈者の慣習を経由する「映像過多」は聴いた印象とは根本的に別の音楽理解を伝えるのだから、明らかに俳優の行動とは別次元の器楽劇という特別な場合を問題化するにせよ、そうした類比を解説する価値は限られたままである(56)。コンサート活動において「演出」と呼ばれ得るのは何かという問いは、むしろイベント・マーケティングの領域に属している。この領域において演出化への衝動は大衆音楽文化という目下優勢な手本に従っている。

 その一方でこれとは別の方向を示しているのが、〈音楽主体の様式化〉と、モデルネになって支配的となったとはいえすでに一六世紀の学問的な音楽芸術において断言できる、〈作曲プロセスの自己反省的な側面〉とを同じように演出化の契機として把握する試みである。そうした考察方法が陰に陽に抵抗しているのは、〈芸術的進歩、社会的相克、もしくは演出の欺瞞に反対する表現の真正性といった基準に従うなら、先の作曲の自己反省的な側面はまだ批判的に評価可能である〉と考えていた美的モデルネの議論である。今ではこれとは反対に、特定の芸術家の「手稿」を計算して実演するという技巧的側面の方が支配的になっている(57)

 

 (cc)演出化を美的な仕方で広範に自律化させる劇場の範型への明白な通路は、確実に造形芸術の領域のうちにある。造形芸術の演出化においては、〈画家、彫刻家、建築家は特定の対象、形式もしくは素材を多かれ少なかれ効果的に「演出」(58)する〉という断言に沿って造形企図の志向性を再定式化するよりはむしろ、二〇世紀に拡大した造形の表現形式の内部でなされた境界の乗り越えの方が問題となる。そのさい、こうした造形芸術の劇場性のさまざまなバリエーションに対し「パフォーマンス」の概念が確立された(59)。このパフォーマンス概念は比較的最近のアヴァンギャルド演劇からも借用されていて、行動の直接性による既存の劇場演劇、舞台や観客席の境界越え、もしくは公共空間への拡大や観客の直接参加の可能性による拡大といったものからは一線を画している(60)。こうしたことを背景にしつつ、「劇場性」のそのつどさまざまな側面として「演出化」と「パフォーマンス」とを区別しようという提案がふたたび宣言されるようになる。そのさい「パフォーマンス」は身体的現前によって規定される行動の枠内での「あらゆる要因の両義的な連携作用」として理解されている(61)

 歴史的にみると、こうしたパフォーマンス的行動を求める衝動は二〇世紀初頭のアヴァンギャルド運動から発しているが、そのさい伝統的で美的なふるまい方から解放された個々のアヴァンギャルド芸術は、未来主義者、ダダイストシュールレアリストたちのスキャンダルに取り巻かれた夜会を実演したように、挑発的な「全体行動」に協力することになった。六〇年代のネオ・アヴァンギャルドはこの衝動をハプニングという形式のうちで取り上げたのだった(62)。とりわけフルクサス運動[*8]は、公的な市民文化を挑発するそうした反演出化の「絶対的」なイベント性格に対しまさに形而上学的な荘厳さを与えたのだった(63)

 ランドアートの発展によって六〇年代以降の造形芸術は、その介入、活動、演出のための枠組を空間的にも決定的に拡大させた。このように、クリスト&ジャンヌ=クロード[*9]が一九九一年に実施した「アンブレラ」活動は二つの大陸の巨大なエリアを包括し、そこに無数の黄色と水色の傘が数多くのヘルパーによって同時に開かれたのだった。こうした演出は公共空間の継続的なデザインとふたたび競合し、そうしたデザインは都市計画者、建築家、造園家などに依頼されることになる(64)。ここで芸術史的に注目するなら、とりわけ美的機能と権力の演出化との連関に行き当たるが、同様にそうした連関は(批判的もしくは弁明的な仕方で)教会や宮廷の芸術政策から二〇世紀の全体主義的な都市演出を経て、現代の都市中心部における商業地区の設置にまでつきまとっている(65)。もっともそこでは、芸術的演出の客たちは過剰なまでの消費目当ての世界のうちに消失していかざるを得ない。

 もっとも美術館やギャラリーといった囲われた芸術空間にとどまるか、そこに戻ってゆく芸術家たちは今日、あらたな演出の権力、すなわち展示制作の芸術にますます直面しており、その一方で展示制作芸術の美的名声は芸術家の名声を上回ることもあり、この芸術が特定の展示イベントの一回性という単純な契機に寄与していないのではないかと思わざるを得ないほどである(66)

