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un coin quelconque de ce qui est

ドイツ・フランスの解釈学・美学関連の論文を翻訳・紹介

ジャン=リュック・ナンシー「精神はいま」(2015年 12月26日)

以下はジャン=クレ・マルタンのサイトに掲載されたJ・L・ナンシーの小論(2015年12月26日付)。

 

                精神はいま
             ジャン=リュック・ナンシー

  

 人々はなにも言いたがらないようだ。恐ろしいことや騒擾émotionを目のあたりにしたために。それらの印象を間近に受けたために。それはパリで起こったことが、ボンベイ、ベイルート、カブール、バグダッド、ニューヨーク、マドリッドカサブランカアルジェリア、アンマン、カラチ、チュニスやモースル[イラク北部の大都市]といった都市でもう長いこと起こり続けているからだ。われわれを憤慨させたり(その憤慨は正当化されはするが空疎である)、抗議の声(「~すべきではないだろうか」「~するしかない」)を上げさせたりする惨事を目の当たりにしたために、また暗雲立ち込める見通し(統制、報復)を前にしたために、人々はなにも言いたがらないようだ。

 経済的かつ地政学的な大衝突という世界情勢のうちに起源や原因や一連の過程があからさまにもつれ、たがいに巻き込まれ合っているが、そういったものの錯綜した複合体が想像されるようになって以来、われわれはひどく敏感な意識に締めつけられていて、人々が何も言いたがらないのはそうした意識のせいでもあるようだ。思想の面でも、いまは「~するしかない」の時ではない。

 とはいえひどく敏感な意識に締めつけられているがゆえにまた、語る努力をしなければならない。それは、騒擾によって語るよう求められるからだけでなく、とりわけそうした騒擾の強度puissanceがテロ行為の甚大さとは別のものに基づいているからでもある。テロ行為の甚大さもたしかに注目すべきものであるが――時間と場所の調整や選択のすべてが、このテロ行為の下準備について滔々と物語っている――、このテロ行為にはそれ以上のものがある。つまり武装イスラム集団[GIA]の創設とともに、1990年のアルジェリアで(直接肌で感じとれる範囲にとどまってはいるが)およそ25年前にはじまった長い一連の出来事の甚大さがある。25年は一世代でもあるが、それはかたちだけの数字であるばかりでない。この数字はプロセスが展開し、成熟が起こり、経験がはっきり示されるということを意味している。輪郭、色合い、レイアウトがおのずと整ってくる。[そこには]固定的なものも決定的なものも存在せず、もちろん「世紀」というたぐいの〈歴史のフタ〉で閉ざされることもないが、それでも全体の布置、もしくは少なくとも転回のかたち、方向転換つまり内部破裂のエネルギーが存在する。

 2015年12月13日のパリでの夜を引き起こした暴力forceは、このエネルギーの一部である。こうした理由からもこの暴力は、転回の見通しであれ、あらたな世代がはじまる端緒の見通しであれ、そういった見通しをただちに押しつけてくるように思われる。そうするとわれわれは、[これまでとは]別の段階に達するかもしくは別の戸口を通過するのに25年を要したことになる。この蛮行で放たれた砲火の多くは、ほとんどこの25年を凌ぐものはなかった。この砲火において死者や負傷者は、蛮行の不安を煽る不透明な存在となってしまっている。

