読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

ポール・リクール「修辞学、詩学、解釈学」

[以下は Paul Ricœur, «Rhétorique, poétique, herméneutique» (dans: Lectures 2. La contrée des philosophes, Paris: Seuil 1999.) の試訳]

 

 

 ここで探求されることになる主題のむずかしさは三つの学科の傾向から生じているのだが、それらはそれぞれの全体化的意図に引きずられて領地すべてを覆い尽くさんとするほどお互い侵食し合うよう宿命づけられている。領地とはいかなるものか。それは、文以上に拡張された意味の統合形象化において分節化されるディスクール領地である。この制限条項によって、私はこれら三つの学科を、文という制限において解されるディスクールの理論のレベルよりも上位のレベルに置きたいと思う。この単純なレベルで捉えられるディスクールの定義は、私の探求の前提となってはいるものの、その探求対象ではない。私がバンヴェニストヤコブソンとともに読者に認めていただきたいと思うことは、〈ディスクールが意味をなす最初の単位は語の辞書的な形式における記号ではなく文である、つまり述語を論理的な主語に関連づける(もしくはP・ストローソンのカテゴリーを用いるなら、述語による特徴づけの作用と主語の措定による同定の作用とを結合する)複合単位である〉ということである。かくしてこうした基礎単位のうちで使用される言語は、〈誰かが何かについて誰かに何事かを語る〉という定式化によって定義できる。〈誰かが語る〉ということについていえば、発話者は何かを生じさせる、すなわち発話作用、言語行為を生じさせ、その発話内的な力はあるときは契約、あるときは注文、またあるときは約束などを生み出す正確な構成的規則に従っている。〈何かについて何事かを〉という点についてみるなら、この関係は、意味を指示と結合させることによって発話そのものを規定している。〈誰かに〉という点については、発話者がその話し相手に向けて発する言葉は、共有されるメッセージをその発話によって生み出す。言語哲学の仕事は、〈言語はそれ自体で自ら自身の目的ではない〉ということを教える三つの主要な媒介、すなわち人と世界との媒介、人と他人との媒介、人とその人自身との媒介を関連づけるこうした機能を明らかにすることである。文の次元で意味作用する単位として理解されたディスクールというこの共通の基盤に基づいてこそ、われわれがこれからその競合的で相互補完的な意図を比較しようとしている三つの学科が離れあう。これら三つの学科によってディスクールは自らのまさに記述的な意味を、すなわち文よりももっと広大な意味作用の単位による分節化を獲得する。われわれがこれから位置づけようとしている類型論は、オースティンとサールが提起しているそれには還元し得ないものである。実際、発話作用の発話内的力が機能している言語行為の類型論はディスクールの文のレベルで成立する。それゆえ、言語行為の類型論、すなわちディスクールのまさに記述的で文を超えた使用の類型論にあたらしい類型の類型論が課せられているのである。

 

修辞学

  修辞学とは、言語をディスクールとして使用するもっとも古い学科である。修辞学はわれわれの世紀以前の六世紀シチリアで生まれた。さらに、ハイム・ペレルマンが哲学的ディスクールを探求するためのガイドとして取り上げたのが修辞学であり、それは『レトリックの帝国』という彼の著作タイトルの表現にいたるまでその著作全体を通じてそう言える。

  いくつかの主要な特色が修辞学を特徴づけている。最初の特徴は、先に挙げた『レトリックの帝国』で展開されたところからその中心を規定している。今後、ディスクールとしての言語使用の領域全体を修辞学がどの程度、覆い尽くさんとしているかを把握する時がやってくる暁には、この特徴が見失われることがあってはならないだろう。修辞学を規定しているのは、まず、いくつかの典型的なディスクールの状況である。アリストテレスはそうした三つの状況を規定しており、それらは討議的なもの、法律的なもの、演説的なものの三つのジャンルを支配している。このようにして、議会、法廷、記念集会という三つの場が示される。かくして特定の聴衆が修辞的技法の特権的な受取人となっている。聴衆たちは、どちらかを選ぶことが問題となっている対立したディスクール間の競合状態を共有している。どちらの場合でも、重要なのは他のディスクールについての判断を優性にさせることである。先に挙げたいずれの状況においても、論争は決定の切れ味をもたらす。演説のジャンルにおいてでさえ、この点にかんしては係争ないし訴訟が有する大きな意義を語ることができる。

