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un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

ピエール・コラン「解釈学と反省哲学」

[以下は Pierre COLIN, «Hérméneutique et philosophie réflexive» (dans Paul Ricœur. Les métamorphoses de la raison hérméneutique, éd, Jean Greisch et Richard Kerney, Cerf, Paris, 1991.) の試訳]

 
 

 ジャン・グレーシュがポール・リクールに関するこの論文集に参加するよう私を誘った際、彼は私に「解釈学と反省哲学」というタイトルを提示してきた。私はそれを難なく受け入れた。それはわれわれが互いに同意して、〈解釈学と反省哲学はどのようにしてリクールの思想のうちで――たとえ結果的に両者はそこで統合しようと、分裂しようとも――出会うのか〉という問いかけの形式をこのタイトルに返してやったからである。

  まず二つの事実を承認しておこう。それらの事実から出発すれば、リクールの行程のイメージを構成することができるだろうが、私はもっぱらそうしたイメージを最大級の確かさで拒否するためだけに定式化するのである。第一の事実は、〈ポール・リクールは今日、解釈学的思想の主要な促進者の一人である〉というものである。第二の事実は、〈ポール・リクールはこの解釈学という地盤にただちにその身を置いた訳ではない〉というものである。解釈学ということばが一九五九年以前の彼のテクストに登場しただろうか。

  これらの事実を総合するなら、〈リクールは反省哲学から出発しつつも、その過程で解釈学の都合のよいように反省哲学を放棄してしまった〉と述べる試みがなされるかもしれない。私はこの[解釈学が反省哲学にとって代わるという]代替説を断固拒否する。そして私はこれに対し二つの相互補完的なテーゼを対置する。第一のテーゼ。リクールの解釈学は本質的に哲学的な性格を有している。明らかに主体はテクスト――またテクストとして受け取られた行為――を解釈しつつ、存在者との関係のうちで自分自身を理解しようと目指している。第二のテーゼ。リクールにおいて、解釈学という「哲学」は「反省哲学」の意味で理解されねばならない。このことは、先の反省哲学という言い方がフランス思想のある伝統――その創始者は十九世紀の後半のラシュリエやラニョーのような人たちであり、リクールはジャン・ナベールによってこの伝統の手ほどきを受けたのであった――を指していることを詳しく説明すればよくわかる。

 

反省の伝統への帰属

  本稿に先立つコロックによって、私は「ジャン・ナベールの遺産」[1]について論ずるようになった。そこでは何が私の作業仮説であったかを最低限、素描しておこう。〈ナベールの思想がリクールに対し促進的な示唆の役割を演じた〉という異論の余地のない事実について主張することが私には不可欠であるように思えた。その一方で、それほど明白ではないがそれなりに有意味な別のタイプの関係を突き止めることが私には重要に思えたのである。

  内部の要求の圧力に晒されつつも、すなわち罪深くありながらも救済される人間を考え、そうした人間がいつもそこに結ばれていたいと願う文化層の挑戦に答えるという自らの企画に従事していながらも、リクールは、自らの行程のある瞬間に、きわめて重大な方法論的主導権を取ったのであった。彼は、そのように自らが晒されまた自分の同時代人たちが既に屈していた漂流の危機をけっして過小評価することはなかった。さて、こうした危機的瞬間に、リクールはナベールのテクストの方へと向きを直す。リクールはナベールのテクストにおいて、自分独自の[思考の]進め方に関する哲学的認証の基準を求めるのである。

  リクールはしばしば巨匠たち[の内の一人]とみなされている。巨匠たちとはいずれにせよ、ガブリエル・マルセルカール・ヤスパースやエトムント・フッサールといった者たちのことである。さて、こうした巨匠たちの内でもジャン・ナベールは特異な位置を占めている。あたかもリクールの目には、自分の本当の仕事はナベールによって辿られた第一の線に忠実であることによってのみ哲学的に認証され続けるかのごとく、あらゆることがなされる。もしくは、ナベールの思想が哲学的に価値あるものの敷居を守護しているかのごとくと言ってもいい。

  かくして、反省哲学への参照すなわちナベールへの参照は、一九八三年のテクスト、すなわちリクールが隠喩と物語に関する最近の仕事を自分のもっとも一貫した哲学的関心へと結び付ている「解釈について」[DA収録]という論文の内に見出される。このテクストは後ほど引用することになるだろう。とはいえここで話を脱線させることをお許しいただきたい。

  リクールの哲学的スタイルは、方法論的に正確でかつ宗教的な意識によって明らかに特定化される。そうした意識に精神気質が対応していることは疑いえないが、私は方法の問題によって捉えられる重要性と、リクールが哲学について抱いていると思われる二つの理念の特徴とを結び付けようと思う。

  第一の特徴。哲学は人間の行動、苦しみ、死に関わる以上、それは哲学者の人格を巻き込むことを要求する重大事である。しかしこのことは、哲学の行使が、哲学を職業や専門知識から実践する者や、その妥当限界に関して自らの概念装置や知識によって哲学を抑制する者に対して求められる作業であることを妨げるものではない。さて、仕事として理解されるなら、哲学はまさに方法論的意識である職業的意識を暗に含んでいる。

  リクールが哲学に関して抱いている第二の理念の特徴。百科事典的野望を抱いて語ることは過剰なことだろう。とはいえ、修飾語がいかなる正当性も持たないなどということはない。それはリクールがカバーする問題領域が非常に広大であるからであるが、あたかも問いを前にしてリクールはそうした領域に適用し得る様々な方法を点検しているかのごとく、あらゆることが行われているからでもある。一方を排除して他方を採らんがためにそうするのではない。むしろ、諸々の方法を混同することなく、その様々な貢献を統合する言説の核心でそうした諸方法を調和させるためにそうするのである。 

  このように述べた今、私はリクールが人文科学、とりわけ言語学を利用することを論点とする。だが言語学だけではない。リクールにとっては哲学もまた哲学的諸学科を結合させるものである。ではもしそうだとすると、各々の方法に固有の賭け金と要求は、折衷主義のあらゆる欠点に晒されることになりはしまいか。

  リクールの方法論的用心深さは、〈プログラムの確立〉と〈実現された思考の歩みの要約〉という二つの相互補完的な形式の下で明らかとなる。また通常、連続する二つのテクストには対応関係が存在する。少なくともその対応関係とは、当初のプログラムがいかにして初めに予見されていたよりも重大な方法論的革新のお陰でのみ遂行され得たのかを要約テクストが示しているという意味での対応関係である。それゆえ、[リクールの方法を論じようとする]批評家の課題は、この課題を容易にしてくれている当のもの[これまでの進捗をわかりやすく要約しているはずのテクスト]によって混乱していることに気づく[2]。リクールの方法に関してまだ著者によって予見されてもおらず、扱われてもおらず、解決されてもいない問題をどのように措定するというのか。