 しかしながら造形芸術の内部で今日、もっとも顕著で頻繁に議論されている演出化形式は芸術家の自己演出化傾向であり、そうした自己演出傾向は、なんといってもデューラー以来の自画像の伝統を通じて描写の対象としてすでに示されている通りである。二〇世紀になるとそうした自己演出化は、〈いまや芸術家が俳優もしくはダンサーのように自分自身の身体を導入して特定の美的コンセプトを表現する〉という意味で文字通りのものとなる。ここでそのもっとも重要な先駆者はマルセル・デュシャンである。デュシャンの地位が独自なものであり続けるのは、彼が極端な帰結と非常に高度な知的レベルで、客観的な点でも主観的な点でも論理的にもはや凌駕不可能な芸術概念の脱境界化を成し遂げたからである。あらゆるものは特定の文脈で美的な出来事であると表明すれば、それは美的な出来事になり得るし、そのようにしてすべてのものは自分の生の出来事の流れに取り込まれてゆく。このように芸術と生を交差させる戦略が優勢となるのは、かつて架空の作家であった芸術家がいまや生き生きと新たな役割を企図して、美的な仕方で作られた複数の主体を実演することによってであり、たとえばデュシャンにおいては彼のもう一人の自分であるローズ・セラヴィ[女装時のデュシャンの偽名]への倒錯的な変身によってなされている。

 そうした中で同時代の造形芸術のシーンが破裂するのは、まさに自分自身を展示する「人生芸術作品」(67)によってであって、「注目という富Ressource Aufmerksamkeit(68)をめぐるこの芸術の争いはまたもやマスメディアによっていつまでも続く過剰なパーソナリティ・ショーの影で行われている。今日では、およそ一世紀前に始まった自己演出化の遊びを継続させることは、この遊びがますます決定的な仕方で演技starringや自己成型self-fashoingやライフ・スタイル化life-stylingといった支配的な領野(この領野は公共的な知覚をますます強烈にかたちづくり、芸術と生との境界を日常的な側面から解体しようとしている)(69)へと安易に鞍替するようなら、美的にアヴァンギャルド的な表現を行うにあたって真正性や反演出化の公準に負っていると自ら感じている芸術家たちにとってはこれまで以上に並々ならぬこととなる。これと同時に「出来事」としての演出化のリアリティはますますメディアの記録装置によって管理され、より広範な演出のためのストックとしてフィードバックされる。ところでメディアのグローバル化で示される演出化の美学の根本的矛盾はここにある。一回性の要求は、イメージを流通させるイベントらしきものすべてを原則的にあらゆる時と場所で「呼び出し」できるようにする傾向によって妨害される。今日、このイメージ世界を永遠にアクチュアルなものとするための魔法のランプlaterna magicaはインターネットである(70)

 

 (dd)「旧式」の装置による写真や映画といったメディアの美学をいわゆる新メディアの美学から際立たせることはますます重要になってきている。写真のイメージから出発する芸術はある弁証法を知っている。その弁証法は、見る者が直接把握できない出来事の痕跡を記録する点で演出化の美学の狭い円環へと戻るよう命ずる。これがインデックスの印をもつ写真のノエマというロラン・バルトの規定の要点であり、写真のノエマは受け取られた時点におけるかつてあったものの一回的な生起を指し示している(71)。とりわけ写真のカメラレンズを前にした人物の「演出化」は、バルト的な意味で過去性のインデックスとなる。こうした[存在の]無効化作用は見る者を悲しみで満たすのだが、とりわけそれは、ロラン・バルトにおいて彼の母の肖像写真に関する観照的な考察の場合がそうであったように、存在の紐帯が決定的に破壊されている時である。したがって、最近「演出する写真」の見出し語で論じられているものは、写真という状況に内在する演出化の契機を表現上の美的戦略に押し込めているにすぎない(72)

 その一方で、特定の瞬間にきらめく存在の真正な痕跡であるこの写真のノエマはたえず錯覚に晒されているがゆえに、演出化から自覚的な誤解までの虚偽の側面に晒されている。もっとも、いまやこの写真のノエマはデジタル映像処理の可能性によって、その有無を言わせぬ「存在論的な根拠」や無条件的な妥当性を失ってしまっている。したがって「写真以後の写真」は、サイバー世界という「本質を欠いた」空間における仮象-価値やバーチャルな身体やハイブリッドな形態にますます専念している(73)。この要求は映画芸術に対しはるかに強力に当てはまる。それは、映画芸術が写真以上にいわば世界(もっともその世界は「現実世界」の映像素材とそれに対応する実際の受容状況とにインデックスとして拘束され続ける)の幻覚体験への欲求を呼び覚ます一方で、デジタル映像処理のあらたな可能性は [現実世界への] そうした退却を一般的にもはや要求しないからである。演出家とそのチームによって「旧式」な映画-世界を編集することは長い間、演出細工mise en scèneと呼ばれてきたが(74)、こうした映画演出は上演というそのつど一回しかない出来事を伴う演劇の演出化とまさに競合する。それゆえヴァルター・ベンヤミンは映画のあらたな美学の特殊性を、再生可能な装置の記録手法による「アウラの破壊」として言い表すことができたが(75)、その一方、今日ではむしろあらたなメディアの美学の登場で、ジークフリート・クラカウアー[1889-1966, ドイツの社会学・映画学者]の言う意味での映画による「外的現実の救済」の側面が前面に現われてきている(76)。ここにきて演出化の美学の状況は、オペラ素材の映画化、ショーの進行手法であるテレビ編集、パフォーマンスのビデオ記録といった「手仕事的」な芸術と「装置を用いる」芸術との融合によってひどく複雑化してしまっているので、メディア平面での多様な連携をさらに鋭く分析してゆくことと並んで、演出化の真正の形式と堕落した形式、革新的な形式とステレオタイプの形式とを区別することがよりいっそう重要になるほどである。