  修辞技法の第二の基準は、議論によって演じられる役割のうちに、すなわち必然的なものの強制と偶然的なものの恣意性との間の中道に置かれる推論の様態によって演じられる役割のうちにある。検証と詭弁との中間を支配しているのがありそうなものの推論であり、アリストテレスは弁証論のうちにその理論を登録し、かくして修辞学によって「アンチストロペー」[古代ギリシャの詩作技法。先行する第一韻律を受ける第二韻律]を、つまり弁証論の応答をつくりあげている。論証的ディスクールと純粋な魅力をもったディスクールのうちに隠された暴力との中間にある推論的ディスクールを獲得することが重要になるのは、まさに前述の三つの典型的な状況においてである。どのようにして論証が少しずつ実践理性の領域すべて――この領域においては、たとえ道徳や義務や政治が問題となっていても、好ましいものが討議を呼びこむ――を征服し得るのか、また修辞学がその限界にいたる際にわれわれは後でいたることになるが、どのようにして論証が哲学の全領域を征服するようになるのかが既にわかる。

  しかし、第三の特色は修辞学の領域をあまりにも早く増幅させんとする野望を和らげてくれる。聴衆に定位することは、ディスクールの論証による支配によって廃棄されることはけっしてない。それは、論証の意図が説得にあるからである。この意味で、修辞学は説得を目指すディスクールとして規定され得る。修辞学の技法は働きかけるagissantディスクール技法である。このように説得というレベルにおいては、言語行為でもそうだが、言うことは成すことである。演説者は自らの聴衆の賛同をもぎ取ろうとたくらみ、然るべきときには、望まれた意味において働きかけようとたくらんでいる。この意味で、修辞学は発話内的であると同時に発話媒介的でもある。

  しかしどのように説得するのだろうか。最後の特色が、光を放つその光源で捉えられる修辞学の技法の輪郭線をなお明確にすることになる。聴衆に定位することは、演説者が聴衆と共有している容認された理念から始めるということを含意している。演説者が聴衆を自分自身のディスクールに順応させるのは、まず聴衆を認められている理念の主題に順応させる場合だけである。その際、論証はけっして創造的に機能することはない。論証は認められた承認を結論に基づいて前提条件に移す。あらゆる媒介的――その上、極めて複合的で洗練されたものであることが判明する――技術は効果的に賛同させるものであり、聴衆に推測されるものでありつづける。なるほど、証明にもっとも固執する論証は説得を確信のランクにまで高めることができる。しかし、論証は説得によって、すなわちディスクールを聴衆に順応させることによって規定される円環から外にでることはない。

  最後に、措辞と様式――現代人はあまりにもここに修辞学を切り詰める傾向をもちすぎてしまった――について一言いっておかねばならない。とはいえ、まさに聴衆に定位しているからといって、修辞学を抽象化することができるだろうか。様式や表現法や転義法といった文彩は、たとえそれらが論証に役立つものである場合でも、単なる装飾に貶められていなくとも、説得の技法を選好の技法にまで引き伸ばす。

  修辞学の光源についてのこのような記述は、すぐにも修辞学の曖昧さを露にさせる。修辞学は、哲学と同等たらんとする野望を有している点で、衰退の強迫と全体化の要求との間を絶えず揺れ動いてきた。

  では、衰退の強迫からはじめよう。これから語るあらゆる特色によって、ディスクールは傷つきやすさと病理学への傾向を明らかにする。弁証論から詭弁への傾斜は、プラトンの目からすると、修辞学的ディスクールのもっとも大きな傾きを規定している。説得の技法によって、人はすぐにも欺きの技法に移ってしまう。容認された理念に基づく前もっての同意は、偏見というありふれたものへと傾斜してゆく。すなわち、選好の技法によって人は、ディスクールの暴力に他ならない魅惑する技法へと移ってしまうのである。

  政治のディスクールが、もっともこうした堕落に落ちやすいものであることは間違いない。イデオロギーといわれているものは、修辞学の一つの形であり、つまりは最善のものであり最悪のものである。最善のものである場合、イデオロギーは、容認された理念として(国民国家、国民、政党等々といった)集団の自己同一性を保証する象徴や信念や表象の総体である。この意味で、イデオロギーは社会を想像上で構成するディスクールですらある。しかし、その同じディスクールが堕落へと転ずるのは、成立の出来事に支えられた最初の証言との接点を失い、既にある秩序を正当化するディスクールとなる場合である。隠蔽の機能、マルクスによって示された幻惑の機能は[ここから]そう遠くはない。このようにしてイデオロギーディスクールは、最初の成立の反復から正当化の合理化、ついで虚偽による歪曲へというふうに修辞技法の衰退への道行きを明らかにする。