  事実、ジャン・グレーシュがこの発表に関する主題を私に提起した際、すぐさま私は、そのタイトルが示唆する問題を前もって解決した「解釈について」というこのテクストに立ち戻った。リクールは次のように述べる。

    私は自分が頼りにしている哲学的伝統を三つの特長によって性格づけたいと思ってい る。そうした伝統は反省哲学の線上にあり、フッサール現象学の地盤のうちにあり、この現象学の解釈学的変種であろうとする[DA,25]

  「線上に」とか「~の地盤のうちに」といった表現が曖昧なままであると推定し得るのは疑いない。しかし一連のテクストはこの表現を詳しく説明している。さて、これから引用しようと思うテクストは、本稿のタイトルが考慮していないある要素、すなわちフッサール現象学を持ち合わせている。論文集の編纂には能力の分配がある面で問題となるのは疑いない。また現象学について語るのなら、私よりもフランソワ・ダストゥールの方が適任であろう。しかしながら、現象学に関するこうした手抜かりがあるとはいえ、リクールの独創性をなすものの位置取りもまた[ここで]表されている。

  フッサールの諸々の子孫を統合してゆく国際的な現象学運動という仮説に身を置くなら、リクールをそうした運動の主要なメンバーの一人とみなすことは正当である。また、こうしたパースペクティブにおいて「現象学の解釈学的変種」という主題が完全に意味をなす場合、リクールが現象学運動を作り上げていないとするのは誤りですらあるだろう。しかし、リクールは彼がさらに古いテクストの中で「解釈学を現象学に接木すること」と呼んだことを実践する唯一の人でも、最初の人でもない。彼の一見独創性と思われるものは、ナベールから受け継いだ反省の伝統の枠組みにおいて現象学と解釈学をこのように結合させたことではなかったか。

  「実存と解釈学」と題された一九六三年のテクストを参照してみよう。リクールは解釈学を現象学に接木する二つのやり方を区別している。その二つのやり方とは、『存在と時間』におけるハイデガーの近道と、リクール自身が関与する遠回りの道である。

  近道は「有限の存在者の存在論の次元へと直ちに到り、そこでもはや認識様式ではない存在様式としての理解を見出す」[DI,10]とリクールはわれわれに述べている。この道はあまりに性急すぎるが、それでもリクール自身の企図のテロスであり続けねばならないものを彼に示している。存在論は延期されはするが、リクールが自らに課す意味論による長き迂回路の果てでも、目指すところはやはり、人間をその存在において理解すること、すなわち解釈された存在[DI,15]という実存様態に従って人間を理解することである。

  ところで、この「実存と解釈」というテクストは、私を困惑させると言わざるを得ないような文句で閉じられている。リクールは次のようにわれわれに語る。

 

   実際、存在論は言語と反省によって始める哲学者にとって約束の土地であるが、話し反省する主体は、モーセのように、もっぱら死ぬことを前にした時にその約束の土地に気づくことかできる[DI,28]

 

 リクールが遠回りの道の選択を正当化するのには必ずや動機がある。一般解釈学というプロジェクトの着想を得ることで、リクールは言語と解釈に関するあらゆる学科を統合する好機をつかまねばならない。またリクールがこの「実存と解釈」というテクストを論集『解釈の葛藤』の冒頭に置いた理由もよく理解される。ある面で、同書は同時代の言語学が哲学者に提起した諸問題に関わっている。また別の面では、同書は『解釈について――フロイト論』で繰り広げられた心理学との対決の帰結を記録している。

  しかし、私が先に引用したテクストは、われわれがこの死すべき生に留まる限り神的本質のビジョンがいかにわれわれに到達不可能かを示した聖トマス・アクィナスのテクストを直ちに私に思い起こさせる。先に言及された[哲学者は死によって約束の地に気づくという]動機の順序は、約束の地という聖書のメタファーによって暗示されるものをまったく説明していない。

  私が下手に定式化した困難の範囲を確定してみるために、次のように言っておこう。すなわち一方で、解釈学が哲学的であるのは存在論的思考によるのだが、他方で、解釈学の接木を正当化するすべてのものは存在論の後退をも正当化するか、それをどうしても先延ばしにさせる、と言っておこう。ところで、もしこの二つの断定が私の考えている通りにまとまるなら、それを示す最善の方法はフッサール現象学から始めることではないだろうか。もしくは逆に、リクールの思想と存在論との複雑な関係がもっとうまく問題化されるのは、解釈学の反省哲学への接木が直接に検討されるときであることをやはり認めねばならないだろうか。

  あらゆる回答に先立ち、問いの形式そのものはわれわれに、きわめて性急なやり方で示唆される詳細説明を展開せよと強いる。デカルトやカントの系統に位置するフッサール現象学も反省の方法を実践する。しかしながらリクールは、フッサール現象学を「反省哲学」から区別する。かくしてリクールは現実の要求に応じる。[そうした現実の動向としては]今世紀の前半中にフランスとドイツの二つの伝統が完璧なほど互いを無視するかたちで並存していて、その無視は第二次世界大戦の前夜になってようやく克服され始めたのである。

  この点で、リクールとサルトルは似たような位置を占めている。両者はフランスの伝統によって形づくられる前にそれぞれフッサールを発見したのであった。しかしいったんスターと地点が置かれれば、人は相違へと進んでゆくものだ。サルトルはすぐさまフランス的反省の伝統への帰属の痕跡を消し去ろうとした。それでもそうした痕跡が突き止められる限り、それによってすぐさまブランシュヴィックが参照される。またブランシュヴィックが外在性の問題を提起するのやり方がきわめて正確に参照されるのである。

  リクールは非常に明確な仕方でナベールに対しての自らの負債を告白している。リクールが反省の伝統の創始者であるラシュリエやラニョーに結びつられるのは、ナベールによってである[3]。さて、もしブランシュヴィックやナベールを反省哲学の伝統と関係づけることが正当であるなら、単に両者の名前を引き合わせるだけでもこの伝統の内的多様性を明らかに示してくれる。さらに言えば、両者は同じ世代に属していない。ブランシュヴィックの著作がサルトルの著作にはるかに先行しているのに対し、ナベールの『倫理学要綱』は『存在と無』と同年に刊行されている。またナベールの諸々の著書を隔てている時系列的な間隔は、彼の著作がリクールの処女作以降も発展しつづけていることを表している。