 

 (ee)こうして最後に、独自の芸術として演出化が承認されてゆく中でも、おそらくもっとも顕著な現われを指摘せねばならない。それは、いまや上演の主題や形式が本質的に演出化そのもののダイナミズムにおいてや個々の企画にとってもあらたに作り出されるという限りでの、あらたな舞踊演劇(77)による伝統的バレエの解体である。このジャンルのもっとも重要な芸術家であるピナ・バウシュ[1940-2009, ドイツの振付師]は、「内から外への劇の成長」について語った。とはいえ現代舞踊においても、あらたに演出化されることで変種を生み出してゆく再構成可能な「潜在-テクスト」が存在し、演出化の美的特質は「出来事」としての特定の上演の記述と同一視されることはない。同時に舞踊演劇は音楽的、文学的、造形芸術的な表現形式を取り込んでいるので、演出化の美学の優位を特徴づける同時代の総体芸術の作品のもっとも意義深い事例となっている。

 他方、ここでも装置を用いるメディアは先鋭化して移転していった。とりわけこの移転が説得的に機能するのは、いまここでの上演の出来事とメディアによって再生されるさいのそれとは別物の存在論的身分との美的な緊張が明らかになる場合である。かくして二〇〇〇年モントペリエでの舞踊フェスティバルでは、「ダンス」の再演のさいに、実際のダンサーは映像化した劇の古いバージョンのダンサーと共に競い合いながら踊ったのだった。そうしたダンサーの中でも六〇歳台の振付師ルシンダ・チルズ[1940-]は、二〇年前の映像の自分がなした技と競い合わねばならなかった(78)。こうしたかたちで「ダンス」は人生の踊りにとって象徴となった。再―演出化は存在の時間性を反映し、それと共にメディア社会を特徴づける傾向、すなわちいまや巨大な電子メモリーのうちで自らの存在の根源から切り離されたイメージを流通させ、永遠性という虚しい形式を信じ込ませる傾向を妨害する。

 結局どこを向こうとどちらに行こうと、「演出化」への反省は概念の見かけの統一からその差異を、その基体から出現を際立たせることになるのではないか。演出が広範に用いられる時代において、[演出化を]差異化する労苦は喫緊の課題である。こうした広範な使用を、目下進行中の文化的変容にとってのインデックスと見積もって高く評価すればするほど、その一方で演出化の差異化は、あらたな神話を確立することなくまた概念的なこけおどしに騙されないようますます用心する。それどころか芸術の場合、演出化の差異化は良い演出化と悪い演出化とを区別するための基準を挙げるのに役立つ。したがってこのことに行き着くなら、美学的批判が自らを先鋭化させるさいに過去二世紀の近代化の推力以来、苦しんでいる能力不足を演出化の差異化は解消することができるのではないか。演出化の差異化は、その歴史的な相関性すべてにおいて、われわれの時代の議論にとって説明的な機能を引き継ぐことができるのではないか。



(1)この活況は八〇年代中頃に始まり、九〇年代の終わり頃にさしあたりの頂点に達する。そのタイトルの選び方が、演出化概念がいかに強烈に議論のうちに浸透しているのかをすでに示唆している。挙げれば、『演出化された民族共同体』(1985)、『力の演出』(1988)、『世界の演出化』(1989)、『私の演出化』(1990)、『太陽王の演出化』(1992)、『仮象の演出』(1992)、『文化-演出』(1995)、『文学演出における性差』(1995)、『書物の演出化』(1996)、『歴史の演出化』(1996)、『身体-演出』(1996)、『政治の演出化』(1996)、『演出化された自然』(1997)、『演出化社会』(1998)、『美とエロスの演出化』(1998)、『名士と運命の演出化』(1999)

(2) Erika Fischer-Lichte, »Inszenierung und Theatralität«, in: Herbert Willems/Martin Jurga (Hg.), Inszenierungsgesellschaft. Ein einführendes Handbuch, Opladen 1998, S.82f.

(3)最近示されたこの側面に関しては、以下に収録されたジルヴィア・ボフェンシェンとハウケ・ブルンクホルストとエリザベス・レンクの寄稿論文を参照。In: Silvia Bovenschen (Hg.), Die Listen der Mode, Frankfurt a.M. 1986.