  だが、修辞学は堕落と昇華という二つの傾斜を有している。後者の昇華という傾斜に基づいて、修辞学の全体化要求が評価される。それは、人々が口にしてきた社会的拘束を解かれたあり得るものによる論証に基づいて一か八かの賭けをする。 

  先に典型的な状況と呼ばれたものを特定の聴衆とともに越え出るのは、二つの機会のうちでなされる。最初の機会では、日常言語と呼ばれるものが相互発話interlocutionの日常的状況における自然言語の表現の働きに他ならない限り、あらゆる人間の秩序を修辞学の領野に併合することができる。ちなみに相互発話はある個別の関心に、つまるところアリストテレスが自らの『弁論術』の第二巻を当てた感情に作用する。かくして修辞学は、「人間的な、あまりに人間的な」ディスクール技法となる。第二の機会において。修辞学は自らの権威のために哲学のすべてを要求することができる。あらゆる哲学において、なんと第一命題の身分だけが認識されていることか。それらは仮定からは証明不可能であり、多くの専門家の意見を軽量することからのみ生じ、したがってあり得るものと論証という旗じるしのもとに馳せ参じる。それは、ハイム・ペレルマンが自らの著作すべてにおいて主張したことである。ペレルマンにとり、修辞学、論証、第一哲学という三つの領野は互いに交わる。

  私はこうした拡大された要求が正統なものでないと言いたいのでもなく、ましてや反駁可能であると言いたいのもでない。私は以下の二つの事柄を強調しておきたいと思う。一方で修辞学は、自らが発生してくる光源の場所を決める典型的な状況からも、自らの窮極目的を限界づける意図からも全面的に解き放ち得ないように思われる。当初の状況にかんする限り、〈修辞学が政治的な集まり、法律的な会合、祭事的な集まりが明らかにするこれらの典型的状況における言葉の公共的な使用を優先的に支配せんと望んできた〉ということが忘れ去られていないだろうか。そうした集まりでの特定の聴衆との関係で言えば、ペレルマンの認めるところによってでさえ、哲学の聴衆は普遍的な聴衆、つまり仮想的な人類全体、さもなくば適正能力があり合理的な代表者であり得るにすぎない。典型的な状況を超えてしまっているこのような探求は、ディスクール体制を徹底的に変えることになってないのではないか、と思われるかもしれない。説得の窮極目的にかんして、それはもはや権威的な哲学議論に無関心でいることと一緒になってしまう地点まで高められることはないだろう。なるほど、〈哲学者たちは諸々の拘束からだけでなく、われわれの討議を汚染する病理学からも解放される〉などと考える素朴さを私はもち合わせていない。重要なことは、〈哲学的議論の意図が普遍的聴衆に呼びかけようとしていることに相応しいものであるなら、そうした意図はそのもっとも誠実な形式においてなされる説得と選好の技法――これは先に述べた典型的な状況において優性となっている――を越出している〉ということである。

  このようなわけで、ディスクールを構成する別の光源について、ディスクールの別の言語組み立てや別の意図について考察しなければならない

  

 

詩学

  もし修辞学とリズムをもち韻文化されたエクリチュールという意味での詩学とを対立させルことに固執しないならば、これら二つの学科を区別することは困難に思えるかもしれない。もう一度アリストテレスに立ち戻るならば、ポイエーシスとはディスクールの産出、制作を言わんとするものである。では、修辞学もディスクールの組み立ての技法、それゆえポイエーシスではないか。もっといえば、アリストテレスが悲劇詩や喜劇詩や叙事詩の筋を理解可能にする一貫性を考えている限りで、行為の寄せ集めないしは配列(sustasis)がありそうなことや必然的なことを満足させねばならないとアリストテレスは語らなかったか(『詩学1154a, 33-36)。さらに言って、ありそうなことや必然的なことという意味によって詩が普遍的なことを教え、かくして自らが極めて哲学的で歴史よりも高尚な性質をもつものであることを明らかにするとアリストテレスは語らなかったか(1451b, 5)。それゆえ、詩学と修辞学があり得ることの王国で重なり合うことは疑いない。