  リクールとナベールの成果が重なり合っていることは、『フランス百科事典』第一九巻の『哲学・宗教』において明らかである。まずわれわれはそこで「反省哲学」に関するナベールの長大な論文を見出すが、またリクールによる「実存的現象学」と「存在論の刷新」という二つの論文も見出す。

  同巻は一九五七年に刊行されている。[そこにはまだ]解釈学の問いはない。全体すべてを再読することなく、私はそれらの論文を眺め、きわめて幸運にもそこにことばが見出されたが、私はそれに満足することはなかった。もはやブルトマンへの参照はなかった。逆に、絶えず現象学が問われている。哲学の部門においてである。また宗教の部門においてはよりいっそう現象学が問題にされ、客観的であると同時に理解的でもある宗教研究にこの現象学の方法をうまく適合させたガストン・ベルジュによって紹介されている。

  ナベールは「反省の方法の豊饒さ」を示すことに専心没頭するとき、自らの研究の一段落をリクールに当て、「むらのない見事な腕前でもって現象学的方法と反省の方法とを結びつてみせた同時代の哲学者、ポール・リクール[『フランス百科事典』t.19.01.1.]と書いている。このように述べた上でさらにナベールは、自らの解釈学への開眼を準備することになる反省の定義から始めて、この現象学と反省という二つの方法との対決を素描するにいたる。

 

   作品が自ら固有の生命によって生きながら自らを生み出した操作から解放されるものとして存在するや否や、反省はそうした作品が隠蔽し覆い隠してしまう諸作用を精神が創造者として示されるあらゆる次元において見出すよう求められる。反省にとって問題となるのは、作用の内的関係と意味作用――その内で作用は客観化される――を白日の下に晒すことである[ibid]

 

  さて、現象学的分析が「原初的作用からすでに解放された意味作用」に注意を向けているようにみえるのに対し、反省的分析に固有のものは、この原初的作用の再獲得と精神の再生運動とを同時に生じさせることであろう。

  かくしてリクールについて言えば、彼は「実存的現象学」に関する自らの論文の主題をこう表明している。

 

   実存的に語られる現象学は「超越論的現象学」に対して併置される一部門などではなく、この現象学はそれ自体である支配的な問題系、すなわち実存の問題系の方法となり、これに従事するのである[『フランス百科事典』t.19.10.8]

 

 メルロ=ポンティにとってこれは完全に容認し得ることであろうか。いずれにせよ、その意志の哲学の第一巻である『意志的なものと非意志的なもの』においてリクールは、ガブリエル・マルセルから着想を得た実存の問題系と、意志の志向的分析を可能とするフッサール的方法との相互補完性を正確に機能させている。

  ところで、『意志の哲学』の第一巻は一九五〇年に公刊された。第一部の『過ちやすき人間』と第二部の『悪の象徴系』とを含む第二巻の『有限性と有罪性』が公刊されるのは一九六〇年である。この期間に何が生じたのだろうか。以下、本稿はリクールの行程における主要な思索上のこの懐胎期間に向けられるであろう。

  われわれはどのテクストを扱い得るだろうか。一九五五年に諸論文が『歴史と真理』のうちにまとめられている。またそうした論文の中でも、まず論文「労働とことば」が一九五三年一月に『エスプリ』誌に掲載された。リクールにとって、労働的人間の哲学的かつ神学的な再発見は決定的な獲得物であるようだったが、その正確な意味作用を失ってしまうほど概括的な労働の観念を前にして彼はまた心配もしている。さらにリクールは、労働を中心とした人間の条件の読解と、「人間的なものを貫いて浸透し、そこで機械や道具や手が理解されるところのことばの力能」[HV,212]を中心とした別の読解とを交叉させることを提案している。リクールの行程において、また五〇年代のフランス哲学の状態の証言としても、この論文は遅まきながら心に迫ってくるように浮き立つ。

  『フランス百科事典』の一九巻に寄稿された二つの論文に加えて、この期間に『エスプリ』誌に載せられた哲学通信もあり、一九五六年には『過ちやすき人間』を準備するものでありまたサルトルとの論争ともなった論文「否定性と根源的肯定」がある。

  これらの文献資料を利用する前に、『意志の哲学』の二つの巻の差異を総括的に位置づけてみよう。リクールが自らのテーゼにおいて、「人間の知解作用intelligibilitéに濃い影を落としている過誤fauteと、主観性の根源的起源を秘めている超越とを括弧に入れることによって」[VI,7:8]意志の諸構造を研究せんとした以上、そうした差異は既にその出発点から予見されていた。

  全般的な目標は罪をなし救済される人間の研究であり、先の括弧が取り除かれねばならないことが予見されている。第二巻以降の目標は「有限性と有罪性」である。しかしそこでの操作は先の予見の枠を越える帰結を生じさせる。

   

抽象性を取り除き、括弧をはずすということは、……新しい作業仮説、新しいアプローチの方法を求める研究主題を出現させることである[HF,9:7]

 

 私の意図はこの新しさが二重のものであることを示すことである。『悪の象徴系』によって導入された[『意志的なものと非意志的なもの』との]ズレはよく知られており、リクールが「象徴が思考させるもの」の反省的な再自己化の様式として解釈学を導入するのが彼の神話や象徴の現象学的研究からである以上、このズレは直接われわれのテーマの関心となる。

 さほど明確でないものの重要でないと言い切れないのは、同様に直接われわれのテーマの関心となるもう一つ別の新しさがあることである。その新しさは、一方の『意志的なものと非意志的なもの』と他方の『過ちやすき人間』とを比較する時に現れる。これら両著においてリクールは、過誤という人間的場の解明を可能にする哲学的人間学の構築を試みている。ちなみに、リクールは『悪の象徴系』をナベールに捧げ、『意志的なものと非意志的なもの』をガブリエル・マルセルへのオマージュとしている。

 それゆえ、全般的な目的は両著とも同一である。それはすなわち、有限性と有罪性とを混同することなく、人間的な、つまり有限の意志の構造から過誤の可能性を理解することである。しかし両者の方法論は異なっている。『過ちやすき人間』ではフランスの反省の伝統への帰属がより鮮明になっている。一九五〇年から一九六〇年の間、リクールは反省哲学と自らのつながりを強固にし、この伝統によって開かれる様々な可能性との関連で、解釈学の反省哲学への統合を可能とするであろう選択肢を選び取ったのである。

