un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介。未発表の翻訳いっぱいあります。

J・キュッパー、Ch・メンケ編集『美的経験の諸次元』(2003)目次と序論

 Joachim Küpper und Christoph Menke, hrsg. Dimensionen ästhetischer Erfahrung, (Frankfurt a,M.:Suhrkamp 2003.) の序論が、ガダマー以降の「美的経験」の議論状況とその議論が孕む問題点を簡潔に整理していてなかなかよかった。

 

        『美的経験の諸次元』

                  目次

 ヨアヒム・キュッパーとクリストフ・メンケによる序論

 1.ディーター・ヘンリッヒ:「プロセスとしての主観性とモデルネの芸術におけ   る転換」

 2.リュディガー・ブプナー:「美的経験と美術館のあらたな役割」

 2.リチャード・ローティ:「自己関連性からの解放手段としての小説」

 3.リチャード・シュスターマン:「ウィトゲンシュタインの身体感性論:精神哲  学、芸術哲学、政治哲学における身体的感覚」

 4.ゴットフリート・ベーム:「生き生きとしたもののトポス。絵画史と美的経験」

 5.ヴェルナー・ブッシュ:「カスパー・ダーヴィット・フリードリッヒの美的抵抗主義」

 6.エリカ・フィッシャー=リヒテ:「閾の経験としての美的経験」

 7.ゲルトルート・コッホ:「フィルムの世界:世界を含み込む映画的投影について」

 8.ヴォルフガング・イーザー:「美的なものの現在性について」

 9.ハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト:「顕現」

 10.ゲルト・マッテンクロット:「学問用語におけるメタファー」

 11.バーバラ・ヴィンケン:「交差する美的経験:ボヴァリー夫人の場合」

 12.ライナー・M・ベーゼル:「美的感覚:神経心理学的通路」

 13.ヘルムート・レーダー:「心理学の美学への接続:随意と習熟」

 14.ディートマー・トット:「美的経験によって思考可能となる進化の遊戯素材としての儀礼」

 

 

ヨアヒム・キュッパーとクリストフ・メンケによる

 序論

  「美的経験」は、今日まで影響を及ぼしているその〈あらたな弾き始めNeueinsatz〉以来、二〇世紀の六〇年代後半から七〇年代前半において美学の議論を形づくった主導概念である。この〈あらたな弾き始め〉が記号論構造主義や言語分析や解釈学もしくは現象学のように、どれほどさまざまな理論史的源泉によって促進されようと、この主導概念は静止した対象の像から目を背け、その対象に向けられる自己化Aneinigungや評価や利用や変容のプロセスに目を向ける。なるほど、この〈あらたな弾き始め〉の多様な流儀Spielartenにおいて、より適切な仕方で後に残されるべきであった概念規定を「美的経験」の用語法が書き換えてしまっていないかという問題については未解決である。だからハイデガーに定位するおよそすべての追従者にとって、美学は形而上学の素っ気ない流儀と思われている。とはいえ、こうした疑念とは逆にドイツ語圏の議論における「美的経験」の話は、美学の対象領域にとってだけでなく、美学の根本概念にとってもその標識として確固たる地位を占めた。そこでは(芸術批評、芸術学、哲学といった)美学のあらゆる平面は、けっきょく経験へと引き戻して関連づけられる。「美的経験」が構想されたために、それついての「学」はありうるのか、またありうるならどのようにしてかという問いが問われるようになったわけではないにせよ、この〈あらたな弾き始め〉以来、人はアレクザンダー・ゴットリープ・バウムガルテンにおける当初の定義を変えながら、美学を美的経験の学として定義できるようになった。