  しかしそのように両者が重なり合うのは、両者が異なる場からやってきて異なる目的地へと向かっているからである。

  詩学が広がっていった最初の場は、アリストテレスによれば、詩人が伝統的な物語からそのエピソードの素材を借用する限りで案出する作り話、筋である。詩人は語や文の職人であるのみならず、作り話である筋の職人でもあり、もしくは筋である作り話の職人でもある。私が詩的様態の拡大の初期圏域もしくはその探求の初期圏域と呼ぶこの核心の所在は、以下の突合せにとって大変な重要性を有している。一見するとこの圏域は、叙事詩や悲劇や喜劇だけをカバーしているために、ひどく狭隘なものである。しかし、まさにこのように詩学の初期のあり方を指示することによって、詩学の働きと修辞学の働きとを対立させることが可能となる。詩学の働きは作り話―筋の案出すること、議論の推敲することである。なるほど、議論を「発見」すること(『修辞学』第一巻のエウレーシス)が真理の案出と同等である限りで、修辞学のうちに詩学はある。また、あらゆる筋に主題や思想(アリストテレスの表現ではディアノイア)を対応させることができる限りで、詩学のうちに修辞学はある。けれども、強調点は同じところにあるわけではない。詩人は、その登場人物が議論しているにせよ、ただ話すためだけに議論しているのではない。議論は、性格が筋の進展に貢献する限りでそれを高尚にしてやるのに役立つ。また修辞家は、物語的要素が案件を現実的なものと見せるのに加わったとしても、筋や作り話を創造しているわけではない。論証は根本的にあり得ることの論理に、すわなち(プラトン的もしくはヘーゲル的ではない)アリストテレスの意味での弁証論に依存しつづけ、また論点に、すなわち承認され典型的な状況に適した〈理念の図式〉である「場」もしくはトポスの理論に依存しつづける。他方で、作り話―筋の案出は根本的に人間行為の領域を想像によって再構成することでありつづけ、そうした想像力ないし再構成に対しアリストテレスは、ミメーシス、すなわち創造的模倣という用語を当てている。不幸なことに、長きに渡る敵対的な伝統によってわれわれは、[ミメーシスを]コピーないし同一物に対する複製という意味での模倣と解するようになってしまった。またわれわれは、〈叙事詩、悲劇、喜劇は人間行為の模倣である〉というアリストテレスの中心的宣言について何も理解していない。しかし、ミメーシスがコピーなどではなく、創造的想像による再構成であるが故にこそ、アリストテレスは矛盾していない。つまりアリストテレスが次のように付け加えるとき、彼は自分自身で説明しているのである。「行為の模倣をするのは作り話[mimesis]である、というのは、私がここで作り話[mimesis]をなされた行為の組み合わせ[sunthesis]と呼ぶからである」[1450a]

 したがって以上のことが詩学の最初の核心である。それはポイエーシスミュトスミメーシスの間の関係であり、言い換えれば制作・作り話・筋・創造的想像である。創造的行為としての詩作が模倣するのは、それがミュトス、つまり作り話―筋を生み出す場合である。このミュトスの案出を、修辞学の発生的核心としての論証と対立させなければならない。修辞学の野望がもし聴衆への気づかいや受容された理念の遵守のうちに限界を見出すなら、修辞学は創造的想像力がこの領域に拓くあたらしさという裂け目を指し示す。

  これら二つの学科のうちにある他の相違は、先の相違から生じる。先にわれわれは修辞学を、その手段すなわち論証によってのみならず、典型的状況との関係や説得の意図によっても特徴づけた。これら二点に関し、詩学はそれらをはぐらかす。叙事詩や悲劇詩の聴衆とは、論証や劇場の演技に集中する者であり、つまりもはや競合するディスクールの間の恣意的な役割を担う人々ではなく、詩によって行使されるカタルシスの操作に開かれた人々である。カタルシスということで理解されねばならないのは、それが医学的な意味での下痢や宗教的な意味での浄化、つまりは詩のミュトスへの知的参入によってなされる明解化と同義語であるということである。それゆえ、最終的にはカタルシスが説得と対立せざるを得なくなる。あらゆる誘惑と世辞とは逆に、カタルシスは二つの根本感情の想像的再構成のうちに生じ、この感情によってわれわれはあらゆる偉大な行為、恐れや憐れみに参与する。こうした根本感情は、ある意味この想像的再構成――これにより、ミュトスのおかげもあって人間行為の創造的模倣は成立する――によって隠喩化されている。