(4)以下の内容と引用に関しては次を参照。Ralf Konersmann/Tilman Sachße/Red. Art. »Rolle«, in: Joachim Ritter/Karlfried Grünter (Hg.), Historisches Wörterbuch der Philosophie, Bd.8: R-Sc, Basel 1992, S.1064-1070; また本論集に収録されたヨルク・ツィンマーマンの寄稿論文も参照。

(5)以上二つの引用に関しては以下を参照。Helmut Lethen, Verhaltenslehren der Kälte. Lebensversuche zwischen den Kriegen, Frankfurt/M. 1994, S.88.

(6)以下の内容と、とりわけ役割理論とハビトゥス理論の結合に関しては次を参照。Herbert Willems, »Inszenierungsgesellschaft? Zum Theater als Modell, zur Theatralität von Praxis«, in: ders./Jurga (Hg.), Inszenierungsgesellschaft, a.a.O., S.23ff.

(7) Vgl. Thomas Meyer/Rüdiger Ontrup, »Das >Theater des Politischen<. Politik und Politikvermittlung im Fernsehzeitalter«, in: Willems/Jurga (Hg.), a.a.O., S.523. この論文はクリフォード・ギアツ『ヌガラ-19世紀バリの劇場国家』[同、小泉潤二訳、みすず書房 1990]、ピーター・バーク『太陽王の演出化』[邦題『ルイ14――作られる太陽王(石井三記訳)名古屋大学出版会 2004]ミシェル・フーコー『監視と処罰-監獄の誕生』などを参照している。

[*1]親密な人間だけが解読できるような外見や振舞いで自己を確認し、 他人との親密さの中で個性を発展させる現象。なお以下のセネットによるリースマン批判に関しては『公共性の喪失』の18頁を参照。

(8) Vgl. Richard Sennett, Verfall und des öffentlichen Lebens. Die Tyrannei der Intimität, Frankfurt /M. 1986 (¹1983), bes. S.18f., 56f. [邦題『公共性の喪失』北山克彦・高階悟訳、晶文社 1991]; またこれに批判的なユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換-市民社会の一カテゴリーについての探究』(1990)[同、細谷貞雄・山田正行訳、未来社 1994]の「新版への序言 1990年」も参照。

(9) Vgl. Hans-Peter Müller, »Differenz und Distinktion. Über Kultur und Lebensstile«, in: Merkur, 49. Jg. (1995), H.9/10: »Unterschiede. Über Kulturkämpfe«, S.925-934.

[*2]人が社会と同化しながらも他者との差異を保つことによって自己同一性を保とうとする動きをブルデューは「卓越化distinction」と呼び、階級分化と既成階級構造の維持の基本原理としている。なお元のフランス語”distinction”の日本語訳には、ブルデューの意図を汲んで「卓越化」もしくは「上品さ」という訳語が当てられている。

(10)Gerhard Schulze, Kulissen des Glücks. Streifzüge durch die Eventkultur, Frankfurt/New York 1999, S.11f.

(11) Michel Foucault, Überwachen und Strafen. Die Geburt des Gefängnisses, Frankfurt/M. 1976, S.257 u. 278. スティーヴン・グリーンブラット[1943-, アメリカの文芸評論家]はその著『ルネッサンス-自己成型』(カリフォルニアUP 1980年)[邦題『ルネサンスの自己成型-モアからシェイクスピアまで』高田茂樹訳、みすず書房 1992]において、モデルネの大規模な理論としてではなく歴史学的なテーゼとして比較可能なものを掲げている。グリーンブラットがヤーコプ・ブルクハルトやノルベール・エリアスに続けて述べているのは劇場以外の何ものでもない社会であり、そうした社会においてディベートの参考書や人づき合いの本は、たえず自分が舞台上にいて見られていることを知っている人にとっての実践的導きとみなされる。

(12) Vgl. Josef Früchtl, Ästhetische Erfahrung und moralisches Urteil. Eine Rehabilitierung, Frankfurt/M. 1996, S. 128ff.; ders., »Spielerische Selbstbeherrschung. Ein Beitrag zur >Ästhetik der Existenz<«, in: Holmer Steinfath (Hg.), Was ist ein gutes Leben? Philosophische Reflexionen, Frankfurt/M. 1998, S.124-148.

(13) Hans-Georg Soeffner, »Erzwungene Ästhetik. Repräsentation, Zeremoniell und Ritual in der Politik«, in: Willems/Jurga (Hg.), Inszenierungsgesellschaft, a.a.O., S.227.