  このように経験を反省する美学の〈あらたな弾き始め〉の要点は、対象の受容と自己化のプロセスへの方向転換のうちに存する。だがそのさい、とりわけ最初に問題となったのは、この対象それ自体のよりよい理解であり、もっといえばそうした対象の中でも、以前からもうすでに美学の中心を占めていた芸術対象のよりよい理解であった。美的経験の理論は最初、芸術のあらたな理論に向けられていた。このことは、リュディガー・ブプナー、マックス・イムダール、ヴォルフガング・イーザー、ハンス・ローベルト・ヤウスといった著者において明らかである。美的経験に関する彼らの考察の開始点をなしたのは、芸術作品を熟慮された真理の審級として理解する伝統的な作品美学の批判である(これによって彼らの考察はロラン・バルトポール・ド・マンと結びつく)。もし彼らの考察が作品において生起する真理の品位を貶め、脅かそうとしないなら、作品を自己化するプロセスすべては真理に次ぐたんなる二次的で、ただ純粋に反復していればよいものになってしまう。ドイツ語圏の議論において、ドイツ観念論の芸術の形而上学に引き戻されるような作品概念の痕跡が多少なりとも見受けられるのが、アドルノ、ガダマー、ハイデガーの構想であった。これらの構想がどれほど自らの権利をあつらえようと、継承された作品美学に対して美的経験の構想が定式化した批判の方法的論点は広範囲にわたる。この論点によれば、まず問題となるのは、そもそも作品の概念はどこで、どこから調達されるのかという問いである。また美的経験の構想のテーゼは、〈この美的経験の概念は芸術に向けるわれわれの視座から、それゆえ芸術はどのような仕方でわれわれに与えられているかというところから調達されねばならない〉と述べている。芸術はわれわれの経験を通じて与えられるが、もっと言えば、[その場合]われわれが制作者の立場にあるか受容者の立場にあるかはもはやどうでもよくなってすらいる(1)。そのさい、〈芸術がわれわれに与えられているということはどうすればもっとも適切に分析されるか〉ということについてはまたさらに論争可能である。たとえば、現象学的記述や、解釈学による解釈や、言語分析による区別によるのが適切か、もしくは普遍的で抽象的な方法ではまったくなく、ただ個々の範例的な経験遂行が個別の芸術対象をどう示すかを調べるのが適切かについて論争することができよう。だが、このようにさまざまな方法が継ぎ足されることによってむしろ統合されてゆくのは、芸術の下でわれわれが理解するものをそれらの方法が経験におけるその与えられ方から捉える仕方である。

  ドイツ語圏での論争で早くから明らかになったのは、美的経験の概念を美学に導入することは、これまで特権化されてきた芸術という美学対象の捉えなおしだけを意味するものでないということである。むしろ美的経験のプロセスに注意を向けなおすことは、美学全体を根本的に変容させかねないダイナミズムを作動させた。それに応じて美学の方向を決めなおすことで、美学の区分や境界線引きも変わってくる。経験の概念から出発する美学は芸術理論に限定されることはないし、実際、もはやまったく芸術理論を中心に据えずに済む。それは、芸術作品がその経験という視座から眺められるようになるやいなや、数多くの非芸術的な対象の存在が明らかとなったからであり、そうした対象の元でなされる経験も、美的なものという同じ概念でじゅうぶん整理できるほど、芸術作品の元でなされる経験と多くの共通性を有しているからである。それゆえ、もともと芸術理論に動機づけられて美的経験へと転換してゆくことは、美学の領域の根本的な再編に、いやむしろその開放、複数化に向かってゆく。デザイン、モード、身体技術、媒体、自然――これらすべてはいまや美学にも属している。それどころか実際に振り返ってみると、この影響はその提唱者にもせいぜい部分的にしか自覚されていない〈美学的転回aesthetic turn〉の動機として、つまり基礎概念の改定によって美的なものの領域を芸術概念への集中化から徹底的に解放する動機として現われるかもしれない。

  同時にこのことは、美的経験への転換と結びついた、美学の伝統との断絶が真理-美学的な作品概念の構想にのみ関わっておらず、より広くより深いところにまで進んでいるということをも意味している。この転換が対抗する美学理解は、自律的な芸術という概念に集中し、もっとも決定的な仕方でドイツ観念論の美学構想を宣伝するものである。このように、経験の概念へと美学を向けなおすことが同時に、一八世紀以来の美学史の修正を伴うものでもあることが説明されねばならない。一方で美的経験の理論家は、一七世紀後半から一八世紀後半にかけての観念論時代以前の美学から、多かれ少なかれ挫折した構想を取り上げる。同時に[他方で]、観念論以降の美学において、また実際には観念論の美学においてすら、自律的な芸術作品の理論への限定に対抗する萌芽が再発見される。非観念論的な仕方で作品に集中する美学のそうした伝統が取り上げられることによって、[観念論美学に対抗する]現在の萌芽は自らの洞察をよりよく分節化するための多彩な富を手に入れている。しかし部分的ではあるがこれによって明らかになるのは、美的経験の理論が目下直面している諸問題である。そこでは二つの複合問題が特別の意義を獲得したのだった。