 

 

『悪の象徴系』における解釈学の登場

 

 タイトルに合わせようとするなら、本稿は事実上、自らに課したものでもある[反省哲学への関連づけという]制限に背かねばならなくなる。[そうならないためにも]当初掲げた二つの命題を思い起こしておく。第一命題、リクールの解釈学は哲学的である。第二命題、それはこの解釈学が反省哲学というフランスの伝統に属しているからである。これら二つの命題は第三の命題――その言明を私はリクールに負うている――によって補完されねばならない。

 

   現象学――解釈学はなおさら――は反省哲学のプログラムそのものを徹底的に現実化すると同時に変形することを表明する[DA,25]

 

 すくなくとも重大な変容を支え得る、反省哲学の柔軟性を仮定しなければなるまい。ところでリクールにおいて、解釈学の導入と相関する反省哲学の変容は二つの時期において生じる。

  第一の時期は『悪の象徴系』の時期である。そこでリクールが提起する問題は象徴の解釈学を哲学的言説へと統合することに関わっており、象徴の解釈学は哲学的言説の古典的要求と対応していないことから、この言説をあらかじめ中断しておく。

 

   不透明性、文化的偶然性、問題の残る解読の観点への依存、こうしたことが反省の明確性や必然性や学問性という理想に直面する象徴の三つの欠点である[CI,313]

 

 さてリクールは、とりわけフロイトの著作を通読して「諸解釈の葛藤」という問題に立ち向かいながら、解釈学による反省哲学の変容の第二段階へと進む。その際、反省の真っ只中にある対立的な構造が導入されるのだが、それは疑惑を生じさせる解釈学と意味を回復させる解釈学との葛藤としてまず具体化され、リクールの最近のテクストにおいては伝統の解釈学とイデオロギー批判との生産的な緊張形式の下で見出されるような構造である。

  本稿の口頭発表では第一段階にとどめておこうと決めたが、果敢にも私は第二段階の研究が着手せねばならないであろう主題を示唆しておく。

  1.リクールが実際そうしたようにフロイトの著作を読み解釈することを許すものは何かが問われねばならないだろう。すなわち、それぞれどのような役割が反省哲学とフッサール現象学に割り当てられねばならないのか、と問われねばならない。

  2.とりわけこのフロイトとの論争によって得られた主要な帰結の内の一つを考慮せねばならないだろう。これによってリクールは、真の哲学的人間学は考古学と目的論とを結合させねばならないことと主張するようになる。ところで、この考古学と目的論はそれぞれ反省哲学の中心からずれるよう要求する。すなわち考古学としては無意識的なものの方へ、目的論としては(客観的精神というヘーゲル的な意味での)精神の方へずれてゆくのである。(とりわけ『倫理学要綱』の価値に関する章での)ナベールとこうしたずらしを結びつけることは不可能ではないが、反省哲学をこのように二つの方向へとずらしてゆくことはリクールのもっとも独創的な主題の内の一つである。リクールについてのこの点を展開することは止めにして、本稿のタイトルによって告知されているものの手前に留まることにしよう。

  リクールの解釈学の展開を追跡することは断念して、『悪の象徴系』における解釈学の登場に関するいくつかの特色を強調することで満足したい。決定的であるとはいえ、この登場はそれでも控えめである。同書において現象学と解釈学とを区別するなら、この解釈学という第二の要素に関する遅ればせの特徴に気づく。リクールが悪の象徴や神話の分析に立ち入ってゆくのは、解釈学のしるしにおいてではない。解釈学のしるしのものとでなされるのはむしろ、象徴や神話の分析を解釈学が当初に中断した哲学的言説へと再統合しようとすることである。

  この[象徴の分析と哲学的言説との]断絶に関することの中でも注意しておきたいのは、リクールが『過ちやすき人間』の末尾で「意識がなす告白と、この告白を表現している悪の象徴とに支えられた新しいタイプの反省」[HF,159:218]によって悪を問題化する必然性について語る際に、その再統合の要求を表明していることである。

  この「新しいタイプの反省」への移行が含意するものを、リクールは常に明敏に意識していた。彼は『諸解釈の葛藤』でこう書いている。

 

   始源についての哲学とは逆に、象徴についての反省は常に既にそこにある言語や意味の平面から始まる。つまり、既に成立していてすべてが何らかの仕方でもう言われてしまっている言語の媒体から始まるのである。この反省は、無前提の思想ではなく、あらゆる前提のうちにありそうした前提と共にある思想たらんとする。そうした反省にとって第一の課題は開始することでなく、ことばを媒介にして再び思い出すことである[CI,283]

 

 リクールの独創性を見誤ることがなければ、彼の主導権が反省の伝統と少しも不調和なところはない――これに関してリクールは別のタイプの哲学とは不調和であったことを引き合いに出している――と言うことができる。二〇世紀初頭、退行的分析は、アムランによって実践された総合的方法と対立する。ちなみに哲学を総合として定義するなら、それは何も前提とすることなくすべてを構成することを自ら課すことになる。そうだとすれば哲学は大元の始源(実際それは哲学の最低限の前提となるであろう)の探求なのである。

  反省的分析を実践する哲学にとっても事態は同じではない。反省的分析は、人間の行為や所産がそれらとその原理とを関係づける反省に先行していることを認めるだろう。リクールが一九五二年~五三年の『エスプリ』誌(彼はそこでギリシャ悲劇や聖書の予言を扱っている)の哲学通信で用いている定式化によるなら、そうした反省は「哲学における非哲学の奪回」として定義することができる。

  しかし「奪回」と述べることは、哲学的言説に先行するもの(この場合では悪の象徴や神話)をこの言説へと統合すると述べることである。さて、解釈学が位置するのはまさにちょうどこの統合の途上においてであって、それは一九五九年七月・八月号の『エスプリ』誌において「象徴は思考させる」というテクストが出版されるかたちでこのことばが登場する通りである。

  周知の通り、リクールにとり「象徴は思考させる」と述べることは、〈象徴がなければわれわれの思考は、象徴的言語のお陰で経験できる意味作用の領域に接近し得ない〉とまずもって述べることである。そして私の見るところ、彼が解釈学に関して与える〈象徴の解釈ないしその二重の意味の解読〉という定義を厳密に評価しすぎている[DA,30]としても、この一般原則はリクールにとって常に価値あるものとなっている。