[*3]行為の結果からではなく、道徳法則への尊敬からこの法則に従う準備が意志のうちにできている状態。

(14) Wolfgang Iser, Das Fiktive und das Imaginäre. Perspektiven literarischer Anthropologie, Frankfurt/M. 1991, S.511 u. 504. 以下も参照。Fischer-Lichte, »Inszenierung und Theatralität«, a.a.O., S.87f. また本論集のブリギッテ・シエールの寄稿論文も参照。

(15) Donald Davidson, »Kommunikation und Konvention«, in: ders., Wahrheit und Interpretation, Frankfurt/M. 1990, S.372-393 [邦題「コミュニケーションと規約」『真理と解釈』収録(野本和幸 他訳)勁草書房 1991].

(16) Vgl. Stefan Müller-Doohm/Klaus Neumann-Braun, »Kulturinszenierungen – Einleitende Betracht- ungen über die Medien kultureller Sinnvermittlung«, in: ders./ders. (Hg.), Kulturinszenierungen, Frankfurt/M. 1995.

(17)これに関しては本論集のヨーゼフ・フリュフトルの寄稿論文を参照。

(18)これに関しては本論集のマルティン・ゼール、ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト、ドリス・コレシュの寄稿論文を参照。

(19) Vgl. Lionel Trilling, Das Ende der Aufrichtigkeit, Wien 1983, S.12, 15, 19f. [邦題『〈誠実〉と〈ほんもの〉-近代的自我の確立と崩壊』野島秀勝訳、法政大学出版局 1989].道徳哲学でもここ数年来、真正性概念のアクチュアリティが観察される。Vgl. Charles Taylor, Das Unbehegen an der Moderne, Frankfurt/M. 1995 (orig. 1991), bes. S.20-40 [邦題『〈ほんもの〉という倫理』田中智彦訳、産業図書年]; トリリングとつなげて言うなら、ここでは道徳的理想が「真正性」と呼ばれており、テイラーはこの道徳的理想をその大著『自己の源泉-近世における自己同一性の成立』(Frankfurt/M. 1994, orig.1989)[邦題『自我の源泉-近代的アイデンティティの形成』下川潔・桜井徹・田中智彦訳、名古屋大学出版 2010]   において自己実現というロマン主義的な観念のもとで主題化している。Alessandoro Ferrara, Modernità ed autenticità. Saggio sul pensiero sociala ed etico di J.J. Rousseau, Rom 1989; ders., Autenticità riflessiva. Il progetto della modernità dopo la svolta linguistica, Milano 1999; Christoph Menke, Tragödie im Sittlichen. Gerechtigkeit und Freiheit nach Hegel, Frankfurt/M. 1996.

(20) ) Vgl. Trilling, Das Ende der Aufrichtigkeit, a.a.O., S.98f., 118, 120, 133, 154ff. フィッシャー=リヒテは、18世紀初頭に劇場性(theatrical)と真正性(nature)との対立の正当性を要請するシャッフツベリも指摘している(Vgl. »Inszenierung und Theatralität«, a.a.O., S.85)

(21) Gertrud Lehnert, Mit den Handy in die Peepshow. Die Inszenierung des Privaten im öffentlichen Raum, Berlin 1999, S.10 u. 16.

(22) Georg Simmel, »Die Großstädt und das Geistesleben«, in: ders., Aufsätze und Abhandlungen.1901-1908, Bd.I, Gesamtausgabe Bd.7, Frankfurt/M. S.128.

(23) Müller-Doohm/Neumann-Braun, »Kulturinszenierungen«, a.a.O., S.9.

(24) Pierre Bourdieu, Über das Fernsehen, Frankfurt/M. 1998, S.25. [邦題『メディア批判』櫻本陽一 訳、藤原書店 2000]「ドラマ化」と「演出化」との関係については、本論集のリチャード・シュスターマンの寄稿論文を参照。

[*4] ZDF1988年から2006年まで断続的に放送していた文学番組。

(25) Botho Strauß, »Anschwellender Bocksgesang«, in: Der Spiegel 6/1993.

[*5]ドイツの民放局RTLが90年代前半に放映していたリアル・ライフ・ドキュメンタリー番組。

(26) Vgl. Hickertier/Bleischer, »Die Inszenierung der Information im Fernsehen«, a.a.O., S.383.

(27) Vgl. Klaus Neumann-Braun/Axel Schmidt, »McMusic. Einführung«, in: Klaus Neumann-Braun (Hg.), VIVA MTV! Popmusik im Fernsehen, Frankfurt/M. 1999, S.7-42.

(28) Wolfgang Welsch, Ästhetisches Denkens, Suttgart 1990, S.58 [邦題『感性の思考』小林信之訳、勁草書房 1998年、67-68].

(29) Vgl. Angela Keppler, Wirklicher als die Wirklichkeit? Das neue Realitätsprinzip der Ferseh- unterhaltung, Frankfurt/M. 1994, S.16ff.