  二つの複合問題のうち第一のものは、すでに言及した美学領域の拡大と関連している。この拡大を議論する美的経験論の主題設定の一つは、自然美ないし自然美学という主題である。芸術がその経験という視座から把握されるなら、観念論の美学が芸術美を自然美から区別するだけでなく自然美を芸術美に従属させた議論はもまた無効となる。しかし自然美と共に、一八世紀の観念論以前の構想にとって決定的な意味を持っていたカテゴリーが美学の論争のうちに舞い戻ってくるだけではない。これに加えて美学は、ハンス・ゲオルク・ガダマーが美学史(とその歴史記述)を概観する際にその「主観化」と特徴づけたある複合問題にまたあらためて出くわすのである(2)。これによりガダマーは、対象の美的なものをその客観的体制からではなく、この対象と関わる主観が及ぼす自発性から規定しようとする試みの特徴を挙げている。一八世紀の美学においてとりわけこうしたことは、たとえそれがもう一つ別の「美しき思考」のあり方として理解されようと(バウムガルテン)、認識力の遊動的解放として理解されようとも(カント)、主観の認識力が有する自発性である。自然美への注目と美的主観やその自発性への転換は、いまや明らかに外面的にのみ関連しているのではない。というのは、どのような芸術作品が可能であるのか、つまり〈個別的な表現の内実が客観的に与えられるものとしての美的な質〉を理解することは、自然美の場合では除外されるからである。自然美において対象の側には、美の客観的な規定がとりかかりを見出しえるようないかなる表現能力も存在しない。それゆえ、自然美学の構想が一貫して形成されることで美的経験の現在の理論は、ガダマーが一八世紀の美学に対してなした主観化という診断にもふたたび直面している。

  美的経験の理論が美学の伝統へと訴求してゆく際にぶつかる第二の複合問題は、この点に接続している。というのは、伝統的に特権化されてきた芸術美を美的経験が解体したことが自然美の再発見では終わらずに、美(もしくは崇高)一般にも妥当するからである。そのさい美的経験はあらゆる可能性から成立しえる。つまり美的経験は、対象や状況や人物一般との関わり合いの個別形式として記述可能となる。さらに経験概念の意味も変化する。つまり美的経験は世界における道しるべとして現われるのである。もっと言えば、このように美的なものの道しるべがそもそも形成されているか、またどの程度形成されているかはある文化の成功にとっての本質的な尺度としても現われる。それゆえ、美的経験という主導概念への転換は芸術理論的であるのみならず美学理論的な転換でもあり、同時に社会理論的で文化理論的な帰結をも生じさせる。それは、この転換によって、(肯定的な評価と否定的な評価を伴いながら)社会的・文化的な諸変革を「美学化Ästhetisierung」のプロセスとして記述する美的なものという概念が利用可能になるからである。まずこの帰結はポストモダンをめぐる論争において示されるが、その論争もまた美学史の前段階に引き戻される。一方で一八世紀の美学理論の流儀、たとえばスコットランドイングランド啓蒙主義の共通感覚の構想がこの前段階に属している。この構想において、美的経験のための能力を形成することは文化化(もしくは文明化)の一般的プロセスの一部である。だが[他方で]さきに示された[社会・文化の美学化という]契機は、ポストモダンをめぐる論争をプラグマティズム美学への連結とも結びつける。ジョン・デューイにおいてこの美学は明らかに、芸術を(美的)経験として観察し、それによって美的経験を芸術へと排他的に結びつけることから引き剥がし、また美的経験を社会の問題解決の生産的源泉として考慮しようとするプログラムの下にある(3)。だがスコットランド啓蒙主義プラグマティズム美学は、美学と倫理と政治学とを適切に関係づける問題(調和によってのみならず、相違によるか、そうでなければ否定性によって規定される関係)をも残している。