 いま問題となっている暴力は、その本質をなすものからして、われわれが「原理主義」もしくは「狂信」などと呼んでいるものの源泉とは別のところで見出される。なるほど――(スンニ派もしくはシーア派の)イスラム教であれ、カトリックであれ、プロテスタントであれ、正教会であれ、ユダヤ教であれ、ヒンドゥ教であれ(さらに例外的には仏教徒であれ)、これらの宗派の――実行的で、執念深く、攻撃的な原理主義は、相当なところ、ここ最近の25年間を特徴づけている。しかし、二極化した役割を担わせようとして進められる経済上の原理主義や、早くもほぼ二世代がすでに関与し当てはまる「グローバリゼーション」の拡大(マクルーハンの「クローバル・ヴィレッジ」は1967年に遡る)とみなしうるものと、この原理主義が合致してしまうようになることにどうして気づかずにいられようか。技術や社会の進歩と歩を同じくするただの代議制民主主義は、以前より近代のニヒリズムによって煽られてきた不安感やフロイトが1930年に語った「文明のなかの居心地の悪さ」とあたかもぴったり符合するかのように思えるが、これと同じように、全体主義的な経験をなんとかして忘れさせようとする試み[とこの原理主義との符合を]をどうして指摘せずにいられようか。

 自由な原理主義は次のような、一見すると自然法則と思われがちな根本的性格を肯定する、すなわち自由な競争のもとで無際限に生産し、それと同じくらい技術を無際限に拡大させ、またなによりもその他のあらゆる種類の権利――とりわけ政治的権利が国や民族や共同生活の形式に固有な要求に基づいてその自然法則を統制しようとする場合には、まずはそうした政治的権利――を無際限に減少させる傾向にあるという根本的性格を肯定するのである。「権利によって」語られる国家は、不可欠であると同時に活力を失いがちな、地平と安定性を奪われた政治形式を逆説的な仕方で表している。生産第一主義的で自然主義的なわれわれのヒューマニズムはそれ自体消滅し、非人間的で、人間を越えた、あまりに人間的な悪魔たちに道を開くのである。

 宗教的原理主義は、社会―政治的文脈に干渉されることのない、教理の遵守や変わらぬ儀式に限定されるかもしれない。[しかし]宗教的原理主義がそうした社会―政治的文脈で実効的であろうとするなら、それは二つの要請を提示する。すなわち[宗教的原理主義にとって]一方で問題となるのは神秘的な原理の力forceを再発見することであり、他方で問題となるのは、この原理の力と技術的・経済的利害とを両立させることで、両利害の強度の関係のうちに入り込んでゆくことである。こうした試みについてもっとも雄弁に語る徴候は、イスラム法に銀行機能を溶け込ませ、銀行機能にイスラム法を溶け込ませることである。さらに別の徴候は宗教戦争である。たとえば1979年のイラン革命は、政治的イスラム教の目覚めをしるしづけるものであると同時に、イスラム教内部の大きな不和をこの地にもたらしもした。古代ヨーロッパの宗教戦争がそうであったように宗教戦争は、社会的で政治的な対立に対応している。さらに中東で実際に起こっている衝突――さらにイスラエルがらみの衝突――は、ポストコロニアル革命の進歩主義風な試みの挫折や揺らぎから生じている、と手短に言うこともできるであろう(エジプト、シリア、イラクアルジェリア)。

 ポストコロニアル化は、植民地外に住む植民人どうしの力関係によってと同じく植民地外の人々の利害によっても、ある時は窮屈なものであり、またある時は遠回りのものであったりするが、そうしたポストコロニアル化に、エネルギーにかんする要求の増大によって混乱し、資金および金融システムの変化によっても混乱した経済状況が結びついている。言いかえれば、2世代もしくは3世代も過ぎれば世界の状況配置は大きく変化するのであって、地中海とヨーロッパの地帯の騒乱はそうした変化の一側面にすぎない――そのほかの側面は中近東諸国とラテン・アメリカにおいて生じている。しかもこんにちの狂信は、あまりにも単純にわれわれが「アラブ・イスラム教的なもの」と線引きする世界の外部で人員を募集するようになっている。