(30) Richard Rorty, Ironei, Kontigenz und Solidarität, Frankfurt/M. 1989, S.99; vgl. S.24.[邦題『偶然性・アイロニー・連帯-リベラル・ユートピアの可能性』齋藤純一・山岡龍一・大川正彦訳、岩波書店2000].

(31) Vgl. Hans Blumenberg, »>Nachahmung der Natur<. Zur Vorgeschlichte der Idee des schöpferischen Menschen«, in: ders., Wirklichkeiten in denen wir leben. Aufsätze und eine Rede, Stuttgart 1981, S.55-103.

(32) Vgl. Erika Fischer-Lichte (Hg.), Das Drama und seine Inszenierung, Tübingen 1985; Klaus Lazarowicz/Christopher Balme (Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, Stuttgart 1993.

(33)とりわけアリストテレスの『詩学』ではこのように使用された。[詩学1452b-17に「舞台σκηνη上で俳優によって歌われる歌」という表現がある。]

(34)『フランス百科事典』(Paris 1936)の「演出と演出化」に関する項目にあるジャック・コポーの言葉。引用は以下から。Lazarowicz/Balme (Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.341.

(35) Vgl. Niklas Luhmann, Die Kunst der Gesellschaft, Frankfurt/M. 1995 [邦題『社会の芸術』馬場靖雄訳、法政大学出版局 2004].

(36)いまなお模範とされている、これらの相違の分析哲学的な再構成に関しては以下を参照。Nelson Goodman, Languages of Art (1968); ドイツ語訳: Sprachen der Kunst, Frankfurt/M. 1995.

(37) Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Ästhetik, hg. v. Friedrich Bassenge, Berlin/Weimar ³1976, Bd.II, S.538.

[*6] 16世紀にイタリアで生まれ、その後18世紀にかけてヨーロッパで流行した仮面即興劇。旅芸人たちは地域性や時事問題などを反映させつつ、それぞれ類型的な性格をもったストック・キャラクターを独自に演じることで観衆を笑わせた。

(38) Ebd., Bd.I, S.259.

(39) Thomas Zabka/Adolf Dresen, Dichter und Regisseure. Bemerkungen über das Regie-Theater. Antworten auf die Preisfrage der Deutschen Akademie für Sprache und Dichtung vom Jahr 1993, Göttingen 1995.

(40) August Lewald, »In die Szene setzen.«, Auszug in: Lazarowicz/Balme(Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.306ff.

(42)このドイツ語訳に関しては、in: Lazarowicz/Balme(Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.364ff.

(42) Thomas Mann, Gesammelte Werke, Bd.10, Frankfurt/M. 1974, S.40ff.

(43) Vgl. Patrice Pavis, »Metatext der Inszenierung«, in: Lazarowicz/Balme (Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.349-358.

(44) Weswolod Meyerhold, »Die Kunst des Regisseures (1927)«, in: Lazarowicz/Balme (Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.328ff.

(45)演出化と上演との違いについては以下を参照。Guido Hiss, Der theatralische Blick. Einführungs- analyse, Berlin 1993.

[*7]語り手ないし書き手によっていまだ言語表現化されず、脳裏に連想としてとどまっている言語的イメージ。逆に言語表現化されたものは「顕在テクストPhänotext」と呼ばれる。

(46) Anne Übersfeld, »Die lückenhafte Text und die imaginäre Bühne«, aus: L’École du spectateur, Paris 1981, in: Lazarowicz/Balme (Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.394ff.

(47)ペーター・シュタインによるゲーテファウスト』の演出については以下を参照。Urs Jenny, »Der das Unmögliche begehrt«, in: Der Spiegel 21/2000. とりわけイェニーは「批判を欠いたテクストの完全性」という演出目標とそれによって生ずる「演劇の補助芸術の評価僅少」を批判する。

(48) Michael Haerdter, »Samuel Beckett inszeniert das >Endspiel<«, in: Materialien zu Becketts »Endspiel«, Frankfurt/M. 1968, S.72ff.

(49) Vgl. Hans-Thies Lehmann, Postdramatisches Theater, Frankfurt/M. 1999, S.129ff.

(50)加えていまなお基本とされているテオドール・W・アドルノの以下の文献を参照。Ders., »Die Kunst und die Künste«, in: ders., Ohne Leitbild. Parva Aesthetica, Frankfurt/M. 1967, S.158-182.またその批判的なコメンタールとして以下も参照。Christine Eichel, Vom Ermatten der Avantgarde zur Vernutzung der Künste. Perspektiven einer interdisziplinären Ästhetik im spätwerk W. Adornos, Frankfurt/M. 1993.