  しかし「象徴は思考させる」と述べることはまた、ある課題を示唆することでもある。それは、象徴が開くもの、つまり象徴が懐胎する意味を思考せねばならないという課題である。またリクールによれば、「象徴から出発する思考」は、それが前提としている現象学的段階と解釈学的段階の後にやってくる。

  例えばミルチャ・エリアーデが実践しているように、宗教現象学はすでに象徴の包括的解釈である。宗教現象学は象徴を相互に解明しつつ、象徴世界の内的一貫性をすでに現出させている。しかし、いまちょうど辿っているリクールのテクストによれば、「象徴との情熱的であると同時に批判的でもあるような関係に」[DA,70]立ち入る時、人は解釈学的段階へと移行しているのである。

  言い換えれば、解釈学が現象学から区別される特性とは、解釈者が巻き込まれていることl’implication de l’intreprèteである(もしくはブルトマンが言うように、テクストが語っている「事柄そのもの」と解釈者との関係である)。さらに言い換えれば、それは解釈学的循環である。なお、解釈学的循環に関する二つの相互補完的な意味を示したリクールの重要な定式化はよく知られている。

  一方で「理解するためには考えなければならない」、つまり象徴的言語を通じてわれわれに到来する意味への参与を認めなければならない。また他方で、「われわれは解釈する中でのみ考えることができる」。近代人であるわれわれは、もはやナイーブに象徴の世界のうちに生きることはできない。われわれが象徴が証言する聖なるものになお参与可能であるなら、それは解釈学の労苦と媒介作業によってである。

  「驚嘆、彷徨、謎」と題されたテクストを引っさげてリクールは、セクシュアリテに関する『エスプリ』の特別号を一九六〇年一一月に発表した。私としてはこのテクストの非常に長い章句を引用しておきたいと切に思うのだが、それは、われわれの文化の基礎的象徴との関連でわれわれ現代人の状況を理解するリクールのやり方をこのテクストがうまく示してくれるからである。それはまたただ単に、これが非常に美しいテクストであるからでもある。

 

   性が力能の網――その宇宙的調和は忘却されども廃棄されることはない――に参与しているという明敏にして不透明な意識をわれわれは有している。生はまさに生以上のものである。私が言わんとするのは、〈まさに生は死に対する闘い以上のもの、運命の決着の先延ばし以上のものであり、生はユニークにして普遍的、すべてのものの中のすべてであり、生の喜びはまさにこの神秘にこそ参与させ、セクシュアリテの真理としてのロマン主義の真理がそうであるように、人間はまた生の流れのうちにも身を浸す場合にのみ倫理的かつ法律的に人格化される〉ということである。しかしこの明敏な意識がまた不透明な意識でもあるのは、生の喜びが参与するこの宇宙がわれわれのうちで自壊してしまっていること、つまりセクシュアリテが海に沈んだアトランティスの残骸であることをわれわれがよく知っているからである。このことから謎が生じる。この解体してしまった宇宙はもはや無垢に近づくことができずに、いにしえの神話の学問的注解に近づくのである。宇宙は解釈学によってのみ、すなわち今は沈黙したままの書かれたものを解釈する技法によってのみ息を吹き返すのである[Esprit,1960,p.1675]

 

 この解釈学はどのような意味で哲学的なのか。同じく『エスプリ』誌ではあるが、「構造と解釈学」を特集した一九六三年一一月号においてリクールは、レヴィ=ストロースとの討論の中での質問にこう答えている。

 

   象徴系の解釈が解釈学と呼ばれるに値するのは、それが自己自身の理解と存在者の理解とを分節するものである限りにおいてである。このように意味を自己化する作業の外部には何も存在しない。この意味で、解釈学は哲学の学科の一つなのである。

 

 自らの在り方のうちで自分自身を理解する可能性を人間に開いてやること。これは反省哲学の目標である。また解釈学はこの目標を実現することに貢献する限りで哲学的である。『悪の象徴系』はこう答えている。

 

   それゆえ象徴がわれわれに語るのは、結局、人間が死に、実存し、欲求する在り方のただ中にあるその状況指標としてである[SM,331 初版]

 

 実存的、存在論的という二重の不安がわれわれを『拒絶から祈祷へ』でこう主張するガブリエル・マルセルに送り返す。

 

   〈自我Je〉と〈われわれが今ある在り方の最奥〉との間で絶えず刷新され独自に創造的な緊張のない具体的な哲学など、私に言わせれば存在し得ない[同書p.89]

 

 リクールは一九八四年一月にフランス哲学会で開催された会合「ガブリエル・マルセルの思想」で開会宣言を行ったが、その会合の中で第二度の反省の重要性について強調している。さて、反省が自ら自身に立ち戻って自ら批判しそれによって高次のレベルに高まることは彼自らが仮定していることであるが、それは、解釈学によって、われわれの近代性つまり「第二の無垢」のようなものと接点をもち得る象徴の宇宙への帰属の唯一の形式へと到達可能にしてくれる「第二のコペルニクス的転回」についてリクールが語る時になされる。

  『悪の象徴系』を引用しておこう。

 

   コギトが存在の内部にあるのであってその逆ではないことを象徴は考えさせる。そうだとすれば第二の無垢は、第二のコペルニクス的転回であるかもしれない。コギトの内に自ら自身を措定する存在がなお発見しなければならないのは、コギトを全体性から引き離す作用そのものが各々の象徴のうちでコギトを尋問する存在に加担し続けていることである[SM,331]

 

 ちなみに、二つのコペルニクス的転回の構造はすでに『意志的なものと非意志的なもの』において次のように表明されている。

 

   哲学の開始は対象の世界をコギトへと集中させるコペルニクス的転回である。しかし、主観性の深化は、参照の中心を主観性から超越性へと移動させる第二のコペルニクス的転回を要求する[VI,441]

 

 この転向がもつ存在論的地平は、とりわけ、読者をガブリエル・マルセルへと立ち返らせる引用符付きの「存在論的神秘」という表現によってしるしづけられる。しかし私はある未規定の要望をこれから取り上げておきたいのだが、それはこの[第二のコペルニクス的転回への]ずらしが「抜本的に新しい方法を要求するかもしれない」[VI,444]とリクールが告白する章句に含まれている。事のところ、その要望は解釈学ということになるが、そこに到達するにあたってリクールは、まず反省哲学の核心へと進み、彼独自のやり方でこれを自己化しなければならないだろう。

 

反省哲学への進行

 

  一九四九年から六〇年に公刊されたテクストは、この期間にリクールが反省哲学による解釈学の開始を可能とする哲学的選択をなしたことを示している。後になってリクールは幾度となくこの開始の条件に立ち戻ってきた[4]。またリクールがこの論題について扱う度に、連動する二つの主題が見出される。