 地中海のイスラム世界について、ここであえて簡略化して言うなら、〈シーア派とスンニ派との対立(この対立はまた古代ペルシャ文化とアラブ文化とをあらためて切断するものでもある)は、宗教と社会とのつながりを生みだすさいの重要な相違のうちに表れている〉ことを再認識しなければならない。スンニ派の原理主義は、暮らしや文化や権利へと宗教が総合的に浸透することを要求するが、そうした浸透のモデルはシーア派のメシア気性とは異質のところにとどまっている(このことはイランが実際にとった行動を失念しては語れないことであろう)。こうしたことは、[地中海のイスラム世界と]ヨーロッパやアメリカの国々との関係をめぐる結果があっての上での話である。

 これらのひどく図式的な注意喚起は、明晰な反省が検討しなければならない既知の事柄の重大な重みpoidsをもっぱら思い起こさせるためだけのものである。それはまさにこの重みが、われわれが目にしているのと同じくらい暴力的で狭量な突発的狂信を可能にするものであるからである。世界が解体するときこそ、狂気は激化する。死にいたる可能性が現われるのはまさにこの変異においてである。(唯一のもしくは複数の原始キリスト教を信じていた人々によって始まった)ほかの多くの事例と同じく、スペインの異端審問や宗教改革期の狂信は、社会の平面においてであれ、実存の平面においてであれ、明らかにいつも危機的な状況と相関している。

 この重苦しさpesanteurと、あらたに呼び覚まされた激昂は、たしかに解決にいたる手助けとなるものではない。〈われわれはただたんに、人知れぬ蛮行被害という突発的な猛威を目の当たりにしているのではない〉ということを少なくともわれわれは知りうるし、また知っていなければならない。われわれは歴史状態を、すなわちわれわれの歴史――自分自身にのぼせ上がる世界機構と化したこの「西欧」の歴史を目の当たりにしている。

 この歴史を非難したり、正当化しようとしたりすることもできるが、それはあまりに安直なことであろう。われわれは――たとえニヒリズムの歴史であれ、資本主義の歴史であれ、イスラム教の歴史であれ、それらすべての歴史であれ――そうした歴史の袋小路から当の歴史を救い出すことができるかどうか自問しないわけにはいかないのだ。

 ローマの避難民たちが殺到するヒッポにいたアウグスティヌスは、アラリック[360-410, 西ゴート族の王]によるローマ略奪について語りながら、「精神は圧迫された肉体から湧き出てこなければならなかった」と表明した。では、こんにちわれわれはどこで精神を見出すだろうか。

 

 こんにちわれわれはどこで精神を見出すだろうかという問いは、二重に奇妙な問いである。まず一方で〈われわれは「精神」を見出したり、どこかで発見したりすることができる〉といったようなことをとどうやって考えるのだろうか。他方で「精神」という語は、もっとも陳腐でリスクがあり危険ですらある語のうちの一つである。「精神」という語はもっともよいものに対してと同じく、もっとも悪いものに対しても役立ってきたのだった。しかしながらやはりわれわれは、〈宗教とは精神なき世界の精神である〉と形容したマルクスの言葉を忘れることができない。何かの不在を言い表すにあたり、その当のものを知っていなければならない。それゆえマルクスは少なくとも、「精神」についての観念なり見解なり手がかりなりをもっている。マルクス唯物論者として〈どうすれば精神について語ることができるか〉を熟知していた。彼が精神について語るのは、彼の唯物論が人間による生産、つまり彼の言葉で言うところの人間の労働(もしくは彼が言うところの、交換価値でもなくたんなる使用価値ですらない絶対的な価値としての価値)を通じての生産であるからである。

 マルクスを持ちだすにしても、持ちださないにしても、(「ダンテの精神」や「ロマネスク芸術の精神」について語る場合のように)〈精神は意味の生産を表している〉と述べることはできる。意味sensは(「神」や「幸福」のように)達成されたと目される意味作用significationではなく、実存existenceが世界や他者や自分自身とかかわる動きである。このかかわりはたえず刷新されつづけ、どこにも固定化されることはない(もし固定化されたり、教理や法となったりしてしまうなら、それはもはや精神ではなく生気のない「文字」である)。