(51)それどころかノーラ・エッカート(Vom der Oper zum Musiktheater. Wegbereiter und Regisseure, Berlin 1995)は「音楽劇」の概念を革新的演出の領域のために確保し、そうした演出方法でこれをオペラの伝統から際立たせようとしている。

(52)これに関してはユルゲン・シュレーダーの寄稿論文を参照。

(53)このように「オペラの世界においてアヴァンギャルド的な言語劇演出を」スペクタクルによって「押し入れる」ことを際立たせたのは、1981年にハンス・ノイエンフェルス[1941-,ドイツの前衛的演出家]がフランクフルトで行った『アイーダ』の演出である。

(54)このようにミケ・バルは本論集に掲載された寄稿論文において述べている。

(55) Gerhard Koch, »Des Teufels Video-Zentrifuge. Und immer wieder Höllensturz. >Damnation de Faust< von Berlioz in spektakulärer Optik«, in: FAZ, 21.8.99.

(56)こうした可能性を証明して見せたのが、語り手、俳優、歌い手と三人の演奏者のための『舞台上で』(1962)と題されたマウリシオ・カーゲル[1931-2008, ハプニングを取り入れたドイツの前衛作曲家]の「室内音楽劇」であった。

(57) Vgl. Hermann Danuser, »Inszenierte Künstlichkeit. Musik als manieristisches Dispositiv«, in: Wolfgang Braungart (Hg.), Manier und Manierismus. Festschrift für Ludwig Fischer, Tübingen 2000. これと似たような結論をもつのが、文学の執筆プロセスを演出化の意図の機能として再構成する試みである。虚構的な叙述形式全体を特徴づけるロールプレイの契機は、とりわけ意識的に構成された美的な主観性という意味でのロマン主義によってモデルネの破壊概念と複数化概念にまで先鋭化していったが、この再構成の試みによってそうした契機とその先鋭化は「舞台裏」の機能のように思え、読者がその機能を実演することは技巧的な能力として解読され得る。Vgl. Andrea Erb, Schreib-Arbeit. Jean Pauls Erzählen als Inszenierung »freir« Antorschaft, Wiesbaden 1996, また哲学の執筆戦略への応用に関しては Doris Kolesch, Das Schreiben des Subjekts. Zur Inszenierung ästhetischer Subjektivität bei Baudlaire, Barthes und Adorno, Wien1996.

(58)ここには、1997年に芸術史家同盟によって開催された大会「芸術作品の演出化」の難点がある。この意味で大会の序文はこう述べる。「以前から芸術作品は演出化によって上演され、そのアウラが強調されて、その暗示力は特定の方向で強化されていた」。そのさい、表現されている現象において[演出と真正性という]規範的な対立が間接的に問題となっているという事実は、大会のテーマ選択のアクチュアリティを基礎づけている要求、すなわち〈芸術史は媒体世界の「演出化されたイメージの洪水から芸術を擁護する者」にならねばならない〉という要求を示している。

(59) Vgl. Elisabeth Jappe, Performance, Ritual, Prozeß. Handbuch der Aktionskunst in Europa, München/New York 1993.またKunstforum International96号の »Perfomance und Performance Art«, Köln 1988.も参照。

(60)リチャード・スケックナーのテーゼは以下を参照。Drama, Script, Theater and Performance (1973), そのドイツ語訳はin: Lazarowicz/Balme(Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.387-394.

(61) Fischer-Lichte, »Inszenierung und Theatralität«, in: Willems/Jurga (Hg.), Inszenierungsgesellschaft, a.a.O., S.81-90.

(62) Survin Darko, »Reflexionen über Happenings«, in: Lazarowicz/Balme (Hg.), Texte zur Theorie des Theaters, a.a.O., S.660.

[*8]ネオダダ、ポップアートと並ぶ60年代の前衛芸術運動。その活動はハプニングからは区別されて「イベント」と呼ばれ、ゲーム性と日常性を芸術のうちに持ち込むという特徴をもつ。

(63) Vgl. Arno Schilson/Joachim Hake (Hg.), Drama »Gottesdienst«. Zwischen Inszenierung und Kult, Stuttgart 1998.

[*9]夫フリスト・ヴラディミロフ・ヤヴァシェフ[1935-]と妻ジャンヌ=クロード[1935-2009]の共同名義。人工物や自然などを大規模に「包装」する手法を特徴とするランドアート系の芸術家として知られる。1991年に行われた「アンブレラ・プロジェクト」では、カリフォルニアの砂漠地域と茨城県の水田地帯に黄色と水色の巨大な傘が千本以上設置された。

(64)芸術におけるもっとも野心的なこの種の企画に数えられるものとして、これまでに「総体芸術」を宣言する、IBAエムシャーパーク構想[衰退したルール地域の環境・都市再生計画]の枠内での活動「芸術は印づける」がある。芸術家たちはかつての産業の地を「ランドマーク」に変え、これによってこの地に、「産業文化を証言するものを保存すると同時に、社会的に転換した地として体験可能にする」デザインを与えている。この活動は景観全体の演出化と解されるが、そのさい「山麓で住民と芸術家カップルが参加する演出化された路上祭り」のような比較的小規模なイベントがその演出化に織り込まれている。Vgl. Peter Pachnicke/Bernhard Mensch (Hg.), Kunst setzt Zeichen. Landmarken-Kunst, Ausstellungskatalog, Oberhausen 1999.