 第一の主題。反省は直観ではないというその否定的定義。

  第二の主題。実存せんとするわれわれの努力と存在したいというわれわれの欲求を、そうした努力や欲求について証言する所産によって自己化することとして理解される、反省の肯定的定義。

  私の意図は第一の主題を展開することである。第二の主題に関しては、テクストは明解でありよくまとまっている。それらはさほどコメントとする必要がなく、直に当たって集中して読めばよい。

  リクールが与える反省の肯定的定義と、「精神をその所産œuvresにおいて見出すことが哲学の成果œuvre、すなわち反省の成果œuvreである」というジュール・ラニョーによる規範的定式化とを突き合せるという関心事を簡単に示唆しておこう。この定式化をよく説明したものがレオン・ブランシュヴィックの著作『精神生活入門』(一九〇〇年)のうちにある。知覚、学問、芸術、道徳、宗教は所産と考えられ、そうした所産から反省は精神を構成する統合化の力能を明らかにする。

  同著における〈あらゆる精神の所産は最高度に洗練された表現が考慮され、それ自体最新の形態をとる学問によって考察され解釈される〉という主張は正しい。ナベールは「ブランシュヴィックにおける価値の対応」[5]を問うたが、ナベール自身はとりわけ価値の秩序の差異化することと倫理的価値の特殊性を明確化することに専心没頭している。

  リクールは『倫理学要綱』のうちに人間の所産が証言となるような徴候を見出している。そうした所産は発見されるべき意味を持っているが、これを直接に取り出すことはない。これによって解釈学の可能性のみならずその要請もが開けてくる。[この意味を]解読し、解釈しなければならないのである。何を発見するためにそうするのか。リクールは(スピノザのコナトゥスが参照されつつ)実存せんとするわれわれの努力と存在の欲求が発見されると答える。

  『諸解釈の葛藤』において公刊された発表原稿「宗教、無神論、信仰」は、私見では、このリクールによる定式化のよりよい注釈を与えてくれる。リクールにおける反省哲学の倫理的次元を強調するテクストを抜粋することにしよう。

 

   かくして、実存せんとするわれわれの努力の再自己化は倫理学の課題である。しかしわれわれの存在可能性は疎外されているので、この努力は欲求、すなわち存在の欲求に留まる。どんな場合もそうだが、ここで欲求とは欠乏、欲望、要求を意味している。われわれの実存の中心にあるこの無はわれわれの努力によって欲求となり、スピノザのコナトゥスをプラトンフロイトのエロースと同等のものとする。存在の欠如における存在の肯定こそが、倫理の根幹にあるもっとも根源的な構造である[CI,442]

 

 リクールが与えている反省の肯定的定義の内容を前もって展開するよりも、「反省は自己による自己の直観ではない」というその否定的定義に立ち戻ることにしたい。反省と直観とのこの区別はリクールにとり重大事であり、解釈学を反省哲学へ導入することを正当化しようとする度にこの区別を取り上げている。

  かくして、一九六二年の論考「ジャン・ナベールにおける行為とシーニュ」の結論で次のように述べられる。

 

   ナベールのものではないが彼の著作が奨める別の言い方を用いるなら、反省は自己による自己の直観ではないのだから、それは解釈学であることができ、解釈学であらねばならない[CI,221]

 

 六〇年代の文脈において、反省と直観とを分離することは、ヒューマニズムについての論争に干渉することである。「哲学の主体」に関する批判は、(自己によって自己と完全に一致するという)支持し得ない主張を哲学に帰すことで始まるのだが、この主張は主体が真正な反省哲学を生み出すという理念にはけっして関わっていない。

  実際、そうした批判は、人格という用語の促進を断念することなく、「意識」や「主体」や「自我」といった古典的用語の断念を可能にする。こうしたことが、雑誌創刊四十周年を記念する一九八三年一月号に向けた『エスプリ』誌にリクールが寄稿した「人格主義は死に、人格が再来する」におけるリクールの立場である。

  しかし、哲学の理念そのものに関する論争をその論争面に切り詰めてしまう必要はあるまい。また反省は直観ではないとする主題を発展させるには、〈反省は心理的明証性でも知的直観でも神秘的ビジョンでもない〉と『フロイト論』で詳述しているリクールのテクストの提案を取り上げることができる。

 

  • 反省は心理的明証性ではない

  反省哲学は意識の哲学から区別されるあらゆる仮説のうちにある限り、解釈学へと開かれる。「主体の問い。記号論の挑戦」という一九六七年~六八年のテクストにおいて、リクールは反省哲学にとってありうべき未来の問題を措定してみせた。

 

   反省哲学のうちで何が見込みのあるものであるだろうか。精神分析記号論の具体的成果と教示を完全に引き受けておいて、われわれを構成する存在の欲求と実存の努力を表現し明示する私的で公共的な、また心理的で文化的な諸記号の解釈という長く迂回を経た途を採る反省の哲学であると私は答える[DI,262]

 

 こうしたプログラムを定義したときにはすでに、リクールはそれを大まかに実行に移していた。また彼はそれをなし続けるだろう。実際にどう実行していったかを詳述することは避けて、その際リクールが反省哲学というフランスの伝統の源泉へとどのように立ち戻ったのかをみてみよう。

  一八八五年の「心理学と形而上学」という論考においてラシュリエは、ヴィクトール・クーザンの学派に対する態度表明を行っている。クーザン学派の見解は多様であったが、ラシュリエは常に「心理学によって哲学研究を開始する必要性と、理性の理論によって心理学から形而上学へと移行する可能性」という二つの点を保持しつづけた。

  このプログラムはラシュリエ[だけ]のプログラムであり続けている。しかし断絶することのない現象がすでに生じている。それは学問たらんとする新しい心理学であり、かつてのスピリチュアリスムでは何が意識の所与を、またとりわけ自由を形象化してきたのかを問題視する新しい心理学である。なおラシュリエクーザン学派のスピリチュアリスム的目標を共有している。彼が同学派を非難する点は、[彼らが]このスピリチュアリスムを新しい心理学の検証に晒そうとせずに、意識の何らかの幻想を見失っている危険を冒していることである。

  自分自身の見解を述べた文脈において、ラシュリエはリクールがこれから探求するであろうものをすでに探求していた。それはもはや「人文諸科学」とは呼べないもの[象徴や神話]の訂正や教示を引き受ける反省哲学である。

 