  このように捉えるなら、詩学もその拡散の光源、つまりポイエーシスミュトスミメーシスという核心を有している。詩学が放射状に広がり修辞学と同じ領域をカバーするのは、この中心からである。政治の領野において、修辞学のしるしを帯びているのがイデオロギーであるとすれば、詩学のしるしを帯びるのはユートピアであり、それはユートピアが社会的に可能な作り話の案出であり、信じられているところでは「生活の変化」の案出であるからである。では哲学はどうか。哲学も詩学の放射空間において誕生するのではないか。〈哲学のディスクールと宗教のディスクールは同じ内容であるが、[哲学の]概念が語りや象徴系に拘束された[宗教の]表象Vorstellungから区別されるものとしてのみ両者は異なる〉とヘーゲル自身語ってはいないか。ハイム・ペレルマンの方も、『レトリックの帝国』の「類似と隠喩」の章において、私がこう述べる根拠をわずかばかりではあるが与えてはいないだろうか。類似やモデルや隠喩の創造的アスペクトについて語るなら、ペレルマンは次のような言い方で結論づけている。「経験的に検証され得ない哲学的ディスクールは、いくつかの類似や隠喩を世界のビジョンの中心的要素として容認させようとする論証において発展する」(p.138)

  想像的なものによる転換、これが詩学の中心的意図である。こうした転向によって、詩学は容認された理念が積み重ね、修辞的論証が前提としている宇宙を動揺させる。同時に想像的なものというこの同じ突破口は、矛盾を解決するのではなくあたらしい確信を生み出すことが重要である場合、説得の秩序を揺るがす。それゆえ詩学の限界は、ヘーゲルが認識していたように、表象が概念と等しくなる能力がないことである。

 

解釈学

  われわれの第三の学科の基礎と分散の最初の光源はどのようなものであろうか。私はテクスト解釈の技法としての解釈学という規定から始めるつもりである。実際、特別の技法が要求されるのは、テクストと読者とを分かつ地理的、歴史的、文化的距離が誤解の状況を惹起する場合であり、そのような誤解は複数の解釈つまり多声的解釈においてのみ越えられ得る。そうした根本条件のもとで、解釈学の中心主題である解釈は多様な意味の理論を自ら示す。

  この最初の書き込みについて何点か取り上げておく。まず、なぜテクストつまり書かれた作品という観念に固執するのか。会話における理解の問題や口での言葉のやり取りにおける理解の問題は存在しないのか。対話であると主張するものにおいて誤解や無理解は存在しないのか。なるほどその通りである。しかし相互発話者の対面的現前によって、問いと答えの作用は相互に理解するにつれて修正していくことができる。実際、会話の解釈学なるものの問いと答えの作用について語ることはできる。しかし、エクリチュールだけが明らかにする困難、すなわち発話者から離れたディスクールの意味が発話者の意図ともはや一致しないという困難を口での言葉のやり取りが現わさないかぎり、そのような場合は前解釈学的なるものであるにすぎない。以後、著者が言おうとしたことやテクストが意味するものは、[著者が考えていたのとは]別の運命を生きることになる。『パイドロス』におけるプラトンの言葉によればある意味孤児であるテクストは、自らの父であった擁護者を失ってしまい、一人で受容と読解の冒険に立ち向かう。こうした状況をみることで、解釈学の理論家の一人であるディルタイは賢明にも、エクリチュールによって固定化されるかもしくは文化的記念物のうちに沈殿したディスクールの作品の理解に解釈という用語をとっておこうと提案し、ある種の記入の助けを意味に開いたのだった。