 したがって、精神がどこにも位置づけられず、(テクストや名や形式やイメージといった)位置づけ可能なものから成り立っているのでない以上、重要なのは精神を見出すことはではない。精神は自らについて自問するという唯一つの事実のうちにすでに存するのであり、この自問が懸念や欠如の感情となる場合でさえもやはりそうなのである。それゆえ精神は「現にlà」存するのであって、どこかにあるというよりはむしろ、われわれの行為や言葉や関係を貫いていたるところにある場のうちに存するのである。精神はわれわれに精神自体を要求させるような圧力として存在する。

 こんにちでは、〈ヒューマニズムの精神や権利の精神や「価値」と呼ばれているものの精神として精神を言い表すことができる〉とあまりにもたびたび信じられている。とはいえまったく明白なことであるが、こうした言葉は引き合いに出されるだけいっそう空虚に響く。これらの言葉が空虚でない場合にこそ精神は存在する。これらの言葉が空虚であるなら、精神はそれを変えなければいけない。「人間」とは、意味によって変えられたり再充填されたりしなければならない語である。それは言葉の作業ではなく、文化や社会や文明すべてを変更する課題として要約できる、実践的で具体的な課題である。われわれは、「ファイバー」や「ナノ秒」や「マーケット」や「ネットワーク」といったあらたな意義significationsを有している。しかしわれわれは、われわれの言葉が言い表せないかもしくは理解可能な仕方で言い表せないものを語るにあたり、「精神」という古びた語しか持ちあわせていない。つまりわれわれの実存existence――あらゆるものの現実存在existence、すなわち人間や生物や宇宙の現前といった現実存在――が語の強い意味でどのように存在しているexisterのか、いいかえればどのようにつくられ、形成され、諸関係に開かれるのかを語るにあたり、われわれは「精神」という語しか持ちあわせていないのである…。

 われわれは、かつて自分たちのものだった精神をわれわれの文明が自らの手で消滅させてしまったという感覚ないし意識を有している。人々は来た道を戻ることはない――じっさい実存は麻痺している。

 精神はすでにいま目の前にある。それは少なくとも、われわれが実存したり欲求したり、実存する力や意味や形式を案出したりするという仕方で目の前にあるのだ。

 転倒させて、また相互に関連づけてマルクスが人間による人間的価値の生産を念頭に置きながら精神について語るとき、彼はこの価値が空中にただよう純粋な理念でなく、布や拳銃のように手で触ることのできる単純な実在でもないことをきわめて明白に知っている。じっさいマルクスは、意味作用の理想形や、使用ややりとり――そこには貨幣も価値の兌換性も等価性一般も存在しない――のうちで仕上げられ推敲され変形されることによってのみ意味をなす言葉というこれら二つの形式のどちらかの下では何も存在しないことを知っている。かくしてマルクスは「精神」をはかないものとして名づけることができ、[彼によれば]精神とは、何かの特性propriétéではなく〈自己自身としてproprement〉あることや〈自己自身として実存するexister proprement〉ことを自己化するappropriationことなのである。

 人間による人間の破壊は、人間的なものの生産をいつもともなってきた。戦争や殺人によってだけでなく、搾取や隷属や支配や反逆や窃盗や、「自己疎外aliénation」と呼びうるものすべてによっても、そうした人間の破壊は他者や自分自身を活用する。けっきょく自己疎外は実存それ自身の生産と相関している。それは、この「それ自身propre」が与えられるものでなく、同定可能なものでも結局のところ自己化可能なものでもないからである。

 この「それ自身」は容易ならざるものであり、人間が人間であって以来、自己疎外は人間にとりついている。文明は一方で財のすべてを自己化する支配となりはて、他方で普遍的支配者という偶像をうみだして、この偶像によって人間はその支配の実行者に切り詰められかねないが、そうした文明は、しかし、自ら解体し自分自身から離脱する状態にある。文明の精神は激動のうちに突入している。

 

                          ジャン=リュック・ナンシー