(65) Vgl. Hubert Christian Ehalt (Hg.), Inszenierung der Gewalt. Kunst und Alltagskultur im Nationalsozialismus, Frankfurt/M. 1996; Sabine R. Arnold u.a. (Hg.), Politische Inszenierung im 20.Jahrhundert. Zur Sinnlichkeit der Macht, Wien 1998; Werner Durth, Die Inszenierung der Alltagswelt. Zur Kritik der Stadtgestaltung, Braunschweig 1977; Wolfgang Pehnt, »Die Inszenierung macht die Stadt konkurrenzfähig. Nicht nur Lille und Bilbao setzen dabei auf Architektur«, in: FAZ, 25. 4. 98; Babara Baumüller/Ulrich kuder/Thomas Zoglauer (Hg.), Inszenierte Natur. Landschaftskunst im 19. und 20. Jahrhundert, Stuttgart 1997. 

(66)こうした意味においてエデュアール・ボシャンは、展示制作者ハラルド・スゼーマンへの1999年マックス・ベックマン賞[1978年からフランクフルト市が優れた造形芸術に授与している賞]の授与に対し次のような言葉でコメントしている。「今日、効果を自覚した舞台造形、荒々しい演出劇、奇抜なテーゼ熱が蔓延している。「観念主義」の勝利と混乱した芸術概念を宣伝する者は、結局のところ展示制作者も芸の人Artistenであると思われていることに驚いてはいけない」(FAZ, 1.12.1999)。芸術空間においても観客が「贅沢な演出」を要求する事態は、このことに関連させるべきだろう。美術館の領域での演出化に関しては以下を参照。Ulrich Paatsch, Konzept Inszenierung: inszenierte Ausstellungen – ein neuer Zugang für Bildung im Museum? Heidelberg 1990.

(67) Vgl. Bd. 142 von Kunstforum International, »Levenskunstwerke«, Köln 1998.また以下も参照。Ursula Schöndeling/Kerstin Thomas (Hg.), Körperinszenierungen. Choreographien und Maskeraden. Ausstellungskatalog der Oper Frankfurt/M. 1999.

(68) Vgl. Bd. 148 von Kunstforum International, »Ressource Aufmerksamkeit. Ästhetik in der Informationsgesellschaft«, Köln 1999/2000.

(69)これによって芸術と流行の領野が互いに接近する。このように1998年にウィーンのキュンストラーハウスで開催された展覧会「今日の流行、明日の生」のキュレーターたちは、時代に即した身体イメージで応答している。アヴァンギャルド的な流行は、後の日常の演出化を支配するあらたな「文化的イメージ」を創造する。

(70) Vgl. Mike Sandbothe, »Theatrale Aspekte des Internet«, in: Willems/Jurga (Hg.), Inszenierungsgesellschaft, a.a.O., S.583-595.

(71) Roland Barthes, Die helle Kammer. Bemerkungen zur Photographie, Frankfurt/M. 1985, S.86f. [バルト『明るい部屋-写真についての覚書』花輪光 訳、みすず書房 1997].

(72) Vgl. Klaus Honnef (Hg.), »Inszenierung Fotografie«, in: Kunstforum International, Bd. 83 u. 84, Köln 1986; Andreas Müller-Pohle, »Inszenierende Fotografie«, in: Fotovision – Profjekt Fotografie nach 150 Jahren. Ausstellungskatalog Hannover 1988, S.12-15.

(73) Hubertus von Amelunxen/Stefan Iglhaut/Florian Rötzer (Hg.), Fotografie nach der Fotografie, Dresden/Basel 1995.

(74)特別な演出化の問題系への寄与として以下が指摘されねばなるまい。Ernst Karpf u.a.(Hg.), Getürkte Bilder. Zur Inszenierung des Fremden im Film, 1995; Bernhard Groß, »Inszenierung und Authetizität. Realitstische Tendenzen im zeitgenössische Kino«, in: Freitag, Nr.49,3.12.1999.

(75) Walter Benjamin, Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reprodukzierbarkeit (1936), Frankfurt/M. 1985.[邦題『複製技術時代における芸術作品』高木久雄・高原宏平訳、晶文社 1999].

(76) Siegfried Kracauer, Theorie des Films. Die Errettung der äußeren Wirklichkeit, Frankfurt/M. 1985.

(77)その歴史的発展に関しては以下を参照。Gabriele Brandstetter, Tanz-Lektüren. Körperbilder und Raumfiguren der Avantgarde, Frankfurt/M. 1995.

(78) Jochen Schmidt, »Die Avantgarde stirbt, doch sie ergibt sich nicht«, in: FAZ, 31.7.2000.