  では、それはどのようなテクストか。もし解釈の作業の原初的な場が修辞学の場や詩学の場と区別されねばならないのなら、ここでそうした解釈の場が再認識されることが重要である。三つの場が相継いで分離していった。それはまず、われわれ西洋のユダヤキリスト教的文化においては聖書テクストの法典であった。数多くの読者が解釈学を聖書釈義と同一視するよう主張するくらい、この場は決定的である。とはいえ、釈義がある定まったテクストの解釈において成立し、解釈学が解釈の規則に基づく第二度のディスクールにおいて成立する限り、この[聖書という]限定された枠組みにおいてでさえ実情はまったくそうではない。しかし、解釈学の原初的な場を[聖書解釈と]このように最初に同一視することは故なきことではないし、実効性のないものでもない。アウエルバッハが自らの有名な論文『フィギューラ』において分析しているような「形象」というわれわれの概念は、新約聖書の宣言にある言い回しにおいてヘブライ的聖書にでてくる出来事や人物や制度を再解釈するのに応用されるキリスト教の初期解釈学に大きく依存しつづけている。ついでギリシャ教父とあらゆる中世の解釈学――その歴史を書いたのはアンリ・ド・リュバック神父であった――とともに、聖書の四つの意味、すなわち字義的もしくは歴史学的な読解、比喩表現的もしくは道徳的読解、アレゴリー的もしくは象徴的読解、類比的もしくは神秘的読解という四つのレベルで完成される集合体が作り出される。最後に現代人にとっては、あらたな聖書解釈学が古典的文献学を古代の釈義と合併させることによって成立する。聖書釈義がその正当な解釈学的レベルにまで高まるのはこの段階においてであり、そうした解釈学的レベルとはすなわち、常にわれわれのものでありつづけてきた文化状況との関係でテクストが引き受けることができた意味の本質を現代の文化状況へと移してやる課題である。ここでその姿が見えてくるのは、もはや特定のテクストに固有のものでも概して宗教的でもない問題系であり、それは上で述べたように文化的距離から生じる誤解に対する戦いである。これ以後、解釈することは、文化というコンテクストがもつ意味作用を意味の等価性によって推定される規則に従って別の意味作用へと翻訳することである。この点で、聖書解釈学は解釈学の他の二つの様態とつながりあう。実際ルネサンス以降、とりわけ一八世紀から、古典テクストの文献学はそれ以前の文献学と比べてみると自律的解釈という第二の領域を構成した。かくしてここにおいて、意味の再現は意味の促進、移転であり、これから述べるように時間的ないし文化的な距離があるにもかかわらず、もしくはそうした距離があるからこそ可能となる翻訳であることが明らかになる。聖書釈義と文献学に共通の問題系は、コンテクストをもったテクストとの個別の関係から生じるのであって、こうした関係によってテクストの意味が脱コンテクスト化、すなわちその当初のコンテクストから分離し、推定された意味論的同一性を確保しつつもあたらしい文化状況のうちで再コンテクスト化できるとみなされるようになる。それゆえ解釈学の課題は、この意味の脱コンテクスト化と再コンテクスト化という唯一の富を用いて、推定された意味論的同一性に近づくことにある。語の広い意味での翻訳は、そうした不安定な操作のモデルである。解釈学の第三の光源を再認識することは、この操作がどのように成り立ってるのかをもっともよく理解する機会である。問題とされるのは法律の解釈学である。実際、法律のテクストは解釈の手続きすなわち法解釈jurisprudenceなくしてはあり得ず、そうした法解釈は書かれた法律の空所において、またとりわけ立法者によって検証されていないあたらしい状況において革新をおこなう。このように法律は、先行する法律の集積によって前進するのである。かくして法解釈は、同時に伝統を生み出すような革新のモデルを拓く。ハイム・ペレルマンが法律と法解釈のこうした関係についてのもっとも注目すべき理論家の一人であることがわかる。ちなみに、解釈学のこの第三の光源を再認識することは、先の二つ光源のうちで構成されるような解釈の概念を豊かにする機会である。〈文化的・時間的距離は越えるべき溝であるばかりでなく、横断すべき媒体でもある〉ということを法解釈は示してくれる。あらゆる解釈は生き生きとした伝統を構成する再解釈である。伝統すなわち解釈共同体なくしては移転や翻訳もない。