  これによって二つの領域が示されるのだが、そこでは美学の生産的拡大が代案としてのかつての伝統だけでなく、この伝統に結びついた概念上の諸問題に加え、美的経験の理論が批判する観念論美学がすでに明らかにしていた問題をもふたたび浮かび上がらせる。これら二つの問題領域とかかわることは、目下行われている論争を先鋭化させる。この論争を通じて、美的経験論の企てはその自己反省の段階に入ってゆく。

  一八世紀の伝統への訴求してゆくなかで毒性を持つようになる第一の問題は、しばしば主観的なもの客観的なものとの関係として言いなおされている。これによって立てられるのは、受納する主観の自発性の研究がその対象と関わる記述方法とどう関係しているかという問いである。カントが美的対象を主観による美的遂行のたんなる「きっかけ」として言い表したように、対象をそれ以上規定できない従属的な立場に追いやっているという非難が、美的経験論に対してもくり返しなされている。そのさいこうした議論の仕方で示唆されている、対象とその経験との外在的・因果的つながりの論理学は、一九世紀になって主観の反応を経験科学の方法で研究する経験主義的な美学の成立にいたった(4)。美学のこうした行程は、美的経験の遂行を経験主義的に研究することによって生物学や心理学に受け継がれる。こうした継承にその内容の面でではなく構想の面で反対の立場を定式化するのが、美的経験の解釈学的な構想とプラグマティズム的な構想である。両者は美的経験を主観の出来事として(何らかの意味で主観のうちに陣取られた出来事として)ではなく、主観と客観が協同する実践として理解する。

  [美的経験をめぐる]現在の議論において重要性を獲得した第二の問題は、芸術と芸術作品とに関わっている。なるほど、もともと六〇年代と七〇年代の美的経験論は、芸術とその作品のよりよき理解の達成を求めていた。この関心事は後に背景に退き、美的経験のその多様な流儀を探求しようとする関心に上書きされた。とはいえ、〈美的経験は芸術の領域の向こう側にも存在する〉という正当な指摘によってはまだ、芸術の場合における特殊な経験形態はどこに存するのかについて語られていない。だがこの問題によって、そもそも芸術一般die Kunstにとって特殊な美的経験の形態などというものが存在するのか(さまざまな芸術があるのだからそれと同じくらい多くのさまざまな美的経験の仕方が議論されねばならないのではないか)というより広範な問題が先鋭化されて現在の議論のうちに登場してくる。これによって、芸術作品を中心とするかつての美学の伝統が討議に付した問いが美的経験をめぐる議論のうちに戻ってくる。たとえばそれは芸術の統一と分類の問いであり、より根本的なものとしては、そのつどの芸術作品のユニークな所与性に対するときにそもそも普遍的な規定は可能かといった問いである。

  さまざまな美的経験論が別の反省的な自己理解を得るときにのみ、これらの問いは応えられる。まずこのことは、美的経験論から明瞭に区別される自律的芸術作品の旧式理論との関係に関わってくる。芸術作品理論から経験理論へのこうした歩みを理解する安直なやり方は、これを理論的かつ方法論的進歩とみることである。しかしふり返ってますます明白に理解されるようになるのは、たとえそうした進歩があっても、芸術や芸術分野や芸術作品の規定への要求が力を失うことはないということである。少なくとも、あらためて美的経験論がたんなる「主観化」の謗りに晒されたくないなら、その規定の要求は力を失うことはない。それだけではない。さらにまたわかってくるのは、美学の領域におけるこうした転換がその対象領域の変容プロセス(まずはとりわけ芸術の変容プロセス、そしてそれを超え文化と社会における変容プロセス)と同時になされたということである。理論だけでなくその対象の体制が変わったために、当の理論も変わったのである。こうしたことが当てはまるのは、美的経験への転換の根底に、芸術の領域に深刻な変化が起こったのではないかという、多くは暗示され口に出して言われない推測がある場合であろう。いいかえればそれは、芸術がその大もとから別の体制をとりはじめるものだから、もはや伝統的な作品カテゴリーによっては把握不可能になっているのではないかという推測である。この暗示的な推測を明白にする方法はさまざまにある。たとえば芸術の転換は、娯楽や消費主義のために偉大な芸術作品の真理要求を断念することとして解釈されたり、あらたな経験方法と表現方法を実験的にテストするための芸術開放として解釈されたり、作品それ自体において芸術の現状と今後を反省的に主題化することとして解釈されたりもできる。ここでどのように決定されようとも、[芸術の転換についての]この問いをめぐる論争が示すのは、美的経験の説得的な理論になるのは美的経験それ自体の理論であるということである。