  • 反省は知的直観ではない

  少なくともこの主題に関する限り、ナベールが反省的思考の根本的に異なる二つの定位を区別するやり方を書き記した『フランス百科事典』における論文にまず立ち戻ることにしよう。

 

   絶対者が個別の意識の運動のうちでその姿を現わす反省と、まず主体そのものを構成しその後に精神活動の諸法則と諸規範をそのすべての領域にわたって取り戻すressaisir反省との区別をそこで問題とするような諸哲学を特定することが何よりも先に重要である[同事典t.19,04.15]

 

 このように示唆された分岐は、反省の第二のタイプを実践するフランスの反省の伝統を特徴づけるものをカント的超越論主義の系列のうちで定義する上でまったく本質的であるが、また同時に反省的・解釈学的哲学との関係にとっても本質的である。

  ナベールが次のように続けて第一の定位を特徴づける方法をもう一度取り上げておこう。

 

   分析的退行は有限の意識の運動と一致するのだが、その運動の過程で有限の意識は、自分のうちにその姿を現わし、また神的存在の原則と合致するのに不可欠の跳躍をも自らに与えてくれる神的存在l’Êtreのあらゆる在り方を自分が保持していることを発見する。諸理念、諸規範、諸要求そして理念そのもののお陰で、個別の意識はその上昇の歩みにおいてもっとも内的に自らの目的finであるものに近づくのだが、こうしたものはそれ自体、神的存在によって生じる。最初の瞬間よりすでに、自らが感じる渇望において、意識は自らが目指す終局を予感する[ibid]

 

 『一九世紀フランスにおける哲学に関する報告』(一八八九年)においてラヴェッソンは次のように述べた。

 

  反省の内的かつ中心的な視点から、魂は自分自身を知るのみならす、そこから、自らが発出するところの絶対者が自らの根底にあることをも知っている[同書p.271]

 

 「スピリチュアリスム実在論もしくは実証主義」の構成を告知しつつ、ラヴェッソンはこれを実行に移すべくラシュリエを頼りにする。なおラシュリエはラヴェッソンの希望を裏切ることはなかったが、自らのカント講義の最中に彼はこれを別様に叶えた。[以後]フランス的反省の伝統がとる定位は、絶対者の反省と直観とのこうした合致を排除することになるだろう。

  さて、ナベールとリクールはラシュリエやラニョーやブランシュヴィックがとった反省の第二の定位を追求する。リクールがとった選択肢を示すに当たって、「存在論の刷新」(t.19.16.1518.03)という『フランス百科事典』のその論文において、彼が様々な同時代的動向を整理するやり方を頼りにすることにしよう。まずこの論文は、いかにギリシャ哲学がわれわれに存在の問いや、存在論の構成に立ちはだかる難問の自覚や、その様々な解決可能性を遺してくれたかを示している。そうした解決法は三つあって、それぞれ三つの同時代的傾向に対応している。

  1.「知性によるあらゆる規定を超越しているのは疑いないが、たとえ多様な事物の[認識の]やり方ではもはや認識されずとも、思考作用によってなお懸念されている大原則の位置」。

  近代哲学において、この最初のタイプの解決は「カント主義という不可能な存在論」によって代表され、リクールは「あらゆる客観化の試み、つまり経験や観念を通じてなされるあらゆる認識に対し存在の超越性を強調してきた存在の哲学のあらゆる同時代的形式」とこの不可能な存在論とを結びつける。なお[ここで]問題となってくるのは、①カント主義の現象主義的解釈に反対してカント的形而上学の真の跳躍を見出したフランス反省哲学の伝統と、②カール・ヤスパースの実存の哲学である。

  2.ギリシャ人か残した第二の解決。「知性によるあらゆる規定やあらゆる言説の遥か先にある超越的なものというビジョンで、それは魂がもっとも徹底したかたちで自分自身に内属している状態と合致する」。かくしてここでわれわれは、ナベールが区別した第一の反省の定位を見出し、その定位によれば、反省は明確に直観と合致するか直観に吸収される。では、こうしたしるしの下にある同時代の集団はどのようなものであろうか。

  まずベルクソンラヴェルがおり、彼らは新プラトン主義から発しスピノザシェリングを経由する伝統が同時代に再来したもっとも純粋な典型としてまとめられる。ちなみに、ベルクソンラヴェルの結びつきは時期が特定されると言っておこう。そうした結びつきはジャンヌ・ドゥロムによって常に追認されていた訳ではなく、『生と生の意識 ベルクソン論』の彼女のテーゼは一九五四年に主張されたものである。

  しかし、とりわけリクールがまさに「存在論と直観」というタイトルの下でマルセルとハイデガーを整理する時、私は彼の当惑を認める。マルセルに立ち戻ることは保留するとして、ハイデガーの関して展開された論述の結論を注記しておく。

 

   その際、根本への遡及は、哲学が自分自身に対して提起できるような課題ではない。人間がそうした遡及を語るというよりはむしろ、その遡及が人間を語ると言うことができるようなあらゆる言葉のうちで、この遡及は哲学を追い抜き哲学に先立ってすでに完了してしまっている[「存在論の刷新」t.19.18.02]

 

 3.ギリシャ人が遺した第三の解決。存在の最高度の規定弁証法によって辛抱強く構築すること。「存在論と弁証法」というタイトルの下でリクールはヘーゲルへの回帰を検証し、そうした回帰によって同時代の思考は「もはや自らの狙いやビジョンから遠く離れた対自的存在を有することなく、存在の言説そのものであるような絶対者の言説という」エレア派的・プラトン的企図を復活させる。

  ヘーゲルへのこうした回帰は今日では二つのかたちをとる。①ジャン・イポリットの業績は『論理学』と「ヘーゲル思想の擁護論」のようなものの包括的な繰り返しを提案している。②他方では、エリク・ヴェイユの『哲学の論理学』がポスト・ヘーゲル的な思想運動を絶対者の言説に組み込む努力をしている。

  一九五五年秋、「哲学と存在論」というタイトルでリクールは、イポリットの著作『論理と実存 ヘーゲル論理学に関する試論』(一九六三年)についての消息を『エスプリ』誌に載せている。イポリットはすでに、「絶対的なものは反省であり、存在の言説は反省の無限の能力を自ら提示する」もしくは「存在は自分固有の無限の反省となる」というヘーゲル『論理学』の中心主題へと読者を改宗させようとする「ヘーゲル思想の擁護論」について語っていた。なお、実際のところ、リクールはイポリットの弁証法的存在論によって納得しておらず、彼はイポリットの「反ヒューマニズム的な点」を暴露している。