  解釈学という学科の三つの始源がこのようであるとすれば、修辞学や詩学といった他の二つの学科とこれとの関係はどのようなものであろうか。あらたに侵食ないし回復の現象が、広範な要求にまでいたりながら、吟味へと開かれてゆく。修辞学と比較した場合、解釈学は、よりよく理解するという観点から常により多くのことを探求しなければならない限り、また諸解釈の競合つまり諸伝統の競合を解決しなければならない限り、論証的な段階を保持している。しかし論証的な段階はある広大な企図のうちに含まれているのだが、この企図は、特権化された解釈を持ち出すことで競合状態を解決しつつ一義性の状況を再び生み出しことではまったくない。むしろその目的は、様々な空間を開いておくことにある。このようにみるなら、聖書の四つの意味という例は教えるところが極めて大である。またこうした例以前に、その意図も編纂も明らかに異なる四つの福音書を並びあうように存続させた、原始キリスト教教会の決定もそうである。こうした解釈学の自由を突きつけられるなら、〈論証の課題と比較される解釈の課題とは、ある見解を他の見解よりも優れているとすることであるよりはむしろ、テクストが可能な限り意味するようにすることであり、他であるよりはむしろある一つの事柄を意味するというのではなく、「より多く意味すること」、かくして『判断力批判』におけるカントの表現によれば「より多く考えmehr zu denken」させることである〉と言えそうである。この観点からすると、解釈学は修辞学に近いというよりは詩学――それについて私は、〈その企図は説得することであるよりは想像力を開示することである〉と述べた――に近いと私には思える。このように解釈学は、意味の余剰の要求に際して詩学の産出的想像力に訴える。その上、こうした余剰意味の要求は、翻訳作業すなわちある文化的空間から別の空間へと移された意味の脱コンテクスト化と結びつけられた移転と切り離せない。だがそれならば、どうして解釈学と詩学が相互交換可能であると言わないのか。

  私が『生きた隠喩』において好んで述べているように、意味論的革新の問題が解釈学と詩学それぞれの中心である限りは、そう述べることもできる。とはいえ、解釈学にこの意味論的革新が適応される点と詩学にそれが適応される点との間の当初の差異を強調しておかねばならない。そして私は、詩学の中心においてさえもこの差異をあらわにさせるつもりである。

  アリストテレスポイエーシスを組み立てないし配列そのものであると固執したことが想起される。このように革新の仕事は筋を構成するディスクールの統一の内部にあり続ける。またポイエーシスは行為のミメーシスであると規定されたにもかかわらず、アリストテレスは、ミメーシスの観念が作り話の想像空間と人間行為の現実空間を切り離すことで事足りたかのように、もはやミメーシスの観念をまったく使用していない。あなた方がそこで目にしているのは現実の行為ではなく、ただそのシュミラークルなのですよと詩人は示唆する。ミメーシスをこのように何かを指示しているとするよりはむしろ現実と虚構とに切り離して使用することは、詩学に極めて特徴的なことであって、ミュトスから構造的なアスペクトに戻りフィクションの指示的なアスペクトを失墜させてきた現代の詩学において、こうした意味が優勢になっているほどである。解釈学は構造的詩学に逆らってこの挑戦を明らかにする。〈解釈の機能はテクストが別の事柄を意味させるようにすることだけではなく、その上――以前の表現を取り戻そうとして――テクストが意味する可能な限りのすべて、またそれがいつも意味する以上のことすべてを意味するようにさせることでもなく、ここで私がテクスト世界と呼ぶものを展開することである〉と私なら言いたいところだ。

  こうした解釈の課題は、シュライアーマッハーからディルタイにいたるロマン主義的解釈学が好んで強調する課題ではなかったと、私は苦もなく告白する。彼らにとって重要であったのは、自らをテクストの背後に隠された天才の主観性と同時代であるとみなそうとし、そうした主観性と等しくならんとしてこれを再活性化することである。しかし、こうした道は今日では閉ざされている。またこの道は、テクストを自律した意味の空間と考えることによって、また構造的分析をこのテクストそのものの意味に適応することによっても閉ざされている。だが、代替案は心理分析的な解釈学や構造的ないし構造主義詩学のうちにはない。もしテクストがその著者の伝記にかんして後ろ向きに閉ざされているのなら、それが開示する世界にかんしてテクストは前向きに開かれている。