  本書に収録された一五本の寄稿論文は、二〇〇一/〇二年のベルリン自由大学での連続講義に遡る。一連の論文は、「美的経験」の厄介な複合問題を目下可能なものの視点から触診せんとする意図をもっている。これが暗示しているのは、美的経験の統一理論の完成やその序説は問題となりえなかったということである。多くの寄稿論文がその問題を哲学的観点から論じている。「大陸の」(ドイツの)哲学者の両代表(ディーター・ヘンリッヒとリュディガー・ブプナー)と対照をなすのは、プラグマティズム的なものの見方をする二人の代表者(リチャード・ローティとリチャード・シュスターマン)である。これに、芸術学的観点(その対象は視覚的なものが優先されている)から四つの研究が続く。その研究のうち二つは芸術史からきている。そのうちの一つはむしろ理論的に解釈し(ゴットフリート・ベーム)、もう一つはケーススタディの基礎を主に問おうとしている(ヴェルナー・ブッシュ)。演劇ないし映画を含む成立史的に比較的若い芸術学からはそれぞれ一つずつの研究があるものの、一方はむしろ理論的な視座を持ち(エーリカ・フィッシャー=リヒテ)、もう一方は前者よりも強力に具体的な対象に支えられている(ゲルトルート・コッホ)。文芸学的観点からする四つの寄稿論文の根底には、ある比較可能な論点の順序がある。そうした寄稿論文のうち二つ(ヴォルフガング・イーザーとハンス・ウルリッヒ・グンブレヒト)は自らを一般的美学理論のための議論としている。ゲルト・マッテンクロットの寄稿論文は比較的特殊な問題設定から出発し、バーバラ・ヴンケンの論文はむしろ特殊なテクストから出発しているが、両者とも本書の重要な議論を豊かにしようとする意図をもっている。連続講演の組織者と本書の編集者は、経験主義な学問との対話を模索しながら、あらたな土地へと足を踏み入れている。しかしこのことがさきに粗描した[芸術と美学の]転換に助けられて当然なものとして現われるのは、まったく強制されていない場合である。美的経験がもはや「偉大な芸術作品」の経験に結びつけられず、おそらく積極的に配された注意能力と呼びうるようなものの個別のバリエーションであるなら、神経心理学的な観点から(ライナー・M・ベーゼル)や実験心理学から(ヘルムート・レーダー)、その特質は限定されるか、されるならどの程度かと問うことは正統なものとなる。またあらゆる芸術形而上学と決別し、人類史における第二のナルシズム的侮辱を克服した後には、ディートマー・トットと共に〈たとえば鳥のさえずりでわれわれになじみのある動物の王国においてそのまま目的に沿わずに遠のかせるあの[動物たちの]ふるまい方は、われわれが「美的経験」という人間的な領域で語る場合に示唆するものの進化の前段階でありうるか〉と問うたとしても、それはもはやなんら大胆なことではなく、むしろ合理的であると言えるだろう。

 



(1)制作者によってもその作品が(工芸製品や工業製品としてでなく)芸術的な対象となるのは、制作者の(美的な)経験によってのみ与えられる。

(2)ガダマー『真理と方法』S.48ff.[翻訳第一巻60頁以下参照] ここでガダマーが反対している、美学の発生史の解釈は明らかにアルフレット・ボイムラーの解釈であるが(『一八世紀から〈判断力批判〉にかけての美学と論理学の非合理性問題』1923)、おそらくまた(とりわけ『啓蒙の哲学』1932の)エルンスト・カッシーラーの解釈でもあろう。

(3) J・デューイ「経験としての芸術」(1934)

(4)『美学基礎辞典』(2000)の「美学/美学的」の項目を参照。