  これについて引用しておくと、

 

   以上の通り、反省と絶対的自我le Soi弁証法的なものとしての存在そのものと同等である。なるほどそうかもしれない。しかしそうした反省は本当にわれわれがなし得る反省だろうか。

 

 さらにまた引用すれば、

 

   もしこの絶対的自我がわれわれの自我でなく、またもし人間がなるほど(デカルトやカント的なスタイルの非弁証法的哲学におけるように)存在との関係[客体同士の関係]によってではなく、自己と存在との関係[主体と客体との関係]によって別の人間であり続けるなら、存在は反省であると述べることで一体なにが得られたというのか。

 

 リクールによるこうした反論は、私にとり非常に重要に思われる。別の文脈から見ると、このリクールによる反論はマルセルの哲学科就任演説の言動を繰り返すものであり、ドミニク・ドゥバルが語っているように、この言動によってマルセルは「古典的な観念論哲学の包囲を突破する」ことをなしたのであった。

  マルセルはとりわけブラッドレイといった英語圏の新ヘーゲル主義から出発して、絶対者における有限の諸現出の調停という問題を措定していた。彼は一九一二年の論文「直観の哲学の弁証法的条件」においてすでに、「その外部には何ものも存在せず、その統一性において抽象的諸契機としての有限な思考を包含している完璧に知解可能な体系の肯定」として理解される絶対知を批判しなければならないと結んでいる。

  急ぎ足で私は次のように述べておきたい。すなわち、『形而上学日記』(一九二七年)の第一部においてマルセルが、究極的な「超問題系」を告知する「絶対的検証不可能性」という概念を形成するのは、まさに有限の思考の条件を保持しこれに敬意を払うためである、と。ちなみに、ヘーゲル主義に対するリクールの反論において反復できると私が考えているのは、[リクールが持っているマルセルのヘーゲル批判と]似通った意図である。

 

  • 反省は神秘的ビジョンではない

  一九五〇年九月号の『ラ・クロワ』誌においてアンリ・デュメリは、リクールの博士論文の出版によって生じた結果に敬意を表している。

 

   彼に対しては三つの理由で注意する必要がある。まず、このような大規模な著作が独創的にして生産的な[意志の哲学という体系的な]著作となることを予定しているという理由。次に、熱烈なプロテスタントであるリクール氏が興味深いことにG・マルセルのカトリシズムから滋養を得て、サルトルメルローポンティやポラン、またアルキテすらもが抱かせる無神論的な雰囲気をもっとも変えることのできる若き大家の一人であるという理由。最後に、このジャンルが主導権を持つことによって、改革派の思想が反省哲学の重荷とされてきたという軽蔑に終止符が打たれるという理由。

 

 リクールがプロテスタントに、正確にはバルト派[新正統主義]に属しているということの力をいかなる場合も主張せずに彼の思想について語ることができるだろうか。リクールが(ライプニッツ流の「弁神論」への批判は除いて)理性的神学に関する古典的問題に関心がなかったというのが、どのような場合でも事実であろう。この点に関し、マルセルを参照しても事態はけっして変わらない。マルセル自身が「神の実在の証明」という問題系に強く反対していたからである。

  ところで、リクールを読んでみて、私は[リクールが]この神の実在という問題系を批判しようと腐心していたことをまったく見出せない。こうした問題系は彼にとって疎遠であるような一般的視座に属するものである。彼の著作において、本質的に神はわれわれに対し聖書のうちで語る存在として現れる。神に近づくに当たって、神はわれわれに(マルセルにはあまり馴染みのなかった)聖書解釈学という長き歩みを取るよう要求する。

  私に見落としがなければ、リクールにおいて語の古典的な意味での神秘思想を対象とする研究は存在しない。原則としては、反省哲学がわれわれの存在の欲求をも証言する神秘思想の経験を考慮することを妨げるものは何もない。むしろ反省哲学とはまったく逆のものとは、経験主義のやり方で神秘的経験を扱うことであろう(恐らくベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』においてはまだそうである)。

  結論するに当たって、マルセルの存在論によって疑われたままになっている問いに戻ることにしよう。リクールはその論文「存在論の刷新」において、(両者とも「参与」という言葉を使用してはいても)ラヴェルの存在論とマルセルの存在論とを明確に区別している。

 

    G・マルセルの真に存在論的な著作はどれも、反省それ自体の発生作用の完全な直観というよりはむしろ、神秘的なものの側への試み、探求、一本の探針である[t.19.18.1]

 

  マルセルが三〇年代の存在論に関する大著において言及している「盲目化された直観」についての検証[6]は措いて、彼が「具体的な存在論に向かって」と題した論文を載せた『フランス百科事典』の一九巻に今度も立ち戻ることにしよう。そこでは次のような文章が見られる。

 

   恐らく、私の哲学的探求すべては、音楽経験のやり方で私に瞬時に与えられた何かと合致するための大がかりな迂回路のようなものであった…。結局、初めに実存的保証として与えられていた何かを反省に固有の道を通じて取り戻すrécupérerことが問題であったのだ[t.19.14.3]

 

 マルセルに固有のものを考慮するとしても、似通った構造がリクールにおいて見出されると私は考える。もし哲学の活動が仕事であるなら、その仕事は、別のところで批判的反省の検証に晒される存在論的保証によって実存的に支えられてはいないか。どんな哲学的言説のうちにもその伝統が見出されないとさえ言われねばならないような保証なくして、解釈学が反省哲学に課す極めて長い迂回路をどのようにして耐えてゆくというのか。

 

 

[1]『エスプリ』、一九八八年、七月-八月号。

[2]すなわち、最初に用いられた方法に対し後の要約的テクストによって当初にはなかった意義が指摘されるという混乱が認められるということ。

[3]フランソワ・ダストゥールは、リクールが自らの哲学の高等教育免状をラシュリエとラニョーの反省的方法に当てていることを喚起している。

[4]これに関する主要なテクストとしては、『フロイト論』序論第三章の「解釈学的方法と反省哲学」、『諸解釈の葛藤』収録の「象徴の解釈学と反省哲学Ⅰ、Ⅱ」および「宗教、無神論、信仰」。

[5]同論文は一九四五年の『形而上学・道徳雑誌』に収録。

[6] Pierre COLIN, «Expérience et intelliginilité religieuses chez Gabriel Marcel», dans Introduction à la philospphie de la rerligion, éd. Jean-Louis Vieillard- Baron et Francis Kaplan, Cerf, 1989.