  私は『生きた隠喩』において維持してきたこのテーゼの難点を無視するわけではない。無視するわけではないが、指示の能力は記述的ディスクールにとってのみ認められた性格ではないと私は主張する。詩的作品も世界を指し示す。もしこのテーゼが維持困難なものにみえるのなら、それは、詩的作品の指示機能が記述的ディスクールの指示機能よりも複雑で、ある意味では大いに逆説的ですらあるからである。実際、詩的作品は、記述的ディスクールの指示が中断されているという条件のもとでのみ世界を展開する。それゆえ、詩的作品の指示能力はディスクールの第一の指示が中断されるおかげで発動する第二の指示のように思える。したがってヤコブソンとともに、詩的指示を二重化された指示と特徴づけることができる。とすると、〈詩において言語は自ら自身としか関係しない〉という文芸批評の一般的に流布したテーゼのうちに、いくばくかの真理がある。詩的言語は、記号と事柄とを分かつ溝を掘り下げながら、自分自身を賞揚している。このようにして、詩は指示なきディスクールであると一般的にみなされる。私がここで維持するテーゼはそうしたテーゼを否定するものではなく、それに依存するものである。〈記述的ディスクールの規範に規定されているという意味で、指示の中断は指示のもっと根本的な様態が獲得されるための否定的条件である〉と私のテーゼは提起するのである。

  テクスト世界はやはりテクストの機能、そのシニフィエであって、バンヴェニストの口跡を借りればテクストの意図されたものintentéであるとまだ反論されるかもしれない。しかし解釈学の契機は思考の作業であって、この作業によってテクスト世界はわれわれが現実と呼んで再記述するものと相対する。こうしたテクスト世界と現実との対峙は、現実の減退つまり破壊――これはまだ世界と関係している――からその変体や変形にまでいたるかもしれない。ここでの事情は、その最終的機能が初期の被説明項を再記述することである科学のモデルのようである。このように詩学を再記述と同等なものとすることが創造的ミメーシスであり、これは詩的ディスクールの純粋に構造的な理論に欠けているものである。テクスト世界と束の間の世界との読解の空間における衝突は、産出的想像力の最後の掛け金である。この衝突によって、私ならフィクションに固有の産出的指示とあえて呼ぶものが生じる。

  こうした目立った課題によって、解釈学としては全体化してゆく要求、すなわち全体化要求を唱えることができる。意味が伝統のうちで構成され翻訳を要求するところでは必ず、解釈が機能している。またわれわれが「より多く考え」始めるところでは必ず、あらたな世界が発見されると同時に案出されている。しかし、全体化してゆくこの要求としては批判の砲火に耐えねばならない。[それには]解釈学を自らの要求がそこから高まってゆく中心地、すなわち生きた伝統の基礎的テクストへと連れ戻せば十分である。ちなみに、ある文化とそのテクスト上の始源との関係は、フランクフルト学派とK・O・アーペルやJ・ハーバーマスらの後継者が解明したイデオロギー批判という、ここで言われているのとは別の社会秩序の批判を受ける。解釈学が看過しがちなのは、言語と労働と能力との間の極めて根本的な関係である。あたかも言語が始源なき始源であるかのように、ここではすべてが言語にとって生じる。

  このように解釈学をその誕生の地点でも批判することは同時に、先にみた異なる光源から発するほかの二つの学科の正当な権利が承認される条件となる。

  〈これら三つの学科のそれぞれを、各々に還元できない誕生の場から発するようにさせねばならない〉というのが結論であると私には思える。また、修辞学、詩学、解釈学がカバーする領域すべてを全体化してしまうほどの超―学科は存在しない。そうした全体化ができないかわりに、三つの学科の注目すべき交流点だけは突き止めることができる。しかし、それぞれの学科は自らのために語る。修辞学は、ある意見がその競合意見よりも好ましいように聴衆を説得する目的で議論する技術でありつづける。詩学は、個人や集団の想像物を拡大する目的で筋を構築する技術でありつづける。解釈学は、実在のあらたな次元を発見する目的で、当初の著者や聴衆のコンテクストから隔たったコンテクストにおいてテクストを解釈する技術でありつづける。議論すること統合形象化すること再記述すること、これらは相互に全体化しようとするその意図がそれぞれ排他的なものとみなす主要な三つの操作であるが、それらのもともとも風景によって相互補完的であらねばならないと命じられる操作である。

 


『レトリックの帝国』においてパレルマンは、私が後で詩学と名づけるものに委ねる議論の諸様態、すなわち類似、モデル、隠喩に場を与える。同様にパレルマンは、後で解釈学の規律の解明とみなされることになるものに属する解釈の手続きに場を与えている。